旦那様
「ムーを呼び捨てにするとは何たる無礼! そこに跪け、すぐにその首を――」
ドン!
再び鈍い音が響いた。男性が今度は床に横たわって倒れている。
「グラハム、スヴェン様になんて口を利くのです。それにとっても邪魔なのです」
そう告げると、ドレス姿のムーグリィは男性の背中を遠慮なく踏みつけて、スヴェンの前へと進んだ。そしてドレスの裾を少し持ち上げて見せる。
「スヴェン様、いかがでしょうか?」
「あの雪だるまみたいな格好はどうしたんだ!」
「雪だるまだと、この無礼者!」
「グラハム、次にスヴェン様に無礼者と言ったら挽肉なのです」
「ムーグリィさん、とってもかわいいです!」
何も答えられずにいるスヴェンに代わって、フリーダが声を上げた。
「かわいいですか?」
その呼びかけに、ムーグリィが顔を赤らめて反応する。
「もちろんです。スヴェンさん、そうですよね」
そうフリーダから問いかけられたスヴェンは、口を開いたり閉じたりを繰り返している。
「そうですよね!」
「は、はい。かわいいです!」
フリーダの再度の呼びかけに、スヴェンは諦めたように絶叫した。
「この格好はあまり好きではないのです。でもスヴェン様がこちらの方がいいと言うのであれば……」
そう言うと、ムーグリィはスヴェンにはにかんで見せる。その仕草はまるで愛玩人形の様なかわいらしさだ。それを見たスヴェンが、頭を大きく横に振って見せた。
「いや、いつもの格好でいい。あれ以外の姿をされると、俺の中の何かがおかしくなりそうだ」
「ふふふ、スヴェン様はよく分かっているのです。あれは北の地で古くから伝わる正装なのです。ムーグリィのお気に入りなのです!」
そう告げると、背後でやっと起きあがった男性の方を振り返った。
「そう言えば、どうしてお前がここにいるのです?」
「はあ? ムーが行方不明になったとかで大騒ぎになったから、慌てて駆けつけたんだぞ」
「ムーグリィは大人なので、そのような心配は不要なのです」
「ムー、何を言っているんだ! こっちは朝から人形省まで出かけていって、正式な抗議をしてきたんだぞ。人形大臣の首か、せめて次官以下の首を二、三人は飛ばさないと済まない話だ」
「そんな余計な事をしたら挽肉なのです。それよりもお腹が減ったのです。みんなで食事にするのです!」
「おい、こんな得たいの知れないやつらと食事をするつもりか? い、痛い!」
ムーグリィがグラハムの足を思いっきり踏む。どこかで見た光景だ。クエルは思わずフリーダの顔を見た。
フリーダは二人の姿を見ながら、口元に手を当てて小さく笑みを漏らしている。普段から自分がやっていることだという認識は全くないらしい。
「グラハム、お前は邪魔だから、さっさとここから出て行くのです」
「ムーグリィさん。せっかくですから、グラハムさんも一緒にみんなで食事にしましょう。スヴェンさん、その方がおいしく食べられますよね?」
「は、はい!」
フリーダに強制されたスヴェンの頷きに、ムーグリィが小さくため息をついて見せた。
「スヴェン様がそう言うのなら、グラハム、特別にお前もまぜてやるのです。でも余計なことを言ったら挽肉なのです」
『まるで人形遣いだ』
クエルは思った。フリーダがスヴェンを操って、間接的にムーグリィを操っている。
「皆様、お待たせ致しました。お食事の用意が出来ました」
髭をピンと張った執事の声と共に、銀の台に乗せられた前菜と食前酒が部屋の中へ運び込まれてくる。
「お腹が減ったのです。皆で食べるのです」
ムーグリィに即されて、全員が食卓の席についた。
「とっても美味しそうです」
野菜に魚のオイル漬けの前菜をみたフリーダが、感嘆の声を上げた。
「ムーグリィさん、こんな美味しいお食事を頂いてとても恐縮なのですが、本当にお世話になってもいいのですか?」
そう言うと、フリーダは豪華としか言えない部屋を見まわした。
「私たち、ムーグリィさんがこんな立派なお屋敷に住んでいるなんて、全く知らなかったものですから……」
「お前達、ここが誰の屋敷か分からずに来たのか?」
グラハムがフリーダに問いかけた。
「はい」
フリーダの答えに、グラハムは呆れるのを通り越して、唖然とした表情をして見せる。
「ここは北領公、グリィ家の王都における別宅だ。そしてそこにいるムーは北領公その人だ。お前たち頭が高いぞ!」
「え、えええええ!」
クエルたちの口から驚きの声が上がる。
「ムー、お前は何も説明しなかったのか?」
グラハムがクエルたち以上に驚いた顔をして、ムーグリィに問いかけた。
「説明? 何を説明するのです。ムーグリィはムーグリィなのです。それ以上でもそれ以下でもないのです」
「そ、それで、いきなり人形省の窓口なんかに行ったのか?」
