積み木
廊下の扉を抜けた先に、中庭と呼ぶにはあまりにも広い空間があった。そこには多くの人形が置かれており、見ようによっては、悪夢の中の異形が集う集会場にも見える。
それを眺めていたクエルの裾を、誰かが引っ張った。振り返ると、丸顔の少女が怪訝そうな顔をしてクエルを眺めている。改めて明るい外でみると、服装こそ奇抜だが、とてもかわいらしい顔をしているのが分かった。
「お前たちは何者なのです? ムーグリィはお前達など知らないのです」
ムーグリィと名乗る少女は、そのサファイアのように深く青い目で、クエルを睨みつけた。
「ムーグリィさん。初めまして、私はフリーダと申します」
固まっていたクエルに代わって、フリーダがにこやかな笑みを浮かべつつ答えた。
「初めまして? お前はムーグリィの事を知っていると言ったのです。お前は嘘つきなのですか?」
少女の言葉に、フリーダが苦笑いをして見せる。
「はい。先程は嘘をついてしまいました。でもどうかお許しください。お困りのようだったので、少しお手伝いをさせていただこうかと思ったのです」
「手伝い? お前は何の役にも立っていないのです」
「いや、手続きがすぐに終わっただろう」
クエルは二人の会話に割り込んだ。
「そう言うお前は何者なのです?」
「クエル、挨拶が先でしょう」
「あ、そうか。僕はクエル。フリーダと同じで、これから人形師になるところだよ」
「同じ? 何が同じなのか、ムーグリィにはよく分からないのです。だけどお前が人形師として、まだまだ駆け出しなのはよく分かるのです」
そう言うと、少女はクエルに向かって指を突き出す。
「な、ななな……」
クエルの口から言葉にならない声が漏れた。
「ぷっ!」
横ではフリーダが必死に笑いを噛み殺している。
「まあいいのです。駆け出しは駆け出しらしく、ムーグリィの手伝いをするのです」
「はい。ムーグリィさん。駆け出しとして、ムーグリィさんの申請のお手伝いをさせて頂きます」
フリーダの言葉に納得したらしい少女が、クエルから指を下ろしてうんうんと頷く。そして顔を上げるとセシルの方を見た。
「お前も何者です。それにその服はなんなのです?」
ムーグリィは興味深そうに、侍従服姿のセシルをジロジロと眺めた。
「こちらはセシルちゃんです。私の妹と言いたいところだけど、もったいないことにクエルの侍従さんです。でも私たちと一緒に、人形師になるんです!」
「妹? 侍従? ムーグリィには複雑すぎて、よく分からないのです」
困った顔をしたムーグリィに向かって、フリーダがさらに口を開こうとしたときだった。
「おい、クエル。何をしているんだ。こっちだ!」
クエルたちの背後から声が上がった。見ると、中庭の真ん中近くの運動場で、スヴェンがクエルたちに向かって手を振っている。
その横には馬車から下ろされた、ギガンティスをはじめとした人形たちもいた。
「あそこね。みんなさっさと手続きを終わらせましょう!」
フリーダがセシルの手を引いて走って行く。引っ張られるセシルが、フリーダの見えないところで、再びうんざりした顔をして見せた。
「駆け出しのくせにいろいろありすぎなのです。まあいいのです。駆け出しはムーグリィについてくるのです」
ムーグリィはそう告げると、フリーダの後ろに続いて、行進でもするかの様に大きく足をあげて歩いて行く。その姿はそっくり返った雪だるまにしか見えない。
クエルたちがスヴェンの所にたどり着くと、書類挟みを手にした初老の係官が人形の間から姿を現した。
「人形師の申請だね。書類の確認をさせてもらいますよ」
フリーダからまとめて書類を受け取った係官は、書類挟みにそれを挟むと、丁寧に内容を確認していく。
「おい、クエル。この雪だるまみたいなかっこをした子はなんなんだ?」
スヴェンがクエルの耳元でささやいた。見るとムーグリィがフリーダの背後へ隠れるようにしながら、チラチラとスヴェンの方を見ている。
「さあ、よく分からない。受付でほとんど門前払いを受けていたのを、フリーダが親切心で助けたんだ」
「フリーダさんらしいな」
「君たちの人形はどれかな?」
確認を終えた係官が、書類から顔を上げて問いただした。
「はい。私はそちらのギガンティスになります」
「僕はこちらのセレ、セシルです」
セレンの真名を呼びそうになったクエルが、慌てて登録名で答えた。
これについては、どうしてセシルちゃんと同じ名前をつけたのと、散々フリーダから文句を言われたが、流石に事情を話す訳にはいかない。
