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歴史もの

今様往生

作者: しのぶ

 平安時代の末期、神崎の遊女に「とねぐろ」という者がいた。

 ある時彼女は、なじみの男と共に船で筑紫(つくし)に渡ったが、その途中で乗っていた船が海賊に襲われた。

 船は襲われながらも、乗客の必死の防戦と、風向きのおかげで何とか海賊から逃げ切ったものの、乗客の何人かは命を落とした。


 とねぐろも、あちこちに矢傷を負って今は死ぬばかりであったが、息絶えようとする時に語っていわく、


「我々は、今まで何をして年を重ねて来たのであろうか。思えばあわれなことだ。今はただ、極楽浄土にお連れくださるという、阿弥陀仏の誓いを念ずるばかりである」


そう言って今様を歌い、



“我ら何しに老いぬらむ

思へばいとこそあはれなれ

今は西方(さいほう)極楽(ごくらく)

弥陀(みだ)の誓ひを念ずべし”



と、何度か繰り返して息を引き取ったが、その時西方の空には五色の雲が現れ、どこからともなく妙なる楽の音が聞こえてきたので、集まった人々は、


「これはいかにも、彼女は極楽往生したに違いない」


と口々に言ったものであった。



 さてその場に二人の貴族がいたが、その場を離れて後、一方が他方に語って言った。


「人々は、あれでとねぐろは極楽往生したものだと信じているようだったが、今様を歌うことで往生するなどということがあるものだろうか。今様は正式な称名の作法でもなく、そのうえ歌として由緒正しいものでもなく、近頃になってできたもので、遊女まで習うようなものであるのに」


 これに答えて、もう片方が言った。


「いや、それは問題ではないでしょう。あなたは、あの都良香(みやこのよしか)が漢詩を詠ったのに、羅生門の鬼と竹生島(ちくぶしま)霊天(れいてん)が返しの詩を詠ったという話を知りませんか。

ところで、羅生門の鬼はともかく、竹生島の霊天と申し上げるのはつまりは弁財天のことであって、この弁財天は元々は天竺の神であるわけです。しかしだからといって、この神に語りかけるのには梵語でなければならないということはなく、日本人が漢語混じりで詠んだ漢詩に対して、漢詩を返したのです。


しかしそれも当然のことであって、この国で使われている仏典は、漢から伝わったものなので漢訳されたものですが、仏典は元々は天竺から伝わったもので、もとは梵語で書かれていたわけです。

しかし、我々はその漢訳された仏典を使って仏法を学んでいますし、またその仏典は写経されることもありますが、漢訳されたものであっても、その写経にはちゃんと功徳があるものとみなされています。

一方、真言などのように、その言葉の音自体が大切であるとみなされるものは漢訳されず、梵語の音をそのまま写して使われていますが、その他のものはその意味をとって訳されているのであって、それはつまり、言葉自体ではなく、それによって伝えられる(こころ)が大切だとみなされているからでしょう。


してみれば、あのとねぐろは、日頃から今様に親しんでいたために今様を通して信心を表したものであって、その信心が正しいものであれば、今様を通してでも往生できるものだと考えられるわけです。


それが証拠に、菅公の飛び梅は菅公の歌に対して漢詩で答えましたし、藤原成通(ふじわらのなりみち)乳母(めのと)は成通の今様で病が癒えましたが、これらはいずれも、その心が神明に通じたものだと考えられるわけです。後白河院も、“世俗文字(せぞくもんじ)(ごう)、ひるがへして賛仏乗(さんぶつじょう)(いん)、などか転法輪(てんぽうりん)にならざらむ”と云われていますし」


 これ対して、相手は言った。


「なるほど、そう言われれば確かにそうでしょう。しかし私は、そのような考え方が行き過ぎれば、必要以上に形式を軽んじることになりはしないかと思うのです。そうなれば、元々の形式に込められていた(こころ)まで失われてしまうかも知れません」


 それにもう一方は言った。


「確かに、それはそれで一つの問題でしょうな。とはいえあのとねぐろについては、やはり私は、彼女は極楽往生したものだと信じたいのです」


 相手は言った。


「それは無論、私もそう思っていますよ」

 

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