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~伴奏 イージャンの指輪物語~  作者: 粟生木 志伸
第一章 受難の始まり
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第8話 婚約指輪と結婚指輪

「――で、イージャン」

「は、はっ!」

「指輪の方は、どうなっておる?」

「…………」


 ジャムシルドに凄まれ、一瞬訳が分からずイージャンの思考が止まる。


 それから、自分なりに考えてみようとしたが、緊張もあってかその意図が掴めない。だから、恐る恐る聞き返した。


「ゆ、指輪――、ですか?」

「ああ。そうだ」


 尊大に両腕を組んだまま。然も当然の事だと言わんばかりに返されるが、困ってしまう。


「…………」


( いや、その……。急に指輪と言われても……。俺には何の事だか…… )


 この困惑も、彼であれば無理はない。確かに、装飾品それ自体には、それなりになじみがある。だが、自分を着飾るような装飾品の類とは、一切縁がなかったのだ。そういう物は、買う気さえ起きなかった。


 それこそ、指輪なんて嵌めた事もないし、誰かに贈ったり贈られた事も記憶にない。だから、その縁遠い言葉に、ピンと来ていないのである。


 しかし、それも最近までの話。


( ゆ、指輪……。どうする? ええっと、指輪か……。指輪……。――あ! )


 そう。今なら、たった一つだけ持っている。そして、今、何についての話題であるか。早く答えをと焦っていたが、それに気付いて、どうにか思い当たったようだ。


 さて。今の様に結婚の話をしていて、この国で指輪と言えば。大抵の者は、二種類を思い浮かべる。それは、婚約指輪と結婚指輪。この二つだ。


 それらを思い浮かべるのは、ここトゥアール王国では、至極自然な事。この国の結婚儀礼とも言うべき、古くからの慣わしに必要な物なのである。


 まず、一つ目の婚約指輪。これは、将来結婚をしようと男女が誓い合った時に、女性が二つ用意する。一つはその女性自身の指輪として。もう一つは男性に贈る指輪としてだ。

 

 この指輪は、伝統的に縁起が良いとされる、色の赤いものが選ばれてきた。ただ、赤一色にまでする必要はない。材質も特に決まりなし。畏まった制約もなく個々の自由。とは言え、それなりの傾向はある。


 昔は、染料で木材を染める『木染め』と言う手法で、赤く染められた木製の指輪が主流だった。この手法は、指輪を小瓶に入れた染料の中へ浸す。そのため、当時は自然と赤一色になったものが多かった。


 材料となるのは、『虚路うつろ』という木。この木の枝は、芯が中空になっている。それを利用して、その中空が人の指ぐらいになった所を、ブツ切りにしてよく使われていた。


 そして、女性たちは、年頃になるとその枝を用意して、彫刻の練習も始める。指輪に施すためだ。これは身分関係なく。貴族にとっても手習いの一つでもあった。


 皆、思い思いに模様を考え、彫ったその指輪を赤く木染めにして相手の男性に渡す。その男女二つの指輪は、同じような模様になる事が多かった。


 また、この婚約指輪を渡す際にも、儀式の様なものは特にない。確かに拘る者もいるが、お互い左手を出し合って、女性がそれぞれの小指に填める。大方この程度だ。


 そして、その後は、事あるごとにその指輪を見せ合ったりなんかして、良い雰囲気になりながら、いちゃこらしていた。まさに幸せの絶頂期であったろう。


 そんな素敵な一時に一役買う婚約指輪であるが、最近ではその木製に加え金属製も人気だ。例外はあるが、どうしても木製では、雨や汗などの湿気で朽ちたりするのがその理由。


 やはりこういう物は、ずっと大切に残しておきたい。皆が皆とまでは言えないが、そう思うのが人情ではないだろうか。そのため、朽ちにくい金属製も選ばれていた。


 それを後押ししていたのが、冶金技術の向上。おかげで、それなりに細工の入った指輪も、お手頃価格で手に入るようになっていた。


 しかし、これではお金を払うだけで、真心が伝わらないんじゃないか? と考える女性も多かったようだ。婚約指輪はその真心の証。そう伝えられてきたのが、この指輪なのだ。


 今、流行っているのは、そのご要望にお答えするもの。トゥアール王国には、『柔弦ゆうづる』と呼ばれるものがある。これは、金属を染める『染金そめがね』という技術を使って、糸状に伸ばした金属。高価な金銀糸の代用品みたいなものだ。


 その金銀糸に比べ少し硬めだが、非常に安価で色が豊富。もちろん赤色もある。これを使い、毛糸などの編み物と同じ要領で、指輪にするよう編んでいく。


 違う色を少し混ぜるだけでも、様々な模様が作れ、編み方を変えることでさらに多様。別に、赤一色にしなければならない訳ではないのだ。


 おかげで、自分達だけの指輪も作ることが出来る。それが、目新しさも相まって、瞬く間に広まっていった。


「…………」


( 婚約指輪か……。そうだ、俺もシビアナに貰ったんだ…… )


