表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/110

蒸気風呂

「ムーグリィさん、これって本当にやけどしないの?」


 そう問いかけたフリーダに、ムーグリィが首を横に振って見せた。


「やけど? やけどなどしないのです」


 合宿最終日の夜に、フリーダが何をしているかと言えば、ムーグリィの誘いで、北領の蒸気風呂なるものに、女子三人で入っている。それは狭い木製の部屋で、火にあぶられた石により、中には信じられないぐらい熱い空気がこもっていた。


「蒸気風呂はムーグリィのお気に入りなのです」


「でも、もうゆで上がりそうな感じなんですけど……」


 ここに一歩入った瞬間から、フリーダの体からは滝のような汗が流れ落ちている。正直に言えば、すでにせいろの中で蒸されているカニにでもなった気分だ。


「そうなのです。たくさん汗を掻くのです。それで体の疲れを洗い流すのです」


 そう言うと、ムーグリィは自慢げに大きく腕を広げて見せた。タオルも何もかけていない、真っ裸のムーグリィの胸がプルンと震える。その意外な大きさに、フリーダは視線を下ろして、自分と見比べそうになった。だが背後から感じる冷たい視線に顔を上げる。


「肩こりとかにも効きます?」


 フリーダの問いかけに、ムーグリィは頷いた。


「もちろんなのです!」


「でもフリーダ様、どうして肩こりなど?」


 背後から聞こえたセシルの問いかけに、フリーダは振り返った。その目はじっとフリーダの胸を見つめている。


「えっ、だって人形を繰る時って、やっぱり無意識に体を動かすじゃない? もう体中筋肉痛で――」


 フリーダの答えに、ムーグリィがうんうんと頷いて見せる。


「なるほど。それでフリーダが人形を操るときは、まるで一人芝居をしているみたいで面白いと、グラハムが言っていたのですね」


「ええええ!」


 その言葉に、フリーダは慌てた声を上げた。蒸気風呂の熱とは違う熱さを、首の後ろに感じてしまう。


「それに、グラハムが言うには体も軽くなるそうなのです」


 ムーグリィの台詞に、フリーダは前のめりになった。


「それって、ダイエットもできるという事?」


「フリーダ様、どうしてダイエットなど?」


 そう問いかけるセシルは、やはりフリーダの胸をじっと見つめている。


「だって、このお屋敷の食べ物って、とっても美味しいじゃない? だからついつい食べ過ぎて――」


「フリーダはよく食べるのです。なので胸も大きいのですね!」


「ち、違います! そ、それにムーグリィさんも、胸がけっこうあるじゃないですか?」


「そうですか? でもフリーダの方が大きそうなのです。セシルはあまり食べないから、胸が小さいのですか?」 


 そう言うと、ムーグリィはセシルの方をちらりと見た。フリーダが恐る恐るセシルの方を見ると、そこでは僅かに顔に汗をにじませながら、涼しい顔をして木のベンチに座っている。


「なにか?」


「な、なんでもないわ。それよりも、この汗はどうすればいいの?」


「大丈夫なのです。外に水風呂があるのです。それで汗を流して、体を冷やせばいいのです」


「でも凍えたりしない?」


「十分に温まれば大丈夫なのです。それが一番気持ちいいのです!」


「へえー、楽しみ。それじゃ一杯汗を掻いて、ついた贅肉を落としましょう!」


 フリーダはセシルに声をかけた。だがセシルは涼しい顔をして椅子に座ったままだ。


「なにか?」


「いえ、なんでもありません!」


「フリーダはもっと汗を掻きたいのですね。ムーグリィにまかせるのです!」


 セシルの代わりに、ムーグリィがフリーダの台詞に反応する。そして部屋の片隅に置かれた水桶にあった杓に手を伸ばすと、それを焼けた石の山へ盛大にかけた。


 シュ――――――!


 激しい水音と共に、蒸気が部屋中に立ち込める。その音と勢いに驚いたフリーダは、思わず足を滑らして床に尻もちをつく。フリーダの目の前には吹き上がる蒸気も気にせず、涼しい顔でベンチに座るセシルの姿があった。


「フリーダ様……」


「はい」


 セシルがちらりと視線を下に向ける。


「フリーダ様は意外と毛深いのですね」


「えっ! こ、これはその、手入れをする時間が……」


「おー、フリーダは下の毛も赤毛なのです! ムーグリィは――」


「ちょ、ちょっとあんた達、一体何なのよ!」




「青い血の流れる者が、お前達庶民とは違うことを教えてやろう」


「グラハムさん、人形技師をなめていませんか? 俺たちは真夏でも皮のつなぎを着て、工房に一日籠っているんですよ」


「なにが言いたい?」


「あなたのやせ我慢程度じゃ、俺の相手になどなりません」


「おのれ!」


 蒸気風呂の中でグラハムとスヴェンの二人が、クエルを間にはさんで、杓の柄を互いに振り回してチャンバラごっこを始めるのを、クエルは冷めた目で見つめていた。サラスバティの修理にはスヴェンだけでなく、セシルやグラハムの二人も、ムーグリィによって強制的に缶詰にされ、その修理作業に従事させられていた。


