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5 色彩の魔女と五柱の竜


 遠い遠い昔、まだ神々が人と共に生きていた神代(かみよ)の時代、ある二人の人間がこの世に誕生した。


 双子の兄妹は、名をそれぞれカリアス、ニアと言った。


 神々より与えられし試練を乗り越え力を獲た二人は、その知恵と勇気、絆を認められ、この世界を治める役目を任せられたという。

 『双神』――カリアスとニアの誕生であった。


 他の神々が天上に昇る中、カリアスとニアは地上に残り人々と共に世界を繁栄させていった。


 しかし、いつからかカリアスとニアはどちらがより優れているかを競い合うようになってしまう。何が原因だったのかは定かではないが、二人の争いはそれまで築き上げたものを崩壊させるには充分に過ぎた。

 それを見た他の神々は呆れ果てこの世界を見捨て去ったという。


 だが、全ての神が最早始末に負えないカリアスとニアに愛想を尽かしたわけではなかった。

 他の神々が居なくなった後も、変わらずこの世界を見守り続けていた日神(ヒノカミ)ゼルバと、月神(ツキノカミ)シャリス。

 二柱の偉大なる神は荒廃した世界で、それでも戦いをやめないカリアスとニアに、二度と争い合う事ができぬよう、己の持つ力を全て奮い二本の大樹に変えるという罰を与えた。


 そうして、カリアスとニアが最後まで争い続けた地――今は『双子大陸』と呼ばれるその大地には、西と東にそれぞれ一本ずつ、二人の力を宿した天をつく程の大樹が生まれる。


 双神と呼ばれた二人の別の名は、『竜神カリアス』と『魔神ニア』といった。


 カリアスは己の身を後に竜と呼ばれるようになった存在へと自在に変えることができた。竜の姿となった彼はその尾の一振りで山を崩し、咆哮を上げれば大地は砕け、その息吹は何であろうとも灰燼と帰したという。

 ニアは己の内に秘めた魔力という膨大なエネルギーを自在に操る事ができた。あらゆる超常を巻き起こし、その華奢な腕を一度振るえば、彼女の周囲は天変地異の如き様相を呈したという。


 そんな二人が変じた大樹は、それぞれ『神竜樹』と『神魔樹』と呼ばれるようになった。殆ど左右対称の大地の西の中心には神竜樹。東の中心には神魔樹。

 有り余る神力を宿した二本の大樹は大地に豊穣を齎し、争い荒れ果てた世界に恵みを与えた。


 しかし、それも長くは続かなかった。


 ある時神樹は同時に、五つの実を枝に宿したという。そうしてその実からはカリアスとニア、それぞれの力を受け継いだ眷属とも呼ぶべき存在が生まれたのだ。


 神竜樹は力、守護、生命、創造、破壊の化身たる――『五柱の竜』を。


 そして神魔樹もそれに呼応するかのように、赤、青、黄、白、黒――『色彩の魔女』をこの世界に生み落とした。


 二人の眷属とも分身とも言える存在たちは、再び争い始めた。もっとも、憎悪をぶつけるかのように暴れる『五柱の竜』に対し、『色彩の魔女』たちは世界と人々を護るかのように戦ったという。

 色彩の魔女を始め、全てを滅ぼさんと暴走する五柱の竜に、魔女たちは初めの内は劣勢を強いられる。しかし、その後も神魔樹は次々と魔女を生み出し、やがて五柱の竜は討たれ神竜樹は沈黙した。


 争いを治め、自身たちを救った魔女たちを人々は崇め、共に安寧の日々を過ごした。


 『色彩の魔女』の時代の到来だ。


 だが、その時代もまた、終わりを迎える。


 最初に生み出された原初の内の一人――黒が突如他の魔女たちを殺し、力を奪い始めたのだ。あろうことか神竜樹までをも黒の魔女は呑み込み、世界は一時彼女の魔力に完全に染まってしまったという。


