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スライム戦記・火種  作者: 宇佐見レー
10/15

第九話『執念』

チェック終わったのでここに記しておきます。

次回投稿は随分遅れてしまいましたが、できるだけ早く投稿させて頂きます。

 彼女の体に流れる鬼の魔力が絶対的な復讐の意志と反応し、鬼を鬼たらしめる額の角を不明瞭ながら形成する。同時に見た事も感じた事も無い力が、目前の仇敵を殺せと囁き、たった一振りを突風に、ただの踏み込みを地響きに、そして知らない記憶を流し込んできた。

 刹那の瞬き、瞼の裏に映る動きを真似し、掃き溜まる殺意という感情を発散するように、頭に浮かび上がる言葉を口にした。

「鬼神剣術、水鞠」

 柄を握る手に力が入り、昂ぶりと重なって青き炎が刀身を纏い、深縹色の瞳が淡く光の尾を描く。

 見据え揺らめく軌跡が駆けたのは、彼女を襲う処刑人連中だ。

 対峙する彼らには見えただろう。激しく流れる川、苔生した岩を削るように当たる水流が、水飛沫となって飛び散るのを繰り返す様が。

 そして両腕を、腹を、首を、気付いた時にはもう……焼き斬られている。断末魔の中で息絶えた彼らに、彼女は容赦などしない。

 ただ、向かって来た大勢の内、真っ先にここに辿り着いた足の早い者達を斬ったのみ、彼女の目的はその程度の小物では無く、彼らを率い、両親を辱めながら殺し、姉との日常を壊したあの男だ……血の尾を引き、四度目の踏み込みと共に振るわれた切先は、けれど届かなかった。

 最大限緩急のつけた袈裟斬りであったが、

「鈍くなってるな」

 真横に払うように振るわれた処刑人の両刃の剣、風を深く切り裂く一撃によって止められたのだ。しかも、その鈍重さを感じさせない速度で処刑人は追撃してくる。

 頑丈に出来ているとは言え、横からの力に弱く、例え刃で受けたとしても刃毀れは免れず、援軍は、とスライムの号令に突っ走って来た兵士達はどこだと地面を見るが、

「っ」

 彼女を取り囲んで来た三人と、同じ結末を辿っていた。

 既に四人、血の海の中で倒れているのだ。誰が行ったのか、考えずとも分かる。

「最初の一撃はどうした? その程度じゃこの私はやれんぞ」

 金切り声に近い音が幾度も手元で鳴り、火花が散る。彼女の鬼の如く力も意に介さず、刀を壊すように処刑人は叩き続ける。

 片手では抑えられない猛攻に、彼女は峰を左手に支え、どうにか耐える事しかできなかった。

「う、ぐっ」

 上段から釘を打つような攻撃が幾度も、幾度も、幾度も続く。

 力を込める手は痺れ、負けるかと踏ん張る足元は泥を跳ね上げた。それどころか処刑人の気迫は彼女の気を削ぐ。

 抵抗しようにも押さえ続ける力に屈する他無く、峰に当てた左の手のひらに食い込み続けるだけだ。

「理不尽に死にたくなければ考えろ! お前は想いなどと言う幻想に惑わされ、生きていても血と肉しか詰まっていなかった人間如きが、死して尚恥を晒し続けるあの風化した化物と同じだと言うのか?」

「それはぁっ、違うッ!!」

 あの人は決して恥を晒していたわけじゃない……! 続けようとした言葉は、途切れてしまい、言葉にはならなかった。否定しようにもできない。

「は……ぁ」

 受ける度に死が頭を巡り、手が痺れ、体に伝わる衝撃が肺の空気を押し出し、体を回る血が沸騰する。

 許せない、あの人がどんな想いであったのか、そんな気持ちが膨れ上がり、破裂するようにもう一度否定しようと口を開くが、喉から漏れるのは言葉ではなく、空気だけだった。

――やがて彼女の心を表すように刀が壊れ始めた――

 耐えきれなかったのだ。自身の刃毀れも気にせず、重い両刃の剣で同じ場所を叩き斬るという行為に、もう、いつ壊れてもおかしくない。

「っんぅ!」

 感情を後回しにさせ、横目に周囲を見ようとするが、処刑人はそれを許さない。状況の把握をさせず、押し切るつもりなのだ。

「相手を殺すまでは余所見などするな!」

 同時に全体重を乗せた蹴りが彼女の腹部を貫くように放たれた。一瞬の隙を突いたそれを、彼女は避ける術を持ち合わせておらず、喰らう。

「がは……っ、お、ぐ、ぇ」

 数歩飛び退くが、その威力は絶大だ。はっきりと体が危機を感じると脂汗が額を覆い、目前の景色を白く染め上げ、成人してからそれほど経っていない彼女の意識を飛ばすのには、十分過ぎた。けれど、彼女の執念が殺されるのに十分な時間を、与えなかった。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ」

 水含む鈍い音を響かせて地面を力の限り押すように踏み込んだ彼女は、意識を保とうと全身を震わせ、雄叫びを上げた。すると真白になりかけた視界が色を取り戻し、目前の驚愕に目を見開く男を眼光鋭く睨む……が運は男に味方した。

「……瞠る精神力、巨木となる前にその芽摘ませてもらうぞ!」

 片手で軽々と振るわれた鈍重な両刃の剣、反応し切れなかった彼女の寸前を通り過ぎ、死を覚悟するが、冷たい雨の中、煌きながら飛び散る無数の破片、何かが視界の外側へ吹き飛んでいく。

