審判
「どうやら私は君を誤解していたらしい。見かけはさておき、中身は立派な大人と言う訳だ」
エドワードはそう告げると、再び大きな声で笑い出した。
「はい。おっしゃる通りです」
不意に聞こえた声に、エドワードは笑うのをやめると、発言者の方へ視線を向けた。その先では、侍従服に身を包んだセシルが、あどけない笑みを浮かべて立っている。
「どういう意味かね?」
「私の身も心も、全てはクエル様のものです」
『何を言っているんだ!』
クエルは心の中で叫ぶと、慌てて辺りを見回した。
『何か問題でもあるのか?』
『大ありだ!』
フリーダの耳に入ったら命に係わる。ここが厨房なら、包丁を心臓に突き立てられている所だ。
『事実を述べただけだ。何も問題などない。それよりも、この道化も少しはマスターのことを見直しただろう』
クエルが必死に、この場をどうやって言いつくろうかと考えていた時だ。
「人形省の立場で言わせてもらえば、彼女は間違いなく人形師だよ」
クエルの耳に、ジークフリードの落ちついた声が響いた。
「選抜では当家の者を相手に、完璧な勝利を収めている。彼女がその年でそれを成したことを踏まえると、実に有望な人形師であると断言できる」
それを聞いたエドワードは、小さく肩をすくめた。
「ジークフリード卿がそう言うのであれば、そうなのでしょうな」
「君たちが仲良しなのはよく分かった。それはさておき、だいぶお腹も減ってきたよ。そろそろ晩餐会を始めてもらえないだろうか?」
テーブルの奥に座るカルロスが手を振って見せる。クエルは慌ててホスト役の席へ向かった。そこではいつの間にか現れたラムサスが、椅子を引いてクエルを待っている。
『おのれ!』
次の瞬間、セシルの怒声がクエルの脳内に響き渡った。
『マスター、お前のせいで、我の仕事が奪われたではないか!』
表情はそのままに、殺気を込めた目でラムサスを見つめる。
『僕のせい!?』
『マスターが道化ごときの挑発に乗るのが悪い!』
セシルはそう告げると、クエルの前へと進み出た。
「クエル様、席はこちらでございます」
ラムサスの前へ割り込むと、クエルが腰を下ろすのに合わせて椅子を前へ出す。
『マスター、ここからが本番だぞ。我の仕事を奪われぬよう、しゃきっとしろ!』
クエルは心の中で頷いた。セシルのラムサスへのライバル意識はさておき、フリーダをはじめ、皆が努力を重ねた晩餐会を、無事に終わらせないといけない。
「お忙しい中、本日は北領公主催の晩餐会にお越しいただきまして、誠にありがとうございます」
クエルはそう口を開くと、改めて晩餐会に集う人々を見回した。エドワードを除けば、誰もが温和な顔をしているが、全員がこの世界を代表する権力者たちだ。目には獲物を狙う鷹のような光を宿している。
『マスター、料理が仕上がったらしい。続きを急げ!』
「日頃から、国家人形師養成学校を支援いただいている皆様へのお礼として、二人の生徒を中心に、お食事の用意をさせていただきました。ささやかではございますが、心行くまでお楽しみください」
重圧に胃が縮みあがるのを感じつつ、必死に言葉を続ける。
「また召し上がった後で、どちらの料理がお好みだったか、率直な感想を教えていただけると助かります」
「なるほど!」
クエルの挨拶が終わるや否や、ルイスが声を上げた。
「料理人が二人と言うことは、本日の晩餐会は国学形式、つまりは決闘だな。我々は北領公から、その裁定役を任されたという訳だ」
「あ、あの、決してそのような物では――」
言い淀んだクエルに対し、ルイスが頷いて見せる。
「何事にも決着をつけないと気が済まない。ここはそう言う所だ。カルロス、そうだろう?」
「御託はいいから、まずは私に食事をさせてくれ。さっきからいい香りがしてきて、気になってしょうがないのだ」
チーン!
