7話-5 悪役令嬢を包囲しよう。 その5
「ジェイデン、すまない。少しいいか?」
「兄上。」
ジェイデンは実験室に籠っていることが多い。
食事の時くらいしか会わないだろう。
しかし今は私が毎日ラティディアと食べているのでなかなか会うことはない。
ジェイデンは彼女が自分を偽っていたことを気づいていた。
私は彼女を見ていなかった。
すごく恥ずかしく思う。
ジェイデンは手を休むことなく私をチラリと見てすぐに視線を手元に戻した。
すこし難しい依頼が来たからだろう。
この2、3日は食事もここで取っている。
ほぼ実験室と言う庭の小さな小屋に入り浸っている。
「珍しいお客様だ。」
「お前が来てくれないからな。どうだ進んでるか?」
「多分三日以内にはできると思っている。
先日ラティのおかげで割と合成がうまくいったんだ。
ほぼ完成してるんだけどあとは一回にできる量が増えるといいんだけれども。
どうも捨てる方が多いんだ。」
ジェイデンは魔法で薬を作り出すことに興味を持っていたから小さい時からこうやっていろいろな薬を作ってきた。
今や街に出回っている薬の大半が彼から生まれたものだ。
私とは目を合わさない。
しかしさっき何ていった?
ラティ?と呼んでなかったか?
いつの間にそんなに親しくなったんだ。
「兄上がわざわざこんなところに来るなんて、
ラティの話?まあわざわざ来るとか、それしかないか。」
「ああ。」
「で、ようやく婚約破棄してくれるの?」
「あのあと考えたんだ。頭を冷やして考えてみたよ。」
「先日ようやくダリア嬢を公爵の養女にするように手回しできたんだろ?もうそれでいいじゃないか、」
そうだ。あんな事件がある前に私はラティディアとの婚約を破棄し、ダリアと婚約しなおすために奔走していた。まずはダリアに身分を与えないといけない。
その為公爵である伯父上に頭を下げて彼女を養女にしてもらうように話を進めていた。
あの事件の一週間前に書類がいろいろな機関の承認を受けて戻ってきていた。
しかし…それをもう父上に渡して承認してもらうことはない。
父上にこの書類を渡すことはラティディアと婚約を破棄してダリアと再び婚約するということを意味する。それはもう絶対にないことだ。
「いや、私はこのままラティディアとの婚約を継続する。」
「あんなに嫌悪感を出していた相手にこうも簡単に翻るの?」
「ラティディア…ラティアは私の初恋なんだ。
今記憶をなくして不安な彼女には申し訳ないが私は今の状況を喜んでいるんだ。」
「ふーん。」
ジェイデンは何やら液体をガラス瓶に注いでいる。
神経な目つきだ。
少し今は邪魔するのはやめよう。
「まあ、手を休めなくてもいい。聞いているだけでいい。
ラティアと会ったその日に私はラティアに恋をしていた。
だから婚約の話が出た時は本当に嬉しかったんだ。」
私は勝手にジェイデンに私の初恋の話をした。
彼女と初めて会ったのは王宮で開かれたお茶会。
母上のお茶会と称しているが私の婚約者を物色するためのものだ。
おかげで私の前には次から次へと令嬢を伴って挨拶する人が列を成していた。
公爵令嬢の彼女は割と早い段階で挨拶を終えていた。
別に何もない。挨拶しただけだ。
彼女は「はじめまして。こんにちは。」と、挨拶をしただけだった。
他の令嬢はペラペラと自慢話や私を褒め称えていたが彼女だけは一言だった。
しばらくしてようやく休憩を貰った私はお菓子を片手に少し庭園を抜けた秘密の場所に向かっていた。
そこはあまり人が来ない池のそばだった。
「ネコさんはいる?」
そこには猫の親子が住み着いていた。
私はその猫達におやつを持ってきたのだ。
しかし声が聞こえた。
「烏にやられちゃったの?ああ、大丈夫。落ち着いて。
ほらほら私は敵じゃないわ。あなたの子供を助けたいだけなの。」
遠くから見ると銀色の髪の女の子がいた。
さっきの宰相補佐のところの公爵令嬢だった。
どうも子猫が怪我をしているらしい。
私も心配で早足で近づいた。
その令嬢は母猫の頭に手を乗せて優しく撫でていた。
子猫のか弱い鳴き声がしている。
「だから大丈夫。ほら何も私はしないでしょう?」
私が彼女の前に出ようとした時、
彼女はドレスからハンカチを出してビリビリと破いた。
その行動に足が止まった。
彼女は小さく切ったハンカチを魔法で水を出して濡らしてから猫の前にしゃがんだ。
そしてまずは血を拭き取った。それからまたハンカチを破りその濡れていない切れ端で、ギュッとその傷口を縛った。
そして足を投げ出して子猫を膝に座らせた。
先ほどハンカチを出したポケットの反対側からお菓子が包んであるハンカチを出した。
クッキーを少し細かく割って猫達の前に差し出した。
「隠れて食べようと思っていたけどあげるわ。
でも、やっぱり私も食べたいから一緒に食べましょう。」
彼女を味方と認識した猫達は彼女の膝の上に広げたお菓子を食べはじめた。
彼女もクッキーを一枚口にいれた。
…一口?令嬢らしからぬ行動に少しびっくりした。
「あんなところでお淑やかに食べるなんて誰が推奨するのかしら?美味しいものは楽しく食べなきゃね。ん…もっと持ってこようかしら?足りないわ。ん?」
「はい。」
私は自分が持っていたお菓子を彼女に差し出した。
「あら?ってはい?あなたは」
彼女は立ち上がり頭を下げようとしたが、私はそれを静止した。
「ここは単なる庭の外れだ。誰も見てない。
美味しいものは楽しく食べるんだろ?気を遣わないで欲しいな。」
ふと彼女のドレスを見た。
子猫の血が付いていた。
「あ、これ?」
私が気にしているのに気づいた彼女は
「これで子猫ちゃんが助かるなら安いです。ふふ」
いつの間にか猫達は彼女の周りや膝の上で丸くなっていた。
割と高そうなんだけどな。
家に帰ったら怒られるよ。
「君は確か宰相補佐のところの?」
「ふふ。名前覚えてる。」
…忘れた。
彼女は笑った。
「あんなにたくさん挨拶されたら無理よね。
今度会う時まで答えを調べておいてくださいね。」
屈託なく笑う彼女に惹かれるのには一瞬でよかった。
多分私の顔は赤くなっていたと思う。
それからちゃんと名前を調べた。
彼女はラティディア。
愛称はラティアでいいかな?
