第5話 王の盾
「あ……」
程なくして。イージャンは、はっと我に返った。
( しまった……。どれくらい経っている? )
そーっと二人を窺えば、ジャムシルドは両腕を組んで目を瞑っており、相も変わらず不機嫌そうなままだ。しかし、ステライは、にこにことして自分を見ていた。
おかげで、時間はやはりある程度経っていたのだろうと察し、頭を下げる。
「も、申し訳ございません……」
「ふふっ! 良いのよ」
ぱたぱたと手を振るステライ。しかし、そうは言ってくれるが、気恥ずかしかった。そんな居心地の悪さも手伝って、今度は両膝へ手を置き、しっかりと頭を下げ、そそくさと退席の準備。
「へ、陛下! 本日は、式の日取りを教えて頂き、誠にありがとうございました!」
「…………。ああ……」
これで、後はジャムシルドから今まで通りに、「下がって良い」とでも言われば、ここから退散できる。そう思ったのもあり、両膝へ置いた手に力を込め、いつでも立ち上がれる様にした。
しかし、それが叶う事はなかった。
「それで――」
ジャムシルドが目を開く。そして、胸の前で組んだ両腕はそのまま、イージャンを睨みつけた。
「お前たちの住む場所は、どうなっておる?」
「…………」
思っていたのものと違う。その声が聞こえ、「あれ?」と顔を上げた。
「は、はい?」
「だから、住む所だ」
実を言うと、イージャンを呼び出した理由――ジャムシルドがしたかった話は、まだ始まってもいない。
まず、結婚式の日取りについて、話を切り出していたが、それはついさっき分かった事。王である彼自身が知ったのも、ほんの少し前だ。本当は、今の様に別の事を問い質すつもりだった。
現在、このトゥアール王国に、王族は二人しかいない。ジャムシルドとその息女――王女のみ。その王女も、まだ成人すらしていない。つまり、王家主導とはジャムシルド主導、そして主催なのである。
ただ、その主催者であるこの王は、式の責任者ミストランテと、シビアナ当人に任せていれば問題はないだろう、と余計な手出し口出しはしていない。そういう態度も取って来た。
した事と言えば、式を執り行う日取りの決定。そのために必要な根回しと指示。式をどの程度の規模にするかの決定。あとは、来賓の強制招集。そして、式で出される料理に必要となる、貴重な食材の仕入れや確保等々。
まあ、これだけでも十分手出し口出しをしているが、彼にそのような気はなかった。王家主導と謳ってはいるが、それは表向きの話というだけ。本当は、全く何もしていないと見せつけて来たつもりなのである。ステライも呆れる強気な態度であった。
しかし、それも半年以上も前の話。その後は、段取りは今どうなっているのか。ミストランテからの報告は随時上がっている。
だが、これは式に関しての進捗のみ。本当に知りたかったのは、それ以外の事なのである。だと言うのに、シビアナからその報告は何もなかった。
一緒に食事を取ったりと、聞く機会がある事にはあったのだが、この話題になる事もなく。情報を得ることは出来なかったのだ。また、ステライや他の側近からも、それはなかった。
そして、彼女からお願いをされていた結婚式の予定日まで、もうそんなに日がなくなってきた。これで、流石に痺れを切らしてしまう。しかも、先程、とうとう日取りも正式に決定してしまい、更にその思いは強くなっていた。
しかし、そもそもどうして。
この国の王である彼が、筆頭とは言え王女の側付侍従官の結婚式を主導し。彼女に、ここまで思いを入れるのか。
「どうなのだ?」
「は、はあ……」
イージャンは、自分の姿勢をゆっくりと戻し正す。どうやら、話はまだあるらしい。彼もその事実に気付いた。
「…………」
( そうか……。謁見の間に呼ばれなかったのは、日取りについてじゃない。このためなのかもしれないな…… )
緊張して忘れていたが、結婚関連の話に拘らず呼び出される時は、殆どが謁見の間だったのだ。だが、今回、この執務室に呼び出されている。だから、少し違和感を覚えていた。
そして、呼び出された理由と言うのが、どうやら結婚についての話らしい。しかし、それなのに、自分一人だけがここに呼ばれている。と言う事は、つまり。
