故郷の憂鬱
序章 蘇る“まえ”と始まる“いま”
「感情とは一時的なものだ。本心とは大きく違う。いいな、志乃?」
その瞬間、目の前は鮮やかな赤色に染まり、意識は次第に遠のいてゆく。
その日、薄暗い部屋の中で俺はずっと雨の音に耳を傾けていた。玄関には黒い服を着た人が何人も並んで列を作り、母さんはその人たちと同じような格好をしてずっと涙を流している。
「それにしてもどうしたんだい志乃は?ちっとも顔を見せないじゃないか。」
「すみません。あの子もかなりショックを受けているようですし勘弁してあげてください」
時折、玄関先から聞こえてくる町の人たちの嫌味が俺を息苦しくする。どうして、という感情が徐々に強まり、あとにはそれをも通り越した空虚な気持ちが俺の思考を覆っていく。何も考えられずに俺は部屋のベランダから外に出た。そしてトボトボと歩きながら近くの河原で座り込み、そのまま雨を降らす暗い雲を見つめていた。
「志乃?何やってるの、こんなところで。」【今は葬式中のはずじゃ…】
後ろから少し高めの聞きなれた声をかけられたが振り向くことすら気だるく体を動かさなかった。
「ねぇって、ほんとにどうしたの。靴も履かず、傘もささずにさ。」【それじゃ風邪ひくよ】
そう言いながら肩をつかまれたことでようやく声の主に振り返る気なった。
「ああ、よう智也。どうしたんだ?」
声の主はすらっとした細身のしかしどこか頼りになる姿をした見慣れた人、智也だ。
「どうもこうもないって。ああ、もう。今から家来て。」【とりあえず落ち着いてもらわないと】
そう言って智也は俺に傘を渡し、喪服を着た自分が濡れることなど気にも留めずに歩き始めた。
「はい、とりあえず風呂、入ってきなよ。体、冷えてるでしょ?」【風邪ひかれちゃ困るし】
智也は俺にタオルを渡しながらそう言った。
「おう、ありがとな」
俺は言われるがまま風呂に入った。シャワーを顔から全身に浴び、バスタブの湯のぬくもりを感じるとぼんやりとしていた頭が次第に回転し始め、記憶が鮮明によみがえる。
何が起きたのか、何がこれほどまでにショックを起こしたのか。
一昨日親父が死んだ。目の前で。
その日は親父の誕生日だった。俺も久々の帰郷もかねて夕方に家族そろって食事に出ていた。豪勢な食事を楽しんだ後の帰り道のことだった。商店街からの慣れた帰り道に、環状線沿いを歩いていた俺たちに泥酔した運転手が乗るダンプが突っ込んできたのだ。
親父は俺たちを突き飛ばし自らが身代わりになる形でそのダンプに撥ねられた。もちろん俺たちはすぐに救急者を呼び治療をしてもらったが、もはや手の施しようがなかったらしい。脳出血など複数カ所に重傷を負っていたと後から医者に言われた。母さんはその説明の途中から泣き崩れまともに聞いていられないようだった。その後、家に帰って就寝するまで俺と母さんはお互いに一言も口をきけなかった。それ以降、何をしていたか確かでない。
「志乃~、着替えは貸すからさ。ここに置いておくね。」【あんなに濡れた服着せられないし】
「おー、ありがとな。」
智也の声で俺は回想世界から現実世界へと引き戻される。
美川智也は俺の親友だ。といってもこの町は小さいから近所の人はほとんど家族みたいなものだったのだが。歳が同じで家も近かったこともあって智也とは人一倍親しくなった。その付き合いは俺が地元から離れた高校に通っている今でも続いている。
風呂から出ると智也はリビングで俺のことを待っていた。
「あ、出たね。」【落ち着いたかな】
「ああ、おかげで少し頭の中で整理できたよ。ありがとう、智也。」
「ちょっと。なに改まってんの。俺と志乃の仲なんだからこのくらい当然だって。」【そうでしょ?】そう言った智也は照れ臭そうに眼をそらした。
「あはは、なぁに照れてんだよ。」「はぁ?志乃がそういうこと言うからでしょ?」
ああ、やっぱり地元っていいな。智也のおかげで少し地元に戻ってきていることを実感できた気がする。ほんとこいつにはかなわない。そう思いながら俺はもう一度智也の顔を見る。
「で、志乃。どうせ葬式から抜け出してきたんでしょ?その様子だと。」【わかってるんだからね】いつもはふわっとしているくせにこういうことに関しては人一倍鋭い。まあ、それがいいのか悪いのかは時と場合によりけりなんだが。
「…」
どちらにせよ、今回は(いや今回も、か)智也が言う通りなので否定できずに言葉に詰まる。
「あ、ごめん。別に責めてるわけじゃないから。とりあえず今日はうちに泊まっていきなよ。今家に帰ってもつらいだろうしさ。後で親には連絡しておくから。」【久しぶりの実家だろうけど】
智也の言う通り今日は家に居たくなかった。葬式の当日に人の家に泊まるなんてよくないことだとわかっていても夜遅くまで参列してくる町の人の嫌味をきくのはかなりつらい。