 その時の事を思い出すと、気恥ずかしさや嬉しさが込み上げてきた。ただ、今は籠手を嵌めて他の者には見えないが、そもそも彼の指に、その指輪はなかった。


 荒事もある職場だ。剣と言った武器だって握る。指に填めていて、何かの拍子に歪んだり割れたりでもしたら最悪。


 だから、近衛騎士や王宮兵士、軍務に携わる者達は、仕事をしている間だけその指輪を外して、紐を通し首から掛ける者が多かった。これは、彼らに限った事ではなく、大工などの力仕事などをしている者達にも言える事だ。


 しかし、イージャンは首飾りにもしていない。首に着けると、紐でも鎖でも千切れたりしそうで不安だったからである。そういう経験を以前にした事もあって、別の場所で厳重に保管していた。


 それは、自室の中。仕事を終え部屋に戻ると、いそいそと婚約指輪を取り出す。それから、自分の指に填め、シビアナがこれを贈ってくれた時の事を思い出して、一人にやにやとする日々を送っている。


 その光景を想像すると、それはまあ、あれだが、おかしくはないだろう。他の者でも、そうなる事はあるだろうし、彼一人に限った事ではない。だから、これはおかしくはない。おかしくはないのだが。


「…………」


( しかし、婚約指輪か……。そんなものがあるとは、知らなかったな……。だが、本当に素晴らしい伝統だ。ありがとう、シビアナ……! )


 そう。彼は、結婚する時に指輪が必要になるだなんて、今まで知りもしなかったのである。これはおかしい。おかし過ぎる。装飾品の類に興味がなかったとか、そんなの関係ない。


 婚約指輪や結婚指輪というものは、この国の誰もが知っている様な事なのだ。それを知らないなんて、有り得ない。誰もが戦慄する事だろう。それ程の話だ。


 しかし、それでも恐らく、聞いた事くらいはあったと思うのだが、興味がなかったので記憶の隅っこに追いやられて消滅したのだろう。流石、路傍の石ころである。


 だが、シビアナに教えて貰い。改めてその存在を知った彼は驚き、そして、今の様に感動し感激した。なんと素晴らしい伝統なんだと。結婚について、全くの無知。そうだとしても、それは関係なかったようだ。


 ただ、その嬉しさの中に、今まで感じた事のないものが含まれている。そうとは、全く気付いていないのだけれど。


 そして、何故、シビアナから指輪を貰って、感激感動できたのか。


 何故、彼女から貰ったその指輪だと、毎日にやにやと眺めてしまうのか。何故、指輪を無くす事に、そこまで不安になってしまうのか。彼は依然として気付けていない。


「おい、イージャン?」


 ジャムシルドが、イージャンの様子を訝しげに見ていた。現実に引き戻された彼は、慌てて答える。


「はっ……。その……。た、大切に、自室の金庫の中へと、保管しております……」

「ほう。そうか……」

「あら、そうなのね」

「はっ」


 どうやら、ちゃんと買っているようだ。ジャムシルドとステライは、彼の言葉をそう捉えた。しかし、これは誤解である。


 ジャムシルドが尋ねたのは、もう一つの方。結婚指輪の事。これについて尋ねたのだ。だが、二人が、この様に取り違えてしまうのも当たり前。いや、むしろイージャンの方がおかしい。


 何故なら、結婚指輪は、結婚式を挙げる際に、夫となる男性が妻とする女性へ贈る指輪だ。こちらは一つ。妻の分だけ。恭しい儀礼の最後に、新郎が新婦の左手をとり、その薬指に填める。そういう指輪だ。


 だから、婚約が済み、結婚式の前という今のこの段階で、「指輪はどうなっているのか」と尋ねているのに。これから必要となる結婚指輪ではなく、役目を果たした婚約指輪の方を、その答えとして返してくる。


 これを予想するのは、些か無理がある。いや、九割九分九厘、「結婚指輪を大切に保管している」そう捉えるだろう。


 しかし、これも言うまでもなく、彼にしてみれば、いや彼だからこその当然すぎる帰結。婚約指輪の存在さえ知らなかったイージャンは、あろう事か、結婚に必要な指輪は一つ。婚約指輪だけだと思っている。


