時計
「マ、マクシミリアン様?」
フローラの口から声が漏れた。振り返ると、入口にフリーダの誕生日会の時にいた、背の高い黒髪の男性が立っている。それだけではない。その背後にも只者とは思えない人たちが続いていた。
一人は背が高く、金髪に深い青色の目を持つ、キリッとした表情をした女性で、もう一人は焼けた浅黒い肌と、エメラルド色の目をした男性だ。女性は聖職者みたいな長いローブに身を包み、男性の方は頭に布を巻き、ゆったりとした生地の服装をしている。
「その柱時計の時間はあっていますでしょうか? 人形師次官の部屋を出たときには、まだ十分に時間があったはずなのですが?」
マクシミリアンはそう告げると、部屋の中を見回した。奥の机に座っていた、大きなおなかをした男性が、慌てて席を立ち上がると、マクシミリアンの方へ駆け寄る。
「そうでした。あの柱時計は調整中で、時間がずれるのを忘れておりました。そちらのお二人は?」
「西領公の縁者のヒルダ様に、南領公のいとこに当たられますルドラ様です。お二人とも選抜に参加をご希望との事で、次官から私の方へ私的に案内を頼まれました」
「ムー殿!」
マクシミリアンの紹介が終わるや否や、背後に居た女性が前へ進み出ると、ムーグリィの手をとった。クエルは思わず手で鼻を押さえるのを忘れて、その姿を眺める。
フリーダも間違いなく美人だが、このヒルダという名の女性の美しさは、フリーダとは違う種類の美しさだ。女神の彫像がそのまま動き出したのではないかと思える、完璧な造形美を備えている。
「一体どちらへ行かれていたのです。皆様がとても心配していらっしゃいました。あちらこちらに人を出して探しに……」
「ムーグリィは大人なので不要だと言ったのに、勝手についてきたのです。でもヒルダに会ったのは丁度よかったのです。皆に帰るよう伝えて欲しいのです」
ムーグリィが不満げな表情で女性に答えた。
「ですが……」
「こちらの方は?」
マクシミリアンが金髪の女性に問いかけた。
「こちらは――」
「ムーグリィはムーグリィなのです。そう言うお前は何者なのですか?」
女性の言葉を遮って、ムーグリィがマクシミリアンへ問いかけた。
「失礼致しました。私はマクシミリアンというもので、ローレンツ家の末席に――」
「どこの家かなど知ったことではないのです。だがお前の持つ時計はとても便利な時計なのです。なのでムーグリィの申請も、ムーグリィの下僕たちの申請も手伝うのです」
そう告げたムーグリィへ、マクシミリアンが朗らかな笑みを浮かべて見せた。その姿は隣にいるヒルダという女性と同様に、彫像が動き出したのではないかと思える美しさを備えている。
「はい、ムーグリィ様。喜んでお手伝いさせていただきます。それにこちらのお二人は私の知り合いでもありますので、もともとお手伝いはさせて頂くつもりでした」
「それはよいことなのです。改めましてムーグリィなのです。マクシミリアン殿、ありがとうなのです」
ムーグリィがマクシミリアンに頭を下げた。マクシミリアンも完璧な淑女に対する紳士の礼を返して見せる。
「では次官からも言伝を頂いています。可及的速やかな受付をお願いします」
そう告げると、マクシミリアンは横で呆然とやり取りを眺めていた男性へ、にっこりと微笑んで見せる。その視線を受けた腹回りが緩い男性が、フリーダからひったくるように書類を受け取ると、受付担当の女性へそれを差し出した。
羽ペンを走らせる音や、判を押す音が部屋に響く。それを満足そうに眺めたマクシミリアンは、まだ部屋の中にいたシグルズたちへ視線を向けると、首を小さく傾げて見せた。
「珍しいと言えば、シグルズ殿。あなたとこんな所でお会いするとは思いませんでした」
だがすぐに納得した顔をする。
「なるほど。今日は人形師として、選抜の登録に来られたのですね」
「そうだ。首を洗って待っていろ」
シグルズがマクシミリアンを殺気を含んだ目でにらみつける。
「お兄様!」
二人の間に車いすに乗った少女が割り込んだ。マクシミリアンは少女に対し、膝をかがめると、丁寧に淑女に対する紳士の礼をして見せた。
「フローラ嬢も今日はこちらに?」
「わ、私は……」
言いよどんだフローラに対して、マクシミリアンは何か考えるようなそぶりをする。
「ああ、兄へのお付き合いですか? 今日はこれからいくつかの会合があると言っていたので、遅くまで時間はないと思います。なので今日はお兄さんと一緒に戻られた方が良いかと」
「はい。でも……」
