7 紛失
「……では、話を戻しますが」
「うん」
「容姿と、この森で生きてこられた能力の高さを考えても、シエルは『至純の魔』で間違いありません」
「なんか、あまりピンと来ないな……」
「それは仕方ありません、今まで比較対象が居なかったんですから。ですが、私から見ればシエルはかなり特別な存在です。そして至純の魔の中でも、一際特異だと言ってもいいでしょう」
「そうなの?」
どこか他人事のように、シエルは瞳を瞬かせる。そんな彼にシフィアは一つ頷いて真剣な眼差しを向けた。
「至純の魔は魔力の色によりまた呼称が分かれますが、黒の魔力は――【漆黒】と言われています。これまで……存在しない、できないとされてきました」
「え……なんで? じゃあ僕は?」
「シエルは……世界でも初めての漆黒という事に、なると思います」
「おおぅ……」
そこでやっと事の大きさがわかってきたのか、シエルは自身の両手をわきわきと動かしながら見つめる。
「自分の才能が恐ろしいってやつか……」
「…………」
いや、やはりよくわかっていないかもしれいが、とにかく、シフィアは説明を続ける。
「これまでシエル程に成長した漆黒は、記録にはありません。そうであっただろう者は、皆十歳までに亡くなっています」
「十歳?」
「はい、人は五歳までに魔力の総量が決まり、十歳までの間に魔力が彩色します。しかし、漆黒の場合は、これまで例外なく全員が彩色と共に心が壊れるか、命を落としたと記録されています。心が壊れた者も、その後長くはなかったと」
「……なんで、そんな事に?」
手を下ろしたシエルは、流石にやや表情を引き締めてシフィアに訊ねた。
「理由は単純です。黒の魔力とは、非常に扱いが難しいものだからです」
「じゃあ……自分の魔力が自分を殺したってこと?」
「……そういう事になりますね」
一度シフィアは目を閉じ、開くと共にシエルに手のひらを向ける。
「先程の魔力の特性の話をしましょうか」
そして、もう片方の手を手のひらに添えた。
「『五柱の竜』に対抗するために生み出された原初の魔女、赤、青、黄、白、黒の魔力は、それぞれ五柱の竜と対となるような、異なる性質を持っています」
一本ずつ、添えた手で指を折りながら、シフィアは言葉を続ける。
「赤は火と力、青は水と守護、黄は光と生命、白は調和と創造。そして、黒は何だかわかりますか?」
最後に小指を残し、シフィアはシエルに問う。答えは直ぐに返って来た。
「破壊、かな」
「はい、正確には混沌と破壊になりますね」
「なるほど……」
どうやら、シエルは何故強い黒の魔力を持つ者が、これまで悉く短命であったのかを理解できたらしい。
「黒の魔力は、扱いを誤ると自身の心や身体すらも破壊します。強ければ強い魔力を宿す程、制御も容易ではありません」
「暴れん坊なのか」
「……まあ、平たく言えばそうですね」
「そんな感じはしないけど……」
「だから、あなたは特別なんですよ」
元々類稀なる才能があったのか、それとも環境がそうさせたのか。シエルは黒の魔力の制御に苦心している様子はまるでない。そこでふと、シフィアは思った。
「そういえば、シエルはその……目覚めた時から魔力の彩色は済んでいたのですか?」
訊ねると、顎に手を当てて思案していた様子の当の本人は、目を丸くして顔を上げた。そして、再び考え込むように顎に手を当てる。
「いや……多分違う……言われてみれば最初は爪とか黒くなかったな。この森で過ごした影響かと思ってたんだけど……そうか、あれが魔力の彩色だったのか。確かにしばらく魔力が扱い辛くなった」
「……ということは、シエルは十歳以下の頃に取り残された事になりますね」
言いながら、シフィアはもはや感心を通り越して呆れの様な感情を抱くしかなかった。魔力が彩色してしばらくは、黒の魔力でなくともその感覚の違いに大いに戸惑うものだ。近くに指導者も居らずそんな状態でこの地で過ごすなど、シフィアには考えられない。今ですら自分は黒の魔力の扱いには苦心しているというのに。
規格外、ですね。
「ああそうか、そうなるか。ところでシフィアは何歳なの?」
しかし、彼は自身の特異性よりもそんな事が気になるらしい。いや、というよりも関心があるのは――
「私は、十六ですね」
「ということは、僕は……」
「私よりも少し歳上だと思うので……そうですね、十八、九あたりでしょうか」
シフィアが答えると、シエルは満足そうに頷いた。
「よしよし、なるほど」
自分の事がはっきりとではないが一つわかって嬉しいのだろう。シフィアもふっと少し力を抜いた。
「まあ、僕がなんか変な奴って事はわかったよ」
なんか変な奴って。
シフィアは彼の軽い言葉にそう思ったが、今はその程度の自覚でも仕方ないだろう。
「でも……混沌と破壊って物騒だなぁ……」
「そうですね……そういった性質もまた、黒の魔力持ちが忌避される要因でもあります。もっとも、悪意でもない限りはそうそう他人に害を及ぼすものではありませんが」