私は自分の口から彼女の名前を呼べる日を楽しみながら待っていた。
しかしその名前を口にするのにそれから3年もの月日を費やしてしまった。
彼女と久しぶりに会ったのはが学園の入学式だった。
ちなみに11歳が1年生だ。八年間この学園で学ぶことになる。
当時その学園の3年生だった私の前に入学したばかりのジェイデンと一緒にいたのが彼女だった。
正確にいうと一緒にいたのは彼女だけではなくほかにも5人ほどいた。
配布する教科書を取りに行く途中だったみたいだ。
「ラティア!」
私はとっさに彼女の名前ではなくいつも部屋で一人口にしていた愛称の方で呼んでしまった。
しかし彼女は気に留めることもなくあの時と同じ笑顔で
「ようやく正解されましたね。」
と笑った。
そんな昔話を勝手にジェイデンの前で話していた。
いつの間にかジェイデンは手を止めていた。
彼は私を軽蔑するかのような目で見ていた。
「ダリア嬢を捨てるってことでいいんだよね?」
「ダリアにはちゃんと謝罪して別れてもらうように話はした。
しかしまだ納得してもらえない・・・。」
そうダリアは毎日会いに王宮までくる。
大体は仕事にかこつけて会わない日の方が多いのだが
昨日は別れる話をしたかったから中庭に通して話しをした。
しかし全くわかってくれない。
絶対別れないと言い張って泣き出して駆け出していった。
今日もはなさなければいけないのか・・・と気を重くしているところだ。
「まだ、そこを片付けてないのに何言ってるの?初恋とか関係ないから。」
ジェイデンの言う通りだ。
ラティディアと婚約破棄しないならまずはやらなければいけないことだ。
「弁解する余地もないよ…」
「初恋って何?必ず叶わなきゃいけないもの?
ダリア嬢は何だったの?好きだって言ってなかった?彼女への気持ちは何だったの?初恋引きずってるなら彼女に逸れる必要はなかったんじゃない?彼女にも失礼じゃない?」
「確かにお前の言う通りだ。お前が怒るのもわかる。本当に私がバカだったんだ。しかし考えても考えてもやっぱり私はラティディアがいい。ダリアにはきちんと謝るつもりだ。当然ラティディアにも…そして必ず彼女に許してもらう。私と一緒にいて欲しいとお願いするつもりだ。」
「何も見ていなかったくせに。虫がよくない?」
「そんなことは自分でもわかっている。でもダメなんだ。私はラティディアいいんだ。許してくれるまで何度でも謝るつもりだ。私を見てくれるまで何度だって・・・。」
「で、ダメならどうするの?」
・・考えたことなかった。自分の事ばかりだった。
そうだラティディアの気持ちを考える余裕がなかった。
婚約破棄をしようとしていたくらいだ。
彼女が嫌だといったら?他に好きな人がいるなら?
「彼女に・・・任せるしかない・・・。
でも必ず彼女の気持ちを私に向かせる。」
「ふっ…」
ジェイデンが大きくため息をついた。
何だかさっきまでの鋭い視線ではなくすこし笑っていた。
「よかったよ。兄上が俺の思っていた正解の方を選んでくれて。兄上の気持ちが固まったんなら俺は応援するよ。本当によかった。
まあ逆を選んだなら仕方ないけど全面対決で王太子にでもなろうかと思ってしまったよ。勝つ自信はあるけどね。なんたってその場合は俺の方にラティがついているんだからね。」
「やはりお前はラティディアの事を分かっていたのか。」
「彼女は名役者なんだよ。まあ、かなり笑わせてもらったけどね。
兄上がそう決めたんなら大丈夫だ。兄上はちゃんと自分で気づいたんだから。まあ頑張ってね。」
やっぱり私を試していたんだ。
「ありがとう。しかしもう少し素直に言ってくれたらありがたかったよ。お前だって名役者だよ。全く。」
「でもその方が考えたでしょ?」
「もうお前が本気で王太子の地位とラティディアを狙っているかと思ったよ。」
「なわけないじゃん。割と俺はここでお気楽に薬を作ってるのが気に入ってるんだ。王太子なんてがらじゃないよ。」
「ラティディアの事は…?」
「ん…まあ兄上が捨てるんなら絶対に手に入れようとは思ってたよ。今でも兄上がラティを傷つけるならいつでもいただくよ。彼女はいい子だからね。期待してるからよろしくね。」
「申し訳ない。その期待には応えられそうにない。」
「どうだかね。せいぜい頑張ってね。」




