第一話:最”凶”な彼女との出会い
その日、僕、藤井智哉の朝は最悪だった。
どういうわけか目覚ましが鳴らず、起きたのは遅刻寸前という時間帯。慌てて着替えている最中に足をタンスの角にぶつけ、その拍子に転んで床に額で挨拶してしまった。さらにとどめと言わんばかりに、出かける寸前になって自転車のパンク。こうも不運が重なると人間笑いしか出てこなくなる。
そんなこんなで、僕は全速力で学校までの道のりを走っていた。僕の通っている高校は規律に厳しく、遅刻をしようものなら課題が山とだされる。何がなんでも遅刻するわけにはいかないのだ。
僕の目の前に曲がり角が見えてきた。
そこを曲がれば学校までの近道がある。
このままならギリギリで到着できるだろう。僕はペースを速め、一気に角を曲がった。その時、突然視界の端から人影が現れた。急ブレーキも間に合わず、二人は地面に投げ出される。地面に着くまでの一瞬の間、僕の脳裏には今朝、つけっぱなしだったテレビから聞こえてきた、女子アナウンサーの声が浮かんだ。
――今日の一位は双子座、素敵な出会いがあるかも。ラッキーカラーは白でーす――
もしこれがベタな恋愛ものでよくある出会いの一場面であれば、占いも捨てたものではない。すぐに体を起こし、相手のもとへ駆け寄ろうとした。
「なにするんじゃい! このガキゃあ!!」
前言撤回。占いなんか二度と信じない。そう僕は心に決めた。
「すいません! すいません!」
僕は半泣きになりながら平謝りをすることしかできない。男の怒声はそれでも続いている。
「誠意が伝わらんのぉ? こっちこいや!」
男は僕の制服の襟首をつかむ。僕はこの時初めて、『命の危機』というものを実感した。
涙でかすんでいく視界の中、横に一台の車が止まる。黒光りした車体は重厚感が漂い、明らかに辺りにある車とは異質のもに思えた。
やがて後部座席のドアが開き、中からスーツを着たガタイのよい男が二人、その間に僕と同じくらいの歳をした女の子が一人降りてきた。そして、その子は開口一番、男に向かって言う。
「大の大人が、子供相手にしかケンカ売れないなんて、情けないねえ」
「この小娘が! もういっぺん言ってみぃ!!」
「何度でも言ってやるよ。子供しか相手できない小さい野郎だって」
男は顔を真っ赤にして怒っている。つかんでいた襟を離すと、その子に向かって拳を振り上げようとした。
しかし、その子の横についていた二人の男が前に一歩進み出ると、男は立ち止まった。静かな迫力を含んだ無言の重圧が男にのしかかる。やがて、男は振り上げた拳を戻すと、僕と女の子の顔を見て、舌打ちをしてその場から去っていった。
男がいなくなったのを見ると、その子は
「あんたも気をつけなよ」と言って再び車に乗り込んだ。唖然とした表情を浮かべながら、僕は走り去っていく車を見つめる。その耳には小さくなっていくエンジン音と、遠くのほうから聞こえる学校のチャイムが混ざって響いていた。
「藤井、遅刻だ。あとで職員室へ来い」
校門で待ち構えていた先生にそう言われ、肩を落としながら僕は2-Aの教室に向かった。
これまでおとなしい優等生で通してきた僕だったが、今回の遅刻でイメージは崩れ、不真面目な生徒という印象を与えてしまったかもしれない。もしかしたら今日からあだ名が
「遅刻した人」になってしまうのではないか。
そんな変なことを考えながら僕は教室のドアを開けた。教室中の視線が一斉にこちらに注がれる。どうやら先生のありがたいお話の最中だったようで、僕は足早に自分の席である一番後ろの窓側の席に向かって歩きだした。が、教室に何か違和感を感じ、はたと足を止めた。
「あぁ、彼女は今日家の事情で転校してきた、上原佳奈子さんだ。これから仲良くしてやってくれ」
昨日までは何も無かった僕の机の横にもう一つ机があり、そこに女の子が一人座っていたのだ。
僕はその子の顔をちらっと見る。女の子は頬杖をつき、窓の外を見ていたので、顔はよく見えなかったが、深く考えないことにした。転校生の顔よりも遅刻の言い訳を考えることで僕の頭はいっぱいだったからだ。
ホームルームが終わり、教室が一斉に騒がしくなった。脳内会議の結果、遅刻の言い訳を、不良に絡まれて自転車は盗まれた、額の傷はそのときに殴られたことに決定した。あながち間違った言い訳でもない。実際自転車はパンクしたのだが、盗まれたと言っておけば罰が軽くなるかもしれないと考えたのだ。
いざ職員室へ行こうとすると、とっくに僕の頭から消えかけていた転校生に声をかけられた。
「ねぇ、ちょっとあんた」
「えっ……何?」
「助けてやったのに、礼の一つもないの?」
この子なに言ってんだ? なんで今日転校してきたばかりの人にそんなことをいわれなければならないんだ。僕には全く想像もつかない。
「まったく……このあたし顔を忘れるなんていい度胸ね」
依然として僕には何のことかさっぱり分からない。どうせ人違いだろうと思い、少しめんどくさそうに
「以前お会いしたことがありましたっけ?」
てみた。
「あんた、もしかしてケンカ売ってんの? 今日の朝! あんたが登校してるときに何があったか思い出してみな!」
彼女は少し強い口調で言い放つ。
今日の朝……。
