再戦
「ムーグリィはスヴェン様の手伝いで忙しいのです!」
朝の柔らかい日差しを受けながら、屋敷の裏庭に立つムーグリィは不機嫌そうにクエルへ告げた。その横には同じような顔をしたサンデーもいる。もっともサンデーの顔が変わることは無い。
「スヴェン様から、お前の訓練に付き合うようお願いされたので、仕方なくやるのです。でも昨日と同じなら――」
「ありがとう」
クエルは素直にムーグリィに頭を下げた。スヴェンからは頼むから連れて行ってくれと土下座されていたが、クエルにとってそれは関係ない。
「では時間がもったいないのです。すぐにかかってくるのです!」
『セレン!』
クエルはセレンに呼び掛けると同時に、己の意識をセレンへ重ねた。辺りの景色がまるで線画のように見え、同時に時間が引き延ばされるのを感じる。
『マスター、何だ?』
『昨日こちらを攻撃してきたときに、サンデーはほとんど動かなかった。それはあの腕のせいか?』
『マスター、いいところに気が付いたな。あれの腕は強力だ。それ故にその反動を抑え込む必要がある。それに自分で動いてしまっては、その威力は半減だ』
セレンの言葉に、クエルは心の中で頷いた。
『やはりそうか。それと相手はどうやってこちらを把握していると思う? 昨日はサラスバティの動きに、少し戸惑ったように見えたけど』
『おそらくは視覚だな。派手に攻撃してくる分、音だけでこちらを探すのは難しいはずだ』
『ならば決まりだ。セレン、先ずは目くらましでいく!』
『ふふふ。マスター、どうやら二つにして一つの意味が分かったようだな』
フリーダの言う通り、操り人形のセシルを繰っていたとき、それは繰ると言うより、セシルのやりたいことに手を差し伸ばす気持ちでいた。それと同じなのだ。セレンの動きの一つ一つに指示を出す必要などない。セレンを信じて、そのサポートをすればいいだけだ。いや、違う。
『僕らは二つにして一つだ!』
『そうだ、マスター!』
弾けるようにセレンが動き出す。その背後をサンデーの腕が通り過ぎていくのが見えた。それは昨日と同様に早く、そして強力だ。だが昨日と違って、こちらが先手を取れている。
セレンは背中に背負った大きな箒を取り出すと、サンデーの周囲を駆け回りつつ地面を掃き出した。乾燥した地面から盛大に土埃が上がり、辺りは砂嵐にでも巻き込まれたみたいになる。
「その程度で、サンデーを何とか出来ると思うのですか?」
ビシ、ビシ、ビシ――
砂塵の中で何かが跳ねる音が響いてくる。
『セレン!?』
『マスター、やつが少しは本気を出してきたぞ。全周囲に攻撃をかけている。それにこちらの目くらましを吹き飛ばすつもりだ』
セレンの言葉通り、サンデーの腕が巻き起こす旋風が、セレンの上げた砂塵を吹き飛ばそうとしているのが見える。だが不用意に近づけば、あの腕によってなぎ倒されるだけだ。
『上から行くべきか?』
クエルは心の中で首を横に振った。間違いなく相手はこちらがそこを狙ってくるのを待っているはずだ。
『あの腕をかいくぐって、サンデーへ近づく』
『マスター、了解だ。意識を集中しろ。相手の波に乗るぞ!』
『波?』
『サンデーの腕の動きには一定の周期がある。我らはそれに合わせて近づく』
『大縄跳びだな!』
クエルは子供の頃、近所の子供たちと遊んだ大縄跳びを思い出した。その時も一番華麗に飛んで見せたのはフリーダだ。それを思い出しながら、クエルはそんなことを考える余裕を持てる自分に驚いた。
『行くぞ!』
箒を手に、セレンが砂塵の中へと突入する。さらに引き延ばされた時間の中で、サンデーの腕がまさに波のように迫ってくるのが見えた。
セレンはそれを子供がスキップするみたいに巧みに避けていく。その先にサンデーの円柱の帽子と、らくがきとしか思えない顔が見える。そこへ向けて、セレンが手にした箒の先を突き出した。
バン!
その時だ。何かが弾けるような音がした。見ると、サンデーの積み木にしか見えない下半身が開き、そこから新たな腕が突き出されている。セレンはそれを咄嗟に避けようとしたが、相手の動きの方が早かった。
ドン!
腕の先で打たれたセレンの腹部から鈍い音が響く。それはクエルの体にも、まるで腹を拳で殴られたような衝撃を与えた。そのままセレンの体は弾き飛ばされ、地面の上を為すすべもなく滑っていく。
『セレン、態勢を――』
クエルが苦痛に耐えながら叫ぶより早く、何かに足を掴まれた。サンデーの万力のような手が、がっしりとセレンの両足を掴んでいる。そして砂埃の向こうからサンデーが姿を現した。その背後には水色の目でこちらを見下ろす、ムーグリィの姿もある。
「おろかなのです。サンデーの戦い方を見ていながら、近接防御の手段を持っていないとでも思ったのですか?」
突き抜ける青空を背景に、セレンの顔を覗き込んだムーグリィが、口の端をにやりと持ち上げて見せた。
「やはりバラバラに――」
しかしそこで言葉を切ると、頭を上げて肩をすくめて見せる。
「まあいいのです。ムーグリィにあれを使わせるとは、駆け出しにしてはよくやったのです。それに信じられないぐらい頑丈なやつなのです」
そう告げるムーグリィの表情は、いつもの愛くるしい顔へと戻っている。
「でもまだまだなのです。先ずはお昼にして、続きをするのです!」
サンデーの上に乗ったムーグリィが屋敷へと戻っていく。その後姿を眺めながら、クエルはセレンを立ち上がらせた。ムーグリィの言う通り、腹部に擦ったような跡はあるが、サンデーの打撃の跡は特に見えない。クエルはセレンを見上げた。
「セレン、次こそ勝とう」
クエルの目に、その表情のないはずの顔が、自分に頷いたように見えた。