意地
ブォォォオオオオオオオ!
耳をつんざく轟音にクエルは焦った。両手で耳を抑えたが、それでも耳鳴りが止まらない。辺りを見ると、森の鳥という鳥が、一斉に空へ飛んでいくのが見える。
『セシル!』
クエルは自分とセシルをつなぐ、精神の糸をたどって呼び掛けた。
『どうした、マスター』
意外なほど冷静な声が帰ってくる。
『今の音は!?』
『相手の人形の技だ』
『人形!?』
『轟音属性。音による攻撃だな。時と場合によっては、物理的な攻撃よりはるかに効果的だ』
クエルはセシルの言葉を聞きつつ頭をふった。耳鳴りがひどく、体に力が入らない。
『僕も耳をやられた。セシルは大丈夫か?』
『我は深淵たる世界樹の化身だぞ。この程度の音でやられたりはしない。マスター、お前も我の本身の耳を使え』
次の瞬間、クエルの頭の中に響いていた耳鳴りが消えた。鳥たちの甲高い鳴き声や、風に揺れる葉のざわめきも消える。代わりに、人形の低い振動音が聞こえてきた。
『分かったか。人形の耳は人の耳とは違う。聞く音の種類や方向を選べる。人みたいに、大音量で三半規管を狂わされたりもしない』
そこでクエルははっとした。いくら人形が強力でも、操る人形師を無力化してしまえば――。
『音でフリーダを狙ったのか!?』
『そのようだな。相手の標的はギガンティスだ。一番脅威になる人形を、一番最初に狙ってくるとは、やはり相手は手強い』
『そんなことより、フリーダは無事なのか!』
『今のところはまだ動けている。轟音属性持ちの相手は素早いが軽量だ。ギガンティスにとどめを刺すのは無理だろう。だが別の人形が来るぞ』
『分かった。僕はフリーダを救いにいく!』
『マスター、焦るな。ラッパ吹きは我がサラスバティで相手をする。別の二体がギガンティスを襲撃するのを待ち、その背後をつけ』
セシルの言葉にクエルは驚いた。
『フリーダを見殺しにする気か!?』
『囮とはそういうものだ。赤毛もそれを承知で、囮役を受けている』
『フリーダを助ける!』
クエルは心の中で怒鳴った。森で流民に襲われた時、フリーダは危険を冒して森まで助けに来てくれた。今度は自分の番だ。クエルはセレンの背中へ飛び乗った。
『マスター……』
セシルが何かを告げてくるが、クエルはその声を無視した。聞こえてきた音に意識を集中する。
『あの娘――』
セレンの耳が、振動音の先から誰かの言葉を捉えた。クエルはセレンをそちらへ急がせつつ、その声にさらに集中する。
『――本当に新入生か? 単に倒木を投げていただけじゃないぞ。こちらの進入路を邪魔する位置へ置いている。それにモンチーの音撃をくらっても、まだやる気らしい……』
『とどめが必要か……残念だな』
『俺のハマーだと動きが取れない。ハマーで倒木を片付けるから、ヴィクター、お前がデスストーカーでとどめを刺せ』
『イクセル、了解だ。隙間を開けてくれれば行ける。だが新入生は新入生だよ。力を使い過ぎだ』
『まずい!』
二人の会話に、クエルの焦りはより深まった。
『セレン、僕の大事な人を救ってくれ!』
クエルはつながりの先で脈打つ世界樹の実へ、心の底から懇願した。
「ギガンティス……王都の……王都の門」
フリーダはままならぬ自分の体と戦いつつ、ギガンティスに告げた。まさか相手の攻撃が、人形師に特化した、音による攻撃だとは思わなかった。
人形師への直接攻撃は禁止の、グレーゾーンをついた作戦だ。それにまんまとはまったとも言える。だけど、これで相手の狙いが、ギガンティスであることがはっきりした。
「こ、これはこれで……クエルの作戦通りよね……」
自分の役割は囮だ。ここで降参する訳にはいかない。それにもう一度響いた轟音は、こちらへ向けたものではなかった。おそらくはセシルが、サラスバティで猿人形の相手をしてくれている。
今の自分では、セシルと一緒に、猿人形の相手をするのは無理だ。でも残りの人形を引き付けるのは出来る。そう自分に頷きつつ、フリーダは辺りを見回した。倒木でバリケードを作ってあるが、油断は出来ない。
ドン!
不意に地面の振動が体へ直接伝わってきた。顔を上げると、倒木がギガンティスへ向かって飛んでくる。『王都の門』の型で防御を固めていたギガンティスが、腕を振り、自分の体二つ分もある倒木を弾き飛ばした。
「来たわね!」
フリーダの視線の先に、ずんぐりとした体型の人形が見えた。釣鐘の形をした金属装甲を持つ人形で、手に大きなハンマーを握っている。さらに真っ黒な体をした、もう一体の人形が、こちらへ這い寄ってくるのも見えた。
「サソリ!?」
フリーダの口から声が上がった。その人形は両手に大きな鋏を持ち、鋭くとがった尾をこちらへ向けてくる。
「両碗斬撃!」
フリーダの声に、ギガンティスは足元にある細身の倒木へ手を伸ばした。これで尾を跳ね飛ばす。フリーダはそのイメージを、ギガンティスに指示した型と重ねた。
「あっ、あれ?」
だけど、ギガンティスの動きがおかしい。足元の倒木を、うまくつかめないでいる。耳をやられて、距離感がつかめていない影響だ。フリーダは激しい耳鳴りが響き始めた耳を、両手で叩いた。
『ここで負けたら、私の居場所はなくなるのよ!』
フリーダの気合が乗り移ったのか、ギガンティスの手が倒木を掴み上げる。それを両手で太刀のように持つと、胸へ迫ってきた尾の先を弾き飛ばした。
『頭を叩き潰してやる!』
ギガンティスが倒木を大きく振りかぶった時だ。フリーダの中で何かが崩れ落ちた。同時に、ギガンティスの動きも止まる。
「力を使い過ぎだ」
やっと聞こえてきた耳に、落ち着いた男性の声が響いた。見ると、サソリ人形の横に、がっしりとした体格の、灰色の制服を着た男性が立っている。
「己の精神力の限界を分かっていない。初心者がよくやる過ちだ。実感はないだろうが、これ以上消耗すると命に係わる。今すぐ降伏しなさい」
男性のセリフに、フリーダは首を横に振った。
「私には、自分の命よりも大切なものがあるんです」
その言葉に、男性が少し驚いた顔をする。
「その意気込みは買うが、判断を誤っている。過ちは取り返せない。その積み重ねが、私をここに連れて来た」
動かぬギガンティスの首筋に、サソリの黒光りする針が迫ってくる。フリーダは必死にギガンティスを動かそうとした。しかし、どんな呼びかけにも全く応えてくれない。それどころか、意識そのものを保てなくなりつつある。
「デスストーカーの尾はただの針ではない。世界樹の実に効く神経毒だ。人形と一緒に、しばし眠るといい」
「ヴィクター!」
不意に上がった声に、男性が背後を振り向く。同時に、ギガンティスへ向けられた尾が、金属製の棒で弾き飛ばされる。
「フリーダから離れろ!」
聞きなれた声が、耳鳴りの向こうから響いた。