「――――!」

 それが一体何なのか、理解するのに少し間が必要であった。

 だが両刃の剣が重く空を斬り、刀剣交わった際の音が再度繰り返されると、折れたのだと分かった。

 理解出来ると生物として頭を支配していた死が恐怖と変わり、煮えるように熱かった血がさぁっと引いていく。幾度も受け切った処刑人の一撃を……もう受け切る事はできない。

 彼女は信じられないと見た右手には、根本から叩き折られた刀があった。間違いようもない彼女が鍛え上げた刀――姉にできぬ事をする為の刃が、もう無い。

「ぁ」

 迫る処刑人の剣、現実を見て体が抵抗するのをやめ……執念すら、折られた。

 あの日、あの家で感じた絶望が、脳裏に焼き付けられた両親の悲しげでありながらも覚悟を決めた顔が、全てを塗り潰し、姉を想う心がただ一言漏れてしまう。

「ごめん、姉さん」

――――同時一振りの刀が、雷鳴と共に落ちてきた――――


 相棒が愛刀を放ってから間もなく、天低く覆う今にも自重でどろっと落ちてきそうな黒い雲が、雷鳴を轟かせた。

 砲撃のような轟音に目が眩む稲光が続き、無い心臓が強く跳ねる。最後の力を振り絞り、ウォルが放った愛刀は敵味方が入り乱れ白兵戦を行う方へ。

 私は一人あの男と戦うマリアの無事を祈って、前に進む事しかできない。

 倒れる味方の屍を越え、立ち塞がる敵を越え、私は前を見る。見続ける。

……それが、五人目の王との最後の約束だからだ。

 血の混じる泥水を跳ね除けてやっと視界に入った二人の姿、私は安堵した。彼女は生きている、まだそこにいる――だが、その安堵を叩き割るように、現実が突き付けられる。

「っ」

 鮮血が点々と舞った。

 私の眼前で、彼女の左側頭部を叩き割る勢いで、処刑人の持つ鈍重な両刃の剣が振るわれたのだ。

 その威力は凄まじく、無数の雨滴が水平に半円を描き、小さな風すら巻き起こすと今まさに落ちてこようとしていた滴すらも薙いだのだ。

「マリアっ」

 服が引き裂かれる音、肉が擦れる音、強く何かがぶつかる音。

 地の底の町がある大きくくり抜かれた溝の淵に、彼女は吹き飛ばされ壊れた人形のように横たわった。

「マリア……っ」

 私はごつごつとした岩肌の合間に溜まった水溜まりを素早く這い回る。交差し点在する人の足を縫い、今の一撃によって死んでしまったのか、ぴくりとも動かない彼女の元へ、這い寄った。

 水面のような体を揺蕩う眼球から、涙など出る筈が無いが、それでも無い胸中を染めるのは複雑な感情だった。

 抱き寄せる事はできない、様子を見れば先程の一撃でだろう、左側頭部から激しく出血している。鎧の類を着ていない事もあって体中所々に切り傷と、今し方吹き飛ばされて岩肌に擦った傷が痛々しく赤黒い。

 落ちて流れる雨粒が彼女の血と混ざり合う、水溜まりも赤に染まり、やはりマリアは動かない。

「スライム、貴様の仕業か?」

 私の視界外から男の声が聞こえてきた。その声にはどこか恐れが見える。それが一体何なのかは分からないが、答えずにいると、

「眼前に落ちてきたその刀とやらで、私の攻撃を受け切った」

 そう言われ、彼女の傍らに視線を向ける、そこにはまず間違いなくウォルが放った一振りの愛刀が、硬い筈の岩肌を易々と貫き突き刺さっているではないか。

 少し離れた場所にその壮絶さを物語るように、美しかった刀身も見るも無残な姿となった柄だけの、刀と呼ばれていた物が鎮座している事実が、私を動揺させた。

 視線をどこにむけるべきなのかを分からなくさせ、私は彼女の動かない背中を見つめる事しかできない。思考だけがより鮮明になる。

――――彼は、予期していた訳だ。この状況を。そして理解していた、勝てない事を。

「……相棒だ」

「相棒?」

 処刑人は嘲笑するように言う。

「化物同士で随分と仲が良かったのだな」

 だからなんだと言うのか。

「悼む事など無い。そも奴は既に死んでいる。二度目も三度目も変わらん」

 人の命などに然して興味も無いこれまでを送ってきた者に、私の何がわかるというのか。私のこの百年を、彼を、理解出来るというのか。

 過去に数度だけしか無い感情の猛り、それが眼球を振り向かせ、無意識に体が歩みを進める処刑人の前に立ち塞がろうとするが、激情に震える体から一粒の体液が彼女の体に触れて、雨に流れる。

 同時、ある事に気付きやめた。

 生き物は人間に限らず、死んだところで暫くは温かい。だから生きているかどうかは刺さねば分からないが、彼女は『違った』のだ。

 何も答えず動きを止めた私を見て、勝利を確信した処刑人はゆっくりと近づいてくる。

 やがて足音が消えた。恐らく間合いに入ったのだ、気配が剣を構えた事を教えてくれる。

「俺もこれで……」

 言いかけた言葉が、最後を紡ぐ事は無かった――刹那、青い軌跡が処刑人の右腕を斬り落とす。

 人が焼ける臭いが一層強くなる。出血は無く、処刑人も一瞬それに気付いていない、倒れていた筈のマリアが瞬きの間すら待たずに立ち上がったのを見て、漸く認めた。

「む、ぅ」

 眉を寄せた彼の瞳には、切断面黒く骨すら両断し泥水の中に浮かぶ右腕が映る。眉を寄せた処刑人は、マリアの姿にまた恐れを抱き、それを払うように頭を振った。

「貴様……!」

 唸るように言うのも当然だろう。

 私の目にも映るその姿は異様の一言に尽きる、不明瞭であった彼女の角が格段に明瞭となり、彼女の瞳が光を強くする度に、不壊の刀を纏う青い炎は勢いを増し、刀身へ無数に落ちる雨粒が弾ける音と共に白い煙へと変わる。

 水面のような体でも感じる明らかな熱量は、百年前を思い出させた……彼と、全く同じなのだ。どこまでも自分自身を犠牲にした彼と。

 裂けた唇から血が滲み、言葉が零れ落ちる。

「鬼神、剣術」

――――その声は落ち着き払う。雨も風も、何者も許さない、不変である事を強いるような、凪。

 左腕を胸に押し付け、マリアは刀の峰を左肩に当てるように構えた。交差するような形で、型など無い粗暴な力任せの構え方だが、正面に対峙する処刑人からは刀が見えない。

 髪の毛一本すら不動なマリアに対し、

「ッ来い!!」

 彼女の明らかな殺意と見えていた筈の物が見えないという恐怖に、負けじと処刑人は叫び、左手のみで自身の両刃の剣を中段辺りに持った。

 不変を変えようと憤怒の声が響くが――――


「一文字」


 音が消えた。戦場の中心が静寂に支配される。

 そんな世界で、マリアの澄んだ声だけがはっきりと聞こえた。次いで水面を剥ぎ取るような突風が吹く。

 それが収まり確認出来たのは、マリアを中心に長くも短くも無い距離、雨が止んでいるという事実であった。周囲を見ても止んだ様子はなく水溜まりには紋様がつく。空を見ても黒い雲に覆われたまま。