「私はそちらのサラスバティになります」
係官はクエル達が順番に答えるのを、書類をめくりながら確認して行く。
「そこのお嬢さんも、人形師の申請という事でいいのかな?」
係官はフリーダの背後にいた、ムーグリィの顔をのぞき込んだ。
「訳が分からないのです。ムーグリィはすでに人形師なのです。それがどうして申請など――」
「はい。そうです」
素早く背後を振り返ったフリーダが、ムーグリィの口をふさいで代わりに答えた。ムーグリィはフリーダに抱きかかえられながらも、何やらもごもごと言っていたが、諦めたように口を閉じた。
「その服は北領から来たのかね。この中央では申請が必要なんだ。そう言えば昔、北領にはとんでもない人形師がいたな。懐かしい話だ。それで君の人形は?」
「サンデーなのです。ムーグリィはサンデーと一緒に、一番になるのです!」
フリーダが口から手を離すと、ムーグリィが叫ぶように答えた。そして人形溜まりに置かれた一体の人形を指さす。
クエルはムーグリィの指の先にあるものを見て驚いた。そこには個性的としか呼べない造形物が鎮座している。頭には円錐形の帽子を被っていて、その下は単に太い円柱だ。そこには子供のらくがきみたいな顔が描かれている。
円柱の脇からは、小さな金属の部品をつないだ腕が両側に伸びており、その先には鍛冶屋が使う大きな丸い万力の手があった。下半身は箱型で、ボタンみたいな車輪がついている。これは誰がどう見ても……。
「積み木だ……」
クエルの口から言葉が漏れた。
「誰なのです。サンデーを積み木呼ばわりしたのは?」
ムーグリィが眦をあげて、辺りをキョロキョロと見回した。その目は殺気すら感じさせるものだ。
「違いますよ。素敵と言ったんです」
フリーダが慌てて言いつくろう。そして余計な事を言うなとでも言うように、クエルの方をじろりとにらんだ。
「あれは君の人形か?」
係官がムーグリィへ声をかけた。
「そうなのです」
「そうか、君のか。今朝持ち込まれてから注目の的だったよ」
そう言うと、係官はにっこりと微笑んでみせた。この人形を見て動じないとは、流石は人形省の係官だ。クエルはその余裕のある態度に、尊敬の念を抱いた。
「では順番にそれぞれ人形を動かしてもらう。そうだな。腕でも軽く繰ってもらおうか?」
そう言うと、手にした羽根ペンをフリーダへ向けた。
「腕ですか?」
フリーダはぽかんとした顔をしたが、前に置かれたギガンティスの方を向く。そして自分の右手を軽く挙げた。それに併せてギガンティスの腕があがる。
「よし、次だ」
次に指名されたセシルが、腕を前にして係官に挨拶をすると、サラスバティが優雅に淑女の礼をした。
「これはご丁寧に。では次」
クエルは右手をあげた。それに併せてセレンの右手があがる。
「では、最後に君だ」
そう言うと、係官はムーグリィの方を見た。
「ここで腕を使ってもいいのですか?」
ムーグリィが念を押すように係官に聞いた。
「ああ、別に腕以外でもいいが……」
「すぐに地面に伏せてください!」
そう叫ぶと、セシルはクエルとフリーダの裾を思いっきり引っ張った。
「サンデー!」
その呼びかけに、まるで蛇人形のおもちゃを思い起こさせるサンデーの腕が伸びて、ぐるりと回った様に見えた。もっとも早すぎて、その動きはよく分からない。慌てて腰を下ろした係官が、手元の書類を胸に必死に抱えるのが見える。次の瞬間だった。
ビュ――!
風切音と共に突風が吹いた。見ると小さなつむじ風が中庭を横断していくのが見える。その風に背後にいたスヴェンが、蹴鞠のように地面を転がって行く。その体をサンデーから伸びた腕が捉えた。
「気をつけてくださいなのです。これで準備完了なのです。ではこれから腕を動かすのです」
「いや、もう十分だ!」
係官の慌てた声が響いた。その顔には先ほどまでの余裕はない。
「ムーグリィ嬢」
係官は制服についた土埃を払いつつ、ムーグリィに呼びかけた。
「なんなのです」
「もしかして君は、名前が『ムー』で姓が『グリィ』なのではないのかな?」
「グリィ? 知ったことではないのです。ムーグリィはムーグリィなのです。それよりも腕を動かすのです」
「不要だ。全員人形師として人形を繰れることを確認した。この書類を持って、人形管理課で人形の登録を行い給え。それと帰りに、人形師の証である水晶の受け取りを忘れないように」
そう言うと、係官は横に長いレンガ造りの建物へ、手にした羽ペンを向けた。