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本物

 クエルはムーグリィの屋敷の裏庭、と言っても、広大な運動場のような場所にセレンと立っていた。フリーダは別の場所でグラハムを相手にしていて、その姿はここから全く見えない。この敷地がいかに広大なのかがよく分かる。


「好きにかかってくるのです」


 ムーグリィの声が響いた。ムーグリィはサンデーとセレンから30mほど離れた場所に立っている。その顔には愛玩人形のような愛くるしさはどこにもない。別の何かを(まと)っている。


『マスター、気をつけろ。前の人形師もどきとは違う』


 セレンの声がクエルの頭に響いた。


『それに相手は間違いなく本気だぞ』


 その言葉にクエルは面食らう。


『本気? これは、その、訓練じゃないのか?』


『訓練? 訓練だろうが本番だろうが違いなどない。あれと我らとの間にあるのは、ぶっ倒すか、ぶっ倒されるかだけだ』


『ちょっと待て、サンデー相手に本気で勝ちに行けと言う事か!』


『そうだ。それにあれは何かおかしい。色々な制御が効いていない。おそらく何かが欠けているのだ』


「何をぼけっとしているのです? そちらから行かないのなら、こちらから行くのです!」


 ムーグリィの声が再び響いた。次の瞬間、鋭い風切り音と共に、サンデーの腕が地面に沿って迫ってくるのが見えた。もちろんセレンの意識を通じてでなければ、感じる事すらかなわぬ速さだ。クエルは縄跳びするみたいに、セレンの体を飛び上がらせる。その足元をサンデーの銀色に輝く腕が通り過ぎていった。


『マスター、すぐに次が来るぞ!』


 セレンの言葉通り、再び左右からサンデーの腕が迫ってくる。しかもそれはセレンが着地するタイミングを狙っていた。


『避けられない!』


『なら、避けるな!』


 クエルの意識の中で、セレンのもどかしげな声が響く。クエルはセレンの体を空中で回転させると、サンデーの腕をセレンの両手でつかんだ。ブランコに乗ったみたいにセレンの体が揺れる。その勢いに弾き飛ばされそうになるが、腕の直撃だけは避けられた。


 ドクン!


 その時だった。クエルはセレンが握るサンデーの腕に、何かが宿ろうとしているのを感じた。同時にクエルの背筋を、悪寒のようなものが走り抜ける。クエルは慌ててその腕を離す。


 ブン!


 手を離すや否や、セレンの体が遠心力によって吹き飛ばされた。そして受け身を取る間もなく、背中から地面へ激しく叩きつけられる。


「ゲ、ゲホゲホ――」


 セレンの体を通じて伝わる衝撃に、クエルの息も止まりそうになった。慌てて辺りを見回すと、サンデーの腕の周りで、細かな土埃が舞っているのが見える。だがその動きは、腕の旋風によって舞い上がったにしては不自然だ。まるで太鼓の上へ砂を置いたみたいに、細かな上下の動きをしている。


『マスター、よく手を離した』


『セレン、あれはなんだ?』


『サンデーの正体だ。あれの属性は鞭打(べんだ)ではない。振動だ』


『振動?』


『マスター、振動の力を舐めるな。それはあらゆるものを分解する力を秘めている』


『あの腕に触れたら、それだけでお終いと言う事か!?』


『そうだ。よくできている。だがあれを何とかせねば、我らに勝ち目はない』


『ちょっと待て。一体どんな手が――』


『マスター、考えろ。我らは二つにして一つなのだ。お前が考えられぬことは我にも出来ぬ』


『つまり、ぼくの思考の限界が、セレン、君の限界になるということか!?』


 クエルは腕を鞭のように振りながら、再びこちらへ向かってくるサンデーを恐怖の思いで見つめた。自分がこの人形を何とか出来る方法を考えられるとは、とても思えない。


『そうとも言える。だがそうでないとも言えるのだ。マスター、我らは二つにして一つだ。その意味をよく考えろ!』


「手を離したのは褒めてやるのです。でも逃げているだけではだめなのです」


 クエルの耳にムーグリィの声が響いた。スヴェンに対する声とは全く別の、何の感情も感じさせない声だ。


「やはり駆け出し以下なのです。人形師が何か、人形が何なのか、全くもって分かっていないのです」


 クエルはムーグリィの顔に宿っているものが何かやっと気づく。今まで自分たちに見せていたものとは全く別の顔。本物の人形師としての顔だ。


「お前の人形を開放してやるのです」


「解放?」


「お前のような駆け出し以下と結合した、世界樹の実がとっても哀れなのです。ムーグリィがお前から開放してやるのです」


『マスター、気をつけろ! やつは本気だぞ!』


 そう告げるセレンの声にも、焦りらしきものが感じられる。


『どうすればいい!』


『考えろ!』


 サンデーが再び腕を振り上げるのが見えた。必死に考えるが、何も浮かんではこない。心が灰色の恐怖で満たされていき、心臓の音だけが太鼓の様に頭へ響いてくる。クエルは何も思いつかないまま、セレンを数歩下がらせた。