( もしかして、シビアナに話せない事でもあるのか――? )
彼は、ある意味その答えへと思い至った。ただ、思っているものと実際のものとは、かなりかけ離れているが。
「…………」
( うーん……。多分だが、そうなんじゃないだろうか……。結婚に関わる話であれば、俺じゃなく、シビアナの方からお聞きになられるだろうし。だが、それをなされないとすると……。――ん? )
ここでふと疑問に思う。
( それなら、何故……。住む場所なんかを俺に? それこそ、彼女からになるだろう……? )
そう不思議がるのも無理はない。こんなの事、シビアナに聞けば一発で済む話。直接、尋ねれば良い。
だが、ジャムシルドは、自分から聞く事に抵抗があった。意を決して、聞こうとした事もあるにはあったが、いざ聞こうとすると何故だか無性に照れくさくなって、結局聞けず仕舞い。
しかも、ステライや他の者に頼んで、間接的にだって聞く事もできる。でも、しない。それは、自分がシビアナを心配していると、誰にも悟られたくないからだった。
だから、自分は何もしてないと、強気な態度を取ってきた。ジャムシルドは、こういう男なのである。
しかし、その我慢もとうとう限界を迎えてしまった。形振り構えなくなったが、それでも被害を最小限に抑えるため、まずシビアナがこの場に来る事が難しい時を選んだ。
それを確認した上で、イージャンを急ぎ呼び出し、同席する側近をステライしか認めず、この場に臨んだのだ。面倒くさい性格である。
つまり、ジャムシルドは。
結婚に際して、この二人の準備は今一体どうなっているのか。それを、誰にも知られる事なく、特にシビアナ本人に察せられず色々知りたくて。イージャン一人をここに呼び出したのであった。
もちろん、この話を聞き終えた後には、他言無用と命じるつもりだ。それはステライにも。
ちなみに、これら一連の思考と行動は、全てその彼女にバレバレ。二人の様子をにまにまと面白そうに眺めているのが、その証拠である。
「全く――。遠慮して中層に住むだのと……」
ジャムシルドが、ぶつぶつと文句を言いながら、目の前に置かれた黒い湯呑に手を伸ばした。
ここまでは知っている。貴族街にある王家所有の邸宅に住むようにと、自分が言い出す前に、シビアナが中層に住むと宣言してしまったからだ。
ただし、これは、彼女がその候補先を決める前。イージャンに中層が良いと伝え、彼からもそれで構わないと了承を得た時。そう聞いたから、ジャムシルドも住む場所までは知らない。
その住む場所の決定も、先を越されれば、言い難くもなる。しかも、幸せそうに、嬉しそうに笑顔で。こうなると、ジャムシルドは、もう何も言えないのだ。彼女は、暗に上手い事先手を、いやいや丁重に断っていた。
しかし、不満は残る。現在、シビアナは王宮に住んでいるが、結婚すればその王宮を離れなければならない。王族ではないため、夫と暮らすには別に居を構える必要がある。ここ、トゥアール王国ではそうなっていた。
だから、せめて王宮に近い貴族街を、と思っていたのだ。その準備も内緒でしてきた。なのに、貴族街より遠い中層に住むと言う。自分の力にも頼らずに。納得がいかない。でも、無理強いはしたくない。そんな思いが、愚痴となって零れ出ていた。
まあ、本音は、シビアナが自分の手を離れ、思っていた以上に遠くへ行ってしまう。そんな気がして、それが気に食わないのだ。他の者からすれば、貴族街も中層もあまり変わりはないが。
「…………」
ジャムシルドは、手に持った湯呑を見つめる。
( 全く、シビアナめ……。父であるこの俺に何も話さんとは、一体どう言うつもりだ。おかげで、こんな事をする羽目に…… )
忌々しいと、眉間の険しい皺がさらに寄った。
( しかも、中層などと……。何故、あいつは、いつもああやって俺に遠慮をするのだ……。その様なもの、一切無用であるというのに……! )
シビアナのその態度を思い出し、苛立ちが増す。
どうして、この国の王である彼が、筆頭とは言え王女の側付侍従官に、ここまで思いを入れるのか。
その答えはそう。シビアナは、ジャムシルドの娘だからである。
