表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
112/116

権力者

「き、貴様!」


 水浸しになったエドワードが声を荒げた。セシルが空になった水差しを振りつつ、あどけない笑みを浮かべて見せる。


「私が誰か分かっているのか!」


「随分と饒舌にお話しをされていましたので、お水を差し上げましたが、お気に召されませんでしたか?」


 顔色一つ変えずに答えたセシルに対し、エドワードが顔を真っ赤に染める。


『な、何をやっているんだ!?』


『マスターへの無礼の報いを与えただけだ』


 クエルの心の叫びに、セシルの冷静な声が返ってくる。


『水を掛けるぐらいでは生ぬるい。本来なら床に額をつけさせるところだ』


『相手は内務卿だぞ!』


『それがどうした。我は深遠たる世界樹の実の化身だぞ。それにマスターも()()()()()、こやつを殴ろうとしていたではないか?』


 クエルへ冷たい視線を向けつつ、セシルがフンと鼻を鳴らして見せる。


『心配するな。大したことではない。我のような者に正式な抗議などすれば、むしろ物笑いの種だ。とは言え、やはり不自然だな』


『不自然?』


『学生相手に、仮にも国の大臣とでも言うべき者が、こんな軽々しい態度を取るだろうか?』


「ラムサス君、すぐにアルマイヤーを呼んでくるんだ。この無礼者を拘束するよう伝え給え!」


 エドワードが水しぶきを上げながら、ラムサスに声を掛けた時だ。


「勝者をたたえると聞きましたが、随分と騒がしいのね」


 クエルの耳に、凛とした声が響く。


『なるほど、ムーグリィの腹痛も偶然ではないな。マスター、今宵の真の主役の登場だ。お前も頭を下げろ』


 セシルが侍従らしく、深々と頭を下げる。気づけば、テーブルについていた全員が立ち上がり、胸に手を当てて頭を下げていた。


「ここは国学です。そのような礼は不要なのでは?」


 アイリスはそう告げると、居並ぶ人々に向かって小首を傾げた。


「アイリス王女様、それがここでの原則ですが、何事にも例外は存在します」


 カルロスの答えに、アイリスは苦笑を浮かべた。


「まるで腫物みたいな扱いね。それとも、死にかけだった者への優しさかしら? それはそうと、エドワード内務卿――」


「は、はい!」


「随分と声を荒げていたみたいだけど?」


「お耳汚し申し訳ございません。こちらの侍女に無礼な振る舞いがありまして、それをたしなめておりました」


「ラムサスは私の執事なの。勝手に物を頼まないで頂戴」


「大変失礼致しました」


 エドワードは、張り出した腹に額がつかんばかりに頭を下げると、今度はクエルの方へ顔を向けた。


「そこの君、すぐにアルマイヤー卿を呼んでくるんだ!」


「本当に無礼ね」


「アルマイヤーには、今後このようなことがないよう……」


「内務卿、何か勘違いをしていない? 私はあなたに言ったの」


 アイリスのセリフに、エドワードは当惑した顔をした。その顔は先ほどとは違い、まるでかまどの灰みたいな色になっている。


「クエルさんは私の婚約者なのよ」


「えっ!?」


 エドワードが驚いた顔をしてクエルを眺める。


「そのクエルさんの友人であり、この晩餐会の料理を私と一緒に作ったフリーダさんを、随分と侮辱していたみたいだけど」


「そのようなつもりはありません」


「では、どのようなつもりだったのかしら?」


「私も没落貴族の出で、ほとんど庶民のようなものです。その親御さんの――」


「だまりなさい。とてもそうには聞こえませんでした。あなたは今宵の晩餐会の客としてはふさわしくないようです」


 アイリスはそう告げると、ラムサスへ顔を向けた。


「ラムサス、北領公には私から事情を話すことにしましょう。内務卿にはお帰りいただきなさい」


「アイリス様、承知いたしました」


「お待ちください、私は被害者で――」


 エドワードは何か告げようとしたが、ラムサスに首根っこを掴まれると、引きずられるように食堂を出て行く。それを眺めながら、アイリスは居並ぶ人たちに着席するよう促した。


「では皆さん、改めて勝者を称えることに致しましょう」


 アイリスはそう宣言すると、クエルに向かって、まるで雛菊を思わせる笑みを浮かべて見せた。


 * * *


 月明かりの下、エドワードは上着のしわを伸ばすと、背後にいるラムサスの方を振り返った。その顔を眺めつつ、ニヤリと笑って見せる。


「もしかして、やりすぎだと思っているのかね?」


 エドワードの問いかけに、ラムサスはうなずいた。


「いささか」


「道化をやるなら徹底的にだよ。そうすれば、演技だと分かっていても、本当かもしれないと思うじゃないか?」


「いずれにせよ、アイリス王女様は今宵のエドワード様の振る舞いに、()()()されていると思います」


 ラムサスのセリフにエドワードが首を横に振った。


「これはアイリス王女ではなく、ラムサス君、君への貸しだ」


「私は単なる王女様付の執事にすぎませんが?」


「ラムサス君、私は君のことを買っている。それに王家の方々に貸しなど作れないよ」


 無言のラムサスに、エドワードが口の端を持ち上げて見せる。


「何かをしてもらうことが当然の人たちが、私の貸しなど気にするはずがない。そんなものを気にしないのが権力者だ」


 そう告げると、エドワードは天高く上った上弦の月を眺めた。


「懐かしいな」


「エドワード様も、本当は学園の関係者ですか?」


「私は学園とも、人形とも全く縁がない元は庶民だ。彼らの態度を懐かしいと思っただけだよ。私にだって、彼らみたいに、理想に準じていた時があったのだ。信じられるかい?」


「人は常に変わっていくものです」


 ラムサスの答えに、エドワードが再び首を横振る。


「そうではない。変えられるのだ」


 エドワードはそう告げると、ラムサスに背を向けて、馬車だまりへ向かって歩き出す。その後ろ姿を、雲から再び顔を出した月が照らし出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