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スライム戦記・火種  作者: 宇佐見レー
2/15

スライムと姉妹と

 本ばかり、二つの扉が片方は人が屈まなければ通れないほどの大きさだが、それらが向き合うようにある部屋で簡素な窓際にテーブル一つ……先程まで夜であったのに蝋燭も無いその上に乗って、真っ白な本と正対する。

 白鳥から取った羽ペンを傍から見れば奇妙な持ち方で動かし、無い頭を使ってこの国が乗っ取られた時の事を書き記していく。

 私は、朝になってもまだ差し込まない日光に、仕方ないか、と一つしかない誰のかも分からない眼球を向ける。

 映る明るく眩い空、けれど瞼は無い。

 喧騒は堕落して尚商売こそが自分に残った物だ、と屋台を開く筋金入りの商人達の怒号だが、不意に別の音が聞こえた。

 荒くれもの共の他人を気遣わないやかましい声、響き渡る鈍い音、娯楽などあまり無いこの町で唯一の娯楽――――

 無い耳はそれほど良くない、が聞こえない訳ではない。

「よっ、と」

 人間のような呼吸のしかたに抜けていくしわがれた声、テーブルから飛び降りて迫りくる床板をへし折る勢いで落ち、ひとしずくポツリ、それを何倍にもした水音が鳴る。

 私は外へ繋がる扉を、昔は取っ手を掴むのにも苦労したものだが、今は小さいような大きいような体ですらりと押し開けた。

 外はまだ暗い地の底、私が真っ直ぐに向けた視線の先で、喧嘩っ早い誰かが他人からすれば金を使わずに楽しめる娯楽『喧嘩』をしているようだった。


 商人から荒くれもの達の人混み、熱を帯びた地団駄をするすると器用に避けていき、苦労もせずに騒ぎの中心地近く、どこに行っても日当たり悪い木製の長屋に囲まれた辻辺りに差しかかったところ、夢中になり過ぎた商人らしき風情の男に、突き飛ばされる老婆がいた。

 幸い、手作りの椅子に座って道の端にいたおかげで転びはしなかったが、抱えていた杖が代わりに転がっていってしまう。

 その老婆――いつもこの辺りで座り込み、息子を待つばあさん――ばあさんは杖を取ろうと手を伸ばすが、人の足だらけだ。取れる訳がなくましてや届く訳もなく、諦めてしまった。

「……」

 人の身勝手さに文句は言わないが、少しは周囲を見ることも出来るだろうに、私はそんな変わりのない風景に、杖のもとまで這うとひょいと杖を持ち上げた。

 使い込まれた杖だ。流石に人混みの中を横にしては持てず、私の体に少し突き刺して縦に持ち、道の隅で椅子に座ったまま蹲ってしまったばあさんのもとへ。

「ばあさん」

「おや……」私が呼びかけると、薄汚いローブに包まった顔を上げ「スラさんかい?」そう私の名を呼んだ。

「落としただろう」

 怪訝そうなばあさん、目が悪く見えていないのだ。仕方なく眼前に杖を傾けてやる。

「ん? こりゃ、わざわざ取ってくれたのかい」

 皺だらけの手をぬぅっと出し、顔色は変わらないが枯れた声色を喜色に染め、使い古された杖を手に取った。

「おお、ありがたやありがたや」

 再び嬉しそうに杖を抱え、私に拝むよう手を合わせるが、私は感謝されたくてした訳ではない。

「礼ならいい」

「ひょひょ、これが息子からの贈り物だと知っとるからじゃろ? あたしより長生きのくせして、ずうっと昔に話したのをよく覚えておるもんじゃ」

 遠い記憶を思い出すように空を見上げるばあさん、そうしなければもう、思い出せないのだろう。

「さてどうだったか」

「感謝は素直に受けるもんじゃぞ……してスラさんや、どうしてこんなところに?」

 見て見ぬふりも苦しく、一応ばあさんの手助けができたのだからさあ行こう、そう思ってここよりも熱く盛り上がりを見せる中心地へ向かおうとしたところ、ばあさんからそんな問いかけが来た。

