手応え
クエルの目にA、B、Cの各組から、何体もの人形がこちらへ向かってくるのが見えた。セシルの言う狩人の群れで、獲物はこのD組だ。
「ファーヴニル、盾になれ」
隣にいたシグルズが面倒くさそうに声を上げた。背後にいた竜の人形が素早く動くと、シグルズの周りで尻尾を咥えるようにぐるりと回る。そして大きな羽で全体を覆った。その姿はまるで巨大な岩のようにしか見えない。
『マスター、どうやら隣は防御に徹すると決めたらしい。それに他の一人はいち早く逃げたようだな』
『セシル、多勢に無勢だ。僕たちも逃げるぞ!』
『逃げる? マスター、どこへ逃げると言うのだ?』
セレンの言葉にクエルは当惑した。逃げるとすれば後ろしかない。
『後ろに……』
すぐ後ろには練兵場を囲む白い線が引かれている。これを超えたら失格だ。
『どうやら最初から我らを排除するのが目的らしい。単純だがよく練られた策だ』
『横に回って時間を稼げないか?』
だがそれを見越したように、3つの集団は三方向からクエルたちに迫っている。どう考えてもこれを避ける方法はない。セレンに意識を合わせることで、引き延ばされた時間の中ですら、その先頭はかなり近くへと迫っていた。
『ギュアァァ――』
『イャアアァァァ――』
同時にクエルの頭の中で、前に森の中で聞いた世界樹の実の悲鳴が、まるで雷鳴のように響き渡る。
『前と同じなのか!?』
『そのようだ』
クエルの叫びにセレンが答えた。
『どうやら我の知らぬ間に、本物の人形師はほとんどいなくなってしまったらしい』
『助けられないのか!』
『マスター、忘れたのか? サラスバティを救い出すだけで、お前は死にかけたのだぞ!』
『畜生!』
『悔しいか。ならば力をつけろ。力とは必ずしも己のために振るうものではない。力をつけて元を断て!』
『僕にそれが出来るだろうか?』
『何を恐れる。お前は我のマスターなのだぞ。だがまだ芽だ。これから成長していく芽だ。その為にも、先ずはこの危機を何とかしないといけない』
その台詞と共に、セシルとサラスバティがクエルの前へと進み出た。
『何をするつもりだ!』
『我の化身とサラスバティで囮になる。その間にマスターは我の本身と共に、逃げられるだけ逃げろ!』
『一体だけではどうにもならないぞ!』
『マスター、二体いても同じだ。それにサラスバティを舐めるな。急げ、やつらが来る!』
セレンの言葉通り、幾多の人形たちが目の前に迫っている。その背後ではさらに砂塵が上がっているのも見えた。たとえ練兵場から出て失格になったとしても、それで終わりにする気とはとても思えない。
『セレン、どうやら逃げても無駄だ。こちらから突撃して――』
クエルはそこで言葉を飲み込んだ。線画のように見えるセレンと同化した意識の中で、何かが地面から空高く飛び上がるのが見えた。
『上からも襲ってくるつもりなのか?』
クエルは思わずセレンの腕を上へと上げた。だが空へと跳ね上がった人形たちはこちらへ飛んでくることなく、そのまま地面へと落ちていく。先頭を進む人形たちが、慌てて背後を振り返るのが見えた。
「クエルに何をするの!」「ズルをするやつはバラバラなのです!」
その台詞と共に、砂塵の中から二体の人形が姿を現した。サンデーの伸びた腕が左右へと人形たちを打ち払う。そして一本の杭を打ち込むように、ギガンティスの巨体がクエル達へ突き進んでくるのが見えた。その突進を背後から食らった人形たちが、蹴飛ばされた鞠みたいに次々と空へ跳ね飛ばされる。
「これにて終了!」
拡声器から慌てた声が上がった。だがサンデーとギガンティスは次々と人形を吹き飛ばし続けている。どうやら二人とも完全に頭へ血が上がっているらしい。
「終了、終了だ!」
その声に、サンデーの上に乗ったムーグリィが、不満気に次官の方を振り返った。
「何が終了なのです。ズルするやつはまとめてバラバラなのです」
「じゅ、十分です。残った人形師に選抜の資格があるのを確認しました」
ムーグリィに対して、次官が懇願するように頭を下げた。両者の間には、両手両足では足りない人形たちが、動きを止めて地面に横たわっている。
「次にズルをしたら、操っているやつも含めて挽肉なのです!」
フリーダが人形の墓場を横切って、クエルたちの元へと駆け寄ってくる。そしてクエルとセシルが無事なのを見ると、ほっと胸をなでおろして見せた。
「これって何なの? こんな騎馬戦みたいなことをやらされるだなんて、聞いてないわよ!」
そう言うと、フリーダは背後にいる次官を睨みつけた。その先に見える次官の顔は、開始を宣言した時と違って真っ青だ。
「ムーグリィがS組だった理由がよく分かったよ」
クエルはフリーダに対して、わざとらしく肩をすくめて見せた。でも内心は先程の恐怖に、手も足も震え続けている。
「でもどうしてフリーダもS組なんだ?」
クエルの問いかけに、フリーダは首をひねって見せた。