 一拍置き、再び雨粒が私の体を叩き、やっと理解する……マリアの人を超えた速度によって起きた突風が、全てを持ち去ったのだと。

 流れ出る自身の血に左眼を覆われながらも、立ち尽くす処刑人を一瞥もせず、刀を振るう。

 大きく空を斬り裂く血振りだが、払うのは纏っていた青い炎、空中で軌跡に沿ってパチパチと弾ける音が、最後を告げる勝鬨のよう、そして刀身を纏う炎は最初から無かったかのように消えてしまう。

 刀身に描かれた刃文を伝う、虚しく降り続く雨粒も、もう煙にはならない。

「ぐっ、ぅ」

 同時、低く呻き蹲る処刑人。炭のように黒く、腹に出来た横一文字の傷に、握っていた剣の成れの果てを零れ落とし、左の手で慎重に触れた。そして、崩れるように膝を地面に突いた。

 奴に表情は無い、ただ死を悟った者の顔をしている。

「……殺せ」

 苦悶の中で息絶えると思っていたが、奴の精神力は此方が考えるよりも遥か上だった。表情には何も出さず、傷を押さえる事も止め、ただその場で項垂れた。

「幾許も無い命、この首、取れ」

 力の無い言葉だ。無表情であれど痛みの中で思考し、口にしているのが見て分かった。けれど、

「なぜ、私がお前の言葉通りにしなくちゃならない?」

 マリアは、背を向けたままだ。

 処刑人はその言葉に僅かに驚き目を見開くが、どこか納得したのか、呟いた。

「そうか……お前は武士では無かったな。鬼だ、ただの、復讐に燃えた」

「……下らない想いに負けたんだ、そこでこれまでの憎悪の焼印に苦しみながら死ね。そして、二度と顔を見せるな」

 背中越しに彼女はそう言うと、この事態に静まり返った戦場へ歩き出す。

……感じれぬ苦痛を感じ、死を悟り、絶望の先に立つ男は、それでも後悔を見せなかった。

 あるいは――こうなる事を理解して戦場に立ち続けていたのか。

 だが思い出したように取り出した懐の手紙、それを眺める男の目は、

「報いとはこの事か」

 誰かを想う優しい眼差しであった。


 勢いというのは簡単に止まるものではない。

 雨が降り続いた後の川がそうであるように、橋であろうが木々であろうが、地面であっても家であっても、薙ぎ倒して進む。

 それは人間でも同じだ。

 処刑人を倒した、という報せに後続の兵士達が勢いつけば、数で多少負けていようとも押し返す。

 暗闇に沈み続けていたこの国に、一つ火が灯されたのだ。希望とも言えるそれを、誰もが離すまいと薪をくべる。例え自分自身が薪だとしても絶やさぬよう――――命を賭した男共の雄叫びを背に、私は彼に視線を注ぐ。

 死して尚、命を張り続けた者へ。

「久方振りの休みはどうだ」

 私の声にぎょろり、奴に眼球は無いが、そんな気がした。

「……相棒?」

 目に浮かぶ、小首を傾げる彼の姿が。そして思い出す、相棒、という呼び名。

「……見えないのか」

 私の姿がもう見えていないような言葉に一瞬驚くが、ずず、彼の頭が微かに動いた。

「いいや、俺の為に泣いてる空なら見えてるぞ」

 紛らわしい……内心むっとするがその反面、おちゃらけた口調にどれだけ時間が経とうが変わらない彼らしさが見え、じわりと安堵に変わる。

 そして合わせれば百年以上は生きている彼に、

「どうだ」

 再度問う。

「うん? うーむ」彼は唸ると暫し黙り、辺りをキョロキョロと見回した気配がした。私とマリアの視線が彼に重なると同時、すぅ、と左手を天に翳し「見覚えがある」続いて「変わらんな」と言った。

「ほう」

「だがまぁ、この世に不変などありはしない。それまでのお楽しみにでもしとけ」

「どうだかな」

「今の状況がまさにそうだろ――あ」

 何か思い出したように彼は続けて、

「俺の……俺の孫はどうなった? 生きてるよな?」

 私の眼球が隣の立ち尽くすだけのマリアを見やる。だが問いの答えは彼女だけじゃない、ダルクとマリア、姉妹の事だろう。ダルクの姿は見ていないが、下への被害は不思議なくらい無い様子。