「シフィアも苦労してる?」
何気ない調子で問われ、シフィアは一瞬言葉に詰まった。僅かに口元を震わせ、斜め下に視線を伏せる。
「……私は、そうですね……大変ではないと言ったら、嘘にはなります。ですが、もう慣れていますので。『黒祓い』になった事で、比較的に自由も与えられていますし」
「……ああ、黒の魔力持ちには自由もないのか」
「はい……今や黒の魔力持ちは十年前よりも厳しく一部の地域に隔離され……いえ、管理と言ったほうが正しいですね。そこから出る事は許可されていません。もしも理由なく外を出歩けば、何をされても文句は言えないような状態です」
「中々ひどいね」
「……私もそう思いますが、現状では仕方ありません。黒祓いになれば管理地域から出る事も許可されますが、先程も言った通り黒の魔力は本来非常に扱いが難しいものです。黒祓いになれるほどの者も、今や殆ど居ません」
「黒祓いには、何人くらい黒の魔力持ちが居るの?」
シフィアは、再び答えに詰まった。
「……もしかして、シフィア一人?」
その様子を見て察したのか、シエルは驚いた様に訊ねる。
「……それは大変だ」
「私が……特別優秀だというわけではないんです。ただ、今や『黒の民』に手を差し伸べる者も、魔力の扱いを指導できる者は殆ど居ませんから……。十年前の大災害で、黒の魔力を持つ黒祓いは、全員が死亡したとされていますし、実際に姿を消しています。……私に魔力の扱い方を教えてくれた方は、黒の民を救おうとはしていますが、非常にお忙しい方です、世界がこんな状況ではとても……」
俯いたシフィアの説明を黙って聞いていたシエルは、側に置いていたカップを取るとお茶を口に運ぶ。そして、しばしの間目を閉じていた。
「……つまり、僕はもしこの森から出られても、黒祓いになるか、そうでなければ管理されて生きるしかない?」
「……そうなります。漆黒であることと、経歴から見て、黒祓いにはなれるでしょう。意味はないと思いますが、私からも紹介と推薦はします。約束の相手の情報を集めたいのなら……いえ、そうでなくとも最低限の自由を得たいのであれば、黒祓いになる事を私は薦めます。無論危険は伴いますが……」
落胆しただろうか、失望しただろうか。
しかし、それがどうしようもない現実だった。
こうして改めて告げてみると、あまりにも酷な話だとシフィアの方が笑ってしまいそうになる程に、この世界は馬鹿馬鹿しい。
ああ、人とは本当にままならない。
シフィアも誰にも罪はないと理解していても、仕方ないと割り切ってはいても、どうしても昏い感情が胸中に渦巻いてくる。
「それとも……いっその事ここで二人で暮らしてしまいましょうか。その方がいいかもしれませんね」
薄い笑みを浮かべたシフィアの口から、思わずそんな笑えもしない、この森に独り取り残され生きてきた彼に向けるべきでもない冗談が漏れた。次の瞬間、自身が何を言ったか理解し、シフィアは口を抑える。後悔と共に、急いで謝罪しようと慌てて顔を上げた。
私は、何を……。
「す、すみませ――」
「いやここは微妙だよ?」
「あ、はい」
しかし謝るよりも早く、シエルに軽い調子でそう言われ、シフィアは拍子抜けした後呆然と頷いた。
「僕は他の所に住んだ事がないからわからないけど……多分、ここは微妙だ」
「…………」
微妙という次元ではないでしょう。
シフィアはそう思った。
「まあ僕は、もうシフィアに一生着いていくって決めたから、君がそう言うならいいんだけど」
いつそんな事を決めたんですか。
そして何故そんな風に決めてしまったんですか。
シフィアはそう思った。
「ここは微妙だよ?」
三度言われ、シフィアは薄目になる。
ああ、わかりました……これはあれですね、また冗談を言ってくれているわけですね。非常に伝わりづらいですけど。
まあしかしそれは、彼なりの気遣いであるのかもしれない。配慮の足りない、嘲弄するかのような気分を害す発言をしたシフィアに、きっとシエルは気にしていないと言ってくれているのだ。
ならばここはシエルに感謝し、彼に合わせて先程の発言はなかった事にするべきだろう。
「いや、まあそれよりもまずは、ここから出る手段を考えなきゃいけないわけだけどさ」
難しそうに眉根を寄せ、シエルはお茶を口に運びながらそう言った。
シフィアは一度目を閉じ、少しだけ胸を張って改めて彼に視線を向ける。
「それは私に任せてください」
ようやく、少しはシエルの役に立ち、黒祓いらしい事ができそうだ。
自分は殆どの事が彼に劣るだろう。純粋な実力だけを見れば、シエルは遥かに自分などよりも強い筈だ。
しかし、シフィアには、黒祓いには――『魔術』がある。
「ここまで不甲斐ない…………本当に不甲斐ないですね……」
安心させるつもりだったシフィアは、口を開きながらこれまでの失態の数々を思い出ししゅんと再び膝を抱え込んだ。シエルがカップを置いて不思議そうに首を傾げ、シフィアはぶんぶんと頭を横に振って弱気を振り払う。
