訪問者
「選抜前に遊びに来い」
と言うクエルの言葉を素直に受けて、クエルの家を訪問したスヴェンが、居間の椅子に腰を沈めると口を開いた。
「クエル、お前は何かに取り憑かれているんじゃないのか?」
「何が?」
「フリーダさんが幼なじみというのは、昔からだから百歩譲るとして、セシルちゃんは現れるし、人形省では厄介なやつらに絡まれる。それに御三家には目をつけられているみたいだし、何よりあの雪だるまだ」
そう言うと、クエルをじろりと見た。
「フリーダさんとセシルちゃんの二人は、羨ましいだけだから除外するとして、それでも何かに取り憑かれているんじゃないのか?」
「そ、そうかな?」
「間違いない。そのせいで、こっちまで謎の雪だるまにつきまとわれたんだ!」
「お茶をお持ちしました」
扉が開く音と共に、居間にセシルの声が響いた。
「ありがとうございます!」
さっきまで椅子に深々と偉そうに腰を掛けていたスヴェンが、いきなり背筋を伸ばして立ち上がると、手を膝の上にそろえて頭を下げた。セシルはテーブルへカップを置くと、ポットから茶を注ぐ。そこからはバラの花びらの香りが漂って来た。
「セシル、これって?」
「はい。リンダ奥様から譲っていただきました」
そう告げたセシルが小さく微笑んでみせる。そして頭をさげると居間から出て行った。
「天使だ。間違いなく天使だ……」
直立不動のままのスヴェンが、セシルが去った扉の方を見ながら、ぼーっとした顔でつぶやく。クエルにしてみれば、スヴェンがさきほど言った取り憑いている件の張本人、いや人形だと思うのだが、何を言っても信じないだろう。
「それで、アルツの親父さんからは何か情報は仕入れられたのか?」
「いや、だめだ。選抜の件に関しては、親父も兄さん達もみんな口が堅い。さっぱりだよ」
「フリーダが言うには、父親のギュスターブさんですら口が堅いというから、やっぱり出たとこ勝負なのかな? 合格率は二割以下という話も聞いたけど、何が本当なのかもさっぱりだ」
「どうだろう。これまでは選抜を受けるのだって、御三家の息がかかった連中だけだったから、奴らが国家人形師を独占するための仕組みだったという話もある。多分それが本当なんだろうな」
そう言うと、スヴェンは壁に掛かっている導師の盾を指さした。
「御三家以外から選抜を受けるなんてのが出てきたのは、エンリケさんが導師になってからだ」
スヴェンはまるで自分で見てきたかのように、うんうんと頷いて見せる。
「エンリケさんが導師になって、全てが変わったと、アルツの親父が漏らしたのを聞いたことがある。お前はさておき、フリーダさんにセシルちゃんも受けるんだ。ともかく無事に終わることを心から願っているよ」
そう告げると、スヴェンはとても心配そうな顔をした。
「でもセシルちゃんは大丈夫なのかな?」
「そうね。とっても心配よ」
居間の入口から声が上がった。
「フ、フリーダ、いつの間に?」
フリーダの背後では、諦めた顔をしたセシルが立っている。
「えっ、玄関で呼んでも出てこないと思って、勝手口から入らせてもらったわ」
「あのな、せめて玄関から呼んでからに――」
クエルの台詞を無視して、スヴェンがすぐさまテーブルの脇へ椅子を持ってくる。
「フリーダお嬢さん、どうぞこちらへお座りください」
「あのな、スヴェン。ここはお前の家じゃ――」
「スヴェンさん、ご丁寧にありがとうございます。それよりもクッキーを焼いたので、どうか食べてください」
そう告げたフリーダが、小さなバスケットを差し出す。クエルは人生において過去何回かあった事例と比較し、目の前に置かれた物を最大限に警戒した。予想通り、香ばしいバターの代わりに、どう考えても何かが焦げた匂いが漂ってくる。
「え、本当ですか! ありがとうございます」
スヴェンは何の危険も感じることなく、純粋に喜びの声を上げている。クエルはその姿を憐みをもって見つめた。無知とは愚かであることと同義だ。
「どうぞ、好きなだけ食べてください!」
そう言うと、フリーダはバスケットの蓋を開けた。そこからはより焦げ臭い匂いがただよい、中には茶色というより、真っ黒になった何かが、白いナプキンの上に山盛りでのっている。
「これって?」
やっと自分が何を前にしているのか気が付いたスヴェンが、恐る恐るフリーダに問いかけた。
「マリエさんから教えてもらって、その通りに作ったつもりなんだけど、ちょっとだけ焦げちゃったかも」
そう言うと、フリーダは二人にてへっと笑って見せる。
「ちょっと?」
そう声を上げたクエルを、フリーダがじろりと睨んだ。
「クエルはだまっていなさい。きっと中は大丈夫よ。セシルちゃん、お茶はクエルに入れさせればいいから、セシルちゃんもこっちへ来て。みんなでいただきましょう!」
セシルは仕事がと口にしたが、フリーダに強引に手を引っ張られ、仕方なさそうに席へ着いた。
「ではいただきます!」
フリーダのかけ声に合わせて、クエルは小さく端を口に含む。スヴェンは全てを諦めたのか、フリーダ同様に、一枚をそのまま口へと放り込んだ。セシルは明らかに食べた振りだけをしている。
「げ、げほげほ!」
クエルの目の前で、フリーダとスヴェンの二人が盛大にむせた。
「何これ、焦げの味しかしないじゃない!」
「そうだよ。焦げたら全て焦げの味だ。もしかして、味見をしなかったのか?」
「味見?」
「い、いや、とってもおいしいです」
スヴェンが少し涙目になりながら、紅茶で口の中にある黒い物体を胃へと流し込む。
「え、そうなの。きっと当たりと外れがあるのよ。この辺りは大丈夫な気がするわ」
「シシトウじゃないんだぞ、間違いなく全部外れだ!」
「そんなことありません。スヴェンさんが食べられたんだから、食べられます!」
フリーダはバスケットから、何枚かのクッキーに成れなかったものを取り出すと、それを手にクエルへ迫る。
「スヴェン、お前が……」
ドン、ドン、ドン!
その時だ。玄関から叩き金を叩く音が響いてきた。
「フリーダ、クッキーは後だ。来客だよ」
「クエル、待ちなさい!」
クエルは身を翻して、フリーダの差し出したクッキーを避けると、階段を駆け下りた。気がつくとセシルも背後に続いている。
「来客の相手は侍従たる我の仕事だぞ。邪魔をするな!」
間違いなく来客を理由に逃げる気満々だ。
「そんなことより、フリーダの相手を――」
「いらっしゃいませ……」
セシルはクエルの言葉を無視すると、玄関を開けて丁寧に挨拶した。そしてそのまま凍り付く。
「やっぱりここに居たのです」
「ムーグリィさん!?」
「駆け出しの下僕らしく、ちゃんと私の名前を覚えていたのです」
そう告げると、ムーグリィは急にもじもじした態度を取り始める。
「それよりも、スヴェン様はいらっしゃいますのでしょうか?」
クエルはセシルと互いに顔を見合わせた。