第五話 魔王とゾンビ
死体に魔力が満ち、動き出したもの。それが魔物だ。
だが、極々稀に魔力を、生まれたそのときから保持している者が現れる。
別に、お腹の中で一度、死んでしまったというわけではない。心臓は動き、血もめぐり、成長する。それなのに魔力を体に巡らせているのだ。
更に、一番の特徴は、彼らの多くが生まれたその瞬間から、世界に憎しみを抱いていることだ。その魔力で、身近な者から次々と殺していく。凄惨な事件を起こし、何人もの魔力持ちがその名を歴史に刻んでいる。
だから、人々は彼らを畏怖し、「魔王」と呼ぶのだ。
茫然としているあたしの元に、ヴィシュさんは近づいてくる。そして、あたしの肩をつかんだ。揺さぶられる。
「こンの、ど阿呆!」
あたしはそっとヴィシュさんの様子を伺いみる。眉と目がすげぇ吊り上がっている。
「コソコソ盗賊のとこに行くから、退治すんだろうな、流石になんか作戦立ててんだろうな、って思ったら、まさかのゴリ押しじゃねぇか!」
ヴィシュさんは話をつづけながら、足元の盗賊を蹴り飛ばした。気絶して重いはずの体が、壁まで飛んで行って激突する。
「心配して付いて行って良かった! ガチで!」
ヴィシュさんはそう言うと、ひとつため息を吐いた。それで我に返ったらしい。慌ててあたしから距離をとる。
「……」
そうして、おそるおそるあたしの様子をみた。あたしが何も言わないでいると、ヴィシュさんは頭をかいた。逆に八の字に眉の向きが変わる。
「やっぱり、怖ぇよな。すまん。その、魔法使ったほうが、魔物の仕業って誤魔化せるんじゃねぇかと思って。や。大丈夫だ。お前には向けないから。ホントに、大丈夫」
ヴィシュさんは両手を体の前にやって、自分がそれで攻撃していたことに気づいたのか、今度は万歳のポーズを取った。何度も頭を下げながら、後ろに下がっていく。途中、また何人か盗賊を蹴とばしていく。
「すぐに、どっか行くから」
その言葉にあたしは、自分の胸をどん、と叩いた。
「え?」
伝わらなかったので、もう一度、自分の胸を叩く。更にヴィシュさんの頭が傾く。あたしは意味を分かりやすくする為に、胸を叩くスピードを速くした。
猿みたいになった。
「ぅあああ!」
伝わらないことに焦れたあたしは、盗賊の鼻血を借りて、地面に文字を書きだす。臭くてちょっとばっちかった。
ヴィシュさんはあたしの手元を見、息を呑んだ。
『あたしは、魔物です』
さっきの距離感は彼の嫉妬レーダーに触れたと思うので、頭の中で百回ほど彼に告白しながら、あたしは胸を張る。
「ふ」
ヴィシュさんはしばらく黙ったのち、吹き出した。
「ふはッ。ははははは! そうだよな。そうだった。お前、ゾンビだったわ。それで、結婚するんだもんな、恋人と」
そうだ。
あたしはゾンビに成り果てたというのに、人間の彼と結婚したいと思っている。
重要なのは属性じゃない。その人個人を愛せるか、愛しているか。それだけだからだ。
あたしは彼を愛しているし、彼のあたしへの愛を信じている。
だから、あたしだけは絶対に、「魔王」だからという理由だけでヴィシュさんを拒否してはいけない。
ナイフの刃をなめるような変態野郎ならお断りだが、ヴィシュさんはここまであたしに付き合ってくれた。マントも貸してくれた。
一度言ったが、何度だって言おう。
『ヴィシュさんは良い人だ』
ヴィシュさんはその文字を見て、笑い声を大きくした。肩を震わせて、うつむく。髪の毛で顔が隠れる。堪らないと、壁を何度もたたく。
それで誤魔化したつもりなのだろうが、体液に敏感なゾンビの身からするとよく分かる。
隠れた両目から、良い匂いのものが滴っている。
あたしは首を傾けると、食欲を誤魔化す為に、懐から取っておいた熊肉を取り出し、むさぼった。