カルロスの言葉を待っていたみたいに、料理の準備完了を知らせる鈴の音が響いた。それに合わせて、クエルの背後に控えていたラムサスとセシルが動き出す。二人は腕に二つの皿を載せて戻ってくると、クエルをはじめ、各席にそれを配膳した。
それはまるで合わせ鏡のような情景だった。二人とも完璧な姿勢を維持したまま、何の音も立てずに皿を置いていく。だがクエルはその完璧な配膳よりも、目の前に置かれた皿に驚いた。
『同じ?』
テーブルの上にはまったく同じ料理、ムニエルと野菜の付け合わせが盛られた皿が二つ置かれている。
「同じ料理ですか? しかもムニエルとは――」
皿を眺めつつ、エドワードがつぶやいた。
「ルイスの言う通りだな。北領公は我らの舌と、良心を試すつもりらしい」
カルロスの言葉に、エドワードが当惑した顔をする。
「ですが、北領公主催の晩さん会の献立としてはいささか……」
「ムニエルは嫌いかね? むしろこのようなシンプルな料理こそ、作り手の腕と、我々の舌が試されると言うものだ」
そう告げると、カルロスはナイフで切り取ったムニエルをおもむろに口に運ぶ。クエルも右側に置かれた皿からムニエルを口にした。次の瞬間、サクッとした小麦の生地の食感とともに、何とも言えない甘みが口の中へと広がっていく。
『お、美味しい!』
こっちがフリーダの作ったムニエルだったらしい。リンダの作るムニエルと勝るとも劣らない味がした。全てを黒焦げにすることしかできなかったフリーダが、この味を作り上げたかと思うと、まるで別の世界に紛れ込んでしまった気さえしてくる。
もっとも、これはフリーダ一人の力ではない。フローラをはじめ、料理を手伝ってくれた人たちのおかげだ。そう思った瞬間、クエルの脳裏に、フリーダの背中に寄り添いながら、フライパンの扱い方を教えるフィリップの姿が浮かんできた。それがクエルの心に重くのしかかってくる。
『僕は何を考えているんだ……』
フィリップの手伝いがなければ、この料理は出来ていない。クエルは頭からフィリップの姿を追い出すと、左側に置かれたムニエルを眺めた。
『これがアイリス王女の料理?』
たとえ同じ料理だとしても、庶民には決して手が届かない高級食材を使っていそうだが、フリーダのムニエルと特に変わりはない。よく見れば、端の方が少し焦げている。クエルは首を傾げつつ、それを口に含んだ。
「こ、これは――」
クエルの口から驚きの声が漏れる。その音は静まり返った食堂に大きく響き渡った。それを耳にしたエドワードが、クエルに辛辣な視線を向けてくるが、それすらも気にならない。
『同じだ……』
そのムニエルはほかでもない、クエルの母、セラフィーヌが作るムニエルと全く同じ味がした。どちらが美味しいかと聞かれれば、フリーダが作ったムニエルの方が圧倒的においしい。こちらのムニエルは火を入れすぎたのか、魚の身が固くなってしまっている。
その食感も含めて、料理好きではあったが、得意とは言えなかった母の料理そのものとしか思えない。気づけば、他の人たちはすでにムニエルを食べ終えようとしている。クエルは慌ててフリーダのムニエルの残りを食べると、デザートのマドレーヌへ手を付けた。
右側のフリーダが作ったと思われるマドレーヌは、中がしっとりしているうえに、焦がしバターの芳醇な香りがとても幸せな気分にしてくれる。もう一方、左側のマドレーヌは少し焦げた味がした。それに粉が玉になったらしく、舌触りがよくない。
『やっぱり同じだ!』
クエルは再び驚いた。粉が玉になって、少し舌ざわりが良くない点も、母と全く同じだ。うまく作れないと、母がリンダに作り方を教わりに行っていたのを思い出す。
『マスター、皆が食べ終わったぞ』
セシルの呼びかけに、クエルは慌ててナプキンで口を拭う。
「皆様、どちらの料理がお好みでしたでしょうか?」
そう問いかけたクエルに、ルイスが片手をあげた。
「なんでしょうか?」
「せっかく国学まで来たのだ。国学方式で白黒をつけたいと思うが、どうだろう?」
「国学方式と言いますと?」
「右手と左手、美味しかったと思う方の皿を挙手する」
「確かに、そちらの方が率直で分かり易いな」
カルロスもルイスに同意する。クエルは残りの二人へ視線を向けた。どうやら二人とも、年長者たちに異論を挟むつもりはないらしい。
「では、美味しかったと思う方の挙手をお願いします」
味で言えば、間違いなくフリーダの料理の方が格段においしい。
『料理は味だけで決まるものなのだろうか?』
そんな思いとともに、クエルはいつの間にか左手を上げていた。




