人形省
「クエル。全部あなたのせいなのは、分かっているでしょうね?」
ギガンティスが乗った馬車の荷台を見上げていたフリーダが、クエルの方をじろりとにらんだ。ギガンティスの修理は思ったより時間がかかり、選抜の申請ぎりぎりだった。
その結果、人形師としての申請から人形の登録まで、全て今日一日で行わなければいけない事態になっている。
ただ一つだけ良かったことがあるとすれば、その間にクエルのギプスが取れて、両手が自由になったことだ。
「はい、フリーダ様。よく存じております」
これについて返す言葉などない。クエルは素直にフリーダに頭を下げる。だがクエルの台詞に、フリーダの眉がピクリと上がった。
「あなたが反省していないことはよく分かりました。それに私に張り倒されたいこともです」
フリーダがクエルの方へつかつかと歩み寄る。クエルは身の危険を察知すると、ギガンティスと一緒に工房から付き添いで来ていた、スヴェンの背後へと隠れた。
「早く行かないと、人形省の受付時間が……。それにギガンティスの修理に時間がかかったことについては、親方から頭を地面にこすりつけて、謝ってこいと言われています。誠にすいませんでした」
工房で見せる陽気なフリーダしか知らないスヴェンは、フリーダの冷たい視線に怯えつつ、地面につかんばかりの勢いで頭を下げた。
「スヴェンさん、冗談ですよ、冗談。本当に張り倒したりする訳ないじゃないですか?」
スヴェンの視線に気がついたフリーダが、作り笑いを浮かべると、顔の前で手を横に振って見せる。
「どの口が……」
クエルの口から思わず言葉が漏れた。
「なんか言った?」
クエルに掴みかかろうとしたフリーダの裾を、誰かが引っ張った。
「フリーダ様、先ほどスヴェン様が言った通り、少し急いだ方がよろしいのではないでしょうか?」
「そ、そうだったわね。クエル、あなたが余計な事を言うから、遅くなったでしょう」
フリーダはそう告げると、セシルの手を引いて、ギガンティスが乗せられている馬車の荷台へと向かった。
「あ、あの、フリーダ様。私はクエル様のお世話――」
「お母さんとマリエさんが、クッキーを焼いてくれたの。とっても美味しいわよ。それを食べながら一緒に行きましょう」
そう言うと、フリーダはクエルに向かって、あっかんべをして見せる。
「クエルには絶対にあげません!」
クエルは誕生日会で、大人の仲間入りとか言っていただろうと漏らしそうになったが、必死に口を閉じた。これを口にしたら、間違いなく血の雨が降る。
視線の先ではフリーダに引きずられていく、セシルのいかにも面倒くさそうな顔も見えたが、クエルは残されたスヴェンと一緒に、もう一台の馬車の荷台へと上った。
そこには帆布をかけたセレンとサラスヴァティが乗っている。
「ちぇ!」
クエルの隣で、スヴェンが大きく舌打ちをするのが聞こえた。
「どうして俺はお前と一緒なんだ? 俺もあっちの馬車がいい」
そう言うと、クエルの方をじろりと睨む。
「フリーダお嬢さんに、さらにセシルちゃんと一緒だなんて、どう考えても天国じゃないか?」
「そうか?」
クエルはスヴェンに首を傾げて見せた。あの二人に同時に挟まれるというのは、クエル的には地獄に近い。
「このお使いに行けるだけでも、どんだけ兄さん達にどつかれたことか? みろ、頭にたんこぶがいっぱい出来ているのが分かるか?」
「いや、さっぱりだ」
クエルの答えを聞いたスヴェンが、首を横に振って見せる。
「クエル、お前はフリーダさんとセシルちゃんの顔を毎日見られるだけでも、どんだけ幸福なことなのか、ぜんぜん分かっていないだろう?」
スヴェンの言葉に、クエルは心の中で頷いた。二人のおかげで、孤独を感じることなく日々を過ごせている。だけど、後どれだけこの幸福な時間を過ごせるのかは分からない。