『マスター、下がるな。下がれば向こうの思うつぼだ!』


 サンデーの腕がセレンへさらに速度を増して迫ってくる。クエルは再び跳躍してそれを避けようとした。だがその動きを読んだサンデーの腕が、一直線にセレンへ向かって伸びてくる。そして先端にある万力のような手で、セレンの足をがっちりと掴んだ。


『まずい!』


 そうクエルが考えるより早く、セレンの体が空中高く持ち上げられる。


「バラバラなのです!」


 次の瞬間、セレンの体は思いっきり地面へと叩きつけられ、大地を転がった。クエルの意識の中で、晩秋の抜けるような青空が何度も浮かんでは消えていく。同時に自分の体が、まさにバラバラになっていく感覚に襲われた。


『立たないと……』


 クエルは自分が何をすべきかを必死に考えた。だがすべてが、世界のすべてが次第にぼんやりと薄れていく。それでも誰かが崩れそうなクエルの心を、必死に支えようとしているのが分かった。


『マスター、しっかりしろ! 意識を保て!』


 クエルはセレンの自分を呼ぶ声を聞きながら、それが手を伸ばしても届かぬところへと去っていくのを感じた。




「話にならないのです」


 地面に横たわるクエルを見ながら、ムーグリィがつぶやいた。その横には同じように地面へ投げ出され、力なく横たわる侍従人形がいる。


「今すぐひき肉にしてやった方が身のためなのです」


「それは少々お待ちいただけませんでしょうか?」


 ムーグリィの視線の先には、侍従服に身を包み、クエルの頬へそっと手を伸ばす少女の姿がある。


「何を待つのです? それにこれはお前の為でもあるのです。」


「私の為?」


 そう告げたムーグリィに、セシルは首を傾げて見せた。


「何を仰っているのか、私には全く分かりませんが? それに侍従の身としては、主人が目の前でひき肉にされるのを、黙って見ている訳にはいきません」


「やるというのですね?」


 ムーグリィの水色の瞳に、セシルが頷いて見せる。


「サラスバティ!」


 背後から現れた踊り子の姿をした人形が、クエルの体をそっと抱き上げると、芝生の上へと下ろす。


「はい。これも侍従の務めです」


 その言葉を合図に、それぞれの人形が背後へと飛びのく。サラスバティはサンデーが繰り出した腕の一撃を、まさに踊るが如くに上体を反らして避けると、その横を素早く駆け抜けた。


「本物の踊り子みたいに身が軽いのですね。それに早い」


 サラスバティが立てる土埃に、ムーグリィが目を細めて見せる。


「でもサンデーには敵わないのです!」


 ムーグリィはそう叫ぶと、腕を大きく振り上げた。それに合わせて、サンデーの腕が左右からサラスバティへと繰り出される。サラスバティはそれを避けるのではなく、一直線にサンデーへと向かった。


 だがムーグリィの言葉通り、サラスバティの動きより、サンデーの腕の方がはるかに速い。左右から迫るサンデーの腕が、サラスバティを両側から捉えたかに見えた。しかしその腕はサラスバティの手によってしっかりと握られ、押さえつけられている。


「おろかなのです!」


 サンデーの腕が微かに震えた。次の瞬間、サラスバティの腕が爆発でもしたみたいにはじけ飛ぶ。だがサラスバティはそれを見越していたかのように、そのままサンデーへと突き進んだ。


「肉を切らせて、骨を断つつもりですね!」


 ムーグリィの言葉に合わせて、サンデーの伸ばされた腕が体へと巻き上げられていき、それが背後からサラスバティを追う。だがそれよりも先に、サラスバティの残った腕がサンデーへ迫った。


 しかしサラスバティの体は急に行き足を鈍らせると、そのままサンデーの腕に弾き飛ばされて宙を舞う。それでもサラスバティは、空中で体を一回転させると、地面へきれいに着地して見せた。


「よくやったのです。でもお前だけでは無理なのです」


 ムーグリィが荒い息をしながら、サラスバティの隣に立つセシルへ告げた。そしてゆっくりとその前へ進み出る。


「やはり()()()()に――」


「セシルから離れろ!」


 セシルとサンデーの間に、不意に人影が割り込んだ。クエルが足を引きずるようにしながら、吹き飛ばされたサラスバティの腕を、サンデーへ向けて立っている。


「潔しなのです。一緒に――」


 だがサラスバティの腕を目にした、ムーグリィの顔色が変わった。


「ま、まずいのです。スヴェン様の作った人形だったことを忘れていたのです!」


 ムーグリィはクエルの手からサラスバティの腕をひったくると、まるで(さら)うように、サラスバティの体をサンデーの腕で持ち上げた。


「すぐに直すのです!」


 もう一方の腕でセシルの体も持ち上げる。


「お前も一緒にくるのです。グラハム、グラハムはどこにいるのです。すぐに工房の準備なのです!」


 そう叫ぶと、まるで疾風のごとく、クエルの前から姿を消した。

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