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世界層の旅

作者: 灰色硝子

鳴り響く汽笛が発車を告げた。

また景色がゆっくりと流れ始める。

窓の奥と言えば、いつでもその先に広大な世界を映しているのがお決まりのようだ。

私の意識だって、或いは一つの窓であろうか?


速度が増してくる一方で、車両の揺れは次第に落ち着いてくる。

私は膝上に乗せた猫の背を撫でた後、読みかけの小説へと目を戻した。

しおり代わりに挟んでいた人差し指を退け、活字が示すもう一つの世界へと意識を沈めていった。

深く深く。周囲の音も絶ち切れる程、奥底の方へ。


揺らめく水の天井を透過して、太陽光線は水底の砂を撫でる。

「ねえ、お母さん。どうして向こうにあるサンゴ礁を越えてはいけないの?」

「ダメなものはダメなの。お願いだから、お母さんの言うことは素直に聞いて」

「はあい…」

坊やはつまらなさそうに泡をプクプクと吐いた。


「ねぇお父さん。どうして向こうのサンゴ礁を越えてはダメなの?」

「それはね坊や、サンゴ礁の向こうにはとっても恐ろしい怪物がいて、坊やのような小さな魚が近付けば、一瞬で喰われてしまうからだよ」

「それは本当? 凄いね。怖いね」

そういって坊やは興奮してヒレをゆらゆらさせた。


次の日、坊やはサンゴ礁を越えた。

そうするとすぐに何か大きくて硬いものにぶつかって、体の芯までがジーンと痺れるのがわかった。目の前には何も見えないのに、まるで壁があるみたいで、その不思議で堪らない感覚に、全身のヒレをゆらゆらさせてはしゃぐ坊や。わざと壁にぶつかったりして遊んでいる内に、今度は壁が完全には透明じゃないことに気が付き始めた。遂に壁が見えるようになった坊やは、壁がどこからどこまで続いているのか気になって堪らなくなり、壁にピッタリと身を寄せて泳ぎ始める。エビ達が住む海草のマンションや、ひっきりなしに泡が出てくる魔法の黒い岩、一昨日死んだ隣の女の子の家、自分の家、穴ボコだらけの禍々しい流木、それらを通って、最終的にまた同じ場所へと戻ってきた。なんだか世界の全てをいっぺんに知ったしまった気がして、坊やは全身のヒレをゆらゆら揺らした。そうして透明な壁を見ることにも飽きてきた頃、今度はその奥に、此処とは全く違った世界が広がっているのが見えた。見たことの無い沢山の色がある。見たことの無い沢山の形。身の竦む程の巨大な空間。坊やは興奮し過ぎて泡をプクプク吹き出しながら、全身のヒレをゆらゆらと揺らし続けていた。


 座席がガタガタと揺れを強める感触に、駅への到着が近いことを知らされた。私は読みかけの小説に今度は本物のしおりを挟んで閉じ、慎重に猫を抱えて立ち上がった。扉が開くと、外の世界の新鮮な風に頬を打たれる。実は先ほど小説を読んでいる最中にうつらうつらしてしまっていたので、風の冷たさがちょうど良い眠気覚ましに思えた。改札を抜けて駅を出ると、人間の足の速度で揺れつつ流れる景色もまた良いものだと思えた。腕の内側を蹴る感触があったので、私は猫を地面に降ろしてあげた。そのまま逃げ出してしまわないかと不安になったが、意外にもシッカリとしつけが成されているらしく、律儀にも私の歩調に合わせて並行した。冬が近いせいか、つい先ほどまでの明るさが嘘だったかのように辺りが暗くなった。スマートフォンの画面を点灯させて時刻を映すと、無機質な壁紙の中央に6時を示している。風もだいぶ冷えてきたようで、私は思わず首をすくませる。猫が小さくニャアと鳴いたその目線の先には、竜宮城さながらに壮麗な雲を侍らす満月の姿があった。私は思わず鞄からカメラを取り出して、世界の一部の時間を止めて、それを切り取り、一枚の小さな四角窓へと閉じ込めた。その時、私を置き去りにして前方を歩いていた猫はコチラを振り返った。その両目には強い輝きを宿していた。私のうしろがわ、つまり背中から強烈な圧を感じる。大型の車が発するようなエンジンの稼働音、そして急ブレーキの音が聞こえて、「アッ」と思った時にはもう遅かった。景色はスローモーションで再生され始め、私の手から放たれたカメラ。やがて、ゆっくりと回転しながら宙を舞うカメラのレンズはちょうど私の方を向いた。"自分のカメラと目が合った"そんな感覚が一瞬にして頭の中を駆け巡った。おもむろにシャッターが切られる。はぁ、何とか間に合ったようだ。もう大丈夫だよ。いや、危ない危ない。君の命はもうあと数秒後には壊れてしまっていたところだ。でも大丈夫、僕がこうして時間を止めて、ちゃんと生きた状態の君を保存しておいたからね。今後はこの小さな四角い窓枠を通して、僕が沢山の世界を見せてあげよう。おや、猫は自力でも無事なようだね。ほら、ご覧なさい。君を心配しているのか、何処か寂しげに鳴いているよ。