 特に急ぎという訳でもないので、

「家の前で騒がれたらばあさんだって気になるだろう」

 と答えた、すると腰は曲がり、瞼が開いているのかすら分からない一見よぼよぼなばあさんは、歯の無い口で化物のように笑い、

「おひょひょひょ、この老いぼれ、息子が東で戦っておるのに怖気づくわけがなかろう!」

……どうやら長生きとは、人を逞しくするらしい。

 椅子の上で蹲っていたのが嘘のように、いっそう元気を取り戻したばあさんは、今度こそ杖を離すまいと抱えたのだった。

 元気になったばあさんに見送られ、人の足を掻き分ける。時々水のようなこの体を踏まれたとて、傷にはならない。

 ようやく最前列の足元へ行くと、喧嘩はもう終盤戦らしく「殺せぇ!」や「もっと深く!!」と観衆からの熱すぎる声援が飛び交っていた。

 地上から聞こえてくる馬車の音が主なこの地の底の町で、久しく聞いていなかった声である。

 さて一体誰が喧嘩をしているのか、私は観衆が円となったその中心にいる二人を見て、魔物ながら無い胸がきゅうと絞められた。この喧嘩、娯楽の喧嘩は喧嘩でも、荒くれもの共のただの喧嘩じゃない。

 私が知る限り、本当に殺し合いが起きてもおかしくない二人だったのだ。

「現国王に仕えながらスラさんと私の前に来るとは……この裏切り者が!」

 肩口の短い金髪を後ろにまとめ、切れ長で勝気そうな碧眼を持つ、武器から防具まで何も装備していない町民の恰好の少女『ダルク』が歯を軋ませながら言った。

「……っ、この、馬鹿力が……!」

 対するもう一方、ダルクと色は違えど美しく手入れのされた銀髪を肩程度で切り揃え、聖女が描かれた盾を左手に括り付けた、歴戦の戦士を漂わせる鎧一式に、片手剣を腰に佩き、紅色の瞳を持つ少女『ハーン』が額に汗を滲ませた。

 この二人は私にとって、どちらも『火種』と言える存在である――だが、このままだと幾ら武器を使っていない喧嘩にしろ、どちらも手練れである事に違いない。

 ハーンが言う通り、ダルクは血故に他の人間よりも怪力で、ハーン自身も才能と訓練と、やはりその血故にそこらの兵士より強い。

 その二人が毎回鉢合わせる度に喧嘩をしていては、いつか大怪我をしかねないのだ。

――――けれどダルクが必要以上にハーンへ絡むのには理由がある。

 それは、ハーンが上にある城下町に住み、王族であった証の『貴族』と言われる身分を受け継いでいて、かつこの国に仕える兵士であるからだ。

 ダルクとその双子の妹は、たった数年前に両親を直接『処刑人』と呼ばれる部隊の兵士達に殺されており、命からがらこの町へきた姉妹は、余裕が無いながら自分達を受け入れてくれたこの町の事を心の底から好いている。

 その上、かつては城下町の住人であっても税を払えずに堕ちてきた者は、さっきのばあさんと同じで多い。

 だからか『上の連中』はこの溝にある町の住民達を、私は例外にしても、蔑み、嘲笑っている節があった。

 ダルクにとって、現国王側の兵士となればそれだけで排除しようとするに事足りる上、元々は王族であった『貴族』の称号を持っているのだ……剣でその首を刎ねていないだけまだ、いい。

「お前がここの皆にいい顔をしたところでッ! あたしは騙されない!」

「俺は騙してなんかいねぇよ!」

 彼女ら二人が拳を振り上げてそう叫び、観衆も同時に声をあげる。

 ハーンは、貴族だ。その事実に間違いは無い。だが同時に彼女の家は百年前、とある事で没落している。使用人を雇う金も無く、彼女以外の『肉親』を襲った流行り病に……対抗すらできなかったと聞く。

