前哨戦
フリーダは校舎の横にある、人形溜りにいた。そこで自分の人形、ギガンティスを眺める。巨人を模した彫りの深い顔の先には、春めいた霞のかかった青空が見えた。その横にはサラスバティの優雅な姿と、それを操る侍従服姿のセシルもいる。まだ午前中の為、他の生徒の姿はない。
「セシルちゃん、がんばりましょう!」
フリーダは、サラスバティの前に立つセシルへ声をかけた。
「はい、フリーダ様」
そう答えるセシルの顔は、いつものかわいらしい笑顔とは違い、真剣そのものだ。暗紫色の瞳には、触れてはいけないものまで宿っている気がする。その気持ちは、フリーダにもよく分かった。ここで先輩たちに勝たないと、自分たちの未来はない。
『未来――』
その言葉と共に、フリーダの脳裏に、銀色の髪と灰色の目をした、神秘的な女性の姿が浮かぶ。
『本当にこの試合をやるべきなの?』
そんな疑問が、フリーダの頭の中を駆け巡った。クエルの将来を考えれば、アイリス王女と一緒になった方がいいに決まっている。いや、クエルとはもう住む世界が違う。たとえここで勝ったとしても、いずれクエルは自分の前からいなくなる。その現実に、フリーダは身を震わせた。
「フリーダ様、大丈夫ですか?」
セシルの声に、フリーダは我に返った。たとえクエルがいずれは王家の人間になるとしても、一緒に国家人形師を目指すと言う約束は残っているはず……。
「ちょっと緊張してきちゃったみたい。もう一度お手洗いに行ってくるね!」
フリーダはそう告げると、馬車溜りの横にあるお手洗いへ走った。そこで中から出てきた人と、ぶつかりそうになる。
「ごめんなさい!」
そう謝ってから、相手が士官を表す、灰色の制服を身に着けているのに気付いた。
「失礼いたしました!」
フリーダの敬礼に、はちみつ色の髪をした女性士官も、敬礼を返してくる。よく見ると、自分より年上ではあるが、まだ若い女性で、袖には候補生であることを示す、白帯がついている。
「楽にして。今年の新入生かしら?」
「はい、今年度、国家人形師養成学校に入学しました」
「四年前、ここに入った時を思い出すわね。でもここにいると言うことは、あなたが……私たちの演習相手?」
「あ、はい。フリーダ・イベールと申します。よろしくお願いします」
頭を下げたフリーダへ、女性士官候補生が驚いた顔をする。
「班分けに異議を唱えたって聞いたから、どんだけ気の強いお嬢様かと思ったら、あなたみたいな子だとは思わなかった……」
そう告げつつ、フリーダへ手を差し出した。
「ブレンダ・アーカムよ」
フリーダは差し出された手を握ると、すぐに手を離そうとした。しかしどういう訳か、相手がその手を離そうとしない。
「フリーダさん、あなたにお願いがあるの。この試合だけど、適当にやって、あっさり負けてくれないかしら?」
「えっ!?」
「とっても大事なお願いよ。私たちは上官といざこざを起こして、ここで謹慎処分になっている。理由は私が閥族の上官に襲われて、それを同僚の二人が殴り飛ばした」
「当然のことだと思います」
迷うことなく言い切ったフリーダに、ブレンダは苦笑いを浮かべた。
「あなたも私と同じで、閥族の身内ではないみたいね。それが、特に女性がここに来るというのは、想像以上に大変なことよ。もっとも、私がそれに気づいたのも、ここに入学した後だけど……」
ブレンダがフリーダへ、小さく肩をすくめて見せる。
「どうして班分けに異議を唱えたのかは知らないけど、そのうち班替えだってある。せいぜい数ヶ月の我慢よ。でもその同僚の二人にとっては、一生の問題なの」
「ブレンダ士官候補生殿、こちらから質問させて頂いても、よろしいでしょうか?」
「もちろんよ。それと敬称なしの自分の言葉で話して」
「はい、ブレンダさんはそのお二人のことが好きなんですね」
「はあ?」
それを聞いたブレンダが、思いっきり当惑した顔をする。
「この話を持ちかけてきたので、すぐに分かりました。私も同じです。大事な人のために試合をします。それにブレンダさんも女性ですので、ご理解いただけると思いますが――」
「何かしら?」
「大事な人の為なら、女性はどこまでも利己的になれます」
ブレンダはフリーダの瞳をじっと見つめた。
「ハハハハ、入学早々、国学に異議を唱えるだけのことはあるわね。あなたみたいな子に、ここまで惚れられるだなんて、彼氏は一体どんな人なのかしら?」
「彼氏ではありません。ただの幼なじみです」
そう告げるフリーダに、ブレンダは絶句した。