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破綻

 墓地の地下通路の抜けた先は、王都の端を流れる水路だった。そこから川岸に出ると、クエルは迷うことなく、イフゲニアの地図に印されたチェスター家の別荘を目指した。それは王都の北側、ムーグリィの別宅があったのと同じ地域の外れにある。クエルたちは貴族たちの邸宅が並ぶ広大な林の中を、セレンの目を頼りに突き進んだ。


 水路を出て以来、セシルはずっと無言で前を見据えている。走り続けるセレンの体はもう限界に近かった。関節をつなぐ主要な部品たちが、加熱によって赤い光を放ち始めている。それでもセレンは速度を落とすことなく、夜の闇を進み続けた。


 辺りの景色は、いつしか貴族たちの広大な邸宅が点在する林の中を抜け、収穫前の秋播きの小麦が広がる農地へと変わっていた。天空を西に傾き始めた月が、夜風に波のように揺れる小麦畑を、ぼんやりと照らしている。ここまでくると、もう王都の外れと言ってもいい。


「マスター、あれだ!」


 不意に前を見つめるセシルが声を上げた。農地の先にぽつんと塀に囲まれた林があり、その向こうに二階建ての大きな屋敷、と言っても、閥族の物にしてはこじんまりとした建物の影が見える。セレンは速度を落とすと、その手前にあった農具小屋の影にその身を隠した。


「何をしている。すぐに突っ込むぞ!」


 そう声を上げたクエルに、セシルが首を横に振る。


「マスター、何かがおかしい。あまりにも無防備すぎる」


「きっと僕らがまだ国学を出ていないと思って、油断しているんだ」


「たとえそうだとしても、全く警備がないのは腑に落ちん」


 周囲を探りながら、セシルが首をひねって見せる。


「とはいえ、辺りに身を隠すところもない。いずれにせよ、当ってみる他に手はないか……」


 セシルの言葉にクエルは頷いた。


「僕らでフリーダを取り返すんだ!」


「マスター、了解だ。先ずは我と本身(セレン)で先行する。マスターは我の位置が分かる場所を維持しながら続け」


「分かった!」


 クエルはセレンから飛び降りると、すぐに麦畑に向かって走り出そうとした。その制服の裾をセシルが引っ張る。


「ちょっと待て、マスターの上着を我によこせ」


「はあ?」


「念の為だ。我の本身に持たせて、マスターがまだそこに居る振りをする」


 そう告げると、セレンは素早くクエルから上着をはぎ取った。その香りをかぐと、思いっきりいやな顔をして見せる。


「あの女の匂いがまだ残っておる。今度あんなことをしてみろ。その首を叩き落してやる!」


「あ、あれはその、きっと、大人のあいさつみたいなもので……」


 思わず言い訳をしたクエルの口を、セシルの唇がいきなりふさいだ。クエルの心がセレンの核とつながり、その一部がセレンの核へ注がれる。


「これでよい。いくぞ!」


 セシルは満足そうに頷くと、収穫を待つばかりの麦畑の中へ、セレンと共に飛び込んだ。その少し後ろをクエルが続く。やがて月明りに照らされる牧草地が見えてきた。辺りに視界を遮るものは何もない。その先に壁と木立に囲まれた屋敷も見える。誰も起きているものはいないらしく、どの窓にも明かりはなかった。


 セレンが麦畑から牧草地へ進み出た時だ。一陣の風が背後の麦畑を吹き抜けた。次の瞬間、何かがクエルの目の前を矢のように駆ける。


 ガキン!


