審査
昼過ぎのだいぶ低くなった太陽の光を背に、クエル達は中庭に独立して建つ、レンガ造りの建物を目指して歩いていた。背後では一緒につれて行くように言われた人形達が、ぞろぞろとクエル達に続いて移動している。
ギガンティスの巨大な姿に、それに仕える侍従に見えるセレン。ムーグリィがサンデーと呼んだ、積み木のおもちゃにしか見えない人形。最後に優美な踊り子の姿をしたサラスバティと続く行列はかなりシュールだ。だがこの王都では見慣れた風景でもある。
「人形師の申請って、こんなに簡単だったとは知らなかったな」
クエルは最後を一緒に歩くスヴェンに声を掛けた。
「お前は馬鹿か?」
スヴェンが馬鹿にしたような、哀れむような表情でクエルを見る。
「何が?」
クエルは少しむっとした顔でスヴェンに問いただした。最近は色々な人から、似たような台詞を言われまくっている気がする。
「御三家を始め、閥族の連中なら書類だけでおしまいだけど、そうでない俺たちみたいなのは、あれしろこれしろと難癖をつけられて、半日はいびられるもんだ。袖の下を渡さなかったら、通してくれないなんて事だってあるらしい」
「へえ?」
スヴェンの言葉にクエルは当惑した。
「あの審査官はもともと人形省付属工房の人形師だった人で、うちの親父の知り合いさ。親父が言うには役所勤めが向かない不器用な人で、色々とぶつかったあげく、審査官に、閑職に飛ばされた人だよ。アルツの親父が声をかけておいてくれたんだ」
「それでか。こんなにあっさりと通してくれたのは……」
クエルは審査があまりにも簡単だった事について納得した。
「もっとも親父の声掛けだけではないさ。お前の親父さんが導師なのも、ギュスターブさんが宮廷人形師なのも色々と効いている。本当に世の中というのは、全く持って公平なところじゃないよな」
そう告げたスヴェンの顔は苦々しげだ。孤児だったスヴェンにとっては腹立たしいだけの話だろう。クエルは森の中で会ったフリーダに似た少女と、奇妙な人形を連れていたヘラルドという男性の事を思い出す。
誕生日会の帰りに、閥族の男に襲われたこと同様、彼らの事はフリーダにも話をしていない。二人は東領が王都にいる者たちによって、虐げられていると主張していた。
ヘラルドと名乗った男性は、クエルに期待すると言っていたが、どう考えても自分がどうこう出来る話ではない。クエルは頭を振ると、その記憶をどこか頭の片隅へ放り込もうとした。
「おい、相変わらず何をボケっとしているんだ。これから行く人形管理課は俺たちにとって鬼門だぞ。どんな意地悪をしてくるか想像もつかないぐらいだ」
スヴェンが肩をすくめながらクエルに告げた。
「でもアルツ師が声をかけてくれているんじゃないのか? それにギュスターブさんは宮廷人形師だ」
「声をかけるも何も、人形管理課と頑固者のうちの親父の相性は最悪だ。親父も親父でお世辞の一つや、ちょっとした袖の下を出せるぐらいの器用さがあってもいいんだけどな……」
スヴェンが頭をかきながらぼやいて見せる。クエルはその背中をぽんと叩いてやった。
「でも頑固じゃないアルツ師は、アルツ師じゃないだろう」
「そうだな。確かにそうだ。親父から頑固を取ったら何も残りゃしない」
「ふふふ」「ははは!」
「今回修理に時間がかかったのも、穿孔属性持ちの人形を片っ端から集めて、実験したせいだ。でも気をつけろ。もともと人形管理課をはじめとした技官の連中は、人形師たちを快く思っていない」
「そうなのか?」
「人形省の中の非主流派だからな。お前の親父さんが導師になってから、人形師への嫌がらせはより酷くなったという話だ」
「ええ!?」
「やっかみだよ。お前の親父さんは元人形技師にも関わらず、人形師に、それも導師にまでなった」
「でも普通は逆じゃないのか?」
「本当はそうだ。だけど一部の人間は、それを裏切りみたいに感じているらしい。俺から見たら、どう考えても英雄だと思うのだけど、世の中には心の狭い奴らが大勢いると言うことだな……」
「そこの男ども、何をしているの。さっさと来なさい!」
少し遅れた二人に、前をいくフリーダが声をかけてくる。
「まずい、またどやされる!」
そう告げたクエルに対して、スヴェンが背後に続く人形達を一瞥すると、少し不思議な顔をして見せた。
「クエル。お前、俺と話しながら人形を繰れるんだな」
「32829」
「何の話だ?」
「いや、なんでもない」
クエルがスヴェンと小走りにフリーダたちへ追いつくと、建物の角の先に、両開きの巨大な鉄の扉が見えた。優に二体の人形が同時に出入り出来るぐらいの幅がある。
クエルはフリーダに続いて検査棟の中へと入った。そこはとても巨大な人形工房のようなところで、横に長い建物の中に、いくつもの検査台が置かれている。台の上には様々な人形が乗せられており、重量の測定や動作の確認などを行っていた。