「ご安心ください。兄には私の方からその旨を伝えておきます。それよりも足の調子はいかがですか? 少しは動く気配などは――」
「何を言っているんだ! お前らが――」
取り巻きの一人がそう怒鳴ったのを、シグルズが片手をあげて止めた。
「妹のことはかまわないでくれないか? こちらで連れて帰る」
「そうですね。シグルズ殿が一緒につれて帰られるのなら安心です」
マクシミリアンはそう告げると、ゆっくりと床から立ち上がった。フローラを間に挟んで、二人が互いに視線を交わす。マクシミリアンのそれは貴公子たる余裕に満ちた表情だが、シグルズのそれは今にも獲物に襲いかかる鷹のような目だ。
「いくぞ」
シグルズはそう告げると部屋から出て行く。取り巻きがフローラの車椅子を押してそれに続いた。フローラは何かを告げたそうに背後を振り返ったが、諦めた顔をして部屋を後にする。
「あ、あの」
クエルたちへ声が掛かった。見ると、メガネをかけた女性職員が、受付にクエル達の書類を並べている。
「各自受領確認の署名をお願いします。それで選抜への申請は全て終了となります」
クエルの視線の先、メガネの奥にある目は、もううんざりだ。さっさと署名して出て行ってくれと告げていた。
人形省の石造りの建物の屋上に、灰色の巨鳥の姿があった。もっとも本物ではない。その姿を模した人形だ。その人形に向かって、黒髪の男性が手に手袋をしながら、ゆっくりと歩み寄った。男性は銀の刺繍が襟元や袖元に入った黒の簡礼服に、黒革の半外套をまとっている。
「不知火、待たせたな」
その呼びかけに、紙のような白い髪と、ろうそくを思わせる白い肌をした少女が、翼の影から現れた。
「我が君、そのお姿で寒くはございませんか?」
少女が男性へ声をかけた。その姿は白い薄手のワンピースを着ているにすぎない。それは冬を間近に控えたこの季節と言うより、夏を思わせる格好だ。
「そんなことはない。寒さも空の一部だ。それに不知火、お前が温めてくれればよい」
「はい。我が君」
不知火と呼ばれた少女が、愛おしげにその手を取る。男の左耳にある白い水晶が、沈みゆく夕日を浴びて黄金色に光った。少女はうっとりとした目でその姿を眺める。
「兄上のお使いも色々と面倒だが、今日は面白い人達に会ったよ」
「どの様な方と会われたのでしょうか?」
「例の赤毛のお嬢さんとその彼氏だ。我々を心から恨んでいる人形技師にもだよ。どうやら選抜を受けると言うのは、言葉だけではなかったらしい。不知火、前にも言った通りだ。これは間違いなく面白くなる」
マクシミリアンはそう言ってガルーダの背に乗ると、背後の不知火の方を振り向いた。
「お戯れを。それよりも、車いすの小娘は連れて帰らないのですか?」
「ああ、今日は兄上も来客があるから、そんな暇はないだろう。それにきっと忘れている。だが兄上の所業が、すべてこちらのせいにされるのも、少々腹立たしげではあるな」
「我が君に虫が寄ってこないようにする為ですが、うっとうしいようでしたら、不知火が排除させていただきます」
「いや、兄上が居なくなってしまうと、やはり色々と面倒な事になる。多少の尻拭いぐらいで、文句を言っているようではだめだな。もっとも人形師殿の件について言えば、完全な向こうの逆恨みだ。己が望んだ結果なのだからね」
そう言うと、優雅に肩をすくめて見せる。
「我が君、それよりも例の者たちですが、処分しなくても本当によろしいのでしょうか? 無駄な口を開くと、面倒ではありませんか?」
「ミゲルの件については誰にも語っていないようだ。それに少なくともミゲルを返り討ちにしている。あの程度のもので簡単に始末できるのなら、気にするほどもないと思っていたが違った。だが特別な人物とも思えない。少し判断に迷うな」
「所詮は塵芥のごとき存在かと思います」
「そうかな? エンリケの息子であることに変わりはない。それに王宮が彼を自由にさせているのだ。間違いなく何か意味はある」
マクシミリアンはそう告げると、しばし考える様な表情をした。
「遠いところへ行ってもらうのは簡単だが、それが何かの鍵だったりすると後で困る。おそらく王宮でもそう判断しているのだろう。面倒なことは後回しだ。我々もしばし地上を、この穢れ多き現世を離れるとしよう」
「はい。我が君」
「ガルーダ!」
マクシミリアンの声に合わせて、彼らの乗る人形の羽が羽ばたく。
「空はいい――何より自由だ――」
不知火はその言葉に頷くと、マクシミリアンの背にその小さな体を重ねた。