 それでも税を払わずにいられるのは王族であるからだと思う――そしてそんな彼女は、誰もが認める聖女だ。

 一族が『神を信じる国』の統治者であった、生粋の聖職者。

 口調は男っぽく強いが、こうやって下に降りて来ては住民達の心を癒そうと、何かと世話になっている。

 魔物ながらこの町の長である私も助かっていた。そう、二人は火種であり、この町を想う者。

「まずいな」

……そうこうしているうちに、再び観客を沸かせる一進一退の攻防が繰り広げられる。

 思考し、そうだ、とこの喧嘩を止める術を思いつく。

 早速眼球をぐるり、観衆を見渡し――さして苦労せず発見する。

 観衆が汗ほとばしる熱い殴り合いに夢中な中で、最前列にいながらも地面へ両足を綺麗に折りたたみ、座り込む少女。

 深縹色の瞳に長い黒髪をさらさらと揺らして、一目でわかる感情の起伏の乏しさ、ダルクとはまさに対照的な容姿の、双子の妹である『マリア』だ。

 私の存在はまるで視野に入っていない様子でも、流石に喧嘩真っ只中を突っ切る訳には行かず、観衆で作られた円をなぞるように彼女の元へ辿り着く。

「マリア」

 私の呼び声に、私のように目だけで此方を見るマリア。

 熱くなる訳でも無ければ、止める訳でも無い彼女に、私はしわがれた奇妙な声で続けた。

「この喧嘩止めてくれないか」

 此方に向いた視線が再び殴り合う彼女らに戻り、どうやら止めるつもりは無いらしい。だが止めなくてはならない。

「どちらも怪我をされては困るんだ、頼む」

 どちらも、その言葉を最初に持ってきた時から、マリアの視線が鋭くなった。それでも眼球を、人間で言えば頭を下げるように下に。眼前には水捌けの悪い地面が広がった。

 マリアは瞼を閉じ、

「……呆れる。姉さん優先じゃない」

 そう問いかけてきた。

 いや、分かってはいた、だが言葉が、出ない。

 私が知っている事を、話してしまえば楽だったかもしれない。

 たった百年前の事実を……でもできなかった。

 これは単体の出来事では無い。二つ三つと繋がっているものが一つとなって形成されており、決してその前後を切り離す事はできない。

 切り離さずに伝えれば、彼女達との関係が――百年という年月、慎重に火種を作り上げてきたのに、消えてしまう可能性がある。

 だから、話す機会があればその時に、なんて思っていた。そんな機会、願いたくもないが。

 彼女は何も言わない私に、深く溜息を吐いた。

「……姉さんも私も、感謝してる」

 それでも吐いた感謝の言葉は本音なのだろうが、相変わらず表情を変えることなく立ち上がったマリア。私へ向けていた目も観衆へ流れ、呆れたように「でも」と続ける。

「父も母も、スライム、貴方も答えてくれなかった質問があった――姉さんを最優先しない理由は、それ?」

 問いかけに答える必要はない、そう言うかのように背を向け踵を返し、観衆の合間を掻き分けた去り際、感情を見せないマリアが、確かに私を嫌悪した。

「……合理的すぎる。それに私は姉さんだけを心配するのなら、止めるつもりだった」

 その言葉とともに人の波にその姿を消していく。

 合理的――――私の行動は、それが最善であると考え行動している。

 確かに多少無理はあっただろう。マリアもダルクと同じ経験をしているのだから、この国を、兵士を底から恨む心はあるはず。

 だが、唯一の血肉を分けた姉の為なら止めてくれると私は考えていた。

 これも、合理的なのだろうか……? いや、今はそんな事はどうでもいい。

 無い頭を切り替えて、マリアがやらないのであれば仕方が無い。私が止めるしかない。

……私は再び円の中心にいる二人へ目をやる。

 防具を付けていないだけダルクが不利であるが、そんな状況を覆すような怪力を遺憾なく発揮している様子であった。

「ッん!」

 ハーンが放った顔面狙いの回し蹴りを、ダルクは難なく片手で受け止める。

 聖女はしまった、と顔を歪め、振り解こうと地面にあった片足を浮かせ、体を掴まれた足を軸に勢いをつけて振り払おうするが、けれど怪力に阻まれ思った通りに回せなかった。

 それを見て、ダルクがにやりと笑う。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 同時に雄叫びを上げ、一瞬宙に浮いたハーンの体を、怪力の赴くままに車輪のように回転する。

 最初こそゆっくりであった速度も徐々に勢いつき、周囲を囲むようにいた観衆達も巻き込まれるのを恐れて、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