「とにかく! 私はシエルのように強くはありませんが、あなたにはできない事ができます」
「おおー」
ぐっと顔を上げたシフィアに、シエルがぱちぱちと拍手を送った。悪気がないのがまた何か虚しくなったが、シフィアは今度は顔を伏せずに言葉を続ける。
「私の魔術は、空を飛ぶ事ができるんです!」
勢いのままそう言うと、シエルは大きく目を見開いた。
「え」
そして、ばっとシフィアの両手をにぎってくる。
「凄い! それは凄すぎるよ流石シフィア!」
興奮して喜色満面といった様子で、彼はシフィアの握った両手をぶんぶんと振り回す。
「い、いえ……そんなに……」
「いや凄い!」
激しく揺さぶられながら、あまりのシエルのリアクションの良さにシフィアは少し気恥ずかしくなり、若干頬を染めてきらきらと輝く彼の瞳から視線を逸らす。
それと同時に、そのゴツゴツとした傷だらけの手の感触と態度から、シエルがどれ程苦労し、どれ程この森から出る事を夢見ていたかが、改めて痛い程に伝わってきた。
されるがままだったシフィアは、そっと彼の手を握り返す。
「とりあえず、落ち着いてください」
「あ、うん、ごめん」
それでようやくシエルはぶんぶんと手を振るのをやめたが、シフィアの手は握り締めたまま言った。
「いや本当凄いよ。そうか、空から来たからあんな場所に引っかかってたんだ」
「引っかかってた……」
発見された時、自分はどれ程無様な姿だったのだろうか。一瞬そんな事を考えたが、興奮しているシエルにはシフィアの呟きは聞こえていないようだった。
「確かに、空を飛べるならこの森からも簡単に出られそうだね。はー……」
そう言いながらようやくシエルは手を離し、顎に手を当てて心底感嘆したかのような息を漏らす。
そんな彼を見ながら、シフィアはふっと微笑んだ。
「はい、ここは幸い森の端ですから、難しくはないと思います」
「魔術って凄いな……僕も使えてたらなあ……」
「魔術はわかるんですか?」
「どんなものかはなんとなく。でもどうしたら使えるのかはさっぱりだ。もしかして僕には使えないのかな」
シフィアはゆっくりと首を横に振る。
「いえ、シエルにも確実に魔術の素質があります。私以上に」
「でも、何度試してみてもダメだった」
「それは仕方ありません」
どれだけ才能と資質があったとしても、今のシエルに魔術は使えない。何故なら――
「魔術を行使するには、ある道具が必須になるんです」
「道具?」
「『魔杖』という特殊な――いわゆる杖がなければ私たちは魔力を体外に放出し、制御できません。体内の魔力で自身を強化する事と、触れているものに魔力を注ぐ事は、魔杖がなくとも可能ですが」
「へえ……なるほど」
「端的に説明すると、魔杖を媒介とし、魔力を用いて世界に干渉することで、超常的な現象を引き起こす、それが魔術です。魔杖がなければ、どれだけ試行錯誤しようが魔術を使えないのは当然なんですよ」
いたく感心した様にうんうんと頷いているシエルを見ながら、シフィアは微笑んで懐に手を入れた。実際に実物を見せた方が早いだろう。
シエルはきっと、凄い魔術師になりますよ。
魔術も使わずこの森で十年も生きたのだ。彼が魔術を行使できるようになったのなら、どれ程の存在になるのかシフィアには想像もできない。
そう思いながらシフィアはしばし上着の中を探り――
「…………」
笑顔のまま固まった。
「どうかした?」
「い、いえ……いえいえまさか……」
一筋の汗を流しながらそう呟いて、シフィアは今度は顔も向け、姿勢を変えて両手で何度も何度も上着の中を探る。
しばしの間必死に自身の身体を弄っていた彼女は、やがてその手を止め、非常に緩慢な動作で頭を上げた。
再びシエルと向き合ったシフィアの顔は、魂が抜けたかのように表情をなくし、酷く青褪めている。
「……し、しえ、る……わた、私の荷物、は……ぜん、ぶ……回収して、くれたんですよね……?」
「え? うん、多分近くにあった物は全部」
「ですよね……」
だとしたら、何故。
シフィアはいよいよ頭を抱えながら、気を失う前の瞬間を必死に思い出す。
そういえば、あの時私は手に魔杖を……!
そして、何故こんな事になっているのかの原因に思い至った。
がくりと、シフィアはその場に両手を着いた。
「シフィア……?」
そんな彼女へと、シエルが怪訝そうに訊ねる。
「は、はは……」
項垂れたシフィアの口から、どうしようもなく乾いた笑いが漏れ、酷く放心したかのような口調で彼女は呟いた。
「……………………なくして、しまったみたいです……」
「え?」
「…………魔杖を、なくし、ちゃいまし、た……」
二人の間に暫しの沈黙が訪れ、波の音と焚き火の中で薪の爆ぜる音だけが響く。
やがて、シエルがぽつりと声を発する。
「……あちゃー」
その緊張感の全くない声がどこか遠くで聞こえる程に、シフィアの頭は真っ白になっていた。