 金属同士の激しくぶつかる音が辺りに響いた。セレンの持つ箒から、オレンジ色をした火花が飛び散る。何かがクエルの前を通り過ぎるたびに、火花が花火のように辺りに降り注いだ。セレンの目がこちらに向かってくる者の姿を捉える。


『ケンタウリ!?』


 神話上の生き物の姿にクエルは驚いた。蹄で大地を蹴りながら、真っ黒な馬体がこちらに突進してくる。だが馬と同じなのは下半身だけだ。上半身は長い髪を持つ優美な女性の姿をしていた。それが手にした銀色の刃を、恐ろしい速さでセレンへ突き出す。


 セレンは振り上げた箒でそれを弾き飛ばした。その勢いで反転して箒を振り下ろすが、そこに相手の姿はない。空振りした背後を再びケンタウリが襲う。セレンは素早く箒を動かすと、その一撃を辛うじて受け止めた。


『大丈夫か!?』


『我も本身も大丈夫だ。この開けた場所でやつの相手をしても無意味だ。防御に徹しつつ、屋敷へ突っ込むぞ!』


 地面に身を伏せながらクエルは頷いた。セレンが相手を引き付けてくれれば、そのすきを見て屋敷の中へ潜りこめる。


「ただの侍従人形ではないのね」


 クエルの耳に聞き覚えのある声が響いた。


「見かけと違って、機動力もあるオールラウンダーというところかしら?」


 声のした方へ顔を向けると、月明りを受けてたたずむ人影が見えた。その人物はつばのない帽子を被り、灰色を基調とした王都守護隊の制服を身に纏っている。


「クエル・ワーズワイス。そこに居るのは分かっているわ。すぐに人形を停止し、私の前に出頭しなさい」


『ア、アイラ教官!?』


「国学からの脱走は重罪よ。今なら懲罰なしに戻れるよう手配してあげます」


 再びアイラの声が麦畑に響く。


『マスター、無視しろ。この隙に間合いをつめるぞ』


「アイラ教官、了解しました」


 麦畑の中から上がった声にクエルは驚いた。どう考えても自分の声だ。


『な、なんなんだ!?』


『マスターの真似だ。これでやつ(アイラ)をおびき寄せる』


『真似って――』


『我を何だと思っておる。マスターの忠実な人形だぞ。声をまねるぐらい造作もない』


 セレンがゆっくりと麦畑の中を、アイラに向かって進んでいく。その胸には国学の紺色の制服を身につけた人物がいるのも見えた。


「私をなめているのね……。人形を停止しなさいと言ったでしょう」


 アイラのつぶやきと共に、ケンタウリが剣ではない別の何かを手にするのが見えた。


『マスター、相手の方が上手だ。今すぐ――』


 ヒュン!


 セシルの警告の言葉よりも先に、低く鋭い風切り音が辺りに響く。同時にクエルの胸に火箸をねじ込まれたような痛みが走った。あまりに激しい痛みに、息をすることさえままならない。その痛みに耐えながら、必死に顔を上げると、セレンの体に銀色の矢が突き刺さっているのが見えた。


『セ、セレン……!』


『か、核は避けた。マスター、お前は――』


 そこで再びセシルの言葉が途切れる。同時にクエルの胸の痛みも、何もなかったみたいに消え去った。


『セレン!』


 クエルは必死に呼びかけたが、何も答えは返ってこない。それだけではなかった。いつも感じることができたセレンの存在そのものが感じられない。


『つながりを切ったのか!?』


 目の前ではセレンが箒で矢を弾き飛ばしつつ、アイラの操るケンタウリへ向かって突進していくのが見える。だがすべての矢を弾き飛ばすことが出来ずに、さらに何本かの矢がセレンの体に突き刺さった。


「しぶといのね」


 アイラのセリフに合わせて、ケンタウリが次々と矢を放つ。それを見たクエルが、アイラに降伏すべく立ち上がろうとした時だ。その体を何かが抱きしめた。顔を上げると、フリーダにそっくりの顔をした人形がクエルを見つめている。