「……!!」

 掴まれていない片足を使いハーンも最初こそ抵抗していたが、速度が上がれば上がるほど抵抗できなくなり、最終的に両手で頭を覆うよう守るだけとなった。

「吹っ飛べっ!」

――――流石の怪力、と言えよう。

 パッと手を離したダルク、ハーンの体は勢いのままにダルクの優しさかただの運か、それなりに距離の開いた私の家へ飛んでいく。

 中と外とを隔てる扉を破壊し……大きな音が鳴り、埃が舞う。

 上から吹き込む風が、埃を散らすのにそう時間はかからないだろう。

「ハーンッ」

 私の声に、ダルクから鋭い視線を向けられた気がしたが……構わない、駆け寄ろうと進むが、

「……いってぇな」

 ぶつかった衝撃で空を舞い、彼女は自身の頭に乗っかった本をぱっと払いのけながら、まだ落ち着かない埃の中から出てくる。

 今し方吹き飛ばされたとは思えないほど足取りは確かで、大したダメージになっていないのが見て分かった。

 そして切れ長の紅眼に、闘志はまだ灯っている。

「はぁ……すぅ」

 若干遠目だったが彼女が何をしているのか、理解出来た。

 呼吸を、整えている――大きく息を吐き、再び吸う。それを三度ほど続けたところで、鎧の重さなど感じられないほどの軽やかさで真っすぐ走り出した。

「まだ走れるのか!」

 ダルクの口から思わず飛び出る言葉、彼女が立ち上がった時点で眉を顰めていたが、向かってきたのを確認して、身構えた。

 悠長な思考の中、私はダルクに近いが大体その中間におり、マリアが言うように、自分で止めるのであればこのタイミングしかない。

 失敗をすれば片方が、最悪は二人ともども大怪我を負う――――

 ハーンからダルクへ、再びダルクからハーンへ、一拍の思考が視線を動かした時、彼女は既に間合いに入る直前で、やり返しと言わんばかりの右拳を大きく振り上げていた――――そして同じくして、私も飛び込んだ。

「スラさん!?」

「スライム!?」

 刹那の中、二人の言葉が重なり合い、何重にも『スロウ』の魔法をかけられたような世界で、目を見開いた二人の少女が見える。

 そして二人の拳は、丁度その中心に飛び込んだ私の体を経由し、一見さらさらとしてるようなどろどろとしているような、そんな不可思議な膜が張った拳が、お互いの顔面へ向かっていく。

 私の水面のような体液が付着した拳では、お互いにダメージは与えられず、二人の柔肌に触れた拳はつるんと滑り、交差するように倒れた……私の意志が無ければ、人を溶かす事も無い、滑りのいいただの液体だ。

「う、わ、わッ」

「んっ!?」

 ダルクはびたんッ! と顔面から転び、ハーンは地面に落ちる手前、受け身を取るが不完全なものとなってしまい、二回転ほど地面を転がった。

 私の体液は、彼女達の髪、顔面、服あるいは鎧に付着するものの、眼球から離れた欠片はすぐさま蒸発し消える。

 おかげで半分ほど体を失う事になったがそれほど問題は無い。私は倒れる二人……いや、ダルクへしわがれた奇妙な声で諫めた。

「ダルク、落ち着くんだ。前にも言っただろう、ハーンは敵じゃない」

 うつ伏せのまま、彼女のポニーテールがぷるぷると揺れる。

 色合いは違うが、まるで地面に馬が突き刺さっているように見え、少し滑稽であったが真剣に続ける。

「確かにお前は受け継いだ通りの怪力の持ち主だ。だが同時に心の底にある優しさも私は知っているつもりだ」

「……」

 揺れていた短めのポニーテールが、ぴたりと止まった。

「けれど飾り蝋燭付近での騒動もそうだが、あまり事が大きくなりすぎるとダルク、お前自身の目的すら達成できなくなる。わかるだろう」

 私の声に感情の起伏は無いが、それでも私自身が呆れているのは伝わってるはずだ。

 暫くして、ダルクは何も答えずに立ち上がる。

……此方に向けた瞳は、マリアの時のようで、酷く冷たく、いつもの陽気さはない。声はあまりに刺々しく、重いが、

「あんたに教えられた事だ。敵が誰なのか、味方が誰なのか。二人はただ臆病なだけだったんだ――あれだけの力を持っていたのに『処刑人』に襲われる村を助けようともしなかった!!」

 あんたも両親と同じなのか、そう言いたげな言葉、それだけじゃない燃え上がる熱は、理想であった両親の現実との乖離が見え、同時に当時自分に力がなかった事を酷く後悔しているようだった。

