世界樹の実
WEB投稿小説においては、最初にこのような序文を書くことはほとんどないと思いますが、あえて書かせていただきました。このお話は、スピード感があり、ストレスなく読めて、それでいて面白い。”そうではない”お話も、たまには読んでみたい。そんな思いから書き始めた物語です。本作は、エピック・ファンタジーと呼ばれる海外長編ファンタジーのような重厚な世界観を持ちつつも、王道の幼なじみなど、日本のラノベならではの感性もふんだんに入れた作品を目指しています。
そのため、物語の冒頭で設定を並べるのではなく、登場人物たちの会話や行動を通して、この世界の成り立ちやうごめく陰謀が、少しずつ明らかになっていく構成にしました。おそらく最初は話の展開が遅い、よく分からないと思われてしまうところもあると思いますが、どうか広い心でお付き合いいただけたらと思っております。
一方で、海外の長編ファンタジーにありがちな、血の継承や社会的な立場、あるいは絶対的な悪、絶対的な善といった、善悪二元論的なものも極力排除するようにしています。この物語の登場人物たちは、誰もがそれぞれの背景と、譲れない信念を持っています。その世界で実際に生きている息遣いが感じられる――そんな物語も目指しています。それ故、群像劇のスタイルをとっています。主人公の視点だけでなく、相手方を含めて様々な視点から物語は語られます。
最後に、ちょっとネタバレになりますが、主人公の強さや成長の源泉も、西洋ファンタジーにありがちな、リーダーシップや血統、物理的な強さではなく、「共感能力」にしてあります。力を支配するのではなく、相手を理解し、受け入れること。そして、力を持てば持つほどその慢心が己を蝕むという、少し東洋的にも感じられる独特のスタイルを取り入れました。
このお話が作者だけでなく、皆さんで楽しめる作品になるよう、誠心誠意努力していきたいと思いますので、どうか最後までお付き合いのほどをよろしくお願い致します。
「マスター……」
――マスター? 誰の?
瞼を開けると、そこには見知らぬ少女がいた。
深い紫の瞳が、まっすぐ僕を見つめている。
「これが私とお前をつないでいる」
少女が僕に何かを差し出す。血を思わせる真っ赤な珠だ。それが本物の心臓みたいにドクン、ドクンと脈打っている。そこから伸びた赤い糸が、少女の胸と自分の胸へ伸びてくる。
だけど、自分の胸にあるのは――まるで、心臓など最初からなかったような。
――真っ黒な穴。
風が窓をたたく音にクエルは目を覚ました。なんてひどい白日夢を見ていたんだろうと思いつつ、テーブルの上に置かれた真鍮でできた、銀色の箱を見つめた。厳重に封印された箱の鍵を回すと、キーンという金属音と共に上蓋が開く。中には七色の光沢を放つ白い珠が、真紅のビロードに包まれ収められていた。
『世界樹の実』
この世の至宝。これ一つあれば、大きな屋敷が優に一軒立つほどの価値がある代物だ。なぜそれほどの価値があるのか。それは、この世界で絶大な力を持つ「人形」を動かすための、唯一無二の動力源だからだ。でも、実を組み込むだけでは人形は動かない。人と人形が世界樹の実を通してつながり、初めて人形は動く。人は人形を動かせる者を「人形師」と呼ぶ。
クエルはそれを慎重に取り出して両手に収めた。震える手の中で、それは金属の様にひんやりとした感触と同時に、生きものの持つ脈動も感じさせる。クエルは両手をゆっくりと前へ掲げた。その先には、紺色の侍従服に身を包んだ、まだ幼い少女の姿がある。しかしその目を瞑ったままの顔に、生気らしいものは全く感じられない。
それにあろうことか、少女の侍従服の胸元は大きくはだけられており、そこから僅かな胸の膨らみと、日の光に触れたことすら無さそうな、真っ白な肌を覗かせている。クエルは手にした世界樹の実を、そっと胸へと近づけた。そこには、人ならあり得ない大きな穴が開いており、ちょうど珠を収めるための機械仕掛けの台座になっている。
バン、カチリ、カチリ!
珠が胸元に収められた瞬間、機械音と共に、台座の周囲にある歯車やカムと言った機器がいきなり動き出した。台座に収められた珠が、金属の保護カプセルに収められて、淡い光を放ち始める。
クエルは少女から一歩後ろへと下がった。保護カプセルの隙間からは、すぐに目を開けていられないぐらいの眩ゆい光が漏れ出す。世界樹の実と人形の接続である「融合」の開始だ。クエルは精神を集中して珠の存在を探した。意識の中で、先程の白い珠が鈍い光を放つのが見える。
クエルは融合に続く次の段階、世界樹の実と己の精神の接続である「結合」を行うべく、心の中で光る珠に手を伸ばした。そしてそれを両手で包み込もうとする。
『熱――い!』
クエルは意識の中で悲鳴を上げた。実際には触れていないのだが、手が焼け落ちそうなほどの熱さだ。
『拒絶反応!?』
世界樹の実が自分を拒んでいる。それでもクエルは激しい痛みに耐えながら、世界樹の実に向かって必死に手を伸ばした。だが炎で焼かれたみたいな痛みが体中を駆け巡る。
「うああぁぁああ!」
自分の悲鳴にクエルは我に返った。顔をあげると、そこには相変わらず生気の感じられない少女の顔が見える。だがあの眩い光はもう何処にも見えない。慌てて自分の体に触れると、体中がまとわりつく汗で濡れてはいたが、自分の手や体には何も異変はなかった。拒絶する世界樹の実によって焼かれたのは、クエルの心であって体ではないのだ。
ガシャン!
不意に小さな機械音と共に、少女の胸元の保護カプセルが開いた。その奥の台座には、白い珠の代わりに、茶色くしなびた何かが乗っている。それは乾いた音を立てると、床の上へと転がった。
「ダメだったか……」
かつては世界樹の実だったものを眺めながら、クエルは大きくため息をつく。これが失われてしまった今、父の跡を継いで人形師になるというクエルの夢も、潰えてしまったことになる。
クエルは力なく立ち上がると、黒く厚い布で裏打ちされたカーテンを開けた。その隙間からは、夕刻の黄色い光が部屋の中へと差し込んでくる。そしてクエル以外は誰も住んでいない屋敷の居間を照らし出した。その奥にある暖炉の上には、このこじんまりとした居間には似合わない、大きな鉄の盾が飾られている。盾には巨大な世界樹に向かって傅く人の姿と、飾り文字が刻まれていた。
「|人形の導師《The master of marionette》」
この世界で偉大な力を奮う人形師たち。その人形師の中の人形師。マスターと呼ばれる存在に送られる盾であり、父のエンリケが国王陛下から贈られたものだ。
「もう一年だ……」
17歳の孤独な少年、クエルの口から独り言が漏れた。