この二人に血の繋がりはない。けれど、ジャムシルドはシビアナを娘として、自分なりに大切にしながら接してきたつもりだった。先の大戦中に出会い、それから今までずっと。彼女が幼い時から、ずっと傍にいた。そうやって共にあった。
そんな娘の一大事――結婚。態度は素っ気ない。それを装っているが、内心では知りたくて知りたくて仕方がなかったのである。
しかし、それなのに、当のシビアナは何も教えてくれない。そして、遠慮なあの態度も気に入らない。何故だと、ジャムシルドの苛立ちは更に増して行く。
「…………」
だが、不意に。その苛立ちが止まる。
( …………。ああ、分かっている。分かっているとも。それが何故かなんてのはな…… )
心当たりなどではない。それは確信だった。ジャムシルドは、その確信や悔しさ、苛立ちを全て呑み込む様にして。湯呑みをそのまま口に運び、一気に傾け飲み干した。それから、
「――で、どうなのだ?」
そう言いながら、急須を手に取る。空になった湯呑へお茶を注ぎ、それから再び湯呑みをその口に運ぶ。
しかし、運ぶその手が、途中でぴたりと止まった。代わりに、返答をと思っていたイージャンへ、ぎろりと睨みを利かせる。
「まさか……。まだ決まっておらぬ訳ではないだろうな――?」
はっはっ。ま、流石にそれはないだろうがな。だが、もしもだ……。もし、万が一そのような不甲斐ない事をしていたら――。お前、どうなるか分かっているだろうな?
今の言葉には、このような意味が込められている。イージャンは、それを敏感に察知した。急いで口を開く。
「ふふふ!」
だが、その前に、隣りに座るステライから笑いが零れた。彼女は、そのまま悪戯っぽい笑みをジャムシルドへと向ける。
「陛下。シビアナからお聞きではないのですか?」
彼女は、それが分かっていてそう言った。
「む――? 何だ?」
( その余裕な態度は、一体どういう――、うっ!? まさか、ステライ! お前は知っているのか――!? ならば、何故、俺に言わなかった!? )
その責めを込めて、眉間の皺を恨めしそうにしてさらに寄せ、睨み付ける。
要は、自分から尋ねなければ良いのだ。勝手に耳へ入ってくる分であれば、心配しているとは思われない。ジャムシルドはそう考えている。
しかし、そんな非難の目で見ても、彼女だってさっき知ったばかりなのだから、それは無理な話。ただ、前もって知っていたとしても、伝えていたかどうかは定かではないが。
また、王女と言った身内や、他の側近たちからも、この結婚は話題にもされない。これにも、ジャムシルドは苛立ちを覚えていた。何故、しないのかと。
確かに、その原因は自分のこの態度にもあるのだろう、とは察している。とは言え、例えそうだとしても、少しも話題に上げないと言うのは不愉快だった。それも思い出して、さらに睨みが増す。
しかし、慣れたステライに、それは通じず。その威圧をさらりと流す様にして、隣に顔を向けた。
「イージャン。私からお伝えしても良いかしら?」
「え? あ、はい……。その……、お願いいたします……」
「ふふふ! 任されたわ」
彼に頭を下げられ、頷いてから顔を戻す。そして、姿勢を正し、
「ふっふっふ……。実はですね、陛下――」
「ああ」
ジャムシルドは、お茶を入れ終えた急須を戻し、両腕を組む。それから、その答えを待った。だが、しばらくしても何もない。
目を瞑って勿体ぶった言い方を始めたステライ。しかも、間を取るためそのままさらに沈黙。溜めに入った。
「…………」
早くしろ。ジャムシルドは若干イラッとする。しかし、催促するのもバカらしい。そのまま待った。すると、十分な溜めができたのか、ようやく彼女の目が「くわっ!」と見開かれた。
「なんと、陛下! イージャン達はですね! 家を買ったんですよ! 家を!」
どうだ! と言わんばかりの良い笑顔。しかし、それに対する反応は、静かになる室内と王の溜息という、何とも淡白なものだった。
「はあ……。あのな、ステライ。それは、当然であろうが」
( 何かと思えば―― )
王家所有の邸をタダで借りられるのに、という事情もある。また、誤解をしているのもある。だから、ステライは、新築以前に若いこの二人が、自分達だけで邸を購入した事自体に驚いていた。
