限界
セレンの視界が、木立の切れ間の先にギガンティスの姿を捉えた。その手前で、何かが地面を這うように動いている。大きな鋏に無数の節足。それに長い尾の先には鋭い針があり、木漏れ日を映して不気味に輝いている。
サソリ型の人形だ。さっきの爆音による攻撃が効いているのか、ギガンティスはまったく動けていない。少しでもこちらへ注意を向けないと――。
「フリーダから離れろ!」
クエルはサソリ型の人形に向かって怒鳴った。セレンへさらに速度を上げるように指示する。セレンの視界が映す線画みたいな世界が、さらにゆっくりと動き始めた。実際はその逆で、セレンの動きはさらに加速している。
それでもサソリの尾が、ギガンティスを捉えるのには、間に合いそうにもない。クエルは焦った。フリーダにもっとも危険な役割を押し付けたのは自分だ。
『セレン――僕の大事な人を救ってくれ――!』
その心の叫びに答えて、セレンがさらに速度を上げる。それでもギガンティスには届きそうにない。
『マスター!』
セシルの声が脳裏に響いた。
『速度を落とせ。何より、マスターの精神が持たない!』
普段の冷静さとは全く違う声だ。
『僕はどうなってもいい、フリーダを助けるんだ!』
『……を外……せ……』
また声が聞こえた。
『セシルか?』
一瞬そう思ったが、セシルの声ではない。自分の心の奥底、そこから湧き上がってきたほの暗い何かが、自分にささやき掛けている。
『外せ……お前の……』
この声は、前にもどこかで聞いた。
『誰なんだ!?』
クエルはその声に問いかけた。その時だ。
『マスター!』
セシルの魂を揺さぶるような絶叫が、クエルの心に響き渡った。
『もう我はマスターを止めぬ。己を、我を信じろ!』
その言葉にクエルは我に返った。同時に心の奥に湧き上がっていた黒い霧が、どこかへと消えていく。クエルはセレンとのつながりに集中した。クエルの心から伸びる糸は、セレンの脈動する世界樹の実へと繋がり、そこから伸びた神経節が、セレンの体を限界まで駆動させているのを感じる。
だがセレンを構成する歯車やネジの一つ一つが、その力に耐え切れず、悲鳴を上げているのも分かった。セレンの全身が、過熱により赤く鈍い光を放っている。足の付け根の歯車の一つが、火花を散らしつつ、はじけ飛んだのが見えた。その一つの破壊が、次の歯車の破壊へとつながっていく。
『もう限界だ――』
クエルがそう思った時だ。世界樹の実の神経節と、複雑に絡み合ったセレンの駆動系が、銀色の光を放ち始めた。気づけば、外れた歯車は元に戻っている。
次の瞬間、目の前に鋭い針を持つサソリの尾が現れた。その針に向かって、セレンが手にする金属製の箒を振り上げる。ガンという衝撃と共に、サソリの尾は背後へとはじけ飛んだ。
『間に合った!』
思わず安堵のため息をつくと、ギガンティスの横に立つ、フリーダの姿が目に入った。その瞳は虚ろで、明らかにいつものフリーダとは違う。それでもクエルを見ると、心配しないでとでもいうように、フリーダは口元に笑みを浮かべて見せた。しかしすぐに緊迫した表情に変わる。
「横よ!」
フリーダの声に、クエルは意識を横に向けた、釣鐘型をした人形が、大きなハンマーを水平に振りかぶっている。避けることは出来るが、避ければ、巨大なハンマーはギガンティスを直撃だ。たとえギガンティスでも、それを食らったら、ただで済むとは思えない。
『弾き飛ばしてやる!』
クエルが箒を掲げようとした時だ。セレンの体が何かに引っ張られた。見れば、サソリの両のハサミが、セレンの腰をがっしりと掴んでいる。風切り音と共に、動けぬセレンに向かって、巨大な金属の塊で出来た打撃面が迫ってきた。
「クエル!」
フリーダが叫ぶ。その叫びに呼応するように、ギガンティスの腕が、迫りくるハンマーを叩き落す。軌道を変えたハンマーは、地面に激突すると、盛大な土煙を上げた。
「良かった……」
そうつぶやいたフリーダの体が、ゆっくりと崩れ落ちていく。クエルはセレンの背中から飛び降りると、前のめりに倒れるフリーダの体を両腕で支えた。全く意識がないらしく、フリーダの全体重が、クエルの腕にかかってくる。
「フリーダ!」
クエルはフリーダの耳元で声を張り上げたが、何の返事もない。ともかくフリーダを助けないと……。
「降参――」
クエルがそう口にした時だ。
「降参する!」
背後から声が聞こえた。振り返ると、がっしりとした体つきの士官服を着た男性が、サソリ人形の横で、クエルに向かって両手を上げている。そしてクエルに対し、自分の人形を指差した。
そこでは優美な姿をした、四本の腕を持つ人形が、サソリ人形の上に乗り、湾曲した剣を突きつけている。その傍らには、すでに切り落とされたサソリ人形の足が転がっていた。
ドン!
最後に切り落とされたサソリの尾が、地面へ転がり落ちてくる。
「それよりも、フリーダの意識がありません。すぐに演習の中止と救援の要請を!」
クエルの叫びに、男性はうなずいた。
「イクセル、信号弾を上げてくれ」
「ヴィクター、了解だ」
パーン!
風船が割れたような音が辺りに響く。頭上近くに上ってきた太陽へ向けて、白い煙を引きつつ、信号弾が駆け昇っていく。
ホ――。
信号弾に驚いたのか、どこかでフクロウの鳴く声が聞こえた。