僕の顔からどんどん血の気が引いていくのがわかる。そして己の鈍感さを呪った。
「まさか……あのときの……」
「ようやく思い出した? まったく……今の今まで忘れてたなんて、薄情にもほどがあるわね。あんたがチンピラに絡まれてるところを助けてあげたのはこのあたしよ」
僕は驚きで何を喋ればよいか分からず、ただ酸素を求める魚のように口をパクパクさせていると、加奈子はしょうがないなといったふうに
「あんた、職員室に行くんでしょ。私も行くところなの。というわけだから、行くよ。遅刻した人」
と言って、僕の袖を引っ張って歩きだした。
「あんた、遅刻の言い訳しに行くつもりなんでしょ?」
佳奈子はお見通しだといったように僕に問いかけた。
「ま、まあ…そうだよ…」
僕は心の内を見透かされたことに苦笑いする。加奈子はより強く智哉の腕を引っ張りぶっきらぼうなノックを一つして職員室に入った。
「藤井、こっちだ」
職員室に入るなり声をかけたのは、体育教師兼生徒指導の先生だった。肩をすぼめながらとぼとぼと僕はその先生のもとへと向かう。僕はあまりこの先生が得意ではない。学園ドラマに出てくるような『いかにも』といった体つきをした先生に、僕は内心びびっている。そして、説教が長いこともその理由になっていた。
先生は眉間にしわを寄せ、僕の顔を見る。蛇に睨まれた蛙のごとく、僕は身動きが取れなかった。
「藤井、お前は今日が初遅刻だから大目に見てやるけどな、これがもし社会人だったときのことを考えてみろ」
「は、はぁ…」
また始まったよ……。話し始めたら生徒の言うことなんか聞かないからな、この先生は。僕は言い訳を話すタイミングを完璧に逃したことに激しく後悔した。状況は最悪。先生の無駄に長いお説教を聞かされようとしているの。僕はばれないように小さく溜息を吐いた。
先生の話を止め、本当のことを言おうか。でも、チンピラに絡まれていたところを女の子に助けられた、なんてこの先生に信じてもらえるか疑問だ。
「おい、聞いてるのか?」
「は、はい……」
でも、このまま黙ってこの場に立っているよりはいいはずだ。先生が一息ついたのを見計らって、僕は口を開いた。
「あの、実はですね――」
「藤井君が遅刻したのは、私を助けてくれたからなんです」
そう言ったのは今まで隣で様子を伺っていた加奈子だった。
「藤井君は私がチンピラに絡まれていたところを助けてくれたんです。私を先に逃がして、チンピラから守ってくれたんです!」
突然のことで先生は驚いている。しかし、もっと驚いているのは僕のほうだ。自分でも気づかないうちに口をポカンと開けて加奈子を見ていた。さっきまでの人を小ばかにした態度とはまるで別人だ。ここまで自分を変えられえる人間を僕は今まで見たことがない。
「そ、そうか。それなら仕方ないな。藤井、よくやったな。課題は出さないでおいてやるから、もう遅刻するなよ」
たった数十秒の内にどうやら事態は丸く収まったようだ。戸惑いと混乱を抱えて、僕は職員室を出た。
「また私のおかげで助かったわね」
背後から加奈子の声が聞こえた。その声の調子から、ここに来る前の加奈子であることがわかる。振り返ると加奈子が右手にプリントを数枚持って職員室のドアを閉めていた。多分、用事とはこのことだったのだろう。
「別に頼んだわけじゃないじゃないだろ。ちゃんと理由は考えてたのに」
「チンピラに絡まれて自転車を盗られました、なんてあの先生がすんなりと信じると思う? 私が代わりに言ってあげたから課題も出されずにすんだのよ」
僕は反論することができなかった。加奈子に言い訳の内容は話してないのに、どうしてこうも人の考えを読むのがうまいのだろう。
「とりあえず、お礼は言っとくよ。ありがと」
このままでは僕の考えがすべて読まれてしまうかもしれない。そんな超能力者みたいな人間と一緒にいられない。そうなる前に早めに加奈子から逃げだそう。僕は疲れきった表情で、肩を落としながら教室へ戻ろうとした。
しかし、その僕の肩をつかみ、無理やり引き上げようとする人物が一人、僕の背後にいた。
「ちょっと! 二つも借りがあってありがとうだけじゃ割に合わないじゃない」
「じゃあ、僕にどうしろって言うんだよ?」
どうせ飯をおごれとかジュース買ってきてといったものだろう。転校してきたばかりの人間に言われることではないが、今回は仕方がない。そんなことを思っていた僕だったが、次の瞬間、加奈子の口から出てきた言葉に呆然としてしまった。
「私の”舎弟”になりなさい!」
「……今、なんて言った?」
「舎弟になれって言ったのよ」
舎弟ってあれだよね。子分ってことだよね。
加奈子の表情から察するに、どうやら冗談なんかではなさそうだ。僕に反論する機会も与えず、加奈子は上機嫌で教室まで歩き出した。
そんな加奈子の背中を呆然と見ている僕の頭の中では、再び今朝のアナウンサーの声が、何度もリフレインしているのだった。
この作品は三人の作者によるリレー小説式の書き方をしています。文体などに違いが見られるかも知れませが、ご了承ください。作品に対しての感想やアドバイスなども書き込んでいただければ幸いです。おもしろい作品が書けるよう努力いたしますので、よろしくおねがいします。