だが、この国の王であるジャムシルドからすれば、拍子抜けも良い所。シビアナは、王女の側付筆頭侍従官であり、イージャンは近衛騎士隊の副隊長。若さは関係ない。その立場にあるのだから、家を買っている事は大前提なのである。
しかも、シビアナは、王である自分の娘なのだ。だから、もし賃貸であったならば、イージャンには生死を彷徨う鉄拳制裁が、容赦なく降り注いでいた事だろう。
ジャムシルドが知りたいのは、そういう事ではない。知りたいのは、その詳細。特に、中層のどこら辺にしたのか。つまり、新居の特定。これが何より重要だった。
次に、それはどんな家なのか、その大きさや形、造り。後は、その周囲に危ないものはないのか。そして、不便はないのか。そういった事情も聞ければ更に良し。
とは言え、
「…………」
( だが、良かった。住む所は、ちゃんと家を買って決めていたのだな…… )
それでも内心ほっとしていた。しかし、それをおくびにも出さない。むすっとした顔はそのまま。そして、呆れたように見せ掛け、湯呑に手を伸ばし口へ付けようとする。
「全く……。その程度の事で――」
「ふっふっふ」
ステライが不敵に笑う。
「陛下。話は最後までお聞き下さい」
余裕綽々な物言い。その反応は想定内。今のは前振りなのである。
「む……。聞こう」
シビアナの結婚情報は、いくらでも欲しい。その言い様に再び興味を引かれ、卓の上に湯呑を置くと両腕を胸の前で組んだ。
「こほん。確かに、陛下の仰る通り。近衛騎士が中層に家を買うというのは、殊更取り立てて申し上げる事でもありません」
「うむ」
「家を持っている者は、他にもいますからね。それに、イージャンは近衛騎士隊の副隊長な訳ですし」
「そうだな」
ステライの説明に、ジャムシルドは頷いていく。すると、ここで彼女は声を張り上げた。
「ですが、陛下! 彼らは、彼らにしかできない偉業を、成し遂げたのです!」
「偉業――?」
「そうなのです!」
何が言いたいのか、サッパリ分からない。家の購入と偉業? 何の関係がある? と、ジャムシルドは首を傾げた。しかし、そうなるを待ってましたと、ステライは満足げにほくそ笑む。そして、
「じゃじゃーん! なんと、なんと、その家は――!」
ノリノリでそう叫ぶと、両手を仰々しく「ばーん!」と、隣りに座るイージャンへ勢いよく差し向けた。
「――っ!?」
( え!? お、俺!? )
いきなりの事で、一瞬その意味が分からなかった。だが、はっと気づき、譲ってくれたその言葉を慌てて叫んで頭を下げた。
「し、新築です!」
「…………。ほう……」
新築――。その言葉に、ジャムシルドは少し目を見開いた。これは、好感触である。この新築という意味は、国王であるジャムシルドにも分かっていたようだ。
ステライは、イージャンの事を良く知っている。基本寡黙で生真面目なのだ。しかも、先程とは違い、王の御前。であれば、その性格もあって、自分から説明なり詳細を話す事はもうない。終始、質問された事だけに答える。これに徹するだろう。
しかし、それでは何とも味気ない。また何より、そうなれば非常に危険な事態になり得る。その可能性が高くなるはず。これも予想ができた。
であれば、やはり自分がこのまま主導した方が良い。そう考え、彼女自身が伝える事にした。
「ふふっ。では、陛下。まず、新しく邸を建てるその場所ですが――」
「ああ」
「そこは、シビアナが事前に調べ。何点か候補を見つけて、その中から選び決めたそうです」
「ふむ。そうか、シビアナが……」
「ええ」
ステライは頷いて、それからコロコロと笑いながら言う。
「あの子が選んだ、その候補にはですね、陛下? イージャンと二人で一緒に赴いて――。いえ、二人だけで赴いて! 一緒に色々と見て回ったのだとか! うーん! こう言うのを聞くと、仲睦まじくて、妬けてしまいますわね! ふふふ!」
「…………」
一瞬で場の空気が凍ったようだった。少なくとも、イージャンの表情は凍った。しかし、彼女は気にしない。