 いや、それもあるがこの町にきた時から、ダルクは更に強く後悔し続けているのだ。系統は違えど、遥か昔に『彼女』が優しすぎたのと同じで。

「じじばばのこと……幾ら聞いてもあんたどころか、両親ですら教えてくれないんだから、知るわけがない」

 蜘蛛の子を散らし、逃げていったこの町の住民達。

 騒がしい音が聞こえなくなり、建物やら外に放置されたガラクタの陰に隠れてこちらの様子を伺っていた彼らを無視し、酷くイラついた様子でどこかに歩いて行ってしまう。

 私は、その後ろを追いかける事ができなかった。


 本が散乱し土埃が中に入り込む家で、床に落ちてしまっていた書きかけの本を棚へそっと隠す。まあ文字が読める人物などあまりいない、隠すような必要は無いかもしれないが、彼女は別だ。

 唯一無事だったテーブルの上に積まれた本の山を、わざとがさがさと払い落とし、再び小さな埃が舞い踊る。

 丸テーブルの足の下にもぐり込むと本来の半分ほどしかない体で引きずり持ち上げた。浜辺にいるヤドカリの如く姿になりながら、

「ふむ」

 対になるもう片方の扉の前に、テーブルを置く。

 大きさで言えば人が屈まなければ通れない程度、物を置いたおかげで見えなくなった。彼女からも何も聞かれてない。これでひとまず安心だ……心の内で安堵の溜息を吐き、外にいる人物へ声をかけた。

「入って大丈夫だ」

「……存外早かったな」

 そこにはつい先程までダルクと殴り合いを行っていた、銀髪紅目の聖女もしくは聖騎士、あるいは没落貴族の、ハーンがいた。

 どうやら間接的にとは言え、私がひっそりと住む家を荒らしてしまった事に改悟してるようだ。

 まあ彼女は投げられただけ、眼球をそちらへ向け、言う。

「お前は悪くない。急に遅いかかったあの娘が……どうした」

 ハーンは私の言葉を聞いているのか聞いていないのか、私の小屋を二度ほど見回している。何かを探しているように見えたが、

「あ、いや……結構な年代物の本が置かれているもんでね」

「やはり、読めるのか」

「そりゃあ家に焚き火を行うのには十分すぎるほど、あるから」

 私は「ほう」と声をあげた。彼女の一族の生まれは『神を信じる国』だ。さきほど危惧していた通りに読めるとなれば、当時のこの国の何もかもがわかるだろう。

……ちょっとした不安に溢れる知識欲、探求心を抑え込み、先程の切った言葉を続けた。

「まあ、そういうわけだ。無理に手伝う必要はないぞ」

 散らばった本を水面のような体に乗せ、適当に隅へ積んでいく。ここにある本は、全て読んでしまっているからな。

「俺にも悪いところはある。わざわざ喧嘩になんぞ、応えなければよかったんだ」

 私の言葉を聞いて尚、彼女は申し訳なさそうに床に落ちた本を拾っては積んでくれる。

 暫しの沈黙、ハーンが口を開いた。

「あの馬鹿力――ぁ、彼女は他にもあんなことをしてるのか?」

「馬鹿力でも構わん。そうだな、あの娘の境遇上仕方ないことなんだ」

 本を棚へ、もしくは床へ重ねながら整理し、ハーンの問いへ答える。

「お前も知っているだろう。処刑人の話を」

 彼女が知らない訳がないのだ。一見非合理的に見える『慈愛』を持つ彼女が、無辜の民を殺すだけの集団を……そもそも、この国に住まう者達が奴らのことを知らない訳がないのだ。国王を恐れ、平伏させる為だけの存在を。

 ぴた、とハーンの動きが止まり、埃が積もる沈黙が訪れる。

「……あぁ」

 短い返事、彼女の止まっていた体が動くのがわかり、私は体に乗せ抱えていた本を隅に置き、くるり、私は彼女を見やった。ハーンもほぼ同時に別の本を手に取るため体の向きを変えていた。