 暴走する黒の魔女に、残った他の魔女――赤、青、黄、白、原初の四人は立ち向かった。

 戦いは熾烈を極め、四人も無事とは言えなかったが、黒の魔女もまた討たれた。


 しかし彼女の残した傷痕――世界に満ちた黒の魔力は消える事はなかったのだ。


 力の弱まった原初の四人は、自身の魔力で塗り替えた領域から容易に出る事が叶わなくなっていた。そこで、彼女たちの代わりに人々が立ち上がる。

 この頃には、元はニアの力――即ち魔力の恩恵に預かり、自身の中にその力を持つ人類が生まれつつあった。


 原初の魔女もそういった魔力を持つ人々に任せる事で、自身は力を取り戻しながらそれぞれの領域を広げていったという。

 黒の魔力を祓う者達――『黒祓い(カラーズ)』の誕生だ。


 そうして順調に世界から黒の魔力は取り払われていく。

 しかし、黒の魔女の執念は原初の魔女、また人々が想定していたものよりも、遥かに強いものであった。


 そこで、原初の魔女たちはその身を投げ打つ選択をする。自身の生命を使い、黒の魔力をその執念ごと可能な限り浄化した。


 後のことは、自分たちの力を引き継いだ人類に任せ、世界を覆っていた黒の魔力と共に、色彩の魔女達もこの世界から姿を消したのだという。







「ふぅ……」


 シエルにこの世界の成り立ちを語っていたシフィアは、そこで一区切りついたと一つ息を吐く。


「粗茶ですが」


「…………ありがとう、ございます……?」


 すると、シエルはいつの間にか焚き火にかけていたボロボロの片手鍋から、何やら黒い液体をこれまた欠けてボロボロのカップに注ぎ、彼女の前に差し出した。

 シフィアは湯気を立てるそれに目を落とす。薫りは悪くない。おそらくこの森に自生する何かの植物の葉を煮出したものだろう。しかし、その色は真っ黒だ。


「まさか……今までこれをそのまま飲んでいたんですか?」


 カップを両手で持ち上げながら、シフィアはシエルにそう訊ねた。


「え? そうだけど」


 確かに……黒の魔力持ちであれば、『黒化』には強い耐性があるので問題ないですが……。


 シフィアは首を傾げているシエルをじっと見たあと、静かに自身の魔力をカップの中の液体に注ぐ。すると、見る見る内に真っ黒だった液体は、その姿を琥珀のような色に変えた。


「ほぉ……」


「誰にも教わっていないのなら知らないのも無理はありませんが、黒の魔力に満たされた食物などは、こうやって自身の魔力で一度浄化したほうがいいんですよ」


 感心した様子で顎に手を当てているシエルに教え、咥えていたキャンディを手に持つと、シフィアは彼の用意してくれたお茶を口に運んだ。


 あ、美味しいですね……。


 ふわりと優しい口当たりに、爽やかな香りと苦味。


 ハーブの類でしょうか。


「――え?」


 と、シフィアがそう思った瞬間、焚き火がふっと消え、同時に身体に強い衝撃を感じ彼女は地面に仰向けに倒れ込んだ。


 なに――


「シッ」


 声を上げようとすると、シエルの手が口を塞ぐ。見れば、彼はシフィアを覆いかぶさるようにして押し倒していた。身体と身体が密着するように重なり、シフィアの頬が熱を持つ。


「――静かに」


「……」


「魔力を、抑えて」


 何が起こったのか理解できず、目を白黒とさせていたシフィアに、シエルはこれまで見せていない程の真剣な表情で囁いた。そのただならぬ様子に、シフィアはゴクリと唾を飲みこくりと頷く。

 心臓が激しく脈打ち、シエルの体温を感じながら、シフィアは混乱する頭を落ち着かせつつ、口を塞がれたまま彼の様子を窺う。魔力の補助がなければ、焚き火も消えたこの黒く暗い地下室の中など殆ど何も見えない。しかし、触れ合うほど間近にあるシエルの顔だけは辛うじて視認できた。


 彼は、地下室の天井へとじっと鋭い視線を向けている。


 波の音と、うるさい自身の心臓の音、そして微かなシエルの呼吸音。

 それらだけが聞こえていたシフィアの耳に、やがてそれは届いた。


 まるで、何か巨大な生物が地を踏みしめるかのような音。

 そして、地下にまで伝わる振動。

 天井から、その揺れにより僅かに埃や砂が落ちる。


 徐々に近づいてくるそれに比例して、シフィアの身体は凍てつくような怖気を覚えた。服も、肌も通過して直接胃の腑を握られ撫で回されるかのような、悍しい気配。

 全身を舐るかのようにそれはまとわりつき、吐き気を催させる。


 知らず内に、シフィアの身体はかたかたと震え、全身からは滔々と汗が流れていた。


「ふ……ふ……ふ……」


 抑えられているシフィアの口から、微かに恐怖により息が漏れ出る。


 一つ間違えれば気が狂いそうになる程に激しい不快感を伴う寒気と怖気に、いつしかシフィアの視界は涙でぼやけていた。


 それが地下室の真上に来たであろう時には、シフィアは歯をカチカチと鳴らすほどに身を震わせていた。


 キャンディ……を……。


 発狂し声を上げそうになりながら、シフィアはぼんやりとそう考える。しかし、何時ものそれはお茶を飲む際に口からは取り出し、倒れた際に手からも何処かに転がり落ちてしまった。それでもキャンディを求め、シフィアは混乱し白濁する思考で、気づかぬ内に自身の口を抑えているシエルの手を血が滲む程に強く噛んだ。


 一瞬、驚いた様にシエルは天井からシフィアへと視線を向けたが、直ぐにその視線を和らげる。


「大丈夫」


 そして、安心させるかのように小さな声でそう囁くと、シフィアの頭を抱え込むように片腕で優しく抱いた。


 あたた、かい……。


 その温もりに、シフィアの恐怖が僅かに和らぎ、思考は落ち着きを取り戻す。徐々に徐々に、身体の震えも治まり、しばらく探るように地下室の上を歩いていた何かの気配が遠ざかっていく頃には、もうシフィアは怯えてはいなかった。


