ミミズク
部屋をノックする音に、アルマイヤーは目を通していた報告書の束を、執務机の上に放り出した。
「入り給え」
「失礼いたします」
書類挟みを手にしたイフゲニアが、アルマイヤーの執務室に入ってくる。
「ニア、君の戦術報告書を見た。なかなかの出来だ」
「報告書でしょうか? それとも中身でしょうか?」
「その両方だ。だが彼らについて言えば、人形師としては甘いな。自分たちのいる場所と、その力の意味をまだ分かっていない。卒業生はシャバにいるつもりだ。軍が士官と兵に分かれていることの根本が、理解出来ていないようだ」
「上官をいきなり殴るのですから、そんなもんだと思います。私なら、後で背後から撃ちますけど」
「笑えない冗談だな」
「冗談に聞こえました?」
アルマイヤーが、ニヤリと口の端を持ち上げて見せる。
「それで、人形省からの答えは?」
「生徒の自主性に任せると言う案ですが――」
「頭の固い連中も驚いていただろう」
「驚き過ぎたようです。それについては断固拒否されました」
「拒否? ジークに話は通していたはずだが……」
「強烈な横やりが入ったのだと思います。このタイミングで横やりを入れられるとすると――」
アルマイヤーは指を横に振った。
「余計なことは話さなくていい。厄介ごとが増えるだけだ。それで、人形省はどうしろと?」
「班分けの編成については、校長に一任するとのことです。自主性なんてものに許可を与えると、自分たちの責任になるので、体よくこちらへ押し付けてきました」
「それはそれで面倒だな。班分けについては、君の方で案を作ってくれ」
そう口にすると、アルマイヤーはイフゲニアが手にする書類挟みを指さした。
「そのはみ出ているやつはなんだ?」
「これですか? 人形省の廊下で、とある方から、班分けの私案だと渡されたものです」
「そんな面倒なものをもらってくるな。さっきも言った通り、厄介ごとが増えるだけだ」
アルマイヤーのいかにも面倒くさそうな顔に、イフゲニアはてへっと笑って見せた。
「そう思ったんですが、隅に書いてあった絵がかわいくて、ついもらってきてしまいました」
「絵?」
イフゲニアの言葉に、アルマイヤーが怪訝そうな顔をする。それを見たイフゲニアは、書類挟みから他の紙とは違う、薄い折りたたんだ紙を取り出した。それを開くと、サインのようにも、いたずら書きのようにも見える部分へ指を置く。
「豚の顔をした鳥なんです。面白いですよね。でもおっしゃる通りです。すぐに廃棄します」
イフゲニアが書類を油灯りにかざそうとする。
「豚の顔をした鳥……待て、燃やすな!」
アルマイヤーが慌てた声を上げた。
「あら、校長も興味があるんですか?」
アルマイヤーは椅子から立ち上がると、イフゲニアの手から紙を奪い取った。執務机の上に広げて、食い入るようにそれを眺める。
「これは豚の顔をした鳥じゃない。ミミズクだ」
そう告げると、イフゲニアの方へ視線を戻す。その表情はいつものおどけた顔とは違い、とても真剣だ。
「これは誰から受け取った?」
「お聞きになりたいですか?」
「いや、やめておく。この紙は私の方で預かる。班分けの編成案作成は無しだ。先ほどの質問も、編成案同様に忘れてくれ」
イフゲニアはアルマイヤーへ敬礼をすると、口元に笑みを浮かべつつ、執務室を後にした。
* * *
「クエル、ちょっと待って!」
朝礼が行われる講堂の入り口で、フリーダはクエルへ声を上げた。それを聞いたクエルが、心配そうにフリーダの顔を覗き込む。
「痛む? まだ病室で休んでいた方が――」
言葉の途中で、フリーダは思いっきり首を横に振った。
「あんなところに寝ていたら、回復する前に私の精神がおかしくなります」
クエルは言葉を飲み込んだ。確かにそれはそうだ。
「だって、病室が薔薇で埋まっているのよ。しかも香水付き!」
そう告げると、フリーダは自分の服を嗅ぐしぐさをした。
「臭う?」
クエルの目の前に、ポニーテールの下に覗く白いうなじを近づけてくる。そこから漂う甘い香りに、クエルは耳の後ろが熱くなるのを感じた。
それは薔薇の匂いのようにも思えるが、もともとクエルがフリーダから感じていた、甘い香りそのものにも思える。
「だ、大丈夫だと思うよ」
「そう? 入学早々、いきなり香水をつけて来ただなんて思われたら、困るんだけど……」
そうぼやくと、さらにクエルの方へ首筋を近づけてくる。クエルがさらに体が火照るのを感じた時だ。誰かがクエルの裾を引っ張った。
「クエル様、フリーダ様。講堂の後ろに、皆さんがお集まりのようです」
セシルの冷たい視線を感じつつ、クエルはフリーダから離れて講堂の中を眺めた。後ろの壁に設置された掲示板に、大きな紙が張り出されている。
「班分けよ!」
フリーダは声を上げると、クエルの手を握りしめた。さっきまでのぎこちない動きはどこへやら、クエルを掲示板の前まで引きずっていく。
その一番左の目立つところに、第1班と書いてあった。アイリス王女を先頭に、ムー・グリィ、ルドラ・インバース、ヒルダ・カーチス、ラムサス・アビゲイルと名前が続いている。
「王女様はムーグリィさんと一緒の班になったのね……」
クエルは安堵のため息をもらした。王女様と二人だけの班など、どう考えても耐えられない。それを見たフリーダが、眉をひそめた。
「気になるの?」
「いや、純粋に安心しただけだよ」
フリーダはフンと鼻をならすと、掲示板の先へ指を向けた。
「クエル・ワーズワイス……」
そうつぶやきつつ、掲示板の先を追っていく。その手が止まった。そこには第13班とあり、クエル・ワーズワイス、フリーダ・イベール、セシルの名前がある。続けて、シグルズとハッセ・ハッシーとも書いてあった。
「やった!」
それを見たフリーダの口から歓声が上がった。体中が痛かったはずなのに、飛び上がって喜ぶ。その姿に、クエルも二人と一緒の班になれたことを心から喜んだ。
「でもシグルズさんとも一緒か……」
「何を言っているのよ。御三家の人たちと一緒なのに比べたら、はるかにマシじゃない。でも今度クエルを殴ったら、絶対に許さないけどね」
クエルはその目が宿す殺気に焦りつつも頷いた。そして最後の名前に首をひねる。
「ハッセさんって誰だろう……。誰か知っている?」
「そちらはクエル様の同室の方です」
「えっ、実在していたの!?」
セシルの答えにクエルは驚いた。それを聞いたセシルが、わずかに口の端を持ち上げて見せる。
「もう、何をそんなに心配しているの。そんな事より――」
フリーダはそう声を上げると、クエルの前に手を差し出した。
「クエル、これからもよろしくね」
オレンジ色の澄んだ瞳に見つめられながら、クエルはそっとフリーダの手を握りしめる。
「こちらこそよろしく、フリーダ」
クエルの心臓の高鳴りに重なるように、どこかでホーという鳴き声が響いていた。