「まあ、自分達の大事な新居になる訳ですから。ちゃんと現地にも赴いて、その目でしっかりと確認をする。うんうん、当然ですわ。そして、色々物件を見て回りながら、最高の邸を手に入れるために、二人で悩み、『こうじゃない、ああじゃない』と色々意見も出し合って――」
「…………」
「この決めるまでが良いですわねえ。きっと楽しくて幸せな時間だった事でしょう。その新居で始まる新婚生活も思い描きながら、二人で――。ふふふ! ああ、良いですわ、こう言うのは本当に! 初々しくて!」
「…………」
「ふふふふ――!」
「…………」
お前、分かってて言ってるだろう。と、ジャムシルドは面白そうに笑うステライを、むすっと睨み付けた。彼女はその視線と、隣に座るイージャンの青褪めた顔を堪能してから説明を続ける。
「ええっと、それから――。最終的に決めたその場所には、元々、家が建っておりました。ですが、その家はとても古くなっていたとか」
「はあ……。ああ。それで、新築か」
「はい」
ステライが微笑みながら頷く。知りたい情報が出てきた。気を取り直して、聞き洩らさない様に、また目の前の二人には分からない様にと。ジャムシルドは、憮然としながら耳を傍立てた。
「その場所には、巨木も聳えているそうです。また、庭付きにしても十分な広さがあり――」
「ふむ……」
そう呟きながら、両腕を組み直して目を瞑る。
( 古い家、か。そして、巨木――。ああ、あそこの事を言っているのか。であれば、確かにそれなりの邸宅も建てれそうだな…… )
ジャムシルドには、思い当たる場所があった。それもそのはず。時間を見つけては、王宮の天辺に登り、中層の家々をじっくりと眺めていたからだ。また、王宮の外に出る用事があった際もそう。
つまり、シビアナたちがどの辺りに居を構えるか、自分なりに探し当てようとしていたと言う訳である。ただし、その場所を見つける事は出来ても、そこが新居になるとは思わなかった。何故ならば、
( しかし、新築か。それは盲点だったな…… )
ジャムシルドもまた、ステライが勘違いしている理由と同じ。その理由があって、もう他の場所にある既築しか探していなかった。
しかも、見つけた当初、その場所に建っていたのは、まだ古くてボロボロの家のまま。そんな家が新居になるはずがない。流石にこれはない。と、気にも留めれなかった。
また、庭の巨木に生い茂った葉のせいで、建築中の邸が覆い隠されているのも原因だ。王宮から見下すと、その木が邪魔で死角になっていた。
戦後間もなくであれば、また話は違う。だが、今では、中層で住居の建築というのも、あまり見かけない。彼が探した場所も、建築途中だとはっきり分かる様な家はなかった。
だから、もしそんな家を見掛けたり、隠されたりしていなければ、新築と言う選択肢も浮かんでいただろう。
「…………」
( ともあれ。あの辺りであるならば――。ああ、しっかりと考えているな。流石、俺たちの娘だ。危険な場所などではない。不便もなさそうだ )
自分が知りたかった事、その懸念事項がどんどん解消されて、ジャムシルドは目を瞑ったまま満足げに何度か頷く。
良い感じだ。ピリついていた部屋の空気も、どんどん穏やかになって行く様。だが、それとは逆に、イージャンは、
「…………」
( ま、参った……。本格的に、新居の話になってしまっている…… )
どんどん焦って来ていた。まさかこの話になるとは思わず。ステライが考えている様に、このまま新居の話が続くと非常に危険なのである。彼もそれを知っていた。
そして、そんな様子を余所に、ジャムシルドが両腕を組んだまま目を開く。
「場所は分かった。ここなら良いだろう。文句はない」
「はっ! あ、ありがとうございます!」
「…………」
イージャンが返事をした事に、イラッとする。
( お前に言ったのではないわ。俺は、ステライに答えたのだ。それから、文句がないのは、そこがシビアナの選んだ場所だからな? 勘違いするなよ? )
認めたくないのに、彼を認めてしまった事にもなっているこの状況に気付き、舌打ちでもしたい気分に駆られた。
だが、ここは抑えて気を取り直す。舌打ちよりも、もっと良い事が出来ると気付いたからだ。それをしてやろうと、悠々と湯呑みを手に持った。