 猫の鳴く声で私は目を覚ました。

どうやら小説を読んでいる内に、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。珍しく甘えたい気持ちになったのか、膝の上の猫はその傍らに垂れている私の手のひらを舐めていた。車内の入り口付近上部に設けられた電光案内で、次の駅名を確認した。うっかり乗り過ごしたりはしていないようで、一先ず胸を撫で下ろす。窓を流れる景色の速度から測るに、まだまだ次の駅までは遠いようだった。「そういえば」と思って、胸ポケットに仕舞っていた茶封筒を取り出す。端から中身を引き抜くと、出てきた白い封筒は可愛らしい水色の魚のシールで綴じてあった。シールが破けない様にと慎重に剥がす。家を出る前に一度剥がしてあったせいか、懸念も虚しくそれは滑るように離れた。現れた一枚の便箋は何の材質か、相変わらず絹のように品のある手触りをしている。そして、そこに書いてあるのは何度見ても奇妙な程に懐かしさを湧かせる文字で、何よりその内容も奇妙なことこの上無いのであった。


-拝啓、観測者様-

あなたが三日前に拾った猫は、私が自宅で飼っている猫です。いや、むしろ私が飼っていた猫こそ、あなたが三日前に拾ってくださるであろう猫であったとも言えます。時間は後ろの方から前に流れているのと同時に、前の方から後ろにも流れているからです。世界の大きさは意識の定義によって様々で、ある世界では極大であるものが、またある世界では極小であることも有り得るのは言うまでも無い常識ですが、実はそれは単なる相対性の働きのみによって見出だされる概念だけならず、万象の宿す全方位稼働性の働き故でもあるのです。宇宙の真理が円である周知の究明の先に、宇宙内万物万象の球体性が明らかになるはずですが、それは勿論物質的に於いてのみならず、概念や感情まで含む精神的な全方位稼働性でもあるのです。よって、急で且つ無礼極まりない申し出であることも、大変にお手数であることも重々承知の上ですが、それでもどうか私の元へその子を届けに参られてくださいますよう、お願い申し上げます。どうか私の家に、僕を届けに来てください。


 手紙に書かれてある相変わらず理解しがたい内容になんだかモヤモヤとした心地になりながらも、やはり同時に懐かしさも湧き出てくる。私は視線を落とし、膝の上で丸くなっている猫を撫でた。その柔らかい毛の感触を改めて手の平に感じると、今度は安心感に包まれた。窓を流れる景色は夕日に赤らみ、見知らぬ田園風景や、古びた工場のようなもの、それに病院らしい白っぽい建物も時折混じっている。そんな光景を見ている内に、ちゃんと目的地までたどり着くことが出来るのだろうかという不安な気持ちが湧いてきた。しかし、そんな不安の裏には微かに好奇心もあるようで、非日常の感覚にワクワクしている自分が居る。何故だか私は、今日という時間を無性に愛おしく感じられていた。


<終>

この文章は4年ほど前の私が寝ぼけた状態で一気に書き上げていたようです。目を通してみると案の定稚拙な内容で、自分でも今ではよくわからないことが書いてありましたが、これでこれでヘンな味があって良いような気もしてきて、最低限の誤字脱字を修正し、作品として公開させていただこうという決心に至りました。一部、あるいは全て読んでくださった物好きな方々へ、感謝を申し上げます。いかようにか楽しんでいただけておりますと幸いです。

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