拒絶
「フ、フリーダの今日のドレスは、10歳の時の誕生日のドレスと同じ色だよね」
「それぐらいはちゃんと覚えていたのね。同じ色のドレスがいいって、お母さんにお願いしたの!」
「や、やっぱり」
「そうよ。あの生地は特注品で――」
クエルたちの前では、検査台に置かれた四台の人形の検査が進んでいる。それを眺めながら、クエルはフリーダの機嫌を直すことに全力を傾けていた。
一方で視界の隅にいるセシルの機嫌が、刻一刻と悪くなっていくのも如実に分かる。
『二人の機嫌を取るのを、永遠に繰り返さないといけないのではないか?』
そんな悪夢としか思えない妄想が、クエルの頭に湧いてくる。スヴェンはと言うと、かくれんぼでもしているみたいに、クエルの背後に隠れていた。なぜか、その周囲を謎の雪だるまがちょろちょろしているが、スヴェンに自分から何かする器用さはない。
ミシ、ミシ!
その向こうで、床をきしませながら、巨大な竜が去っていくのが見えた。だがどうやら例のシグルズと言う人形技師には見つからずに済んだらしい。彼らが検査を終えて棟から出ていくのが見えた。
「お待たせしました」
検査官が書類挟みの書類をめくりながら、受付からクエルたちへ声をかけてきた。
「こちら4台の人形登録申請ということで、よろしいでしょうか?」
「はい。こちらの4台です」
書類に示された人形名を確認しながらフリーダが答えた。
「結論から先に言うと、このままだとこちらの人形以外、本日の登録申請はお受けできません」
そう告げると、背後にある踊り子の姿をした人形、サラスバティを羽ペンで指し示す。その言葉にクエルはフリーダと顔を見合わせた。
「あ、あの、何か書類に不備でもありましたでしょうか?」
フリーダが検査官に問いかけた。百歩譲ってセレンとこの積み木人形、もとい、ムーグリィがサンデーと呼んだ人形については、書類上の不備があるという可能性はある。だけどアルツ工房で作られたギガンティスに、不備があるとはとても思えない。
「サンデーは立派な人形なのです。それを認めないとは何事なのです!」
ムーグリィが窓口を超えて検査官へ突進しようとするのを、クエルはスヴェンと二人がかりで必死に止めた。この手の話はともかく冷静に相手の話を聞かないと先に進まない。
「駆け出しはムーグリィの邪魔をしてはいけないのです!」
「いて!」
ムーグリィに足を思いっきり踏まれたクエルが悶絶する。
「ともかく話を、話を聞こう」
スヴェンがムーグリィに声をかけた。
「あなた様が言うのなら仕方ないのです」
スヴェンの説得に、ムーグリィが受け付けを乗り越えようとしていた足を下ろす。そしてクエルの方を振り返った。
「でも駆け出しは、ムーグリィの邪魔を二度としてはいけないのです」
「ちょ、ちょっと待て。どうしてスヴェンの言うことは聞いて、僕の――」
「みんな静かにして!」
フリーダが三人をジロリと見る。その真剣な顔に、ムーグリィを含む全員が口を閉じた。
「どうして受付をしていただけないんでしょうか?」
「製造元を表す工房証が見当たりません。どこにあるのか、教えていただけませんでしょうか?」
気のせいか、そう告げた検査官の口元がわずかに上がったように見えた。
「待ってください。こちらのギガンティスは、胸の核収納口の裏に工房証があるはずです!」
スヴェンが検査官に異議を申し立てた。検査官はスヴェンに向かって、ゆっくりと首を横に振って見せる。
「どこにも見当たりませんが?」
「そんな馬鹿な!」
スヴェンが人形技師の証を係員に示した。
「アルツ工房のスヴェンです。確認させてもらってもいいでしょうか?」
「はい。どうぞ」
証を確認した検査官が、にこやかな笑みを浮かべて受付横の扉を開けた。スヴェンはその狭い入り口をもどかしげに通り抜けると、奥に置かれたギガンティスへと駆け寄っていく。
スヴェンは検査台の横に置かれた作業台を引き寄せると、それを登って核の収納口、世界樹の実を入れる座台の裏を眺めた。だがすぐにクエル達の方へ戻ってくる。その顔は必死に何かを自制しているらしく、仮面の様に見えた。
「フリーダお嬢さん、申し訳ありません。俺の怠慢です」
スヴェンはそう小声で告げると、フリーダに頭を下げた。
「怠慢って、何を?」
「やられました。アルツの親父から、人形から絶対に目を離すなと言われていたのに、それをすっかり忘れていた俺のミスです」
