協力者
セレンの腕に抱かれながら、クエルは国家人形師養成学校の広大な敷地を、出口に向かっていた。隣には同じようにセレンの腕に抱かれたセシルもいる。セレンの背後には、セシルの操るサラスバティも続いていた。
出口に向かう道筋には常夜灯の明かりもあったが、高く昇った月が十分に足元を照らしている。その中を一陣の風となって、セレンは走り続けていた。
『フリーダ……』
クエルの頭の中に、赤い髪をポニーテールに結んだフリーダの笑顔が浮かんだ。それがいつまでも自分の傍らにあるものだと思っていた自分は、一体どれだけ愚かだったのだろう。後悔の念と共に、焦る気持ちがクエルの心を焦がしていく。同時に、フィリップが自分たちに見せていた、屈託のない笑顔が目の前をちらついた。
『にこやかに握手をしながら、相手の腹を刺す――』
ジークフリードの言う通りだとクエルは思った。閥族とは何て奴らなんだろう。単に権力を持っているだけでなく、自分たちのような庶民を、同じ人として認めてすらいない。
フローラの年で、誰かの愛人にならねばならないなど、クエルは未だに信じられなかった。頭の片隅では、体が不自由なフローラにとって、他に生きていく手段がなかったのだとも思う。だがそれを理由に、人の尊厳を踏みにじっていいかは別の話だ。
『許せない!』
フリーダの信頼を裏切ったことを、いや、権力者たちの奢りを、クエルは心の底から憎んだ。
「マスター、焦るな」
不意にセシルの声が聞こえた。
「お前が救いたいのは赤毛か? それとも赤毛に対する独占欲か?」
その言葉にクエルは戸惑った。
「どんなことがあろうが、それを受け入れる覚悟を持て。その覚悟なしに、誰かを救うことなどできぬぞ!」
その通りだとクエルは思った。単にフリーダを取り返せば済む話ではない。フリーダが負った傷を含めて、フリーダを支え続ける。
「セシル、ありがとう。自分が何をすべきか分かったよ」
「赤毛が連れ去られてから、それほど時間は立っていない。相手が馬車で移動しているなら、十分に追いつける」
クエルがセシルに頷いた時だ。煌々と輝く光が、闇に慣れたクエルの視界を奪った。
『マスター!』
セシルの警告と同時に、セレンの体が道の横にあった大木の影へと移動する。その先を騎士を模した巨大な人形が、銀色に輝く槍と、百合の紋章が描かれた盾を手に、道を横切っていく。
木立の影から明かりの向こうを覗くと、灰色を基調とした制服を着た隊員たちが出口を固めていた。いや、出口だけではなかった。国学の敷地を囲むように、周囲を警戒している。
『王都守護隊!?』
クエルの口から驚きの声が漏れた。閥族の子弟が集まる国学は、普段から警備が厳しい。いくら有力者が訪問すると言っても、軍が出動してくるというのはただ事ではなかった。
「これも奴らの計画の一部だ」
人形が去ったのを見届けたセシルが答える。
「計画って!?」
「我らが後を追うことを分かっての対処だろう。権力者だぞ。やつらは使えるものは何でも使う」
軍までを動員する相手への悔しさに、クエルは唇をかみしめた。そこから流れた血が、口の中へと広がっていく。
「突破してやる!」
そう叫んだクエルの袖を、セシルが引っ張った。
「待て、相手は軍だ。選抜の時のようにはいかぬぞ」
「セシル、僕を止めるな。我、クエル・ワーズワイスは汝、セシル=セレンに――」
「マスター、我はお前を止めはせぬ」
完全に血が上ったクエルの頭に、セシルの冷静な声が響く。
「我は常にお前の潜在意識のあるべき姿に忠実だ。だが我らが正面から突っ込んだところで、あの囲みは破れぬ。先ずは我がサラスバティと共に、出口正面で陽動をしかける」
「それって、意味がないんじゃ……」
「相手もそう思うだろう。正面に目を引き付けておいて、どこか別の場所から突破すると考えるはずだ。我らはその裏をかく」
「裏……?」
「マスター、お前は振り向くことなく正面を突破しろ」
セシルの言葉にクエルは息を飲んだ。残ったセシルとサラスバティがただで済むとは到底思えない。黙り込むクエルにセシルは首を横に振った。
「この体で、マスターの子供が作れるか確かめるまで、壊れるつもりなどない。それにサラスバティの舞の力を舐めるな。あれはお前たち人の心を奪う」
「分かった。セシルとサラスバティを信じるよ。必ずフリーダを取り戻す」
「マスター、その意気だ――」
そう告げたところで、セシルが慌てた顔をした。
『我らの背後に何者かがいる!』
クエルは慌てて後ろを振り返った。月明りに照らされた人影が、こちらをじっと眺めている。
「イフゲニア教官!」
「もう消灯時間は過ぎているはずだけど、こんなところで何をしているのかしら? それに許可なしで人形を動かすのは厳禁のはずよね……」
イフゲニアはそう告げると、オレンジ色の瞳でクエルをじっと見つめた。
『マスター、作戦変更だ。こやつの相手は我とサラスバティがする。お前はともかく警備の薄いところを探して突破しろ』
「二人とも動かないでくれる。言うことを聞かないとお仕置きしちゃうけど」
クエルの耳が風の中に交じる不協和音を捉えた。すでにイフゲニアが操る大木を模した人形、ドライアドの触手によって囲まれているらしい。前に墓地でドライアドに締め付けられた時の痛みの恐怖に、心が張り裂けそうになる。
それでもクエルは勇気を振り絞ってセレンから飛び降りると、イフゲニアに向かって歩き出した。
『マスター、何をするつもりだ!?』
『僕に考えがある』
クエルは当惑するセシルに答えると、イフゲニアに対し、背筋を伸ばして敬礼をした。
「イフゲニア教官、発言を許可していただけませんでしょうか?」
「クエル・ワーズワイス学生、発言を許可します」
「現時点をもって、クエル・ワーズワイスは国家人形師養成学校を退学させて頂きます」
それを聞いたイフゲニアが、口に手を当てて含み笑いを漏らした。
「これは冗談ではありません」
「ごめんなさい。あなたがあまりにも一途すぎるから、ちょっと驚いただけ。国学は生徒からの自主退学は認めていません。それにそんな怖い顔をしていたら、お母さん譲りのかわいい顔がだいなしよ」
イフゲニアがクエルに手を下ろすよう合図する。
「そんなに外へ出たいわけ?」
「はい、フリーダを救うためです!」
迷うことなく答えたクエルに、イフゲニアは笑うのをやめた。再びオレンジ色の瞳でクエルをじっと眺める。
「そういうのは嫌いじゃないわ。二人とも、私についてきなさい」
そう告げると、イフゲニアは森の奥に向かって歩き始めた。




