戦友
カポーン!
空になった桶を置く音が、風呂場の中に響き渡った。フリーダは頭を振って被った水を跳ね飛ばすと、再び桶へ水を注ぐ。赤い髪を頬に張り付けた、オレンジ色の瞳を持つ女が、桶の中からこちらを見つめている。
「本当にダメよね……」
フリーダの口から思わず本音が漏れた。
「フリーダさん……」
体を洗い終えたフローラが、心配そうな顔でフリーダに声をかけてくる。
「弱音を吐いちゃうなんて、本当にだめよね」
「普通のことだと思います。でも――」
「こんなに料理が下手だとは思わなかった?」
フリーダの問いかけに、フローラは首を横に振った。
「私が兄に代わって食事を作り始めた頃は、本当に一杯焦がしました。フリーダさんは他のことが出来すぎるので、そう思えるだけだと思います」
「出来すぎ?」
「見えないところで、努力されているとは思いますが、それでもフリーダさんは、色々なことがすぐに出来る人なんだと思います。でも、できない方が普通なんです」
フローラのセリフに、フリーダは何かを思い出す顔をした。
「そうね。母から笛と踊りを習っていた時も、山ほど怒られはしたけど、見ていれば大体のことは出来た気がする。クエルがなぜ出来ないのか、とっても不思議だったもの。でも料理は違う。見ただけじゃ味は分からないし……」
「確かにそうですね」
フローラが苦笑いを浮かべる。
「初めて人形省でお会いした時も、フリーダさんはすごい人だと思いました。兄と同じく、人形技師だと勘違いしたぐらいです」
「私が……人形技師?」
きょとんとした顔をするフリーダに、フローラは頷いた。
「私の車椅子の仕組みを理解されてましたし、あのアルツ工房のスヴェンさんとも、普通に会話されてました。それで、そう思ったんです」
「クエルの付き合いで、工房に出入りしていただけよ」
「やっぱり、フリーダさんはすごいです。あの車いすは、兄が研究に研究を重ねた物で、普通は理解できません」
そこでフローラは何かを思いついたらしく、少し考え込む表情をした。
「これは私の考えですが、料理と人形を組み立てるのは、よく似ている気がします」
「料理と人形が似ている?」
「兄が言っていました。ネジを一本締めるのだって、常に正確な手順が要求される。料理も決められた分量を、決められた手順で作業しないと、同じ味にはなりません」
それを聞いたフリーダが、フローラの手を握りしめた。
「ありがとう!」
そう声を上げると、裸のままフローラの体をギュッと抱きしめる。突然の出来事に、フローラは顔を赤らめた。
「フ、フリーダさん!?」
「フローラさんのおかげで、やっと分かったの。味が感覚的な物だからと言って、それを感覚でやってはいけないのね!」
「そうだと思います」
「お母さんから送ってもらったレシピが、指示書みたいで、細かすぎると思っていたけど、それには理由があったんだ」
「拝見しましたけど、とっても素晴らしいレシピだと思いました」
「本当にありがとう。フローラさんのおかげで、頑張れそうな気がしてきた」
フリーダの顔には、いつもの向日葵を思わせる笑顔が戻っている。
「良かったです」
そう答えつつも、フローラはまだ何か告げたそうな顔をした。
「何か気になることでも?」
「料理とは関係ない話ですが……もちろん答えたくなければ……」
「フローラさんは私の親友、いえ、戦友よ。何でも聞いて」
それを聞いたフローラが、伏せ目がちに口を開いた。
「そ、その……クエルさんとのご関係は……」
「率直に言えば、幼なじみ以上恋人以下ね。別に将来を約束した仲じゃないわ」
「そうなんですか!?」
「幼い時からずっと一緒に育ってきて、近すぎるせいか、今までの関係を変えたくないのかも。でも、口づけぐらいはしたし……」
「口づけですか!」
フリーダが思いっきり慌てた顔をする。
「い、今のは忘れて!」
「フローラさんはどうなの? 気になる人とか――」
そこでフリーダは口をつぐんだ。フローラが置かれている状況を考えれば、あまりにも無神経すぎる問いかけだ。それに気づいたフローラが、フリーダへ首を横に振った。
「私のことはお気遣い無用です。人に後ろ指をさされたりもしますが、それがあったからこそ、皆さんにお会い出来たと思っています。それに少なくとも今は幸せです」
「本当にそう思っている?」
フリーダの問いかけに、フローラは頷いた。
「早くに両親を失ったせいか、兄は私の事をとても大事にしてくれました。でもあまりに過保護すぎて、まるで籠の中の鳥でした」
言葉を切ると、フローラは自分の足を指さす。
「この足ですが、兄に世界樹の実を渡すために、自分でジークフリード様のお屋敷に行きました。その帰りに、マクシミリアン様の人形の背中から飛び降りて負ったものです」
「フローラさん、それって……」
「取り返しのつかないことをしたと思い、死ぬつもりでした。マクシミリアン様がご自身の危険も顧みず、落ちる私を受け止めてくれました。そのショックで、足が動かなくなったんです。なので、兄がマクシミリアン様のことを恨むのは、完全な逆恨みです」
「そうだったのね……」
「その時、マクシミリアン様は私に、『君の命は君のものだ。しかしそれは君の命を自由にしていい、という意味ではない』と言われました。その通りでした。今回、少しでも皆様のお手伝いが出来て、本当に良かったです」
「うん。私たちは自分の為だけに生きている訳じゃない。お互いに支え合って生きている」
フリーダはフローラの足にそっと手を添えた。
「あなたの足は動かないかもしれない。でも私の手はそのぬくもりを感じられる。常に希望はあるわ。あきらめずに一緒に頑張りましょう」
そう告げると、フリーダがフローラへ、まるでいたずらっ子のような顔をしてみせた。
「それにフローラさんが、どうしてクエルの事を聞いてきたのかも分かった。フローラさんは、彼に憧れているのね」
「わ、私は――」
「よく分かる。彼はクエルと違って、とってもかっこいい人だもの」
「ク、クエルさんも素敵な人だと……」
「無理しないで。クエルはそんなセリフは絶対に言えない。でも私はクエルの方がいいな。クエルとなら、私がずっと私のままでいられる気がする」
「はい。私もそう思います」
フローラの言葉に、フリーダは素直にうなずいた。
「いつかその思いを彼に伝えたいと思ったら、私に教えて。二人でそのジークフリードという男を、殴り飛ばしに行きましょう!」
フリーダは両手で拳を作ると、それをフローラの前へ突き出した。