「そっか。じゃあ、お言葉に甘えて今日は泊めてもらおうかな。でももうこれ何回目だろ。」
「いいんだよ、何回だって。志乃のそれじゃしょうがないって。」【便利だけど厄介だもん】
「はは……それか。」
智也の言った「それ」は俺の能力のことだ。俺はなぜだかわからないが人の心が読める。俺と話している人に限られるがその人が考えていることが心の声として俺に響いてくるのだ。この能力は特に人間関係で厄介だ。感情と本心が違ったときの反応に困るし、話している人の今考えていること、自分に対して思っていることがストレートに耳に響いてくるのだからたまったもんじゃない。そのせいで俺は何度か人間不信に陥り、高校では地元を離れるまでに至った。智也は小さいころから俺と親しかったから、家族以外、智也だけにこのことについて話した。それもあって悩んだときは親よりも智也に相談することがあったほどだ。そしてそのたびに俺は智也に家に泊まっていた。
「とりあえず今日はもう何も考えないでゆっくりしてなよ。俺は部屋にいるから何かあったら呼んでね。まあ、何もないだろうけど。」【俺が感情流しても悪いよね】
智也は俺がこうなったときを何度も見ているから、こうして俺に一人の時間をくれるのだ。それも自分の家にもかかわらず。俺にとってはありがたいのだが、少し申し訳なくも思う。
智也がそう言ってリビングから出ていくと俺は一人、リビングでボーっとし始める。智也のおかげで少しは落ち着いたもののやはり空虚な気持ちはそう簡単には晴れやしない。これまでと同じ人間関係のことならテレビを見たりして気分を紛らわせるのだが今回はそうもいかない。これまでとはショックの大きさが全く違うからだろう。
「―の、志乃!」「ん…どうした、ともや」
「いや、ご飯食べないの?寝てたよ。」
どうやらリビングでそのまま寝てしまっていたようだ。
「やっべ、寝てたか。今何時だ?」
「もう十一時だよ。そろそろ食べないと胃もたれするんじゃない?」【もう少し早く起こしたほうがよかったかな?】
「いや、気にしないでくれ。今から食べるよ。」
いつもなら人の感情に返事はしないのだが智也だけは別だ。
「そう?じゃあ用意するよ。」【何にしようかな】
そう言って智也はノリノリでキッチンに向かう。
「え?もしかして今から作るのか?」
「うん、そうだけど?」【当然でしょ?】
そう言いながら智也は腕を回しながら得意げに言う。
「いや、それはさすがに悪いし。それなら飯は大丈夫だよ。」
「そう?じゃあ、もう寝よっか。」【ちょっと残念】
「あ、いや…」
感情が読めると気の使い方がかなり難しい。智也と話してるときはそこまで気にしなくてもいいのだが、他の人に感情から考えて気を使ったり行動したりすると気味悪がられる。
「あはは、そんなんで学校やっていけてるの? またあの時みたいになっちゃうよ」【もうあんなふうにはならないでよ?】
「いや、お前は特別だって。」
「でも、あの時……か。今となっては懐かしくもあるけどな。」
中学の時のことだ。俺はこの能力のおかげで大変な目にあったのを覚えている。まぁでも、それはまた別の話だ。
「そういえば志乃は真柴と同じ学校だったよね? 中学のことがあるのに一緒の学校に行くなんて……せっかくあんなに頑張って地元から離れた優秀な高校入ったのに何でわざわざ同じ学校にしたの?」【正気?】
真柴。真柴薫は俺を中学の時に孤立させた張本人だ。
「合わせたんだよ。真柴が二度とあんなことしないようにな。」
「まったく、志乃はお人よしだね。人のために自分の高校生活を犠牲にするなんてさ。それに志乃より真柴のほうが中心になるのは早いんじゃ…」【正直、コミュ力に関しては圧倒的だよ】
「そんなことはわかってるよ。俺は中心になりたいわけじゃないんだ。」
「でも…」【自分の人生だよ?】
智也に心配させるのは少し心が痛むがこれはもう曲げたくない。
「それよりまた真柴はなんか企んでるみたいなんだ。」
「え、また?まぁ、中学の時はあんなにうまくいってたから無理ないけど。それで、志乃が真柴を止めるってこと?」【言わなくても……】
「もちろんだ。まったく、入学したばっかりなのによくやるよ。」
「やっぱり。それで、明日志乃は帰るんだっけ?」【はやいなぁ】
「ああ、せっかく帰ってきたのにこんなことになるなんてな。」
「じゃあ、もうそろそろ寝ないとまずい感じ?」【朝、早いんでしょ?】
「まぁそんなことはないけど。」
「そっか。じゃあもうちょっと話そっか。せっかくだし。」【俺も話したいこといっぱいあるし】
こうして俺の久々の帰郷は幕を閉じた。
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