 きっと無事だ。

「ダルクならまだ下だが、王の孫でもある。心配するな」

「王の……ああ、無事だろうな」

 少し複雑そうな表情をするが、間髪入れずに「マリアは?」と問う。私は、隣にいる彼女へ視線を移した。それは彼女自身がどうするのかどうしたいのか、聞く為であった。

――――彼女の大部分のルーツだ。知りたがっていた全ての答えが、中身の無い鎧なのだ。

 雨に濡れ、滴る赤い血が顔の輪郭を伝い、地面に落ちていく。濡れた黒髪が垂れたまま、深縹色の瞳は瞼に隠れている。

 瞼を上げた彼女がぽつりと答えた。

「ありがとう」

 雷鳴がすっかり遠くで鳴っている。

「最後の最後まで……守ってくれて」

 だが、雨は止まない。

「それが」

 ふっ、と再び掲げられた彼の手が砂となり、雨と混ざり泥になり果てる。


「死者の最後の務めだろ」


 彼の頭で唯一最後まで残っていた面頬も崩れれば、彼は二度と口を開く事は無かった。

 後に残るのは王の盾と――彼の形を作る、泥だけだ。

……私は鎧の化物の最期を知っている。孤独に苛まれ、目的すら分からぬまま彷徨い朽ちていく。

 あるいは執念だけを宿し、暴れるだけの魔物となり果て、人の手に退治される。

 だが相棒は、少し違った。理由は分からずとも強い執念を持ち、朽ち果てながらも全てを理解して死んでいった。

 孤独など似つかわしくない男だったが、死に死を重ねながらも理想を得たのだ。

 理由を理解し、執念を果たしてみせた。


 処刑人共による抵抗は凄まじく、死を厭わず階段を死に物狂いで守ってきたが、やがて押し返されると深い溝と高い壁に囲まれた城下町内へ、予想通り撤退していった。

 もちろん決して軽くはない打撃を受けながらも味方は、その隙に地の底の町とを繋ぐ階段を確保、閉じ込められていた冒険者達と合流できた。

 第一歩を成し遂げたのだ。

 だが油断はできない。火種はまだ小さいまま、泡と消える不確かさだ。ウォルという戦力が無くなった今、例え王の盾をダルクへ、不壊の刀をマリアが持っていようとも、正面からあの城を落とすのは難しく、その間に呼ばれているであろう援軍が到着するのが先、となればもう一つ、燃料である薪をくべなければならない。

 けれど薪をくべるなら、これ以上地上の軍を私自身が動かす事はできなくなる。

 簡単に領主の兵士達に城門だけは閉めさせるなと指示し、後は冒険者である私を毛嫌いする彼らに任せる事とした。

 血の広場、確かに見殺したのは私であるが、扇動し殺したのは処刑人、前国王だ。悠々と生を謳歌し、私腹を肥やす王族を、欺瞞の王族を、子であろうが許せないのは同じの筈、だからそこに関しては心配していない。

 それよりも気になるのは、

「ダルク」

……マリアの姉である、ダルクの事だ。

 完全に確保された地上と下とを繋ぐ唯一の階段、降り続く雨にドロドロとしているが、多くの冒険者達が上がってきた最後尾――鉄兜も被らず、綺麗な金髪を雨に当て、碧眼鋭い彼女がいた。

「スラさん、マリア」

 獲物を探す者の目で辺りを見回し、私とマリアが視界に入ると駆け寄ってくるが、私も本人もすっかり忘れていたマリアの頭の傷を見るや否や、

「なっ、どうしたの!?」

 叫ぶような声を浴びせ、合わせて眼球をくるりと向ければ、雨に流れているからか固まらずに未だ出血しており、マリアは左眼を閉じたままだった。

 着ている服は白を基調としていないだけあって、見た目には分からないが若干色がおかしく見える。

「……頭の傷は案外派手に見えるものだが、深く切っているかもしれん」

 私はそう答えた。けれど手当出来るだけの物は持ち合わせていない。このまま戦いに向かうのはあまりに無謀だ。

 どうするか、一瞬の思考を巡らせるが、ダルクが言った。

「負傷者についてはディーテと話合って決めてる」

 聡明な二人だ。自分達の出番が無いと気づいた時点で、次に必要な物について決めてくれていたらしい。そんな彼女の視線の先は下ではない。丸太の壁、風通し良さそうに空いた穴の更に先、ここから少し離れた場所……私達が最初に陣地を築いた、火砲を設置した森の中に向かっている。

 戦場となった平原が落ち着いた今、死者を含め負傷者が助けを乞う声が、雨音に混じり、木霊していた。

 娼婦や待機していた砲兵達が味方の兵士の亡骸、負傷者を回収する中を私達は歩いて進む。

 辺りに充満する血の臭気は、兵士ではない娼婦達にはキツイようで嘔吐している者もいたが、まだ幼く、経験した事ない筈の姉妹は平気な顔をしていた。

 その普通とは違う反応は、私を責めているような気もしたが、それはきっと考え過ぎだ。

 道中続く沈黙……平原から森に差し掛かり、地上で何が起きていたのかはっきり分からないダルクとしては、色々と気になる事があるだろうに何一つとして問いかけず、砲兵達と娼婦達主導で作られたと思しき屋根付きの即席のスペースへ入っていく。

 地面に近い私も続き、一番に目に入ったのは濡れていない地面、次に運ばれてくる負傷者の手当てを行う金創医だ。

 傷に関しては私も知識がある訳じゃない。それを知っているダルクが声をかけ、マリアを手近な場所に座らせると、軽く診てもらう。

「傷口を良く拭いて綺麗な布を巻けば大丈夫、ただ今は忙しいから君がやってあげてくれ」

 砲兵の中で傷に詳しい者がやってるのだから当然、人数は多くない。彼は傍にいたダルクに包帯と綺麗な布を渡し「生きてます!!」そう言ってどたどたと抱えられて来たマリアよりも明らかに重傷の兵士の元へ行ってしまう。

「しょうがないか……痛くても我慢してよ」

 姉はそんな彼の背中を見るが、これ以上呼び止める訳にもいかない。

「ん」

 眉を八の字に躊躇するが、呻くように頷いた妹の血に濡れる髪を丁寧に拭き、震える指で黒髪を掻き分けた。

「気にならんのか」

 私は、そこで問いかけた。もう数度失った機会を取り戻すなら、今しかない、そう思ったのだ。

「何が?」

「……戦況だ」

 なんとも思っていない、そんな様子にまだ知らないからそう反応する事しかできないのか。どう言えばいいのかを逡巡しつつ、言葉を選んでいると、

「ウォルの事?」

 背後からは負傷者の痛みに悶える呻き声、金創医の必死な声も聞こえてくる。

 戦場から少し離れたこの場所は、何かが屋根を歩くようにすら聞こえるトトト、という雨粒の落下恩がよく響く。無い聴覚が彼女の言葉に鋭敏になり、何か欠片がピタリとはまった感覚があった。

 彼女はいつも通りに続けた。

「見ればわかる」

 同時に流れるようにちらと下を見やる彼女の碧眼、どこを見たのか一瞬過ぎて分からなかったが、推察するに……不壊の刀だろうか? 

 相棒の愛刀である絶対に壊れない刀、それを差しているのがマリアの左腰だ。言えばダルクが立つ丁度下の位置にある、そう考えれば下を見たのも納得がいく。

――だが、なぜ彼女は詳細を聞かない? 