 工房でずっと動作確認の手伝いをさせられ、超不機嫌になったセシルの報告によれば、工房で嫌みの応酬をするうちに、二人の間には謎のコミュニケーションが成立するようになったらしい。この蒸気風呂の中でも、二人で謎の会話をし続けている。


「グラハムさん、青い血とやらのご高説の割には、随分と汗を掻いていませんか?」


「何を言う、お前こそ目が虚ろに見えるが大丈夫か?」


 クエルから言わせれば、二人ともただひたすらに意地を張っているだけにしか思えない。その間に入っているクエルとしてはもう我慢の限界だった。さっきから眩暈を通り越して、手足がしびれるような気すらする。


「あ、あの、限界に近いのですが、この後はどうすればいいのですか?」


 クエルは必死に涼しげな顔を装う、グラハムへ問いかけた。


「この後か? 外の水風呂で汗を流して、ほてりをとるのだ。その後の整った感じこそが、この蒸気風呂の――」


 グラハムがそこで言葉を切る。


「おい、無礼だぞ。人の話を聞いているのか?」


「クエル?」

 

 スヴェンも怪訝そうな顔をすると、クエルの顔を覗き込む。クエルは何か答えようとしたが、言葉が何も出ていかない。


「おい、しっかりしろ! そこをどけ、すぐに水風呂に――」


 スヴェンはクエルの体を抱えて、外へ繋がる扉へ向かおうとした。だがその手をグラハムが慌てて抑える。


「ちょっと待て、今はまずい!」


「何がまずいんだ。このままではクエルがやばい!」


 スヴェンはそう叫ぶと、グラハムの静止を振り切って、扉の外へと飛び出す。目の前には月あかりを照らされた水風呂が見えた。だがそこに映る月は、何かが立てる波によって揺れ動いている。スヴェンはその波を立てる元へ、恐る恐る視線を向けた。


「まずい!」


 スヴェンはそう叫ぶと、クエルの体を水風呂へ放り投げ、そのまま扉へと駆け戻っていく。クエルは宙を飛びながら、夜空に光る月を眺めた。自分はこのまま死ぬのだろうか? そんなことをぼんやりと考える。


 ザブン!


 盛大な水音と共に、クエルの体が冷たい水の中へと沈んでいく。水面では月の黄色い明かりが形を変えながら、ゆらゆらと動いているのが見えた。だがすぐに口の中へ大量の水が流れ込み、それを飲み込んでしまう。


『やばい、死ぬ!』


 そう思ったが、体が思い通りに動かない。これは本当に死んでしまう。クエルがそう思った時だった。


「クエル!」


 自分の名を呼ぶ声が聞こえる。そして誰かがクエルへ手を差し伸べた。


「クエル、しっかりして!」


 見ると月明りを背景に、フリーダが驚いた顔をしてこちらを覗きこんでいる。


「フリーダ……」


「一体どうしたの?」


「ゆで上がった……」


 クエルはそこで、フリーダが胸元にタオルを巻いただけの、半裸なのに気が付いた。それに自分は真っ裸だ。


「フ、フリーダ、な、何で!」


「えっ!? 水風呂で体を冷やして――」


 フリーダが下を見た。そして真っ裸なクエルへと視線を向ける。次の瞬間、フリーダのタオルがはらりと落ちた。


「キャ――――!」


 フリーダの口から悲鳴が上がる。そしてフリーダの腕によって押し付けられたクエルの体は、再び水の底へと沈んでいく。底へと沈みながら、クエルは目の前で何かがゆらゆらと揺れ動いているのを見た。それはフリーダの髪の色と同じ色をしている。


『意外と毛深いんだな……』


 クエルはそんな事を考えながら、自分の意識も水の底へと沈んでいくのを感じた。




「一緒に蒸気風呂は楽しかったのです!」


 屋敷の居間でムーグリィが声を上げた。その姿を椅子に深々と身を沈めたグラハムが、物憂げな表情で眺めている。


「それよりも、あの水風呂に沈んだ無礼者の首を落として、晒すべきじゃないのか?」


「何を言うのです。もともと蒸気風呂は男も女も関係なく、裸になるものなのです」


「一体いつの時代の話をしているんだ」


 グラハムが肩をすくめて見せる。だがすぐに体を起こすと真剣な表情をした。


「ムー、あの人形技師の件は本気なのか?」


「本気、何を言っているのです。これは運命なのです。ムーグリィはスヴェン様のお嫁さんになるのです」


「北領の民はお前の事が大好きだ。お前がどんな男を連れて帰ろうが、きっとみんな祝福してくれるだろう。それについてはお前次第だ。それよりも、本気で選抜を受けるつもりなのか? お前自身でそれをする必要などないのだぞ。誰か――」


「グラハム。これはムーグリィの手でやらねばならないのです。選抜を抜けて、あれを、世界樹をぶっ倒すのです」


 そう告げるムーグリィの水色の瞳は、いつもと違う真剣な色を帯びている。


「ムー……」


「何も心配はいらないのです。ムーグリィとサンデーは最強なのです。そしてサンデーの失った心を取り戻すのです!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