「ふぅ……」


 それが去ったあとも、少しの間シエルは警戒するかのようにシフィアを抱いたまま目を細めていたが、完全に安全だと判断したのか、一つ息を吐くとゆっくりと身体を起こしてシフィアから離れる。


「あいつは……匂いや音はそこまでだけど、魔力にかなり敏感なんだ。少しでも感じ取ればこうやって様子を見に来る。ごめん、先に言っておくべきだったね」


 今だ呆然と仰向けに倒れていたシフィアは、申し訳なさそうな表情で焚き火に再度火を灯し始めたシエルの言葉で、はっと正常な思考を取り戻す。そして、自身のミスに気づき顔を歪めた。


 黒獣が人の持つ魔力に対して鋭敏な感覚を持っている事など、黒祓いならば基礎の基礎の知識だ。故に黒化領域内では魔力の扱いには慎重にならなければならない。今のように身を潜めている状況ならば尚の事だ。


 無論シフィアもそれは頭にはあった。しかし、まさかこの程度の魔力の行使で嗅ぎつけられるとは思ってもみなかったのだ。それがあまりにも甘い考えだったと、シフィアは理解させられた。


「すみません……」


「いや、シフィアは悪くないよ。多分あいつが元々近くに居たんだ。僕もあのくらいなら大丈夫だと思ったから止めなかった。なんていうかまあ、運が悪かった?」


 手際よく焚き火に火を灯し直したシエルは、そう言ってにっと笑う。


「割と良くある。さっきみたいにじっとしてればどこか行くし」


 そんなあるあるみたいな……。


 シフィアはそう思ったが、シエルにとっては本当にそうなのだろう。対応も気配の消し方も完璧であった。何より、あの気を狂わせるほどの存在に対し、微塵も動揺してすらいない。


 対処するどころか正気を保つ事さえ一人では不可能だったシフィアとは、あまりにも経験値が違いすぎる。無論シフィアも黒獣と対峙する訓練は積んだが、あれは普通の黒獣とは次元が違う。直接見てすらいないというのにこの有様だ。


 本当に、この森で生き抜いてきたのですね……。


 頭では理解していたが、呑気な様子で再びお茶の準備を始めたシエルを見て、改めてシフィアは彼がどれだけ過酷な環境に居たのかを思い知った。


「あいつ、というのは……」


「ん? ああ、この森の主、かな。いつも我が物顔で歩いてる」


 やはり……今のが『(コア)』、ですか……。


 ある程度の規模の黒化領域となると、そこには核となる存在が居る。必ずしも生物の形態とは限らず種類は多岐に渡るが、いずれも核を討てばその黒化領域に満ちた魔力は薄れ、浄化が可能となるのだ。


 有益な情報ですが、移動するとなると更に厄介ですね……。


 領域内を自在に動き回る核の討伐は危険度が増す。奇襲、空振り、まず危険な黒化領域で捜索するところから始めなければならない。一定の場所に留まっていないというのは非常に厄介だ。生物タイプともなれば知能を有する可能性もある。強固に守りを固めている場合も厄介ではあるが、それでも戦力は整えやすく情報も集めやすい。


 しかし……何故移動できるというのに十年も大人しくしているのでしょうか……。


 黒化領域は核を中心にその勢力を広げる。故に、核が動き回る種の方が基本的には範囲を拡大させていく速度は早い。だが、あれだけの力を感じ、更に移動可能であるにも関わらず、黒死の森は今までその領域を広げる様子がなかった。


 いくら魔色壁があるとはいえ、今まで核について報告すら上がらなかったのであれば、先程のあれは魔色壁に近づこうとすらしていないという事だろう。


 何かこの地に固執する理由が……? そこまでの知能を宿している……?

 それとも、単純に力を溜めている……?


 後者のほうが可能性は高いだろう。事実、直接目にしていない者ですら、接近しただけで絶望を覚える程の力をあれは持っていた。


 先程の恐怖を思い出し、シフィアはゾッと身を竦める。


 ……え。


 と、同時に何か嫌な違和感に気づいた。


 力の入らぬ身体をゆっくりと起こし、確認する。


 湿っている。


 シフィアはふっと笑みを浮かべた。


 いやいやまさか、そんな日に二度も。


 そう思いながら再度確認する。


 湿っていた。


「…………」


 シフィアの目尻に涙が浮かんだ。一度青ざめ、今度は赤くなった顔を彼女は俯かせる。その肩はぷるぷると震えていた。


「…………あの……」


 俯いたままぎゅっと両拳を握り、蚊の鳴くような声をシフィアはシエルにかける。彼は、振り向く事なく彼女に応えた。


「その辺りの物は自由に使っていいよ」


「……はい」


「水も貯めてあるから好きなだけ使っていい。この辺りは雨が多いから困らないし」


「…………はい」


「大丈夫、あいつが初めてなら仕方ない。恥ずかしい事じゃないよ。僕も経験ある」


「…………お心遣い痛み入ります……」


 涙目でぷるぷると震えながら、シフィアはシエルの気遣いに礼を言うのだった。

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