ヴィシュさんの笑いが更に酷くなった。
あたし達は、馬車に乗りたいが余りに盗賊のアジトの様子を見に行って、魔物が襲っているところを見たと、ギルドに通報した。
翌朝、ヴィシュさんを先導に、ギルドの人達がアジトに乗り込む。あたしたちの嘘はすぐに信じられた。魔法が使われた証である氷が見られたのと、一部の盗賊たちの首に噛み跡があったからだ。ギルドの人達はこれを、氷狼のせいとした。
濡れ衣を着せられた氷狼は可哀そうだけど、村の人達がしばらくは感謝の気持ちを込めて、こっちからは狩らないと言っていたので許してほしい。
やっぱり狩りをするのには便利な村だったのか、盗賊がいなくなったと知るや、続々と人が集まってきた。
乗合馬車も沢山やってくる。
前に会ったおじさんが、盗賊がいなくなったことを教えてくれたお礼にと、馭者との間を取り持ってくれた。
そのうちの、一人。年嵩のお爺さんが言った。
「オウマ村? ああ、知ってる。お客さんのせてったことあるよ」
あたしとヴィシュさんは顔を見合わせる。
「その、そこに、乗せてってくれないか! 代金は勿論弾む!」
ヴィシュさんはお爺さんに詰め寄った。示した金額は、あたしの熊マネーでは払えない額だ。勢いに体を引きつつも、ほくほく顔でお爺さんは受け取る。
『あとで、返すから』
熊をもう何体か狩ればいい。あたしが地面に書くと、ヴィシュさんは首を振った。
「店にもロクに入らず、狩りばっかりして余った金だ。使ってくれ」
ヴィシュさんはそっとお財布の袋の中を見せた。金貨が山ほど詰まっていた。そう言われてしまえば、断ることは出来ない。
結婚後の引き出物には、他の人よりも一等豪華なものをあげようとあたしは決心する。
もうこのまま村に帰れるし、ヴィシュさんとはここで別れることにした。
結婚式には必ず招待する。
馬車に乗り込み、口パクでそう言うと、ヴィシュさんの眉間にしわが寄った。
「ぇあ?」
そのまま、ヴィシュさんも無理やり馬車に乗り込んでくる。
思わず声を上げてしまった。
「さあ。出してくれ」
あたしが喋れないことをいいことに、ヴィシュさんがお爺さんに言う。
お爺さんは頷き、手綱を引くと、馬車は颯爽と動き出した。
睨みつけるあたしに、ヴィシュさんは頭をかいた。どうやら癖らしい。
「お前ひとりだと、やっぱ何しでかすか不安でな」
『マリーってさ。なんていうか、こう。目を放しちゃ駄目な気するよね』
彼にもほぼ同じことを言われた。あたしってそんなに頼りない存在だろうか。
ちなみにそん時は野良犬と戦って、意気投合したときだった。ポチと名前をつけた。
元気にしているだろうか。
窓の外の景色が高速で流れていく。途中、あたしの殺された道もあった。
体が震えたが、その膝の上に小さい氷がぽとん、と落ちた。
冷たい。
あたしははっとヴィシュさんを見る。ヴィシュさんは知らんぷりをして、あたしとは別の方の、窓の外を見ている。
あたしはくすりと笑った。そうだった。盗賊はもう、あたしとヴィシュさんでやった。あたしの牙にもその感覚が残っている。
今のあたしは、強いゾンビだ。
しばらく進んだところで、ふいに馬車が止まった。馭者用の窓からお爺さんが顔を覗かせる。
「すまんなぁ。お二方。検問だ。ま、すぐに終わるさ」
あたしは、盗賊のせいで警備が厳しくなっているのだと思った。座席に体を沈ませる。
右腕がないのだって、魔物にやられたと言えばいくらでも誤魔化せる。胸の傷も、流石に服をひっぺがえしたりはしないだろう。
その横でヴィシュさんは体をこわばらせた。
「……まずい」
「ぇ」
小さく声を漏らしたあたしに、お爺さんがぼんやりと言った。
「魔力がないか検査するだけだぁ。噂には聞いていたが、こんな田舎道にまで来るとは」