「スヴェン、どういうことだ?」
「こっちが選抜の為の手続きの時間がないのを知って、工房証をこっそりと剥がしやがったんです」
「えっ、何のために?」
「工房証の仮発行手続きにかこつけた、袖の下目当てですよ。そういうこともあると注意されていたのに、完全に忘れていました。本当に申し訳ありません」
「でもそれって――」
「そうよ。スヴェンさんのせいじゃないわ。お金で解決できるのなら、ともかく相手と交渉するしかないわね」
フリーダが諦めた様にクエルに告げた。だがクエルとしては腑に落ちない。
「ギュスターブさんは宮廷人形師だけど、それでもこんなことをしたりするのか?」
「前にも言った通り、技官の連中は人形師とそれほど仲がいいわけじゃない。独立した島みたいなものだよ。御三家あたりにやれば、流石に差し障りがあるだろうけど」
「そうか、閥族じゃない僕らはいいカモということか……」
「そう言うことだ。だから俺が来ていたのに、なんて役立たずだ。本当に申し訳ない」
「ここにいるのは悪者なのですか?」
背後から声が響いた。そこには目つきを悪くしたムーグリィが、かなり機嫌の悪そうな、いや、殺気と呼ぶべきものをまとって検査官を睨みつけている。
「悪者?」
ムーグリィの台詞を聞いた検査官が首を傾げて見せる。まずい。ここでごねると、袖の下で通してもらうという手が使えなくなってしまう。
「あなた様を困らせるとはとっても悪いやつなのです。ムーグリィが……むごむご……」
背後に素早く回ったセシルが、ムーグリィの口元を押さえた。ムーグリィはそれでも何かをしゃべろうとしているが、セシルがそれをうまく押さえ続ける。
「我々は規則にのっとって手続きをしているだけで、悪者呼ばわりとは心外ですな」
そう告げた検査官が小さく咳払いをして見せた。
「ともかくこのままでは受け付けられませんので、工房証をお持ちいただくか、それがどこにあるかを示してもらわねばなりません」
「お嬢さん、今すぐ工房まで行ってきます」
すぐに走り出そうとしたスヴェンの腕を、フリーダが抑えた。
「スヴェンさん。今から行っても、往復の時間を考えれば間に合いません。他の手を考えましょう」
スヴェンがとても悔しそうな顔をしてギガンティスを見上げる。そうだ。セレンの工房証はどこにあるのだろう。胸の収納口にあるものとばかり思っていた。
「セシル、工房証がどこにあるか分かるか?」
クエルは暴れるムーグリィと一緒に、まるでダンスを踊っているみたいに動きまわるセシルに問いかけた。
「さあ、私は存じ上げません」
セシルが首を横に振って見せる。
「クエル、セシルちゃんに聞いても分かるわけないでしょう?」
フリーダがあきれた顔でクエルを見る。クエルからすれば、セシルの知らない物を自分が知るわけがない。そもそもセレンを作ったのは父だ。父が行方不明な以上、工房証の発行など出来るはずがなかった。
「こちらのセシルは父のエンリケが作成した人形です。導師の父は一年ほど前から行方不明です。なので工房証の発行は難しいのですが、どうすればいいでしょうか?」
「さあ、こちらでは分かりかねます。法務部の方へ相談してください」
クエルは思わずフリーダと顔を見合わせる。手続きを舐めていた。ここまで遅れたのは、フリーダが自分を助けに来てくれ、その結果ギガンティスが壊れた為だ。つまりは自分がフリーダに迷惑をかけたせいだと言える。
「フリーダ、僕が悪かった――」
そう言いかけたクエルの目の前では、フリーダが深々と頭を下げていた。
「クエル、本当にごめんなさい。一緒に申請に行きたいと言った私のせいよ。全部、全部、私のわがままのせい。クエルだけでも先に申請すればよかったの!」
「フリーダ……」
クエルはフリーダの手を取ると、慌てて頭を上げさせた。フリーダの顔には、クエルが今まで見たことがない、とても切なく、そしておびえた表情が浮かんでいる。
「相応の事情があれば、こちらで仮証の発行は可能ですが、それには個別に事情をお聞きする必要があります」
そう告げた検査官の目が、まるで舐める様にフリーダの体を見つめている。その視線に、クエルは心の奥から何かが湧き上がって来るのを感じた。フリーダにこんな顔をさせるなんて事はあってはならない。
そうだ。絶対に、あってはならない――。