自信
クエルは裏庭の芝生の上に寝転んで、一人で夜空を見上げていた。
スヴェンは壊れたサラスバティに悲鳴を上げたが、それを直すため、屋敷の工房にこもっている。セシルも動作の確認のため、ムーグリィによって強制的に工房に監禁されていた。
頭の上では数えきれない星が瞬き、だいぶ数を減らした虫たちが、子孫を残すための最後の努力を重ねている。
「ふう」
クエルの口から思わずため息が漏れる。何も、何もできなかった。ただ投げ飛ばされ、挙句の果てには気を失っただけだ。頭の中ではムーグリィの「お前の人形を開放してやるのです」という台詞が、どんなに追い出そうとしても、ひたすら繰り返され続けている。
「ため息なんか吐いて下ろし、胸元から腰にかけて優美な曲線を描く人影が、クエルを見下ろしている。
「フリーダ?」
「夜空を見上げてため息をつくだなんて、クエルのくせに生意気よ!」
「フリーダ、僕をなんだと思っているんだ?」
「クエルよ。だからそんな態度は全く似合いません。でもため息をつきたくなるのも分かるわ」
そう言うと、フリーダもクエルの横に寝転んで見せた。
「そんな事を言うだなんて、フリーダらしくないじゃないか? グラハムさんとの訓練は?」
「それはもうコテンパよ」
星明りの下、フリーダがクエルに苦笑いをして見せる。
「ギガンティスを動かせて、騎士人形とやりあっても何とかなったから、いい気になっていたのかも。ともかく何かが違うのよね……」
そう言うと、クエル同様にため息をついて見せる。クエルはフリーダらしからぬ態度に驚いた。
「何が違うんだ?」
「頭の中でギガンティスに、こうして、ああしてってお願いするでしょう。その分、明らかにグラハムさんから動きが遅れるの。アルツおじさんが、手紙で無意識に動かせるよう、修練を積めって言っていたけど、その通りよ」
「そうだね」
クエルは生返事をしながら、ムーグリィと自分にある壁は、無意識に動かせる、動かせないとか言うレベルではないと思った。明らかに格が違いすぎる。
「でも、無意識ともちょっと違う気もするのよね」
フリーダは上半身を起こすと、クエルの顔を覗き込んだ。草の香りに交じって、まだ汗を流していないらしいフリーダの、甘い体臭が漂ってくる。その匂いに、クエルは思わず自分の中の何かが反応してしまいそうになった。
「か、考え方でも違うのかな?」
そう慌てて問いかけたクエルに、フリーダは頷いた。
「無意識に動かせるだけじゃ追いつかない気がするの。何て言うのかな。もっと先を読んでいるというか……」
フリーダが顎に手を当てて首をひねって見せる。そして何か思いついたらしく、両手をパンと叩いて見せた。
「そうよ。クエルの操り人形よ!」
「はあ?」
「分かっていないのね。クエルの操り人形は、クエルが思っているよりもすごいのよ!」
フリーダの言葉にクエルは当惑した。どうして操り人形に繋がるのかも、それのどこがすごいのかもさっぱり分からない。
「クエルの人形劇はまったく操っているように思えないの。でも人形が勝手に動いている訳でもないのよ」
そう言うと、フリーダはクエルが操り人形を動かす真似をして見せた。
「何て言うのかな。人形がこうしたいと思っていることを、クエルがそっと手伝ってあげている様にしか見えないの。グラハムさんの動きもそんな感じなのよ……」
『我らは二つにして一つだ。その意味をよく考えろ!』
不意にその言葉がクエルの頭に響いた。フリーダのグラハムの人形の動きについての説明は続いていたが、クエルの頭にはもうそれは入ってこない。セレンの台詞だけが、クエルの頭の中をぐるぐると駆け巡っている。
「そうか、そういう意味だったのか……」
「なに? 何か言った?」
不意にもらしたクエルの台詞に、フリーダがきょとんとした顔をする。
「フリーダ!」
クエルは飛び上がるように起き上がると、フリーダの手を握った。フリーダが驚いた顔をしてクエルを見る。
「なっ、なんなのよ!?」
「ありがとう! やっぱりフリーダはフリーダだ!」
「はあ?」
クエルの台詞に、フリーダは少し怪訝そうな顔をしたが、すぐにいつもの笑みを浮かべて見せた。
「そうよ。私がクエルと一緒にいることを、地面に頭をこすりつけて感謝しなさい」
「へへ――、フリーダ様!」
クエルはそう漏らしてから、慌てて手で口を押さえる。だが、フリーダはクエルの手をよけると、そっと顔を寄せた。
「そうよ。それでこそいつものクエルよ」
そう告げたフリーダの唇が、クエルの唇にそっと触れた。
「フリーダ……」
「クエル、自信をもって。私たちは、絶対に選抜を抜けて、国家人形師になれる」
「うん。そうだね」
クエルは立ち上がるとフリーダの手を取る。そして隣に立つフリーダの瞳をじっと見つめた。
「そのためにも、僕らはまだまだ努力が必要だ」
そう告げたクエルの視線の先では、煌々と明かりが灯る屋敷の工房棟が見えていた。