「選抜に出るには人形師としての申請が必要だと聞いたのです。でもとっても待たされて、お腹が減ったのです」
「そもそもそんな登録なんていらないし、する必要もない。いや、それを要求すること自体が間違っている!」
そう叫んだグラハムに、ムーグリィが首を傾げて見せた。
「間違っているのはグラハム、お前なのです。そこにルールがあるのなら、誰もがそれに従うのです。そうでないと、参加する意味などないのです」
「ムー様は―――」
「ムーグリィはムーグリィなのです。様などつけないで欲しいのです」
「ではムーグリィさんは、どうして選抜に参加するのですか?」
我慢が出来なくなったのか、フリーダが二人の会話に割って入った。
「確かにそうだ、別に人形師にならなくても、飯は食べられるんだろう?」
スヴェンもそれに同意する。
「決着をつけるのです!」
「決着?」
そう問い直したスヴェンに、ムーグリィが頷く。
「そうです。あの導師とかいうのを倒さないといけないのです!」
「ゲ、ゲホゲホゲホ……」
その答えに、我関せずで食事に勤しんでいたクエルは盛大にむせた。
「エンリケおじさんですか?」
フリーダも当惑した顔でムーグリィに問いかけた。
「そうです。そのエンリケとかいう奴なのです。選抜を抜けて、そいつをぶっ倒すのです」
そう告げたムーグリィの顔は真剣だ。
「あの、どうしてエンリケさんを倒さないといけないのですか?」
「私の父をぶっ倒したからです。なので、今度はムーグリィがそいつをぶっ倒すのです」
「でもムーグリィさん、それは難しいと思います」
ムーグリィの台詞を聞いたフリーダが、思わず言葉を漏らした。そしてそれを口にしたことにハッとした顔をする。
「な、なんなのです。ムーグリィとサンデーがやつに敵わないというのですか!?」
「違います。そういう意味じゃないんです……」
フリーダが困った顔をした。
「どういう意味なのです。ムーグリィにはよく分からないのです」
「フリーダ、僕から説明するよ」
「クエル、でも箝口令が……」
「エンリケは僕の父です。それに一年前から行方不明なんです。だからどれだけ強くても、ムーグリィさんに父を倒す機会はないんです」
「なななな、グラハム!」
「なんだムー」
グラハムが興味なさそうに答えた。
「お前はこれを知っていたのですね!」
「ああ、だから王都なんぞに行っても無駄だと言ったんだ。もっとも奴が本当に行方不明かどうかについての確証はなかった。だが息子がそう言うのなら、そうなんだろうな」
そう告げたグラハムは、ムーグリィの方へ顔を寄せた。
「分かったろ。こんなところは引き払って、さっさと北領へ戻るんだ。お前はあまり分かっていないかもしれないが、北領の民はお前の事が大好きなんだ。お前が行方不明と連絡が来たときは、それはそれは大騒ぎだったんだぞ!」
「ムーグリィは分かったのです」
「それは良かった」
その台詞に、グラハムが安堵のため息をついて見せる。
「エンリケがいないのであれば、ムーグリィにとって選抜などどうでもいいのです。それよりもスヴェン様の手伝いをするのです」
そう言うと、ムーグリィはスヴェンの方を上目遣いに見た。
「これは運命なのです。ムーグリィがここに来たのは、スヴェン様と会うためだったのです!」
「な、なんだって!」「ムー、一体何を言っているんだ!?」
スヴェンとグラハムの口から同時に声が上がった。
「将来の旦那様の手伝いをするのは当然のことなのです。それに、エンリケの息子があっさりと倒されると、それはそれでとっても腹立たしいのです」
「何だと!」「ちょっと待て!」
ムーグリィの言葉に、再びグラハムとスヴェンが同時に叫んだ。
「お前は自分の立場と言うものが分かっているのか?」
「立場などどうでもいいのです。ムーグリィはスヴェン様のお嫁さんになるのです!」
「ま、まさかの公爵令嬢からの逆プロポーズ!」
フリーダの口からも悲鳴のような声が上がった。その手は両頬に添えられ、その顔はまるで自分の事のように真っ赤だ。
「クエル、この逆プロポーズは本物よ!」
フリーダが興奮した顔でクエルの方を見る。その先にはフリーダ以上に真っ赤な顔をして、錯乱状態に陥っているスヴェンが見えた。
セシルはと言うと、一番端の席で、我関せずに前菜に添えられたキノコのスープを静かに飲んでいる。
「ムー!」
グラハムが席から立ち上がろうとするのを、ムーグリィが目で制した。
「グラハム。これ以上何か言ったら、本当にサンデーでひき肉にするのです。それよりもお前も手伝うのです。その嫌味ったらしい口だけでなく、北領の人形使いとしての腕も少しは役立たせるのです」
そう言うと、ムーグリィは再びスヴェン方を上目遣いで見つめた。