「サラスバティ!」


『はい、マスター、私です』


 クエルの心にセシルとは違う声が、かつてクエルが救った世界樹の実の声が聞こえた。


『どうしてここに!?』


あの方(セシル)の作戦です。私を置いていく振りをして、いざという時のためにマスターの後をつけました』


 そう告げると、サラスバティは麦畑の中をクエルを抱いて疾走した。視界の隅では、セレンがケンタウリの動きを止めるべく、上半身に掴みかかろうとしている。


 その隙をついて、サラスバティがツタを絡ませた屋敷の門を飛び越えようとした時だ。何かがサラスバティの足を掴むと、そのまま地面へ叩きつける。


 クエルの体は地面の上を何度も転がった。最後は砂地を滑ってやっと止まる。全身を走る痛みに耐えつつ、クエルが体を起こすと、身を起こしたサラスバティが腰の剣を抜いて、ケンタウリに立ち向かうのが見えた。


 しかしサラスバティが反撃を加えようとしても、ケンタウリの姿はすでにそこにはない。圧倒的な速さの一撃離脱の前に翻弄され続けている。それにサラスバティの動き自体にもいつものキレが無い。ただ剣を振り回しているだけに見える。


『そうか……』


 クエルはその理由を理解した。今のサラスバティを繰っているのはセシルではない。クエルの心の声に従ってサラスバティは動いている。クエルがケンタウリに勝つ方法をイメージ出来ずにいる以上、サラスバティに成す術はない。


 バン!


 フェイントを外されたサラスバティの体が、ケンタウリの蹄の直撃を受けた。そのままサラスバティの小柄な体は、ケンタウリの蹄によって地面に押さえつけられる。身動きできずにいるクエルの前に、穴だらけになった紺色の布が落ちてきた。


「セシル……」


 クエルはボロ切れと化した制服の上着へ手を伸ばそうとしたが、革のブーツによって踏みつけられる。


「やっぱり私をなめていたのね」


 頭上から声が聞こえる。顔を上げると、月明りを浴びたアイラが、クエルをじっと眺めていた。その背後では何本もの矢が突き刺さったセレンが、彫像の如く立ち尽くしている。


「この程度の()で、私に奇襲をかけたつもり?」


 ドン!


 アイラの振り上げた足が、クエルの腹へめり込んだ。その衝撃に、胃からこみあげてきた吐しゃ物が地面へまき散らされる。それでもクエルは、セレンに向けて這うように体を動かした。


「学生ごときが、本物の人形師をなめないで!」


 今度は後頭部に激しい痛みが走った。同時に視界の中のセレンの姿がぼやけていく。


『セレン……、サラスバティ……頼む……誰か僕に答えてくれ……』


 クエルの呼びかけに、何も答えは返ってこない。やがてクエルの意識は、虚ろな月の光の中へと溶けて行った。




 地面に倒れこんだクエルを眺めながら、アイラは小さくため息を漏らした。その顔にはどこかやり切れぬ思いを感じさせる。


「単なる父親の七光りと言う訳ではないのね」


 そうつぶやくと、動きを止めた踊り子を模した人形へ目を向けた。その先には全身に矢を受けた侍従人形の姿もある。


「クエル・ワーズワイス、あなたに恨みはないけど、ある人(フィリップ)にとってあなたの存在はとっても邪魔なの」


 動かぬクエルに告げると、アイラは一切の感情を消した軍人の顔へと戻った。


「あなたにはここで行方不明になってもらいます。ヒュロノメ、苦しまないように一撃でしとめて」


 アイラが傍らに控える半人半馬の人形(ヒュロノメ)に指示を出した時だ。


「待って――」


 不意に聞こえた声に、アイラは慌てて辺りを見回した。気づけば、門の前に小柄な人影がある。それはまだ幼い男の子で、道化師のような奇抜な服装をしていた。


「ソラン!」


 男の子はアイラの呼びかけを無視すると、西に傾き始めた月へ顔を向ける。


「命だけは許して」


 自分以外の何者かへ向けられたセリフに、アイラは空を見上げた。満月に近い月の中に、ぽつんと黒い影がある。それは瞬く間に大きくなると、防ぐ間もなくアイラに襲い掛かった。

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