奔流
「父さん、フ、フリーダが、フリーダが――」
クエルは父のエンリケに縋りついた。エンリケは東領風の裾まであるマントを開くと、クエルをそっと抱きしめる。クエルは物心ついてから、父にこうして抱かれた記憶はなかった。しかし今はその腕の中で、大声を上げて泣き続けた。
「クエル、彼女を救えなかったことをお前に謝りたい。遅れてすまなかった」
そう声を掛けてきたエンリケに、クエルは首を横に振った。
「父さんのせいじゃない。全ては僕のせいなんだ!」
自分が渓谷の入口を守り、フリーダに先に橋を渡らせていれば、ここに立っていたのはフリーダのはずだ。だがエンリケはクエルに顔を上げさせると、濃い茶色の瞳でクエルをじっと見つめた。
「クエル、それは違う。彼女の死に原因があるとすれば、それは我々人だ」
「人――?」
「人形は人の心の鏡だ。もう一つの自分と言ってもいい。人はそこに自分たちの欲望と力だけを求め、この世界を歪めた。その結果だ」
頭の中に、人形たちの言葉にならない悲鳴が響く。あるべき姿になれなかった者たちの慟哭だ。それを引き起こしているのは、人形たちではない。自分たち人だ。
「二つにして一つ……」
「誰の言葉だ?」
「セシルが、僕に教えてくれた言葉です」
「セシル?」
「父さんが残してくれた人形です」
「もう一人の子は、お前の人形だったのだな」
「あれを作ったのは私ではない、母さんだ。セラフィーヌは私など足元にも及ばぬ天才だった。人そっくりになる人形を発明したのも、セラフィーヌだよ」
「母さんが?」
「でも、母さんは人形について何も――」
クエルの前で、母親のセラフィーヌが人形について何かを語ったことはない。それどころか、家の中に人形の部品一つ置くのさえ、嫌がっていたとしか思えなかった。
「それはお前に特別な才能があることに気づいたからだ。セラフィーヌは家に保管していた世界樹の実とお前が、結合することなく、話をして遊んでいるのに気付いた」
「全く覚えていません……」
「まだ幼かったからだ。セラフィーヌはお前の行き過ぎた才能が、お前自身に害をなすことを恐れた。それ以来、セラフィーヌは私に家の中に核を置かぬように告げ、人形に関することも全てやめた」
「そうだったんだ……」
「完成させた唯一の人形も、地下の工房に封印した。寂しがるお前に与えたのが、あのピエロの操り人形だ」
クエルはそれが自分を地下室に導いたことを、そしてセシルとの出会いにつながったことを思い出す。
「セラフィーヌが見つけたお前の才能は本物だ。お前の人形とのつながりの強さが、人形を完璧な人と同じ姿にした」
「セシルは人形なんかではありません。フリーダと同じ大切な、かけがえのない存在でした――。でも全ては失われたんです!」
クエルの目に再び涙があふれだす。出来ることなら、このまま溶けて消えたいとさえ思う。しかしエンリケの大きな手が、クエルの体を支えた。
「私もセラフィーヌが帰らぬ人になった時、お前と同じ思いをした。その傷は決して癒えることはない。しかし、人にはそれぞれ生まれてきた役割と言うものがある。クエル、お前に与えられた才能は、決してお前だけのものではない」
「僕にはそんなものはありません。あったとしても無意味です!」
それを聞いたエンリケが、クエルを崖の前へと引きずっていく。そこから見える景色にクエルは息を飲んだ。森からは黒い煙が上がり、青い草原はただの焼け跡へと変わっている。まるで地獄のような光景だ。
「これを見ても言えるか?」
エンリケは崖の下を指さした。そこでは東領の流民たちが人形たちと戦っている。その中心に黒髪の少女、フリーダそっくりの姿をしたマーヤがいた。マーヤの横では長槍を掲げた騎士人形が、飛び掛かる人形たちをなぎ倒している。それを繰るのは自分より年下の少年、エーリクだ。
かつて自分を殺そうとした、そして王都の人々を心から憎んでいる人たちが、ここ国学の演習場で、暴走する人形たちを相手にしている。
