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実践訓練

「ではいくぞ!」


 セシルの声と同時に、クエルはセレンに己の意識を重ねた。その瞬間、暗闇だった周りが灰色に見えてくる。気づくと、セシルもサラスバティの姿もどこにもない。周囲からはタタタタと、何かが地面を駆ける音だけが聞こえてくる。


 その足音は河川敷の堤防で跳ね返り、どこから響いてくるのかよく分からない。クエルは自分が繰る、いや一体となっているセレンであたりを見回した。


 何かの影が視界を横切るのが見える。サラスバティだ。その動きはあまりに早く、その影しか捉えることが出来ない。あの優美な踊り子を模した人形が、これだけの早さで駆け回れる事に、クエルは驚く。これが本気になった人形の動きなのか? クエルがそう思った瞬間だった。


 ドン!


 背中から何かがぶつかる衝撃が走り、セレンの体が地面へ投げ出されそうになる。クエルは右足を踏ん張らせて必死に耐えると、セレンを半回転させて、背後を伺った。だがそこには何の姿もない。


 ドン!


 今度は斜め後方から衝撃が響く。その一撃に、セレンの体が再び大きく揺らいだ。クエルは片足を引いて、必死に体を支えようとしたが、足元から風切り音が響いてくる。


 次の瞬間、地面から刈り取られたセレンの体が宙を舞った。地面と空が入れ替わり、セレンの体は無防備に地面へ落ちていく。不意にクエルの目の前に、優美な人形の顔が浮かんだ。その長く美しい手は、セレンの喉元へ向けられている。


「マスター、チェックメイトだ!」


 その横で、お下げ髪をした人影が、セレンを覗き込んでいるのが見えた。セシルはつかつかとクエルの元まで歩いてくると、その足を思いっきり踏んづける。


「いてぇ!」


 自分に意識を戻したクエルの口から、思わず悲鳴が漏れた。


「お前は我の本身を何だと思っているのだ? もっと真面目に守れ。相手を見失うなど論外だ」


「実践訓練って、いきなりこんな激しいのをやるのか?」


「優しい実戦訓練に、やる意味などあるのか!?」


 セシルは不機嫌そうに問いただした。


「それはそうだけど。でも壊れたりしたら……」


「我は人形だ。人と違って、痛みなど感じぬ。お前が痛みとして感じている物は、お前の意識を我に重ねていることの副作用に過ぎない」


「そういう問題じゃないだろう!」


「何を言う。お前が我を完璧に繰れれば何の問題もない。この程度の訓練で壊れてしまうのであれば、それはそれで我の運命だったということだ」


「運命?」


「ろくでもないマスターと結合したという、ろくでもない運命だ。だが心配するな。我が壊れて失われたところで、お前の命に別状はない」


「ふざけるな!」


 クエルはセシルに叫んだ。


「何を怒っている。我は事実を言っているだけだぞ?」


「なにが事実だ。そんな小言を言っている暇があったら、もっと僕を鍛えてくれ!」


 クエルの言葉に、セシルは少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いて見せた。


「ふふふ、よきかな。では我から一本とってみよ。それが出来ぬようなら、所詮はお前の戯言だ」


「分かった。だけどセレン、君はものなんかじゃない。僕の運命共同体だ」


「そうだな。その通りだ。我の運命は常にお前と共にある」


 クエルはセレンの腰を回転させると、右足をサラスバティの頭へと振り上げた。サラスバティの体がそれを避けて、セレンの上から飛び上がる。腰に纏うスカートが、絹で出来ているみたいにふわりと浮き、足音も立てずに地面へと着地した。その動きは本物の踊り子の様に華麗だ。


 どうやらサラスバティの核は、器としての人形と、完璧な融合を果たしているらしい。踊り子を元としたその敏捷性を、十分に発揮している。クエルは足を回転させた勢いでセレンを起き上がらせると、そのまま左足を軸足に、右足で後ろ蹴りを放った。


 サラスバティは上半身を真後ろに倒してそれを避ける。とても人形とは思えぬ柔軟性だ。スヴェンが初めて組み立てた人形の性能に、クエルは舌を巻いた。


 だがクエルがそんな事を考える間もなく、サラスバティはすぐに態勢を立て直すと、セレンから離れるのではなく、身を低くしてセレンの下半身へと向かってくる。クエルはセレンの体は頑丈に出来ていると言っていたのを信じて、下半身へのタックルをそのまま受けた。その衝撃に耐えつつ、サラスバティの背中へ、セレンの肘を打ち下ろす。


 サラスバティは二組目の腕を上げると、セレンが打ち下ろした肘をそれで受けた。人ならば絶対にできない動きだ。しかも人形の関節の可動域は人と同じではない。サラスバティはそのまま体を持ち上げると、セレンの体を空へ向かって放り投げた。再びクエルの周りで空と地面が反転する。


 セレンの体はあっけなく地面に倒され、サラスバティの手と足に全ての四肢が押さえつけられた。そして二組目の手がセレンの喉元を締め上げる。


 自分の喉が押さえられているわけではないのに、クエルは息が詰まって、頭がボーっとしてきた。


「マスター、チェックメイトだ。相手の動きをもっと読んで行動しろ。だが動き自体は悪くはないぞ」


 セシルがクエルの背中をトンと叩いた。もう冬も近いというのに、額や背中には滝のような汗が流れている。それは肉体の疲れというより、自分の精神が何かを考えること自体を、忌避しているような感じだ。


「人形の特性をもっとうまく使え。人形の目は人の目とは違う。何かを意識すれば視界は狭まり、辺りを見回すつもりでいれば視界は広がる。そのときに感じる時間の長さも異なるのだ。その違いをお前の意識に刻み込め」


「分かった。次はもっとセレンの力を使ってやってみる!」


「そうだ。その意気だ。だが先ずはお前が我にすべきことをせよ」


 セシルは唇の端を持ち上げると、そのまま背伸びをして、クエルの唇にその小さな唇を重ねた。


 自分の心からセレンへ見えない線がピンと張られ、心の一部が流れて行く。同時にクエルはセレンの唇の暖かさを、その熱い吐息を感じた。


「ふふふ、これでよい。では続きだ」


 そう告げると、セシルは満足そうにクエルへ頷いて見せた。

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