 マリア程の繋がりは無いにしろ、姉妹を守ろうとしていたウォルの奇怪さは、疑問を生んでいる筈、すると私の態度に呆れたような溜息を吐いた。

「あんたにはまだ話していない隠し事がある、違うか」

 止まぬ疑問、私の心を見透かしたような言葉に、誰のものか分からない眼球を逸らしてしまう。それが肯定する事だと分かっていながら。

 いや、どちらにしても話さなければならない。マリアが知った以上、隠す訳にいかないのだ。

「ウォルが死んだ」

 どういった事を言われようとも受け入れる、その覚悟を示し合わない彼女の目を真っすぐ見つめ、まず事実を言った。

 けれど……私が思い描いているよりもダルクの反応は、遥かに軽かった。

「分かってる」

 たったそれだけ。

 拍子抜け、私は誰のものか分からない眼球をまん丸に、言う。

「それ……だけか」

 私の言葉に包帯を手にしたままのダルクは「他に何を言えと?」小首を傾げた。

「それは、悲しくないのか」

 青ほどではない、もっと薄く、透き通った水色のような物悲しい気持ちになる。彼の感情や気持ちはダルクに伝わっていなかったのか、そんな風に考えた故の問いかけ。

 彼女の意識は手元に集中したままだ。

「あたしにとってはどうでもいい」飄々とした表情に、感情が切り替わる。水面のような体に、雨を横に薙ぐ冷たい風が吹き付けるが「お前……ッ」沸騰する感情に伴って水泡が現れる。

 死者を愚弄する彼女の態度に、はっきりとした怒りが湧いたのだ。


「……あたしは知らないんだ。ウォルのこと、何も」


 消えない悲しみの中で浮かんだ後悔を、今更理解した自身を傷つける顔だった。ひたすら、ひたすらに後悔を掬おうとしても、気づいてからじゃ遅い。

……彼女の反応は当たり前だ。今し方私は彼の話をしようと思っていたのだ、それを私は――――私は語った。ウォルの全てを、今はただ目を静かに瞑るマリアへ伝えた内容と同じ。

 ダルクが此方を見たのはその一度だけ、私の話の最中は一瞥もせず、ただマリアの手当ての為に手元へ集中したまま、私の言葉に耳を傾けていた。

 話が終わるのと同時に、渡されていた包帯も巻き終わり、後ろに纏められた金髪が揺れ、ぴっと包帯が切られた。

 微かに震える指先で端と端を解けぬよう固く結び、大きく呼吸をして、彼女はそこでなだれ込む感情に、深い悲しみに浸る。深く深く、底の無い沼を、藻搔かず沈むように。

「――うん」

 冷えた白い肌を優しく撫でる、涙。

 熱を帯びているのだろう、頬が赤く染まった。

「悲しいのはスラさんだけじゃない。生まれてからずっといた、あたし達もそうだから」

 ぐしゃ、乱暴にダルクは目元を拭う。

「でも、良かった。蘇りたいと執念で魔物になるほどのその先を、知れたんだ」

 私は視線を逸らし、森の奥を見る。

「本当なら、もっと早くに伝えるべきだった」

……彼の死に際の姿を思い出し、漏れる本音をダルクは遮った。

「あんたは間違ってない。おかげでマリアは生きて帰ってこれた、生きて、次に進めるんだ」

 瞬き、妹を見て、瞬き、私の誰のものか分からぬ眼球へ。様々な感情を彼女の碧眼から受け取ってきたが、今見せる澄んだ碧眼はただ感謝に満ちていた。私のこれまでの選択を、讃えてるかのよう。

 一息、ダルクは乞うように続ける。

「ウォルは最期、なんて言ってた?」

「言うまでもない、たった一片になるまでずっとお前達を気にかけていた。自分の、明け渡した筈の役割を、果たそうとしていた」

 貫き続けた彼の執念を話す。彼女は感情を誤魔化そうと、大きく息を吸い「……だろうと思ったよ」とダルクは唇を強く噛んだ。後悔がぐちゃぐちゃに入り混じった感情を押し殺そうとしているのだ。

 だが、それは当たり前なのだ。私が隠していたのだから――そんな私の感情が伝わったのか、はたまた黙す私に何か感じたのだろう、優しい、彼女の面影見える口調で宥めるように言う。

「あたしは、随分酷い事を言った。拒絶だけじゃない別の道もあったっていうのに」

 悲しみの余韻、体が震え、失ったものの価値に気づくこの一瞬。私自身が向けていた彼女への感情に気づいた時のような感覚、濡れる沈黙のベールの中で際立った。

「姉さん」静観していたマリアが口を開く。

「どれだけ拒絶されても彼は……守ってくれて、あいつに勝てた。それは変わらない」

 僅かに言い淀みがあるがはっきりとした口調は、全てが終わった訳じゃないが、晴れ晴れとしていた。こんな雨が降りしきる日とは思えないほどで、彼女の復讐という目的を達成できたからだろう。

 普段表情を変えず、何を考えているのか分からないマリアだったが、今の彼女はまるで幼子のように褒めてと言わんばかりであった。

 無邪気で、純粋で、復讐など無縁の。

――――刹那の躊躇。

 隠され続けたマリアの悍ましい復讐心に、同じ血が流れるダルクはそれに気づき、顔に陰りが見えたのだ。けれど、それは一瞬で消え去った。

「……ありがとう、多分あたしだけじゃどうにもできなかった」

 浮かぶ微笑み、そして事実……姉妹なのだから、どこか分かっていてもおかしくはない。ダルクの目的は復讐とは言うが、両親にできなかった事をする、そんな両親への反抗だ。

 だがマリアは純粋無垢なる復讐――両親を殺された、その事実に対する積もり積もった憂さ晴らし、ダルクがわかっていない訳が無い。それを、これまで通り見なかった事にした。

 私は、何も言わない……選択は自由なのだ。私もそうしてきた通り、後々の代償さえ払えば。

「ふふ」

 嬉しそうに笑うマリアの目に、濁りは無い。深縹色の瞳に星屑を散らし、真っすぐだ。

 ダルクは改めて覚悟を決め「次はあたしだ」と呟いた。見上げた視線の先ははっきり見える訳じゃないが、狭い城門で押す事も押し返される事もない拮抗している戦場に、向けられている。