「お前には彼らの声が聞こえるはずだ」
「声――?」
「あの者たちは人とつながる未来を奪われ、ただ人に従属してきた。彼らを救えるのはクエル、お前だけだ」
「救う? 僕があいつらを……救う?」
クエルの中に恐怖や怒り、様々な感情が渦巻く。
『嫌――!』『やめて――!』
それをかき消すように、サラスバティの核が上げていたのと同じ悲鳴が聞こえてきた。同時に東領の流民たちが倒れる姿も目に入る。
『外せ……外せ……お前の枷を外せ……」
心の中に例の声が響く。この地獄を消せるのなら何でもやってやる。
「繋がりたいのなら、僕とつながれ。そして僕の心を食い尽くせ!」
クエルは心に響く全ての声に、黒雲が流れる空に向かって叫んだ。次の瞬間、感情の渦が黒い奔流となってクエルの中に流れ込んでくる。それは無数の見えない手となり、クエルの心へ縋りついてきた。
『頂戴、頂戴――、あなたの心を、私に頂戴――』
クエルは黒いうねりに己の身を任せる。自分を形作っていたものが引き裂かれ、散り散りになっていくのを感じた。
『フリーダ――、セシル――』
『フリーダって誰だろう?』
『僕は――、僕は誰だろう――』
クエルの心が闇の中に消え去ろうとした時だ。
『マスター!』
誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。
『邪魔をしないでくれ――僕はもう消えるんだ――』
『マスター!』
再び声が響く。クエルの意識に漆黒の髪と緑色の目を持つ少女が現れた。少女の手には歪曲した剣が握られている。
『ラートリー……』
『私です。貴方の人形です!』
ラートリーは両手の剣を掲げると、身に纏う薄布を漂わせながら、静かに舞を始めた。それを避けるように、クエルの周りで渦巻いていた黒い奔流が距離をとる。やがてラートリーの舞に合わせて、クエルの周りをぐるぐると回り出した。
『同胞よ、自分が何者なのかを思い出せ!』
ラートリーの言葉に、黄色に輝く珠が次々と現れた。その光はクエルを囲む闇を払い、黄金色の光の壁で辺りを包む。
『我らは世界樹の実、人の魂に寄り添う者!』
黄金色の光が降り注ぐ中、クエルはラートリーが自分をそっと抱きしめたのを感じた。
「ついに封印が解けたな……」
エンリケは足元に横たわるクエルを眺めながらつぶやいた。人形同士がぶつかり合う鈍い音はもう聞こえない。代わりにこちらへ近づく足音がした。エンリケはマントをクエルに掛けて背後を振り返る。そこには大きな袋を背負ったヘラルドが立っていた。
「マーヤにすぐに戦闘を止めるよう合図してくれ。せっかくの戦力を減らされると困る」
ヘラルドは笛を短く三度鳴らすと、背負っていた袋をエンリケの前へ置いた。エンリケが袋の口をめくる。そこにはオレンジ色の髪と、蝋のように白い女性の顔があった。
「イフゲニアの亡骸です。核を失いました」
そう告げたヘラルドに、エンリケが首を横に振る。
「違うな。これはただの抜け殻だ。彼女は決して失われたりはしない。『大循環』に従い、あるべき所へ、世界樹の元へと帰ったのだ。それが君たち『世界樹の実』だろう?」
ヘラルドがエンリケに無言で頷く。
「それと、例の死体は早めに処分を頼む。最後に一目会いたいなどと言われると面倒だ」
エンリケがヘラルドの肩に手を置いた時だ。背後の木立から鳥たちが、強い風に煽られながら一斉に飛び立った。
ビュン――!
細いワイヤーに繋がれた手が、地面を這うように飛んでくる。ヘラルドはエンリケの体を押し倒すようにして、それを避けた。
「まだ人形が!?」
腰から短剣を抜いたヘラルドが辺りを伺う。
「人形もどきではない。本物の人形師と人形だ」
林の中から真っ白な丸い服を着た少女が姿を現した。その背後には積み木を重ねたような人形が続いている。
「エンリケ、父の仇を討たせてもらう!」




