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敗者

 シグルズは地面に横たわったまま、空を見上げていた。辺りには焦げた匂いが充満し、舞い上がる塵と煙が、紺色に染まる空を覆い隠そうとする。だが吹き抜ける木枯らしが、その煙をいずこかへと運んでいた。


 そのせいだろうか、マクシミリアンが去ってから、誰もこの競技場へ足を運ぶ者はいない。あたりに立ち込める硝煙に、誰も入ることが出来ないでいるのか、それともすでに死んだことにされているのか。おそらくはその両方だろう。


 ファーブニルの羽に押しつぶされた下半身からは、最初はずきずきとした痛みを感じていたが、今は何も感じなかった。妹のフローラと同じように、二度と己の足では立てぬ体になったのかもしれない。


「ハハハ、ハハハハ」


 シグルズの口から乾いた笑いが漏れる。フローラ。唯一の肉親にして、自分が守ってやれなかった妹。その復讐すら果たせずに、自分はこうして地面へ横たわっている。見上げる夜空を、一筋の流れ星が横切った。


『俺と同じだ……』


 敗者は誰の記憶にも残らず、ただ彼方へと去っていく。


「あなたの心臓はまだ動いている」


 不意に女の声が響いた。声のした方へ視線を向けると、いつの間にか黒い影がじっと自分を見つめている。今頃になって、やっと係官が現れたのだろうか? そう思ったが、係官とはとても思えない。王都守護隊の制服ではなく、袖の長い見たことのない衣装をまとっている。


 しかも、妹のフローラと同じぐらいにしか見えない少女で、その肌は骨のように白く、髪も同じように白い。辺りでまだ燃える炎を映しているのか、シグルズをじっと見つめる瞳は、少女らしからぬ、不気味な赤黒い光をたたえている。


「死神か?」


 シグルズの言葉に、少女は首を横に振って見せた。


「あなたと同じ敗者よ」


「敗者、お前がか?」


「そう。あの男に敗れ。今は婢女(ひじょ)の如くあの男に仕えている」


「自分よりひどい姿を眺めて、己が心を慰めにでも来たか?」


「そうね。慰めぐらいにはなるかしら。でも違う。私の代わりを探しに来たの」


「代わり?」


「私の中にはもうあの男へ逆らえる力は残っていない。でも、あなたはまだそれが出来る」


 少女はそう告げると、手にした箱をシグルズに差し出した。そしておもむろにそれを開ける。箱の中から淡い光が漏れ、銀色に脈動する珠が姿を現した。


「世界樹の実!」


 シグルズの目が大きく見開かれる。妹を犠牲にしてまでも自分の夢を託したもの……。


「これで、私の代わりにあの男を殺して」


「ハハハ」


 シグルズの口から、再び乾いた笑いが漏れた。それを聞いた少女が、首を傾げて見せる。


「何かおかしなことを言ったかしら?」


「無理だ。この姿を見ろ。敗れただけじゃない。やつは俺を妹と同じ姿にして、無様に生き恥をさらさせようとしている」


「フフフ」


 今度は少女が口に手を当てて、大きく笑って見せる。


「何を子供みたいに駄々をこねているの。あなたの傷はせいぜいが打ち身程度。すぐに動けるようになるわ」


 そう言うと、シグルズの下半身を指さした。次の瞬間、シグルズの体のあちらこちらから、激しい痛みが襲ってくる。少女の言う通りで、自分はあの男に心を折られていただけらしい。


「気を付けて。絶対に勝てないと思わせるのが、あの男のやり方よ」


「その通りだ。俺では勝てない」


「本当にそう? 本当に持てる力の全てを注いだの? 何かに遠慮することなく、ただあの男を滅ぼすためだけに、努力を傾けた?」


「お、俺は――」


 シグルズは目を閉じると、自分自身へ問いかけた。自分は持てる技術の全てを、ファーヴニルに注げただろうか?


『違う!』


 まだ禁忌と言うものに縛られていた。もっとやれることがあったはずだ。


「あなたはまだ立ち上がれる。立ち上がって、あの男を滅ぼして……」


 その言葉に、シグルズは目を開いた。しかし少女の姿はどこにもない。多くの星が瞬き始めた空が見えるだけだ。


「まぼろしか?」


 シグルズはそうつぶやくと、辺りを見回した。少し先の焼け焦げた地面に、小さな皮でできた箱が置かれているのが目に入る。シグルズは痛む手足を必死に動かすと、淡い光を放つ箱へ手を伸ばした。


「やってやる。やってやるぞ……」


 実の脈動を手のひらに感じながら、シグルズは心に固く誓った。もう何にも遠慮などはしない。たとえこの世界を滅ぼすことになろうとも、あの男を必ず滅ぼしてやる。




「ご苦労だった」


 マクシミリアンはそう告げると、テントの中の影へ向けて、手にしたカップを掲げた。そしてポットからもう一組のカップへ紅茶を注ぐ。


「冷えただろう。お前もどうだ?」


 影から歩み出た少女が、マクシミリアンの前へそっとひざまづいた。


「我が君への思いに、不知火の体は常に火照っております。冷えるなどと言う事はございません」


「ならば、お前が私を温めてくれないか? 日が落ちたら随分と冷えてきたようだ」


「はい、我が君」


 少女は骨のように白い手を男の胸へ回すと、その小柄な体を男の背中へ合わせる。マクシミリアンは、少女の血よりも赤く見える唇に、そっと口づけをした。


「ああ、我が君――」


 少女がうっとりとした顔をしながら、男の胸に回した手をもどかしげに動かす。


「ですが我が君、あのような者が、何かのお役に立てますでしょうか?」


「適材適所だよ。全て人形で方が付くなどというのは、人形師のおごりだ。守りを固めた者を相手にするのであれば、シグルズ君の技術は、極めて有効だとは思わないか?」


 シグルズの言葉に、少女はルビーより赤い目を輝かせた。


「流石は我が君、慧眼(けいがん)の至りです」


「それに今度はあんなおもちゃみたいなものではなく、己の全てを捧げた物を作ってくれるだろう。敗者とはそうあらねばならない。もっとも今回の件で言えば、私もシグルズ君とさほど差がないがね」


「どういう意味でしょうか?」


「今回の選抜はクエル君の為に用意されたものだ。だから彼以外は全員が敗けみたいなものだな」


「何をおっしゃいますか。他の者はいざ知らず、我が君が敗者など、絶対にありえません!」


「不知火、勝ったり負けたりするからこそ、人の生には意味がある。それに間違いなくこれは面白くなる。太陽が日々昇ってくるのを、我が手で手伝ってやりたいぐらいだ」


 そう告げると、マクシミリアンは不知火の血より赤い唇に、再び己の唇を重ねた。

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