 だが一瞬早かった私の眼球には、確かに見えた。

 盾に描かれた涙を流す聖女に似た、悲哀を映す彼女の横顔が。そして、再度確認できた――私の感じた不安など杞憂で、彼女はやはり『火種』だと。

「知ってるとも」

 再び本を拾い積んでくれるハーンの表情とは裏腹である、平静に見せかけた答え、この国に住む者なら誰もが奴らの名を出して分からない筈がない。

「結構、多いのか?」

 少しの間を空け、気を取り直した彼女が口を開く。

「む」

 何の話か、すぐに黙り込む前の会話と結びつき「ああ」と頷く。

「飾り蝋燭……売春宿付近は金を持ってる兵士連中が多いだろう」

 そこまで言ったところで、どうやら売春婦達とも繋がりがあるらしく、ハーンは顎に手を当てながら何度か頷いていた。

「この町の殆どの金があそこからだ。もちろん何度かダルクを注意したが、やはり心の傷はそう治るもんじゃない」

「なるほど、な」

 何か深く思考を巡らせているようだ……ハーンも女だからか、何か考えるところがあるのだろう。

 裏で聖女とも呼ばれているくらいだ。そんな事を『行わせた』私へ文句の一つは来るかと身構えていたが……その必要はなかった。

「おう、相棒ここでなんかあった――って銀髪娘!?」

 扉が破壊された私の家を見て、黒く塗りつぶされ異様と言える一本角が象られた兜から鎧、全てを着込んだ戦場感溢れる人物が顔を覗かせた。

 最初、私の方を見ていたが、ハーンの姿を認めた途端に何かやましい事でもあるのかそう叫ぶ鎧の人物――ウォル。

 まあ人の姿をしているだけで、こいつは人間ではない。

「怨霊か……俺の前に出てくるとはなかなか肝が据わってる」

そう言った彼女は、面識があるというのに『祈り』を行おうとする。止めるよう、私の眼球を彼女へ向けた時、無邪気に笑うハーンの姿が見え、それが本気では無い事を悟った。

 ウォルは気付いていないようで、見物だ。

「お、落ち着けっ!」

 とてつもない速度で家から離れていくウォル。

 逃げ出した奴はガラクタの陰に身を潜め、顔だけを出して様子を窺い始めるのだった。

「相も変わらず、俺が苦手なんだな」

 そんな姿に満足そうに笑ったハーン。

 片手による『祈り』の体勢と左腰に佩いた剣の柄に伸びた手を離す。

 しょうがない。奴の名誉の為に、代わりに答えてやる。

「お前の祈りは誰でも恐ろしい。お前次第で一時的に動きを止められるのだから」

「本来は加護と言うんだが。それに、これでも人を癒す祈りもできるぞ、回数に限りはあるが」

「その隙に殺される側からすれば、恐ろしいものだ」

 戦場での瞬きは、死を意味する。国王がこれだけ有能な彼女を、わざわざ野放しにしているのも不思議だが、彼女がきっと、応えていないのだろう。

 滑稽なものも見れて、さて、と私は家の中を見渡した。

 ぐちゃぐちゃだったのがすっかりと元通りだ。隙間の無くなった本棚、高く積まれた本達に変わらぬ埃っぽさ。

 変化があるとすれば壊れた扉とテーブルの位置と『あの本』ぐらい、隣に立つハーンも間接的になるが散乱した物が無くなり、すっきりといった表情を浮かべている。

 そして、やはりというかなんというか、テーブルを指差しこう言った。

「テーブルはいいのか? 窓際にあった気がしたが」

――――扉はまだ、誰かに知らせる訳にはいかない。

「後は扉さえ直してくれればどうにかできる」

 適当にそんな事を言い、誤魔化しておく。するとタイミングよく、

「さ、さっきのはなんだ? いつもの冗談か?」

 本来扉があった場所に立つ、少し怯えた様子のウォルが声をかけてくる。

「あんたがもし敵なら、とっくにその魂解放してやってるさ、っと」

 吹き飛ばされた扉を抱え、しっしっ、とまた壊れたドア枠から顔を出したウォルを完全に家の外へ追いやるハーンへ、予備として置いておいた蝶番やら道具を渡し、折角なので任せることに。

「……毎度冗談キツすぎるぜ。いや、まぁそんなこたぁいいとして相棒、ギルドのババが呼んでたぜ」

 元に戻されつつある扉、多少家の内部を見る事のできる隙間があり、鎧男はそこから黒い一本角と顔を覗かせた。

「ほう、珍しいな。使いがお前か」

 と、そこまで言ったところで答えを聞かずともなぜ彼なのか、先程の騒ぎから容易に理解してしまう。

「しょうがねぇだろ。マリアがいつまで経っても来ねぇんだからよ」

 やれやれ、と肩を竦める人の形をした鎧の化物。

 彼の場合その呆れは、ただのフリでしかないが、

「はぁ」

 思わず溜息が出てしまう。人間のような肺も口も無いが、これは私自身への呆れでもあった。追いかけて、声をかけてやれれば、と。

 だが、それはできない。耳障りの良い言葉など、魔物である私には滑稽で言えないからだ……いや、たったそれだけではないが。

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