ご褒美
カタン……。
金属同士のぶつかる音に、フリーダは意識を取り戻した。殺風景な宿舎とは違う、白く塗られた天井が目に入る。どうやら医務室の寝台に寝かされているらしい。その横で誰かの動く気配がした。
「い、痛たた……!」
フリーダは寝返りを打とうとしたが、あまりの痛みに、口から悲鳴みたいな声が漏れる。
「まだ動かれない方がいいと思います」
聞き慣れた声が耳に響いた。視線だけを向けると、水を張ったボウルを手にセシルが立っている。
「肉体的な疲労は、精神的な疲労よりも遅れてくるそうです。しばらくは安静にするよう、医務室の先生がおっしゃっていました」
セシルの言葉にフリーダは頷いた。動きたくても、痛みで動けそうにない。
「限界を超えちゃうだなんて、本当に間抜けよね」
そうつぶやいたフリーダに、セシルは首を横に振った。
「そうではないと思います。少なくとも、フリーダ様の頑張りのおかげで、演習には勝ちました」
「えっ、そうなの!」
「はい。クエル様が相手の人形の奇襲に成功しています。その時点で、向こうは試合の放棄を宣言しました」
フリーダは自分の不甲斐なさを横に置くと、作戦通りに勝てたことを素直に喜んだ。
「でも――」
そう口にしながら、フリーダは心の中で首をひねった。自分が意識を失う直前、クエルが「降参」と口にしたのを覚えている。
「クエルが降参したと思ったんだけど」
「クエル様より先に、卒業生の方が降参されました。それでこちらは損害なしの勝利になっています」
セシルの言葉にフリーダは頷いた。同時に、演習前に言葉を交わしたブレンダの姿が目に浮かぶ。仲間のためにプライドを捨て、頭を下げてきたブレンダに対し、班分けで異議を唱えた自分が、ひどく子供っぽく感じる。
そもそも隣にいるのと、支え合うのは全く違う。離れていても、支え合うことはできるし、隣にいたから出来るわけでもない。自分はブレンダのように、どんな時でもクエルを支えていけるだろうか?
「本当は班分けなんて関係ないんだ……」
フリーダの口から言葉が漏れた。
「フリーダ様、何かおっしゃいましたか?」
「何でもない、単なる独り言。それより、クエルは?」
「クエル様は、先ほどまでフリーダ様に付き添っておられましたが、食事を持ってくるために、席を外されました」
トン、トン……。
誰かが病室のドアを遠慮がちに叩く。この叩き方は、間違いなくクエルだ。セシルはドアを開けると、クエルを中に招き入れた。
「フリーダ!」
クエルはすぐにフリーダのもとに駆け寄ってきた。しかし盆の上のスープをこぼしそうになり、慌てて手で支える。
「もう、本当にドジなんだから――」
その姿に、フリーダは思わず含み笑いを漏らした。
「私は水を替えてきますので、あとはよろしくお願いいたします」
セシルが一礼して部屋を出る。クエルは手にした盆を寝台の横のテーブルに置くと、心配そうに上からフリーダを覗き込んだ。
「私は大丈夫よ」
フリーダの言葉に、クエルは見るからに安堵の表情を浮かべた。
「もっとも、体中が痛くてたまらないけどね」
今度は思いっきり青ざめた顔をする。
「痛いけど動きはするし、軽い打ち身みたいなものだから、すぐに良くなるわよ」
「よかった。本当によかった」
フリーダは自分が寝姿を見られていることに、妙な恥ずかしさを感じながら頷いた。
「勝ったんでしょう? もっと嬉しそうな顔をしたら」
「フリーダが無事かどうかに比べたら、試合なんかどうでもいい話だよ」
その答えに、フリーダは耳の後ろが熱くなるのを感じた。
「何を言っているの? 一緒の班になれるかどうかがかかっているのよ。それにさっきもスープをこぼしそうになってるし、やっぱりクエルは私がついていないとだめね!」
照れ隠しに、余計なことを言っていると思いつつも、フリーダは口を尖らせた。それを聞いたクエルが途方に暮れた顔をする。
「でも、食事を持ってきてくれて、ありがとう」
そう言葉を続けると、フリーダはクエルに対して、大きく口を開けた。
「えっ、何!?」
「私は体がまだ痛いの。前にクエルが両手を怪我した時に、私が食べさせてあげたでしょう。今度はクエルの番よ!」
慌てた表情で、クエルが盆の上に置かれたスプーンを取る。
「あーん!」
それを見ながら、フリーダは思いっきり甘えた声を上げた。
「フン!」
食堂の窓際に置かれた水差しから、ボウルに水を注ぎつつ、セシルは不機嫌そうに鼻をならした。
「やはり、赤毛に美味しい所をすべて持っていかれたではないか。マスターもマスターだ、鼻の下を伸ばしてデレデレしおって――」
不意にテーブルに座る学生が、セシルに向かって盆を差し出す。どうやらセシルを給仕だと勘違いしているらしい。だがその暗紫色の瞳が宿す光に恐怖を感じたのか、自分で盆を手にすると、配膳口へ向かって走り去っていく。
「我をなんだと思っている。深淵たる世界樹の実の化身だぞ」
その背中をにらみつけ、セシルがボウルへ手を伸ばした時だ。輝く日差しを影が横切った。窓の外へ視線を向けるが、何者の姿も見えない。しかし遠くからは、ホーという鳴き声が聞こえている。
「やはり、マスターにはいろいろな者が取り憑いておるな。それについては我も同じか――」
セシルはボウルを手に背後を振り返った。闇のような黒い髪と、真っ白な肌をした少女が、こちらをじっと眺めている。
『あのマクシミリアンとかいう男の付き人か……』
セシルはその視線から目を逸らすと、大きくため息をついた。
「まあよい……。だいぶ力も使ったことだし、今宵は我もマスターへ思いっきり甘えることにしよう。そのためにも、マスターの同室の者の食事への細工を……」
不穏なつぶやきを漏らしながら、セシルは足早に食堂を後にした。