「私とクエルが別組だなんてあり得ないし、きっとなにかの間違いよ。それよりも命がけで突っ込んだ割には、何の手応えもなかったんだけど? グラハムさんと比べたらもう全然よ」
そう言うと、肩をぐるぐるとまわして見せる。
「あたりまえなのです。グラハムはあれでも北領で一番の人形師なのです。あんなやつらと比べられたら、グラハムがかわいそうなのです」
こちらへ歩いてきたムーグリィの言葉に、フリーダが納得した顔でうんうんと頷いて見せた。
「コテンパにされて自信喪失していたけど、グラハムさんはやっぱりすごい人形師だったのね」
「お美しいだけでなく、これほどお強いとは!」
不意にどこかから軽薄な声が響いた。いつの間にかジェームズが胸につば広帽子を当てて、フリーダとムーグリィへ跪いている。
「ジェームズさん、一体どこへ消えたんです!?」
クエルの問いかけに、ジェームズが白い歯を見せてニヤリと笑って見せる。
「もちろんさっさと逃げたのさ。それよりお二人の強さに、このジェームズ――」
「あんなところに居てもつまらないのです。ムーグリィはD組に移るのです」
話しかけてきたジェームズを真っ向無視して、ムーグリィがそう宣言した。
「じゃ、私もD組に移らせてもらおう!」
フリーダもそれに同意する。
「勝手に組を移っていいのか?」
「拒否したら挽肉なのです。それにズルで旦那様の人形をぶっ壊す奴がいたら困るのです」
「旦那様になんてなっていない!」
サンデーに首根っこを掴まれて現れたスヴェンが、不満げにつぶやいた。どうやらこの隙に逃亡を企てたみたいだが、サンデーに捕まったらしい。
「スヴェン様はいけずなのです」
ムーグリィが小さくため息をついて見せる。
「美女お二人にD組に来ていただけるとは――」
「私達もD組に入れていただくことにします」
ジェームズの軽薄な台詞をかき消して、鈴の音みたいに美しい声が響いた。見ると、マクシミリアンが人形省で案内していた、ヒルダとルドラの二人がいる。
「ヒルダ達もまぜて欲しいのですか?」
「はい。ムー殿とフリーダ殿が抜けてしまっては、S組は私とルドラの二人だけになってしまいます。それにムー殿の言うように、この組の方が色々と楽しめそうです」
そう言うと、ヒルダはクエルとフリーダへ微笑んで見せた。そのあまりの美しさに、クエルは思わず見とれそうになる。だが隣でフリーダがこちらをじっと見つめているのに気がつくと、慌てて視線を外した。
「好きにするのです。それよりもおなかが減ったのです。お昼ごはんにするのです!」
「そうしましょう!」
フリーダが両手を上げて同意する。
「お母さんにサンドイッチをたくさん作ってもらったんです。ヒルダさんとルドラさんも一緒にどうですか?」
「ありがとうございます。ぜひご一緒させてください」
「ジェームズさんも一緒にいかがですか?」
フリーダが胸に帽子をあてたまま固まっている、ジェームズに声をかけた。
「えっ、よろしいのですか!」
ジェームズが救われたような顔をすると、目じりを拭って見せる。
「シグルズさんも是非に」
「お前たちと慣れ合う気はない。ファーヴニル、行くぞ」
そう告げると、シグルズは巨大な竜の人形と共に練兵場を後にする。それを見たフリーダは小さくため息をついた。だが気を取り直すと、ギガンティスから大きなバスケットをいくつか取り出す。
そしてセシルと二人で敷物の上へ置くと、バスケットを開けて見せた。中にはベーコンとレタス、キノコのマリネにチーズなど、色々な中身のサンドイッチがぎっしりと詰まっている。
「うちのお母さんの料理はとっても美味しいんです。みんなで頂きましょう!」
ムーグリィはフリーダの言葉が終わる前に、バスケットからサンドイッチを取り出すと、大きく口を開けてほおばった。そしてとても幸せそうな顔をする。
「とっても、とっても美味しいのです!」
「あっ、そうだ。クエルはこっちのバスケットの方から食べて」
クエルはそこからサンドイッチを取り出すと、用心深くそれを眺めた。見た目は特に異常はない。
「これって、リンダおばさんとマリエさんが作ったので、間違いないんだな?」
「もちろんそうよ。スヴェンさんに、ジェームズさんも遠慮なくどうぞ」
「頂きます!」
二人が喜んでサンドイッチへ手を伸ばす。クエルもそれを見ながら、サンドイッチを口にした。
「でもね、こっちは私が具を挟んだのよ。それにちょっと刺激を加えてみました」
クエルは慌てて手を止めたが、すでにサンドイッチは口の中へと入り込んでいる。視線の端ではスヴェンとジェームズが、口を押えてどこかへと飛んでいくのが見えた。その先にあるのは井戸だ。
クエルは口の中に湧き上がってくる熱さ、いや痛みに、二人がなぜそちらへ向かったのかを理解した。
「か、辛い~~~!」
もだえ苦しむクエルの目の前に水筒が差し出される。その先ではセシルが呆れた顔をしながら、クエルに肩をすくめて見せた。