 そうだ、あまり時間はないのだ。けれど彼女には言わなくちゃいけない。

「よく、生きていた」

 私は改めてマリアへ向き直り、その言葉をかける。

 理由は単純だ。死ぬ一歩手前であった彼女にはここで待機してほしかったが、私の言葉を否定し風のように走って来てくれたからこそ、相棒と最後に言葉を交わせた――――そしてこの戦最初の関門を突破できた。

 ウォルだけで十分だと思っていた私が言える事は、ただ生きてくれた事に対する感謝だ。無傷ではないが、死ななかったのだからそれこそ十分だろう。

 彼女はダルクへ向けていた視線を落とし、私の誰のものか分からない眼球を見て、表情を柔らかくさせたまま言った。

「スライムも、よく気付いた」

――相棒が放った不壊の刀を受け取り、マリアが辛うじて奴の一閃を防ぎながらも、追い詰められたあの時、私は生きている事を信じて命を賭しても時間を稼ぐつもりでいたのだが、彼女に触れた時、生きている、そう確信した。

 何故ならば『その男を殺すのは私だ』という明確な殺意が、私の水面のような体へ、彼女の服越しながら焼けるように熱く伝わってきたからだ。

 死んでいるとは思えないほど熱く、感情が込められていた……言えば餌だったのだ、奴を油断させる為の。

「……ああ」

 疑っていた訳ではない。容姿も、技も、彼にそっくりなのだから当たり前で、目を見張るものがあった。死の淵に立たされながらも、危機的状況を数少ない手札だけでどうにかしてみせる気概も執念も、彼そのままに受け継いでいる。

 彼の息子であり、姉妹の父である彼も似てはいたが、ここまでではなかった。

「ま、あたしとしてはスラさんの言う通りにしてほしかったよ」

 ダルクが苦笑をしつつそう言うが、マリアの本質を理解している彼女は、それ以上を続けない。それはマリアがダルクを止めないのと同じ理由だろう。姉妹は、二人で一つだと思っている。

 そしてダルクも自身の本質を理解しているのだ。彼女は優しすぎる。私が知る、彼女のように。

 執念、復讐、彼女の心の中など外にいる我々には到底理解できないが、散々助けられた村の人達を助けようともしなかった両親を、彼女は妹のように仇討ちで超えようとはしなかった。

 両親ができなかった『無辜の人々』を命に代えても守る事で、超えようとしている。

 それを……優しさとは言わず、何か。

「これからの事について、話す」

 手当ても終わったのだ、いつまでもここで感傷に浸る訳にいかない。私は抑揚のないしわがれた声で、強く次を口にする。

「第一歩は成功したとて、依然私達が不利である事に違いはない」

 この国を取り戻せたとして、連合王国として加わっている二つの国が黙っているとは思えないのだ。彼をきちんと悼む暇もなく、ならば素早く動かなければ。

「この国を今日中に返してもらう」

 私の声に、マリアは変わらなかったがダルクの表情が崩れ、素っ頓狂な声を上げた。

「はっ?」

 私は人であれば落ち着かない心を鎮めるように大きく息を吸い、吐く真似をして続ける。

「一度だけだ。たった一度しかできない、必勝の策がある」

「必勝……必ず勝つ?」

「そうだ。ダルク、お前にも先程話したが、お前の祖父……この国の正統な王族にしか伝わっていない秘密でもある」

「正統な王族……」腕を組み、困惑するのは当たり前だ。二人の両親はそれを隠してきたのだ、重荷を背負わせないよう。

 一拍置いて、切り替えも出来たのだろうダルクは、外していた手甲をつけながら続けた。

「で、策って?」

「詳細はまだ話せないが、これから向かう場所についてきてもらいたい」

「また?」

 少しうんざりしたような彼女に、申し訳ないとは思うが、流石に人が多いこの場所で話すのは憚れる。説明するのであれば、もう少し人気の無い場所がいい。

「すまないな。ただすぐそこだ」

「はぁ」

 だが彼女も私の事をもう大分理解してくれている訳だ。話せないと言えばまず話す事がないのを、身をもって知っている。大きな溜息だけで、それ以上の追求はない。

 これで次に進める、そんな風に安堵していると、マリアの怪我、ウォルの死、立て続けに起きた出来事に埋もれていたが、不意に冷静になった無い頭が、漸く一人足りていない事に気付く。ここ二日ほど離れていた事もあって、私やマリアは知らないが、頼んだ通りに地の底の町に居てくれたダルクが知らない訳が無いだろう。

 ぴたりと止まった私の動きに、怪訝な顔を浮かべるダルクへ問う。

「ダルク」

「なに」

「ハーンはどうした」

 聖女の事だ、不安に駆られる民衆の為に、下で何かをしているのだろう、そんな答えを予想するが、ダルクの深く思考し桜色の唇から放られ、私の無い耳に届いた彼女の行方は、ただただ驚くしかなかった。

「……知らない、な」

 私に足があれば、地面から絡み付くような嫌な予感を、どうにか踏み潰そうとしていたかもしれない。けれどそんな事をしている暇は無い。

「とりあえず、下に向かう」

 無い頭の中で回り続ける、処刑人共が地の底の町へ直接手を下さなかった理由、階段を塞がなかった理由……負い目という盾を使い、否定し、擁護してきたそれが――――

 間違っていると知りながら、私はまた、否定した。


 期待は崩れ去る。

「シスターが墓地に!?」

 長い階段を降りたところで、青ざめた顔の娼婦の一人に声をかけられた。

 聞けば孤児が墓地に入ってしまったらしく、シスターがそれを追ったとの事、ただタイミング悪く戦える者の殆どが現状を変える為に、上で城門を取り合う戦に向かったらしく、見渡さなくとも分かるが、下にいるのは僅かな子供か、商人か、娼婦か、年寄りしかいない。

 そんな中で、ダルクが声を荒げるのも無理はなかった。

「あいつっ、何やってるんだ……!」

 ここにいない者、ダルクと対等に渡り合える唯一の人物、重要な存在であるハーンへ――――通常、墓地は立ち入りできないようになっている。それが管理者であるシスターであってもだ。