かつてクエルは母が亡くなる直前まで、家族三人での幸せな時間が、永遠に続くと信じていた。それでもスヴェンの言う通り、今の自分が幸せなことには変わりはない。
「うん。確かに僕は幸せ者だ」
「はあ? こいつ、開き直りやがったな!」
スヴェンがクエルの頭を小突いた。
「い、痛い。お前は本気で人の頭を叩いていないか?」
「当たり前だ。お前が余計な事を言わなければ、一緒にクッキーを食べられたのかもしれないんだぞ!」
クエルとスヴェンは荷台の上で互いの胸ぐらを掴み合う。
「やっぱり男の子同士って仲がいいのね。二人でとっても楽しそう」
前を行く馬車の荷台をのぞいたフリーダが声をあげた。
「フリーダ様、あれは殴り合いというものだと思います」
セシルはフリーダに向かってそう答えると、うんざりした顔で肩をすくめて見せた。
クエルとスヴェンの二人は、人形省の入り口前に停めた荷馬車の横で、腕を組んで仁王立ちになったフリーダへ、頭を下げて立っていた。
「どうしてあなた達は荷台に乗っているだけで、目の周りに青たんを作っているの!」
フリーダの剣幕に、人形用の荷馬車の誘導員が、声をかけていいものか困った顔をして立っている。誘導員だけではない。人形省に出入りする事務員達も、何事かとクエルたちを眺めて行く。
それはそうだろう。赤毛の美少女が腕を組んで、少年二人を公衆の面前で説教しているのだ。
「そもそもこれが、どれだけ大事な手続きか分かっているの?」
「フリーダ様、言いたいことが山ほどあるのは分かりますが、ともかく先に手続きをしないと、時間がなくなるかと思います」
一通りの説教が終わったタイミングで、セシルがフリーダへ声を掛けた。
「その通りね。この件については、ちゃんと反省しているか、後で話を聞きますからね!」
そう言うと、フリーダはセシルみたいにフンと鼻をならしてみせる。
「人形は中庭の方へ、この人形用の通用門から搬入をお願いします」
やっと声を掛けることが出来た誘導員が、クエル達に指示を出した。
「はい。お手数をおかけしてすいません」
フリーダは誘導員にぺこりと頭を下げると、にっこりと微笑んでみせる。その姿にクエルは思わずため息をついた。
さっきまで鬼の形相(クエル比)で人の事を説教していた人物と、同一人物とは思えない。
「フリーダさんも、怒ったりすることがあるんだな……」
右目に青たんを作ったスヴェンが、クエルの耳元で囁いた。
「ああ、いつものことだよ」
「クエル、何か言った?」
左目に青たんを作っているクエルが、必死に首を横に振って見せる。
「まずは人形師の手続きね」
フリーダがクエルとセシルに声を掛けた。
「私は中庭で人形の確認をしますので、そこで皆さんをお待ちします」
スヴェンはそう言うと、搬入口の方を指さした。
「はい。よろしくお願いします。クエル、何をぼっとしているの。さっさと行くわよ!」
クエルはフリーダに引きずられるまま、人形省の建物の入り口の階段を上った。その後ろをセシルが小走りについてくる。
時間が少し遅めのせいか、入り口入ってすぐの受付のところにあまり人はいない。
「すいません。こちらで人形師登録ならびに、選抜への申し込みを行いたいのですが……」
フリーダが受付の女性へ声をかけた。
「今日一日でですか?」
女性が少し驚いた顔をしてフリーダを見る。
「はい。色々とありまして、同時の申請になってしまいました」
フリーダは女性に向かってぺこりと頭を下げた。
「後ろにいる皆さんも、同じ内容でしょうか?」
女性は怪訝そうな顔をすると、侍従姿で一番後ろに立つ、セシルの方をチラリと見る。
「はい。三人とも同じ内容です」
「推薦人はいますか?」
「私の父、ギュスターブ・エイノールが推薦人です。また手続きの費用に関する保証人でもあります。こちらがその書類と、業務によって同行できない旨の委任状です」
女性はフリーダから書類を受け取ると、それに軽く目を通した。
