薔薇
フィリップは宿舎と呼ぶにはあまりにも豪勢な部屋で、完璧に詰め物がされたソファに、足を投げ出すように座っていた。目の前では就寝前の団らん時間に、チェスター家に連なる者たちが歓談をしている。
そこで交わされている会話は、主にローレンツ家の専横に関する愚痴だった。フィリップは時折大きくあくびをしながら、退屈そうにそれを眺める。
「――ローレンツ家の連中は、ジークフリード殿が人形次官であることをいいことに、やりたい放題だ」
フィリップの班の一人が、いかにも不満げに腕を広げて見せる。他の者たちもそれに頷いた。
「今回の班分けだが、どうして我らが第三班なのだ?」
家格が下だと思っているローレンツ家が、第二班であることに、我慢がならないらしい。フィリップとしては、フリーダを自分の班に組み込むための政治的交渉の結果で、それほど不満がある訳ではなかった。むしろマクシミリアンの鼻を明かせたと思っている。
「我々が上であることを、実力で示せばいいだけさ」
フィリップの言葉に、そこにいた者たち全員が口を閉じて頷く。
「だいぶ夜も更けて来たし、今日の会合はここでお開きにしよう」
学生たちが椅子から立ち上がろうとした時だ。フィリップが何かを思い出したらしく、片手を上げた。
「その前に、みんなに伝えておくことがあるんだ。明日から、フリーダ・イベール嬢がぼくらと一緒の班になる。彼女に対する無礼な態度や発言は一切許さない」
そう告げると、 フィリップは全員をぐるりと見回した。
「今晩の会合は以上だ」
学生たちは深々と頭を下げると、廊下へと去って行く。フィリップはソファから起き上がると、背後にある寝室側のドアを振り返った。
「アイ姉がこんな時間に人目を忍んで、僕の私室にくるだなんて、おじいさまからの急な伝言かい? それとも夜這いに来た?」
寝室のドアが静かに開く。非常口から入ったアイラが、書類挟みを手に姿を現した。
「そのどちらでもありません。とある件での予定外の結果に関する報告です」
「やっぱりアイ姉は生真面目だね。『はい、そうです!』ぐらい、言ってもいいと思うんだけどな……」
それを聞いたアイラが、思いっきり顔をしかめる。だがすぐに、軍人らしい感情を消した顔へと戻った。
「残念ながら、班分けについては、坊ちゃんの希望が通る可能性はほとんどなくなりました」
「アイ姉が手を打ったんじゃないの?」
「やんちゃをした連中をけしかけましたが、返り討ちです」
「返り討ち? 末席の連中とは聞いていたけど……。彼らの人形は官製の安物?」
「違います。アルツ工房というところが製造した人形で、まともなものです。当家との取引はありませんが、主に王宮人形師向けの人形を製造しています」
「ふーん……」
フィリップが興味なさげにあくびをする。
「あの赤毛の娘が使っているギガンティスという人形も、その工房が製作したものです。それに末席ではありますが、前回の選抜組ではかなり優秀な班でした」
「アイ姉、僕の前で彼女を赤毛と呼ぶのはやめてくれ」
「これは大変失礼いたしました」
アイラがわざとらしく丁寧に頭を下げる。
「なるほど、ギガンティスは同じ工房の人形を相手にしたのか……」
「結果は卒業生組の人形が二体中破ですが、二体ともギガンティスではありません」
それを聞いたフィリップが、興味深げにソファから身を起こした。
「あの彼氏君の侍従人形がやった?」
「いえ、付き人が操る踊り子を模した人形です」
「選抜で見たな。妙に色っぽい姿をした人形だ。その付き人の調査は?」
「本人は東領から流民として王都に来た、と言っているみたいですが、それ以上は何も出てきません」
「アイ姉が調べても出てこない?」
「はい。かなり怪しくはあるのですが、東領の動乱のせいで裏が取れません」
「末席の連中が王宮人形師ご用達の人形を使っていたのといい、色々とおかしなところがあるね。それで、班分けはどうなるの?」
「アルマイヤー校長は生徒の自主性に任せると言っていましたが、関係諸方面に働きかけて、それだけは阻止しました。なので、今はアルマイヤー校長の一任になっています」
「アルマイヤー卿は交渉でどうにかなる相手じゃないし、これは困ったな」
言葉を切ると、フィリップは考え込む表情をした。
「集団戦でも卒業生に完勝だったということは、彼女の言う通り、彼氏君は本当に天才なのかもしれない。この件はもう一度おじい様と相談しよう」
そこでフィリップはパンと手を鳴らした。
「そうだ、今度有力者への顔見世をかねた見学会がある。その件をおじい様と相談することにして、一度家に戻ろう」
「そこまでする相手ですか?」
「もちろんだよ。ところで、フリーダ嬢に怪我はなかったんだろうね?」
「特に怪我はありません。もっとも、力の使い過ぎで医務室に運ばれましたけど――」
「アイ姉!」
「は、はい」
フィリップの普段見せない真剣な表情に、アイラは背筋を伸ばした。
「こういう大事なことは、こんな遅い時間じゃなくて、可及的速やかに僕の耳に入れてくれ」
「はい。これでも人形省から報告が上がってすぐに――」
「そっちじゃない。フリーダ嬢が医務室に運ばれた件だ。流石に今からじゃ見舞いは無理か……」
フィリップがいかにも残念という顔をして見せる。
「すぐに薔薇の手配を頼む」
「今からですか?」
「善は急げだよ。ちなみに量は医務室に他の花を飾る場所がなくなるくらいだ」
「ちょっと待ってください。薔薇で部屋を埋めるつもりですか?」
「その通りさ。僕が贈った花で埋めるんだ。マクシミリアンが花を贈る余地など無いようにしてくれ。もしかしたら、アロソン辺りも邪魔してくるかもしれないしね」
「は、はい……。分かりました」
アイラは当惑しながらも、フィリップに頷いた。
「それじゃ、僕はもう寝ることにする。アイ姉はどうする?」
「は、はあ?」
「昔みたいに、一緒に寝るかい?」
「な、なにを――」
「でも今日はだめだ。アイ姉には特別な仕事がある。頼んだよ」
そう告げると、フィリップはおもむろに立ち上がった。アイラはフィリップが子供の時と同じく、上着に手をかける。そのボタンを一つ一つ丁寧に外していった。