 つまり、彼は、結婚指輪の存在を未だに知らないのである。


 婚約指輪でさえ、シビアナがいなければ、一生知らなかったかもしれない。結婚に対する知識が、他の追随を許さぬほど圧倒的に少ないのだ。


 そして、自分が知らなくても、必要な事は妻となる彼女から、敢えて聞かなくてもその都度教えてもらえる、やってもらえるという慢心もあった。


 この婚約指輪の時もそう。また、家の購入だってそうだ。面倒な候補地の選定を、率先してやってもらっていた。


 その上、結婚式も王家主導。自分がしなければならない事は相当限られている。この任せっきりの過信と現状が、彼に自ら知識を得ようと行動する機会をも奪っていた。


「――で、どんな指輪だ?」


 ジャムシルドが質問を続ける。淡々として問い掛けたが、内心ではかなり傾注していた。


( ふん……。シビアナが、ついておるから大丈夫であろうが――。しかし、もし万が一にでも、つまらん指輪であれば、今度こそ容赦はせぬ! ここで、その性根を徹底的に叩き直してくれる! いや、磨り潰してくれるわ! )


 その目は更に険しく鋭く光っていた。そして、ステライの目も同じように光る。


( さあ、イージャン――。ここが正念場よ )


 この二人の関心は、かなりのもの。新居の話により断然こちらの方が上だ。では、何故ここまでの関心があるのか。


 結婚に際して必要になる指輪は、一つ目が婚約指輪。そして、二つ目がこの結婚指輪である。


 こちらの指輪は、婚約指輪と違いどんな指輪でも構わない。赤色が好まれたりなどもなく、本当に何もなかった。しかしだ。それは、ただの建前に過ぎない。


 実際は、そんな簡単な話ではなく。いつの時代でも、希少な宝石や精緻な細工を施された、価値の高いものばかり求められてきたのだ。


 ぶっちゃければ。どんな指輪でも問題ないと言われつつも、実は自分であればお嫁さんに、これだけ値の張るものを渡せるんだと。周囲に見せつけたいがため、なのである。


 だから、こんな建前もあるし、そして指輪は高ければ高いほど良い。いや、高くないと許されない。そういう風潮さえあった。


 逆に、婚約指輪は真心なわけだ。だから、金銭的な価値は必要とされない。代わりに、昔からその彫刻に各々の拘りがあった。


 そして、今では柔弦で編んだ指輪が、流行ったりしている。しかし、いずれにせよ、手間暇は掛かるが、お金は然程掛からない。


 ただ、そのお金を掛けてはならないという決まり事も風潮も、あるわけではないので、そこは自由で良い。だがそれでも、結婚指輪と、ある意味対極になる指輪である事は変わらないだろう。


 また、その結婚指輪だが、身分のある者ほど激しく値打ちに拘る傾向があった。自分の評価にも関わってくるため、下手なものは渡せないのだ。もし、身分相応の指輪を渡さなかったら、軽蔑の対象にもなった。恐ろしい事である。


 こういった背景があるため。結婚を決めた男たちは、まずこの結婚指輪を買う事に必死になるのだ。住居など二の次三の次も良い所。この指輪が何よりも優先にされてきた。


 そう。新居よりも何よりも。一番重要なのは、この結婚指輪なのである。


「…………」


( さて――。ジャムシルドが納得する指輪なのは、間違いないのだろうけど。ううん。でも、新居に自分のお金を出してまで、シビアナも一体どんな指輪を買ってもらったのかしらねえ。ふふふ! )


 結局、要らぬ詮索になってしまっていると思いつつも、ステライは少しワクワクしてきた。


 これが理由だった。だから、彼女は勘違いをしたままなのだ。結婚指輪に大金を使っているはずなのに。それなのに新築を建てるだなんて。あまつさえ、あんな豪邸まで建てれるとは思えなかったのである。


 つまり、この国の結婚指輪とは。それ程の価値がなければならなかった。養女とは言え、国王の娘であれば尚の事。


 ただ、この勘違いはステライだけでない。国王であるジャムシルドもしているくらいだ。そして、これは他の者にも言える事。それくらい、この国では当然の勘違いなのだ。とんでもない国である。


 しかし、それでも結婚指輪の諸事情が、こういう事になってしまっている。それが、ここトゥアール王国。否が応でも、これでイージャンの評価が下される。男としての真価が問われるのだ。


 だが、勿論それを知らない当人は、「何故、その様な事を聞くのだろう?」と、きょとんとしながら答えた。


「え? 指輪ですか? いえ、その……。赤い指輪、ですが……?」


( どんな指輪も何も、赤い指輪だ。これは皆同じだって、シビアナも言っていたはずなんだが…… )


 だから、意味が分からなかった。


( どう言う事だ? 何故このような事を……。陛下は、ご存じないのだろうか? だが、そうだとしても、俺に尋ねられる事でもないような……。ステライ様もいるわけだし。うううん? )


 問われた真意を掴めず、混乱しそうになる。しかし、イージャンのそんな思いとは裏腹に、ジャムシルドは、


「赤い指輪――、だと……!?」


 過剰な反応を示した。

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