伝言
「どうしてここが分かったんだ!」
居間にスヴェンの悲鳴が響き渡った。その先には雪だるまの様な格好をした少女が、ちょこんと椅子に座っている。
「登録のお礼に工房へ伺ったのです。そこでスヴェン様がどこへ行かれたのか聞いたのです」
スヴェンの顔が紙のような色になる。
「こ、工房までいったのか?」
「はい。お父様はとっても親切な方なのです。丁寧に道順を教えてくれて、この手紙をあなた様に渡すように言われてきたのです」
そう言うと、ムーグリィは一通の封書をスヴェンへ渡した。中身に目を通したスヴェンの手が小刻みに震える。慌ててそれを破こうとしたスヴェンの手から、フリーダが素早く取り上げた。
「せっかくのアルツおじさんからの手紙を、破いちゃだめでしょう!」
そう言いながら、ちゃっかり手紙に目を通す。スヴェンの手が宙をさまよった。クエル相手ならすぐにでも掴みかかるところだが、相手がフリーダなので、どうしていいのか分からず、錯乱状態に陥っているらしい。
「え――! しばらく工房に戻ってくる必要はないって、どういうこと!?」
手紙を読んだフリーダの口から、驚きの声が上がった。
「スヴェン、とうとう首になったのか?」
そう問いかけたクエルに向かって、スヴェンが全力で首を横に振って見せた。
「首になっていない!」
「なになに、そのかわいい……」
手紙の続きを読んだフリーダが、椅子にちょんと座るムーグリィの方を見る。
「お嬢さんの言うことを聞くこと!」
「これは一体なんなんだ。首よりも酷い!」
「なにを言っているのよ。流石はアルツおじさん。弟子の将来の事をよく考えているわね」
手紙を片手に、フリーダがうんうんと頷いて見せる。
「いや、全く考えていない。単に面白がっているだけだ!」
スヴェンが再び首を横に振って見せる。クエルとしても、間違いなくその通りだとしか思えない。
「ちょっと待って、私たちへの意見も書いてあるわよ。選抜に向けて、人形を無意識かつ正確に動かせるようになること。その修練を積みなさいと書いてある」
そう言うと、フリーダはスヴェンへ手紙を突きつけた。
「そのメンテナンスの為にも残れと書いてあるわよ。ちゃんと最後まで読まないとだめでしょう」
「でも練習って、何をどうすればいいんだ?」
クエルはフリーダに首をひねって見せた。
「合宿よ、合宿!」
「はあ? 合宿って、どこでやるんだ?」
「ここよ。クエルの家よ!」
そう言うと、フリーダは居間の床を指さして見せる。
「ちょっと待て、ここでやる!?」
「だって、この家にはクエルとセシルちゃんしか住んでいないから、下の客間が空いているでしょう。それに使用人部屋だって、もう一つ空きがあるじゃない」
「泊まるだなんて、リンダおばさんが絶対に許してくれないよ!」
「何を言っているのよクエル、私達はもう大人なの。それに選抜の為ですからね。お母さんだって許してくれます」
「隣だから、わざわざここに泊まる理由は全くないと思うけど……」
「違います。それでは気合いが足りません!」
「それにうちの庭はフリーダの家よりも狭いから、こんなところでギガンティスを動かせるわけないだろう?」
「それは確かにそうね。でももっと広くて、問題なく人形が動かせる場所なんてあるかしら? いっそ私の家との間の塀をとっぱらうとかはどうかな?」
「いや、それは流石にリンダおばさんが絶対に許さないと思う」
クエルは首を横に振って見せた。そんな事をすれば、塀沿いにリンダおばさんが大切に育てている花壇が全滅だ。夜中の河川敷も、自分とセシルの二人ならこっそりできるが、ギガンティスは流石に目立ち過ぎる。
「人形を繰る場所が必要なのですか?」
呆気にとられた顔をしながら、椅子にちょんと腰掛けていたムーグリィが、スヴェンへ問いかけた。その言葉にスヴェンが頷いて見せる。
「そうだね。二人はまだ人形師になったばかりだから、型を決めて、それで動かす訓練が必要だよな」
「型? ムーグリィにはよく分からないのです。ですが駆け出しがまだまだなのは分かるのです」
「そうだ。クエルは腕立て伏せをして、体を鍛えるところからだな」
「流石はスヴェン様なのです。人形師の事をよく分かっているのです」
「体は関係ないだろう!」
「それが分かっていないとは、やはり駆け出しは駆け出しなのです」
ムーグリィがクエルへ大きくため息をついて見せる。
「分かったのです。人形を繰る場所も含めて、ムーグリィが貸してやるのです」
「え、ムーグリィさん。本当ですか!」
フリーダがムーグリィの両手を掴むと、飛び上がって喜んだ。
「も、もちろんなのです。なので、スヴェン様もご招待させていただくのです」
「誰が行く――」
「はい、もちろん一緒です!」
フリーダがスヴェンを無視して答える。
「だって、ギガンティスのメンテはスヴェンさんの仕事ですよね?」
フリーダが満面の笑みでスヴェンに問いかけた。どうやら観念したらしく、スヴェンは目を閉じて天を仰ぐ。
「は、はい。謹んでご同行させて頂きます」
クエルは寝室に広げた着替えを眺めると、小さくため息をついた。フリーダもスヴェンも、フリーダの言う所の合宿の準備の為に、家と工房へ戻っている。ムーグリィは人形の輸送も含めて、明日迎えに来ると言って戻った。
ムーグリィが何者かはよく分からないが、選抜登録時のマクシミリアンたちの台詞を聞く限り、彼女がただ者でないのは確かだ。おそらくは北領の貴族の一人なのだろう。
フリーダは合宿が出来ることをすごく喜んでいたが、自分と一緒に合宿などしていていいのだろうか? 何か練習をするとすれば、父親のギュスターブと訓練するのが一番いいに決まっている。
「やはり我の手伝いを受け入れるべきではないのか」
クエルの背後から声がかかった。
「いつの間に入ってきたんだ?」
「マスター、我はお前の侍従人形なのだぞ」
「このぐらいは自分でやるよ。それより、フリーダは一緒の部屋で寝るといっていたけど、大丈夫なのか?」
「我は深遠なる世界樹の実の化身。その程度はなんの問題もない」
「風呂とかもか?」
「ふふふ、気になるか? 大丈夫かどうか、ここで見せてやってもいいぞ」
「あのな……」
「まあよい」
そう告げると、セシルはつま先立ちになって、クエルへ唇を突き出した。
「セ、セシル?」
「しばらく同期は出来ぬ。マスター、たまにはお前の方から我に口づけをせよ」
セシルは目を瞑ると、その赤く見える唇から小さく吐息をもらして見せた。