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代役

 フリーダは鍋から小皿にスープを注ぐと、クエルへ差し出した。緊張した面持ちでクエルを眺める。クエルはスープを舌の上で味わうと、フリーダに頷いた。


「どう?」


「リンダおばさんのミネストローネと同じだ。とってもおいしい!」


 クエルのセリフに、フリーダが満面の笑みを浮かべる。車椅子に座るフローラの手を取り、うれしそうに飛び跳ねた。


「フローラさん、これでスープは完成よ!」


「はい、フリーダさん!」


 それを眺めたフィリップが、おもむろに椅子から立ち上がった。


「では配膳に合わせて、メインとデザートの準備だね。魚の下ごしらえは終わっているから、ここからはフリーダさんとフローラさんにお願いするよ。僕は付け合わせの、ニンジンのグラッセとほうれん草のソテーをやろう」


 そう告げると、シャツの上から手際よく真っ白なエプロンを纏った。御曹子と言うのは、何をやっても様になるらしく、その姿は本物の料理人みたいに凛々しく見える。


 クエルは厨房のガラス戸に映る自分の姿を眺めた。そこにいるのは、穴の開いた黄色いエプロンを着る、いかにも頼りなさ気な少年の姿だ。


「フリーダさん――」


 不意にフィリップが、フリーダの元に歩み寄った。


「な、何か?」


 自分を見つめる青い瞳に、フリーダが慌てた声を上げる。


「さっき飛び跳ねたせいで、料理帽が斜めになっているよ」


 フィリップは口元に笑みを浮かべると、フリーダの料理帽へ手を伸ばした。ヘアピンで帽子を止め直す。


「あと少しだ。頑張ろう」


 そうフリーダへ声を掛けると、まな板の上でニンジンの皮を剥き始めた。その後ろ姿を、フローラがうっとりした表情で眺める。


「そ、そうね、あと少しよね。フローラさん、魚の水気を取って、小麦粉をまぶす手伝いをお願い。クエルはマドレーヌのオーブンの準備よ」


 クエルとフローラが、フリーダに頷き返した時だ。


 バタン!


 不意に厨房の勝手口が開く。そこから飛び込んできた人物に、クエルは驚いた。


「スヴェン!」


 クエルの顔を見たスヴェンが、いきなり床に両手をついて頭を下げる。


「クエル、一生のお願いだ。俺の代わりに、晩餐会に出てくれ!」


 そう叫ぶと、スヴェンは床に額をこすりつけた。


「それって、ムーグリィさんと晩餐会に出るのを、クエルに変わって欲しいということ?」


 フリーダの問いかけに、スヴェンが首を横に振る。


「違います。ムーグリィが俺に、主人役をやれって言っているんです!」


 スヴェンの答えに、クエルはフリーダと顔を見合わせた。


「今日の昼に、自分もやってみるとか言って、いきなり料理を始めたんです。出来たのは、黒焦げのクッキーが、とてもかわいらしく思える奴でした」


 そう口にしてから、その場にフリーダが居るのを思い出したらしい。しまったという顔をする。だがフリーダはそれを気にすることなく、とても心配そうな顔をした。


「それで、ムーグリィさんはどうしたの?」


「腹を壊して医務室へ直行です」


 スヴェンは顔を上げると、クエルの穴の開いたエプロンに縋りついた。


「やんごとなき連中の相手なんて、俺には絶対に無理だ。頼むクエル、お前しか頼る相手がいない。俺の代わりに主人役をやってくれ!」


 そう告げると、力なく床に手を着く。その姿を、クエルは呆気に取られて眺めた。


「フリーダの手伝いもあるし、無理だよ」


「そうかな?」


 厨房の奥から、フィリップが声を掛けてくる。


「クエル君は料理を作る訳じゃないから、彼がオーブンの世話をすれば手は足りる」


「えっ!」


 フィリップの発言にクエルは驚いた。むしろ、フィリップみたいな御三家の人間こそ、代理を務めるべきではないだろうか?


「僕はだめだ。料理の手伝いもあるし、おじい様が来賓で来るから、主人役(ホスト)はできない」


 クエルの考えを読んだらしいフィリップが、肩をすくめて見せる。


「アイリス王女に頼むというのは?」


「それこそ料理を作れないだろう」


『それならいっそ、体調不良で中止にした方が……』


 そう告げようとして、フリーダの傷だらけの指先が目に入った。あれほど料理の腕が壊滅的だったフリーダが、みんなと一生懸命料理を作っている。それを無駄にすることは出来ない。


『だけど、自分に主人役なんて勤まるだろうか?』


 考え込むクエルに、フリーダが頷く。


「無茶な頼みを聞くのが、親友と言うものでしょう?」


「そうだね、それが親友だね。分かったスヴェン。僕が主人代理をやるよ」 


 クエルはひざまずくスヴェンの肩に手を添えた。


 * * *


 国学の礼服に着替えたクエルは、動かぬようじっとしながら、タイを締めるセシルを眺めていた。


「このぐらい、自分でやるよ」


 そう告げたクエルに、セシルがフンと鼻を鳴らす。


「我にまかせるがいい。マスターが何度やっても、曲がったままだ」


「それよりも、配膳の準備はいいのか?」


「我の出番は、フリーダたちが料理を作り終えてからだ。先ずはお前を、我らの戦場に送り出さねばならぬ」


「戦場?」


「人形を駆るだけが戦さではないぞ」


 セシルが重厚なオーク材の扉を、顎でしゃくって見せた。そこからは晩餐会の来賓の声が響いてくる。


「これでよい……」


 そうつぶやくと、セシルはクエルへ鏡を見るよう合図した。いつもの紺色の制服ではなく、黒を基調に、袖に銀色の刺繡がある礼服を着た自分が映っている。その姿に、クエルは言葉にできない違和感を感じた。


 普段から簡礼服を着慣れている閥族とは違い、どう考えても似合っていない。クエルの代わりに、鏡の中の侍従服姿のセシルが頷いた。


「人形師もどきの連中などより、よほどに似合っている」


「でも僕なんかで、お偉いさん達の相手が出来るかな……」


 セシルが無言で、クエルの顔を自分の方へ向けさせる。つま先立ちになると、クエルの唇にそっと口づけをした。


『同期?』


 そう思ったが、同期の時に感じる、心がピンと張りつめた感じはしない。人の物としか思えない柔らかい唇と、その向こうから漏れてくる熱い吐息だけを感じる。


「な、なにを!?」


「お守りみたいなものだ」


 慌てるクエルへ、セシルが少し恥ずかし気な顔をする。


「マスター、お前は我に選ばれし人形師だ。もっと自信を持て!」


 セシルはクエルの背中を叩くと、前にそびえる、重厚な扉に手を掛けた。


 ギィ――!


 低い軋み音を立てつつ、扉がゆっくりと開いていく。光り輝くシャンデリアの明かりが目に染みた。


「お父様が実質的に引退してから随分経ちます。そろそろ正式に跡を継がれるべきではないですか?」


 そう声を上げた、錦糸の豪華な上着を着た中年男性が、ゆっくりと背後を振り返った。


「君は誰だ?」

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