「宮廷人形師の方の推薦状をお持ちなのですね」
そう告げると、フリーダに対して急に職業的笑みを浮かべて見せる。そしてすぐに書類へ受付番号などを記入すると、奥の通路を指し示した。
「最初は人形師登録になります。そちらの廊下を抜けると中庭へ出ますので、この書類を担当者に見せて、係官の指示に従ってください」
「ありがとうございます」
クエルとフリーダは受付の女性に頭を下げた。セシルも丁寧に頭を下げて見せる。だが不意にクエルたちを押しのけて、小柄な人物が受付の前へ飛び出してきた。
その姿にクエルは驚く。背の高さはセシルと同じぐらいしかない小柄な少女だ。だが緑の三角帽子をかぶっており、白い厚手の服、裾広がりの白いスカートに、同じ色のタイツをはいている。
その姿はまるで雪だるまが帽子を被った姿を思い起こさせた。
「おかしいのです。ムーグリィの方が先だったのです!」
「順番が来たらお呼びしますので、席でお待ち下さい」
女性の素っ気ない態度に、雪だるまが頬を膨らませた。
「ムーグリィはもう待てないのです。このままではお腹が減って死んでしまうのです!」
もっと早い時刻に来て受付をしたらしいが、未だに対応されない事に文句を言っているらしい。人形師の世界は、王家と王族を別格とすれば、御三家を中心とした完全な階級社会だ。ここ人形省もそれを体現した組織と言える。
エンリケとギュスターブはその数少ない例外であり、クエルたちもフリーダの父のギュスターブの推薦状がなかったら、こんなにあっさりとは受付をしてもらえなかっただろう。
「ムーグリィさん!」
フリーダは大きな声を上げると、クエルの手を引っ張りながら、雪だるまのところへ駆け寄った。
「お前は誰なのです?」
丸顔の少女が、フリーダを怪訝そうに見上げる。
「あら、私の事はお忘れですか? でもこちらのクエル様は覚えていますよね!」
そう言うと、フリーダはクエルを少女の前へ差し出した。
「エンリケ導師の息子さん、クエル様です」
「えっ、クエル様?」
クエルは当惑の声を上げたが、フリーダに思いっきり足を踏まれる。
「いっ、はい!」
「導師の息子さんですか?」
先ほど受付した女性が、驚いた顔をしてクエルを見た。そして手元にある書類の写しを確認する。
「クエル・ワーズワイス」
ワーズワイスという姓に、受付ホール内に小さなざわめきが起きた。現在行方不明とはいえ、長きに渡って人形導師を務めた男と同じ姓だ。
受付の女性は書類を取り出して署名すると、ムーグリィと名乗った少女へそれを差し出した。
「これを持って、こちらの皆さんと一緒に廊下の先へ進んでください」
「ムーグリィはお前など知らないのです」
書類を受け取った少女が、再び怪訝そうな顔をしてフリーダを見上げた。
「はい。私はクエル様のおつきでお会いしただけですので、ご挨拶は出来ませんでしたが……」
フリーダは適当な事を言いながら、ムーグリィの腕を引っ張って、廊下を奥へと進んでいく。
「マスター、あれは何者だ?」
背後をついてきたセシルが、クエルに小声で囁いた。
「知らないよ。フリーダが親切心を出しただけだ。でも寸劇までやるとは思わなかったな」
「我はそんなことを聞いているのではない。あれは本当に人か?」
「えっ? 確かに変わった服を着ているし、まるで雪だるまにしか見えないけど、一応は人だと思うよ。い、痛い!」
セシルに足を踏まれたクエルが、小さく悲鳴を上げた。
「本当に分からないのか? やはりお前はおろかだな。あれはとても人と呼べるような者ではないぞ。我が眠っている間に、この世界では一体何が起きているのだ?」
「クエル、何をしているの! 時間がないんだからね。セシルちゃんも急いで!」
廊下の先からフリーダの声が上がる。その横ではフリーダに引きずられた雪だるまが、あっけにとられた顔をして、クエルたちを眺めていた。