閑散としていた中庭と違い、多くの人たちで込み合っている。そこに居るのは世界樹を模したバッチをつけた、人形省の係官だけではない。左耳に白い水晶をぶら下げた、若い人形師の姿もあった。
全員が糊のパリッと効いた簡礼服を着ていて、外ゆき用とは言え、普通の庶民の服を着ているクエルたちとは違う、別の世界の住人に見える。その姿に、クエルはフリーダの誕生日会へ来ていた、若い閥族の男性たちを思い出した。
「うわ、ここは混んでいるのね!」
その混み具合を眺めたフリーダが声を上げた。そのよく通る声は、壁や天井に反響して思いのほか大きく響く。壁際に腰かけていた若い人形師たちが、フリーダの方をボーッと眺めるのが見えた。
フリーダ本人は気にしていないだろうが、その容姿はどこにいても目立つ。それに今日は侍従服姿の少女に、雪だるまとしか思えないかっこをしている謎の人物までついている。目立たない訳がない。
「受付って、空いているところなら、何処でもいいのかな?」
そうつぶやくと、フリーダは手近にいた技官らしき人の所へ走っていく。この辺りの行動力や、物怖じしないところは流石だ。
「クエル、まずい。やばい奴らがいる」
フリーダの後姿を眺めていたクエルの耳元で、スヴェンがささやいた。そして真ん中手前ぐらいにいる、作業着姿の集団を指さす。その中心には鳶色の髪をした背の高い男がいた。
「マイルズ工房のシグルズだ。うちみたいな中小の工房の人形技師の若手では、一番と言われている男だよ」
「人形技師? それのどこがやばいんだ」
「ここ一年ぐらい、あまりいい噂を聞かないんだ。ともかく人形師にけんかを吹っかけたりと評判がよくない。アルツの親父も説教したらしくて、こちらを逆恨みしている。あの中に俺がアルツ工房の人間だというのを知っているやつがいると面倒だ」
そう言うと、スヴェンはクエルの背後へとその身を隠す。クエルは彼らの前にある検査台を見て驚いた。
「なんなんだ、あれは?」
フリーダのギガンティスもかなり大きな人形だが、それよりさらに一回りは大きい。それにその姿は……。
「ファーヴニルだ。奴が作った竜を模した人形だよ。世界を三度滅ぼしたと言われている存在だぞ。それを模した人形を作るのは、俺たち人形技師の禁忌なんだ。だけど奴はそれを真っ向無視しやがった」
そう言うと、スヴェンは忌々し気に舌を鳴らして見せた。
「技術的に出来るのなら、何をしてもいいわけじゃない。そもそも世界樹は倒した竜の心臓から生まれたという伝承があるぐらいだ。下手したら、世界樹を管理する王家への挑発と取られかねない」
「そうなのか?」
一般に伝わる大地神パールバーネルによる世界樹創生とは違う話に、クエルは首をひねった。
「あまりおおぴらに言える話ではないが、俺たち人形技師に伝わる寓話だよ」
「でもあれだけ取り巻きがいるということは――」
「もともと腕もよかったし、面倒見もよかったから、その取り巻きも一緒にぐれちまった。うちの親父はもったいないと言っていたよ。人形師になるには世界樹の実があればなれるが、人形技師は腕がないとなれないってね。おっと……」
「スヴェン、その通りだよ。人形技師になるほうが遙かに難しい」
腕だけではない。新しい技術の開発には想像力も必要だ。父親のエンリケが尊敬されていたのは、今まで全くなかった人形を開発したからでもある。
「ぐれる前はエンリケさんの事をすごく尊敬していたらしいが、今では全ての人形師が敵みたいなことを言ってやがる。人形技師から人形師になったエンリケさんの事は、人形師よりも敵視しているぐらいだ」
「どうしてだ?」
「導師になってから人形技師の為に何もしなかったとか、単に難癖だよ。でもここに来ているということは、世界樹の実を手に入れて、選抜に出ると言う噂は本当だったんだな……」
そこでスヴェンは不機嫌そうにフンと、鼻を鳴らして見せた。
「さんざん文句を言っていた癖に、やっていることはエンリケさんと同じじゃないか!」
クエルは中心にいる男の顔をよく眺めた。確かに暗い影が漂っている感じがするが、やや彫りが深い顔はとても理知的に見え、とても狂気に染まる人物とは思えない。
「ともかく絡まれたりすると厄介だ。やつらに気が付かれないように――」
「はい、フリーダ・エイノールに、クエル・ワーズワイスです」
不意に係官と話をする、フリーダのよく通る声が響いた。ワーズワイスという言葉に、何人かが手を止めて、クエルの方を振り返る。クエルは慌ててフリーダに向かって口元に指を立てた。
「フ、フリーダ。ここは検査場なのでお静かに――」
「はあ?」
クエルの台詞に、フリーダが顔をしかめて見せる。
「それよりも、受付は出来たの?」
「もう、人に全部押し付けておきながら、何でそんなに偉そうなの!」