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魔法

 フリーダの十七歳の誕生日に出席するために、クエルは朝から礼服に着替えていた。しかも、ただ参加するだけではない、フリーダの横で付添人を務めなければならない。礼服なんて着慣れていないクエルは、ボタン一つ留めるのにも悪戦苦闘の連続だ。


「我にすべてまかせよ」


「いいよ、これぐらい自分でやるからさ」


 クエルの言葉に、セシルが首を横に振る。


「何を言う。マスターの身だしなみを整えるのも、侍従人形の務めだ。我の存在意義を奪うな」


 踏み台に立ったセシルはそう答えると、手にした(くし)で、クエルの頭を丁寧に撫で付けた。クエルの目の前には紅く、そしてとても可愛らしい形をしたセシルの唇が見えている。


 小さく開いた唇が吐息を漏らす度に、熱い何かがクエルの顔にかかって、何やら変な気分になってくる。でも相手は人形だ。見目(みめ)こそは可憐な少女だが、中身は全くの別物でもある。


「うむ。マスター、お前でも髪をきちんと整えて、少しはまともな服を着れば、それなりに見えるな」


 踏み台から降りたセシルはクエルを眺めると、満足そうに告げた。そして白いハンカチを出して、礼服の胸元へと差し込む。そこで少し首を傾げて見せた。


「タイが曲がっておる」


 そう告げると、シャツの襟元に手をやって、クエルの首元の蝶ネクタイを締め直した。セシルの胸元が体に密着しそうなぐらいに近く、そこにある僅かな膨らみへ、クエルの目はどうしても行きそうになる。


 おかしい、目の前に居るのは単なる人形だ。世界樹の実との融合で、やたらと人間っぽくなったにせよ、どうしてこんなにも心臓がドキドキする?


「これで良い。何を惚けた顔をしている。頭の中の振り子は大丈夫か? その程度も維持できないようだと、先が思いやられるぞ」


「ああ、大丈夫だ。頭の中で振れているのが見える」


「それを常に維持しろ。決して調子をずらすな。人形を繰ると言うのは、もう一つの自分の体を動かすようなものだ。思考を切り離して並列化できぬ様であれば、人形師としては鼻から失格だ」


「分かった」


 そう答えたクエルに向かって、セシルがいきなり足を振り上げた。


「いってぇえ!」


 (すね)を蹴り上げられたクエルが、足を抱えて跳ね回る。


「マスター、言葉に気をつけろ。我が人形師について語るときは、我はお前の師匠だ」


「わ、分かりました」


「ふむ、それで良い。今ので振り子の調子がずれたりはしていないだろうな?」


「えっ、今のでも維持するの?」


 セシルがもう一度足を振り上げようとする。


「だ、大丈夫です。い、維持しています」


 これは脛に板でも当てていないと、自分はそのうち歩けなくなるのではないだろうか? クエルは本気でそう思う。


「セシル、それよりもせっかく招待してもらったのに、服は本当にそれでいいのか?」


 クエルの言葉に、セシルは視線を下に落とした。かなり不機嫌そうな顔でクエルを見上げる。


「我は侍従人形だぞ。侍従人形が侍従服以外を着るなど、恥辱ではないか?」


「そういうものなの?」


 この辺りのこだわりが、人形の属性と言うやつなんだろうか? 自分が教本で読んだ属性とはちょっと、いや、だいぶ違うような気もする。


「確かに会場にいても、特に問題にならない服装だしな」


「そうだ。我はこれで十分だ。それよりも迎えがきたぞ。そんなとぼけた顔などするな。気合を入れろ。ある意味、お前も今日の主役の一人だ」


 クエルはセシルの言葉に頷いた。今日はフリーダの17歳の誕生日会であり、クエルはフリーダの付添人でもある。付添人は会場まで同行し、主役に粗相(そそう)をする人がいないか見張る役でもある。婚約者がいれば婚約者が、そうでなければ、社会的地位があって見栄えがいい男性を選ぶ。


 フリーダだったら、付き添い人は選び放題だと思うのだけど、どうして自分を選んだのだろう? きっと付き合いが長く、気心が知れている方が楽なんだ。クエルはそんなことをぼんやりと考えた。


 キィ――!


 玄関の先で馬車が軽く制動をかける音が響いた。クエルはその音に我に返ると、頬を叩いて自分なりに気合を入れてみる。


 セシルは玄関の扉を開くと、侍従らしく腰を下ろしてそれを押さえた。その先では二台の馬車が止まっているのが見える。一台は普通の馬車だったが、もう一台の馬車は貴族の偉い人が乗るみたいな、折りたたみ式の天蓋になっている二人乗りの馬車だ。


 そこには紅のドレスを身に(まと)った、赤い髪の淑女が座っていた。そして朗らかな笑みを浮かべながら、肘まで白い手袋をした手をクエルの方へ振っている。


 クエルは歩くのも忘れて、思わずその姿を見惚れた。自分が知っているフリーダと同一人物とは思えない。絵本の中から出てきた、どこかの国の王女様にすら思える。


「きれいだ……」


「魔法だな」


 横に控えているセシルが小さくつぶやいた。


「魔法?」


 そう問い返したクエルに、セシルが頷いて見せる。


「知らぬのか? ある年頃の女は男に魔法がかけられるのだ。ある種の呪縛みたいなものだな」


 確かにそうだ。フリーダのこの姿を見たら、男はその魔法に囚われる。間違いなく自分もその一人だ。


「何をしている。さっさと歩け。今日のお前は我と同じく侍従の様なものだ。ちゃんと導いてやれ」


 クエルはセシルに頷くと、馬車へ向かって歩き出すが、何故か自分の体がとてもぎこちなく感じられる。クエルは馬車の踏み台に足をかけると、クッションが効いた皮の座席へ腰を下ろした。


「どう、実際に着たのを見た感想は?」


「うん。とっても綺麗だよ。想像していたよりもとっても綺麗だ」


「えっ?」


 素直に褒めたクエルの言葉が予想外だったのか、フリーダが顔を赤らめる。


「ク、クエルもとっても素敵よ。いつものクエルじゃないみたい」


「それはお互い様だ」


「そうね、その通りね!」


「ハハハハ」「ふふふふ」


 二人の口から思わず笑い声が上がった。こうして笑っているフリーダはいつものフリーダだ。でもこれからもそうなのだろうか?


「出発します。手すりにお捕まりください」


 クエルがその先を考える前に御者の声が響いた。フリーダは手摺へ掴まる代わりに、クエルの腕に手を回す。紅いドレスに包まれた胸の柔らかさに、クエルの体は燃えそうに熱くなった。


 横を見ると、フリーダはとても嬉しそうに自分の腕を掴んでいる。世の男達から見たら、羨ましいどころの騒ぎではないだろう。だがクエルの中の何かがクエルに問いかけた。


『お前はこの子にふさわしいだけの男なのか?』


 今のクエルにはそれを肯定できるものは何もなかった。だけどそれは今であって未来ではない。自分は人形師として一人前になることで、フリーダへ腕を差し出すのに相応しい男になるのだ。


「ハイホー!」


 御者の掛け声に続き、軽やかに車軸が回る音を立てつつ、馬車は石畳の上を滑るように進んでいく。二人の行く手には秋らしい、どこまでも続く青空があった。

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