 それは何故か、私と同じスライムが湧くのだ。

 それも何の変哲もないスライムならば問題は無い、が戦場や墓地に湧くスライムというのは、人の血肉を喰らい活性化してる可能性が高い。

 そういったスライムは、想像ができないほどに獰猛に、動きもただのスライムとは段違いになってしまう。

 そうさせない為に出来るだけ荒らされぬよう深く掘って埋め、土を被せている。だがそれも十分とは言えず、同胞が既に自身の体を貪ってから湧いてきてもおかしくはない。

 ある程度の経験を積んだ戦える者ならば良いだろう――しかし、入ったのは虫すら殺せないシスターだ。

……慌てふためいていても仕方ない。

「状況を整理しなければ……ディーテには伝えたのか」

 私の言葉に町民は恐る恐る頷いた。

 どうするべきか、思考をただただ早く巡らせる――そうなると、中々厄介な事になった。人間であれば頭を抱え、唸っていただろう。しかしそんな様子に気づいた町民は、あたふたしながら続ける。

「その、どうにか仲間達が抑えてはいるんですが……」

「! それならいい、絶対に墓地には行かせるな。死なせるようなものだ」

 不幸中の幸いだ。人望の厚い彼女の事、死に物狂いで止められているに違いない。

 血の繋がりは無くとも、彼女達は姉妹、ディーテなら死ぬと分かっていても行きかねない……私は眼球を後ろの二人に向ける。

「ここであまり時間はかけていられないが、見捨てる訳にもいかない」

 ダルクは「当然だ」と言い、マリアは静かに私の眼球を眺めている。二人らしい反応だ。

「助け出すぞ」

 大丈夫、同胞だけならこの姉妹がいれば容易に助け出せる。

――――雨が微かに弱まった気がした。すっかり遠くなった雷鳴が、どことなく近づきつつあるような気がして、その雷鳴が焦りを掻き立てた。

 住民の殆どがいなくなった町は、見慣れていようとも少し不気味だ。いつもの喧騒が無く、ただ地上から溢れた騒々しさが雨粒と共に降ってくる。

 私を先頭に二人が後を追うような形で辻を曲がり、教会が見えてきた……だが何か思っていたような様子とは違う。

 教会自体に大した変化は無いが、遠目からは数人の娼婦達とディーテの姿が見える――それ以外に目を凝らせば、シスターと墓地に入り込んでしまったという幼い兄妹の姿があった。

「スライム……?」

 いち早く私達の姿に気付いたのはディーテであった。変わらず大きく胸元が開いた服を着ているが、その胸元にはシスターの姿があり、いつもの凛とした表情は崩れ、目元は赤く腫れているではないか。

 立ち止まり、私は言う。

「シスターと兄妹の事で来た、のだが」

「それならほら、ここにいる通りだ」

 ディーテの手が、気絶だろうか、目を瞑ったままのシスターの頬を愛おしそうに抱きながら撫でた。そしてそこに幼い兄妹が泣きながらシスターに抱き着いている。私の後ろにいる姉妹も困惑しており、状況を飲み込めていない。それは私も同じだが、シスターの顔を覗き込むように見ていたディーテが、答えを教えてくれた。

「襲われる直前に、聖女様が助けてくれたんだ」

 心の底から感謝をしているのが窺える、声色で。

 私は少し信じられず「……ハーンがか」と聞き返すが、ディーテは即座に「ああ」と優しく頷いた。

 分からなかった、思慮深く考えようとも彼女の真意が分からない。

 領主の元へ向かう少し前から、私の中にある考えがあった。それは彼女の立ち位置だ。

 彼女がこの町を最初に訪れた時は住民を想い、心の拠り所を失くした彼らに信仰という新しい拠り所を与える姿は、まさに聖女そのものだった。

 けれど、あの飾り蝋燭通りでの出来事以来、向こう側なのかと疑っていたが、シスターと兄妹を助け出してくれたという事実でどちらなのか、確信が無くなった。恐らく彼女の生来の性分である『人助け』は変わっていないのだろう事は確かだが。

 深く考える私に「あ」とディーテが何かを思い出したのか声を出す。

「聖女様からの伝言があったよ」

「伝言?」

「スライムの家で待つ、とさ。なんで今更、ね」

 怪訝そうにするダルク、疑問が小雨の中で際立つが、やがて虚空へ消えていく。この場で考えたところで彼女と面と向かわなければ答えは出ない。いや、姉妹にとってはそうだろうが……私にとっては一つ、彼女自身に繋がる物があった。それは――

「雨も降ってる、体に障る前にお前達は上がるといい。念の為にマリア、ついていってやってくれ」

 私の言葉にマリアは「?」と小首を傾げた。

「姉さんとスライムは?」

「ふた……一人と一匹で問題ないでしょ。何か用があるだけで戦う訳じゃあるまいしね」

 肩を竦ませ、軽やかにダルクは言う。

「あぁ、戦わなければな」

 かつて私が言ったように、彼女を裏切らせたとすれば、それは裏切らせた者が悪い。この場合で言えば、私になる。

 彼女がそれを知る事は無い。だがもし知ったなら? 無い頭をグルグルと回る不安。無い胸中を染め上げる黒い何かを、払うように私は呟いた。

「……無い筈だ」

――百年前から現在まで、全てを記し続けた『本』である。


 先に進む足を竦ませるような空気が、高く聳える壁に近づくにつれて重く体を押し潰す圧迫感に変わった。

 敵などいない筈だが、その異様さが彼女の姿を注意深く探させ、水捌けの悪い泥だらけの地の底、壁からまるで生えたように作られた私の小屋へ続く、足跡を見つけさせる。

 まだ形がくっきりと残っており、通ったのがつい先程だと見て取れた。

「スラさん」

 ダルクも気付き、屈んでそれを確認すると、同じ事を思ったのだろう、確信を宿らせた眼で頷いた。そして彼女らしく堂々と立ち上がり、胸部を膨らませて中にいるハーンへ向けて声をかけた。