「イージャン」
「はっ!」
「新築と言うのも良いだろう。これにも、無論、文句は言わぬ」
「あ、ありがとうございます!」
「ああ……」
彼の返事を聞きながら、静かに湯呑みを一口傾ける。それから、卓の上にその湯呑みを置いた。
「それで――」
そう言って両腕を組み尋ねる。
「お前は、その邸にどの程度の金を使った――?」
費用。つまり、彼が言いたいのは、邸の見栄え、その大きさである。場所の特定よりはと思いつつ、これもちゃんと知りたかった。
「…………。は。その……」
どんどん近づいてきている。イージャンの焦りも増してきていた。そして、言いあぐねるその様子を見て、ジャムシルドは内心にやり。
( ふん、やはりか。であれば、ここら辺で一度、食らわしてやらんとな…… )
使ったお金はそこまでではない。これを理由に、新築を買ったからと言って調子に乗るなと、咎める気満々なのである。
その様に思ってしまったのは、新築を探さなかった理由と同様。ステライも勘違いする事になった原因。そして、まだもう一つあった。それは、イージャン達が危険だと思っている事だ。
先の大戦でこの国を守った王。国民からの信頼も篤く人気は高い。器も大きいと。だが、娘の事になると、途端にその器が小さくなる。それがジャムシルドだった。
「…………」
イージャンは、返答に窮したまま。金額を伝えるのは問題ない。だが、答えれば、この話はまだ先に続いていってしまう。だとしたら――。そう思うと、どうにも躊躇われた。すると、隣りのステライが代わりに言う。
「陛下は、どのくらいの邸だとお思いで?」
「む……」
そう聞かれて、自分も言いあぐねる。すぐに答えが浮かばなかった。尋ねておいてなんだが、そもそも個人が使う様な邸を買った事がなかった。その様な事は、臣下に全て任せている。相場など知りもしない。
だから、金額で聞いたのだ。要は、使ったお金がどの程度か分かれば、判断できると踏んだ訳である。そして、その思惑は、ステライにも分かっていた。咎める気であるのも含めて。
「…………」
( 全くもう、ジャムシルドは……。娘の事になるとこれだもの )
やれやれと溜息でも出そう。とは言え、新居は申し分ない。しかし、それでも何故だかその金額は言い辛そうだ。なら、何か理由があるはず。
であれば、これは避けた方が無難だろう。そう判断し、少し考えた素振りも見せてから彼女は言った。
「うーん。そうですわねえ……。例えば――。私の邸ぐらいとか。ふふふ!」
その冗談を聞いて、ジャムシルドは呆れた様に返す。
「バカを言え。流石に、そこまでは求めぬわ」
「ふふ! はい、申し訳ございません」
ステライの住む邸は、シビアナのものより更に豪華にしたと言ったところ。また、その大きさも敷地の広さも十倍はある。こんな大貴族しか持てないものと比べても、咎める事なんて出来はしない。
だが、金額を聞いたとしても、それで判断するのは、やはり些か分かり辛い。それに気付いた。自分は相場も知らないのだ。
しかも、イージャンは既築よりお高い新築を建てている。なら、そこまでではないだろうとは言え、大金自体は叩いている。さらに分かり辛くなるかもしれない。
であれば、それよりもステライの様に、邸の大きさで例える方が悪くない手だと思えた。
「ううむ……」
自分で買った事はないが、邸自体は色々見て知っている。目を瞑り両腕を組んだまま、それらを思い浮かべていく。
買うのは無理。さりとて、ステライの様な大豪邸ではなく。きっちり咎めてやれるもの――。しばし、そうやって思い起こして行く内。それらの条件に見合う邸が一つ思い当たった。
「そうだな……」
目を開いたジャムシルドが答える。
「あいつの私邸くらいであれば文句はない」
「…………」
( あら―― )
その邸がすぐに出てきて、ステライは少しばかり驚いた。それから、自分の思ったものと合っているかどうか尋ねる。
「それは――。シビアナが受け継いだあの邸ですか?」
「ああ、それだ」
ジャムシルドが言う「あいつ」とは、王妃の事。シビアナの邸は、その王妃から受け継いだものだ。
「…………」
( ふん。これなら無理難題ではあるまい。だが、買う事も出来はせんわ )
彼には自信があった。確かに、そう思えるほどの豪邸なのは間違いないだろう。先程のステライも同意見だった。
その彼女は、視線を落とし、なるほどと言いたげな神妙とした面持ち。顎に親指を当てながら、何度か頷いている。この様子を見て、ジャムシルドは、やはり自分は上手い選択をしたのだと思えた。
良し。さあこれで、イージャンに一発かましてやれる。彼は、ふんぞり返って、返答を揚々と待ち構えた。
だが、そう思えたのも束の間。ステライのその表情がころり。笑顔に変わって、隣に向けられる。
「ふふふ! 良かったわね、イージャン。合格ですって!」
「は、はい……。その……。あ、ありがとうございます……」
朗らかなステライ。おずおずと頭を下げるイージャン。二人の様子を見て、ジャムシルドは不可解だと眉を顰める。
「――ん?」
( 合格――? ありがとうだと? )
いきなり意味が分からない。しかも、自分が思っていた反応が返ってこない。
「どう言う事だ?」
尋ねれば、ステライがニコニコとして言う。
「いえ、ですから。二人の邸もそのくらいになるとか」
「…………」
ジャムシルドは、一瞬、その言葉を理解するのに時間を要した。そして、
「な、何だと――!?」
そう叫ぶと、イージャンに顔を向ける。
「はっ! そ、その……。建築はまだ途中ですが、彼女からそう言われてまして……」
「――っ!?」
信じ難いと目を見張るジャムシルド。しかし、嘘ではない。イージャンはその様な男ではない。それは知っている。だから、信じざるを得なかった。この二人の新居は、シビアナの邸と同程度になるのだと。
「ううううむ……」
目を瞑り両腕を組み、それから黙りこくる。当てが外れた。まさか、そんな豪邸をも建てれるとは思わず。その悔しそうな様子を見て、ステライは内心にやり。
「…………」
( ふ……。勝ったわ…… )
自分の事ではないが勝ち誇っていた。そして、納得もしている。
( なるほどねえ。新築にした理由。それからその規模。これはしっかり見切られてたって訳か……。流石、シビアナだわ。ふふふふふ――! )
先程、神妙な面持ちをしていたのは、これが理由だった。恐らく、候補は適当。本命は一つ。
つまり、シビアナは、ジャムシルドが中層であっても、どの程度の邸であれば文句を言わないか、最初から看破しており。見て回る順番も決めていたわけである。
本命は最後に。そして、その本命は新築で初めから決定済み。候補は、それらを見ながら二人だけの時間を作りたかったのだろうと。
( ふふふ――! )
二人だけの時間を作りたかった。ステライは、シビアナのその行動が可愛らしくて嬉しく思う。それから、そのまま嬉しそうにして、ジャムシルドへ話し掛けた。
「ああ。それから、陛下」
「…………。なんだ?」
「その新築の間取りも、自分達で考えたそうです。ね? イージャン?」
「は、はい!」
「…………。そうか……」
ジャムシルドは、両腕を組み目を瞑ったまま、ふてぶてしく答える。そして、再び無言となった。
「…………」
( 自分たちの考えた邸に住む、か……。新しく建てるのだから、当然それも可能だな。全く……。シビアナのやりそうな事だ…… )
その娘の笑顔が、心の中に浮かんできた。紫色の長い髪をなびかせ。少し垂れた目を優しく細め。しかし、口許は悪びれた様に澄ました笑み。そんな表情を自分に向かって浮かべている。
( シビアナめ…… )
それを見て彼も気付いた。自分は、彼女にしてやられたのだと。だから、一発かます事が叶わなかったのだ。しかし、知りたかった新居の話自体は、聞く事が出来ている。
であれば、まあ、その笑顔に免じて。これで良しとするか。と、ジャムシルドは溜飲を下げた。そして、目を開いてそのまま見据える。
「良いだろう、イージャン。その程度の邸になるならば、もう文句はない」
「はっ! ありがとうございます!」
相も変わらず不機嫌そうにして、言い終えたジャムシルドは、両腕を組んだまま再び静かに目を瞑った。