「いるんだろ!」

……反応は無い。

 支配するのは雨がざぁっと屋根を、地面を打つ音だけだ。

 怪訝な顔をするダルクに私は言う。

「どうせ用があるのは小屋の中だ。入るとしよう」

「なんだよ、最初から言えって」と少し拗ねたように頬を膨らませるダルクを先頭に、ハーンの足跡をなぞるよう小屋へ向かう。

 言わずとも扉の前まで来たところで、ダルクが「聖女様はいますかね」と口を尖らせながらドアノブへ手をかけた――

「ぃっ!?」

――瞬間、蝶番が短い金切り声を上げたと思うと固定していた留め具、壁と共に壊れ、ダルクを押し潰すように木製の扉が外側へ吹き飛び、覆い被さった。

 通常、ひとりでにそんな事が起こる訳がなく、内側にいるとすればそれは『ただ一人』だけ……私の思い、予想を裏切らず、姿を表したハーンの手には両刃の剣が握られている。

 これまで握っていた姿を一度たりとも見た事が無かったその剣身は、曇天の空を映しているというのに白く輝きを放っていた。

 だが切先は見当たらない。どこか、私の視線が滑るように彼女の手元から切先を探り、それが彼女と扉の下敷きになったダルクへ延びている事に気付く。

「ダ……」

 名を呼ぶが、不可思議な事にそれ以上が続かない。

 水面のような体が、前に進もうとするが動かない。

「……主に抗う者へ罰を」

 鉄兜、住民がいない通り、顔を覚えられる必要がなくなった今、彼女がわざわざ弱点である頭部を露出する理由がない。

 面頬の間から見える血のような鮮やかさで燃える瞳が、私を激しく睨んでいた。はっきりと聞こえないくぐもった言葉は、憎悪があった。

 突き刺していた剣を引き抜き、足に力を込め、ハーンは一息に私の眼前へ飛ぶ。

 だが回避する事もできない、眼球も視線すら動かせず、彼女の姿を端にしか映せない。

――――これが、祈りか。

 血の滴りも無い剣身に違和感はあれど、抵抗できない。

 迫る剣が、真っすぐ私の核目掛けて振るわれ、やがて水面のような体に達し突き進み始めた。今まで感じた事がなかった死そのものが、覚悟などした事もなかったそれが、全てが遅くなった私の眼球に映る世界に、具現化されたよう。

……凍り付く水面の如く動けなかったその縛りを解いたのは、下敷きにされていた筈のダルクだった。

「させない」

 ぽつり聞こえたその言葉は、静寂を晴らすように聞こえた。

 思わぬ出来事によって、ハーンもその言葉に一瞬の動揺を見せ、声の聞こえた自身の背後へ視線を向けた。

 瞬きの攻防、空気を絶つ鋼同士の澄んだ音。

 泥を跳ね、二人は対峙した。

「……チッ」

 何方がしたのか響く舌打ち、今し方頬に出来た傷を手甲で拭い、剣の切先はそのままにダルクが猜疑に満ちた瞳で彼女の紅く燃える瞳を、見つめている。

 顎をしゃくり、ダルクは問う。揺れた髪先から滴が落ちた。

「スラさんに助けてもらっておいて、恩を仇で返すのがお前のやり方か?」

 鉄兜を撫でるように落ちる水滴、一つ二つ、三つ目が滑り落ちた時、ハーンは左手に括られた聖女が描かれた丸盾をちらと見やり、答えた。

「恩?」

 雨に晒されて冷えていたその言葉は、熱く紅く、火を灯す。

「どういった恩だ? ダルク、お前との諍いを止めた事か? その程度は恩にすらならん、そこにいる化物が何をしたのかお前には分からんだろうッ!」

「知らないね。でもいつでもあんたを拒絶出来たのにしなかった」

「……? 何が言いたい」

「その間、あんたは聖女としての役割を果たせた」

「っ」言葉に詰まったハーンはギリギリと柄を握り、左手は拳を作ると「わたっ……いや、俺はッ、母のようにはなれなかった……!」後悔を血に乗せて呟く、続けて、

「兄さんのように父のように強くもなれなかったんだ!!」

 溢れぬように抱き留める何かを失い、呪い続けた感情を音としてハーンは叫ぶ、張り裂けそうなほど胸部を膨らませ、喉が引きちぎれそうなほどに後悔から憎悪を蔓延させ、叫び続けた。

「お前が先々代を殺して無ければぁッ、私達は幸せに生きてたはずなんだッッッ!!」

 背中越しで鉄兜に隠れてしまっている彼女の表情は分からないが、慟哭はその表情を容易に想像させる。

 私も長く生き、少しは理解が出来るようにはなれた。人にとって家族は大切なものである事が多い、それは姉妹がそうであったように、特に彼女は強かった訳だ。

――――そしてハーンは、危惧していた通りあの本を読んでしまった。

 あの日、少しだけ気になっていた、散らかった私の小屋の本を眺めていた事を。

 少しでも考えておくべきであった。彼女が上流階級で、文字が読めるという可能性を。

 私の無い胸中に鋭い痛みが走った。彼女が、彼の血を継ぐ者である事を知った時のような、痛み。

……事実は決して消えない。私が死のうとも、知る者全てが息絶えようが……そうだ、私が殺した。殺してしまった。

 だから私は……

「裏切り者」

 頬の傷を経由して落ちる滴が、微かに赤く色づく。顔の輪郭を撫でる水滴を拭い、ダルクが言った。

「あんたもあんたの家族の事も分からない、スラさんとの因縁も知らない。だけど間違えてないか? こんな状況にさせたのは誰だ? あんたの家族が死ななければならなかった原因は? 確かにスラさんのせいなのかもしれない、あんたのじいさんを殺したのはスラさんでも、その原因を作ったのは一体誰だ?」

 頭上の稲光もダルクのその淡々としてどこまでも冷静さしか見えない言葉に、思わず光る事すらやめた。

 だが――――彼女の選択は覆らない。

「……さい」

 蚊の鳴くような声、次いで雷鳴が轟いた。


「黙れぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッ」


 雨音すら消し去る声、頭上から降り注ぐ閃光が剣の動きを隠した。

 ハーンの狙いは、私を殺すには壁となるダルクの首……彼女に今死なれても困る、加勢しようと動くが、それを察知したダルクが漲る力を抑え、左手に括られた『王の盾』を構えて言う。

「私一人で十分……!!」

――かくして小屋の前で対峙した二人は、私が止めに入ったあの時のように拳を、いや剣を交えた。

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