どうやら、新居の話はこれで終わりの様だ。勢いよく頭を下げたイージャンも、そう察して、ほっと胸を撫で下ろす。それから、隣りに座るにっこにこのステライを端目に、心の中でお辞儀をして感謝。
( ありがとうございます、ステライ様。自慢しておいて良かった…… )
まさか、あの自慢話が功を奏すとは思わなかった。今回だけは、本当に自分の運の良さにでも助けられた気分だ。その思いを込めて、静かに深く長い溜息を吐く。
「ふうーー……」
気付けば喉が渇いていた。口の中もカラカラ。緊張の連続だったのだから、そうもなる。彼は、自分の湯呑を手に取ると口に運んだ。
ごくごくと飲めば、温かいお茶が口の中に染み込んでいくようだった。潤いに満たされていく。それにつれ、安堵も心の中に広がっていく様だった。
その様子を眺めていたステライ。しかし、ふと気付いたようにして、ジャムシルドに向き直した。
「あ。それと、陛下」
「…………。何だ?」
目を瞑ったままで、むすっと答える彼へ、にこやかにして、ぽんと開手を打つ。
「言い忘れてたのですが。その新築はですね? 二人でお金を出し合って買ったんですって! ふふふ!」
「ごぼっ!?」
イージャンは、鼻からお茶を吹き出しそうになった。そして、ごほごほとむせ返りながら、にっこにこの彼女をもう一度見る。
( ス、ステライ様!? どうして、それを言ってしまうんですか!? )
彼は思いっきり狼狽していた。しかし、これはもちろん男の誇りとか、そういう話でではない。もっと違う意味で慌てているのである。そう。彼女が、ついでとばかりに言ったそれが――。恐る恐る、顔を前に戻した。
「………………。二人で――、だと?」
和やかな雰囲気から急転。ジャムシルドから怒気が溢れ出す。無数の三つ編みがゆらゆらと揺れ、その組まれた両腕、体自体の筋肉も膨らみ、一回り大きくなった様。
額には血管が幾本も浮き出て、釣り上がった双眸は、さらに釣り上がる。そして、その殺意の塊のような目が見開かれた。
「イージャン、貴様……。シビアナに金を出させたのか!!?」
やっぱり自慢なんかするんじゃなかった。彼は即座に後悔した。
何時如何なる理由があろうとも、女性にお金を工面させる奴は、甲斐性なし。ジャムシルドは、そういう考えを持っていた。
しかも、自分の大切な娘であるシビアナに支払わせた。最早言うまでもない。激怒させるのに十分すぎる理由となった。
そして、これは周知の事実。イージャンも、最近ではあるが聞き知っていたのだ。勿論、側近であるステライはずっと以前から。これも彼は聞いていた。
だから、王の不興を買うことを、わざわざ言う訳がないと高を括っていたのだ。思いもしなかった。しかし、その甘い予測は呆気なく外れてしまった。
とは言え、これは単なる誤解。さっさと訂正すれば良い。そう。これは危機的状況に見えて、好機なのである。ステライへの誤解も解けて一石二鳥。
イージャンも、はっとそれに気付いた。だが、訂正すれば、そのステライに何故言わなかったのかと、咎められるかもしれない。その言い訳がすぐには思い浮かばない。
とは言え、事が起こってからの訂正の方が、もっと気まずい。では、やはり先に言わなくては。この数瞬の迷い、逡巡がいけなかった。
「い、いえ、その――!」
「私が一人で買いました!」と、すぐにそう続けたかったが、もう出来なかったのである。
「え――?」
それは、唐突の出来事だった。何が起きたのか分からない。イージャンは呆然とする。一瞬聞こえた、金属を弾くような高い音。その音と共に彼の視界を、黒い影のようなものが遮った。
それは、瞬きをする程度のほんの短い時間。だが、再び彼の目が捉えたのは、立ち上がったジャムシルドの蹴り上げた姿だった。
しかも、その手前にあるはずのものがない。あるはずのもの――黒い卓は、ジャムシルドによって、天井へと吹き飛ばされていたのだ。
蹴り上げたその足が、次は床を砕かんと踏み込まれた。そして、震え上がる石の床。
危機は好機。だが、一歩間違えれば、好機は危機に逆戻り。ジャムシルドの豪腕が唸る。右拳が、空を吹き飛ばし。イージャンに向かって容赦なく突き出される。
死――。迫りくる巨大な拳が、その言葉の意味そのものように見えた。




