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~伴奏 イージャンの指輪物語~  作者: 粟生木 志伸
第一章 受難の始まり
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第4話 トゥアール王国の王

「失礼致します!」


 開け放たれた扉から、広々とした室内が目に入ってくる。


 白い石壁に囲まれた部屋。真っ白な、しかしその部屋は、岩で石垣の様に積み上げられ。厚く重い歴史のその荘厳さを、色深く響かせる。


 イージャンは敬礼をし、ステライの後に続いて、その中へと入った。

 

 まず、彼は見上げる。その目が捉えたのは、紋章だ。高い石壁の天井。部屋の中心から、その天井一面に彫り込まれている。


 それは、白い鷲。六対の両翼が、覆い尽くさんと雄大に広げられ。その周りを百花が繚乱し、葉や茎と共に縁取られていた。トゥアール王国の国章である。


 その国章は、イージャンにとって、いつも見下みおろしている様だった。まるで、意志を持つかの様にして。そして、何かを問う様にして。


「…………」


 自分にしか分からないであろう、その問いに、彼は力を深く込めて両拳を握り応えた。


 それから、目を下ろし歩いて行けば、壁に沿って幅の広い本棚が並んでいる。黒塗りにされたような木製の本棚。天板は天井まで届き、梁のように太く、側板も同じく柱のように太い。彼に重厚さを感じさせる。


 棚の中には、赤みを帯びた黒くて分厚い本の列。一色で統一するかのように装丁されている。それが段になって、ぎっしりと収まっていた。


 ただ、その本棚のいくつかは、少し違う。底からの数段分が分割され、引き戸の収納庫となっており、またその上が引き出しとなっているものがあった。


「…………」


 目線はステライの背後に向けたまま。だが、その本棚の横を通りながら、イージャンは思う。


( そう。この本棚だ……。良いな……。俺も、こういうのが欲しい―― )


 と。


 今の彼は、こういった家具や調度品に、目が向かい易かった。それは、暮らすのに必要な家具や日用品の類は粗方揃えてはいたが、まだこれから購入しようとしている物があったため。その中には、自分の書斎へ置く本棚もあった。


 それも手伝って、家具の知識が自然と増えていく。そして、自分のお眼鏡に適う品がないかと、知らず知らずの内に、日々周囲を見渡すようになっていた。王の執務室にあったこの本棚は、その彼の食指を動かしていたようだ。黒い瞳が、きらりと光る。


「…………」


( ううん……。そうだな……。やはり、まず見た目が良い。この黒い重厚感。それから、本棚だけじゃないっていうのが、好評価なんだ )


 知識と見聞を深めていくにつれ、この手のどっしりとした本棚を欲しいと思うようになっていた。引き出しや引き戸の中に、私物を入れる事が出来るのも、彼にとっては評価点。それに、本だって入れる事は出来るだろう。


( こういうのを、俺も書斎に置きたい。引き戸の中には、酒でも入れておいて書類仕事でも終わったら、一杯飲んだり――。ふっ、そう言うのも悪くないな…… )


 夢は広がって行く。実は、彼の書斎は、まだまだ家具が揃っていない。寝室などが優先にされて、後回しになっていた。


 これは、真っ新だと言って良い。何もない部屋だ。しかし、その方が夢は詰め込められる。彼は、自分の理想の書斎を思い描いていく。


 今まで様々な場所で見て来て、気に入った家具の数々――。その中で、一体、どの組み合わせが、一番自分の理想に近いのか。


 書斎机。物置台。談笑用の長椅子や卓などが、一つずつその真っ新な部屋に配置されては取り払われ、また別の物に変わっていく。それは、もちろん本棚も。


 その本棚も気に入ったものが数点あった。それらが順次入れ替わって行く。そして、彼の横に並ぶ黒い本棚がどんと設置される。しかし、この本棚は入れ替わらない。微動だにしない。


 やはり、書斎に置く本棚はこれ以外考えられなかった。


「…………」


( ――良し、決めた。書斎には、こういうの置く。シビアナと違って、俺は大量に本を持ってないから、全部が全部本棚じゃなくても十分だ。もし、必要になったら新しいのをまた買えば良い )


 うんうんと、心の中で頷く。


( それに、彼女もよく本を読むし、よく買っている。本棚が欲しいのは、俺だけじゃないだろう。今度、また一緒に外に出かけて―― )


 それが出来るか聞いてみようと考えたが、


( ――いや。シビアナも忙しいだろうからな……。それなのに、時間を割いてもらうのも悪いか。一人で探しに行こう )


 そう決定を下した。


 本棚の先、部屋の奥には、銀色の『織敷おりしき』(絨毯のようなもの)を敷いた執務机があった。椅子を囲う様にして、凹型としている。また、椅子が収まる以外の三方には、側版が付いているため、箱のようにも見える。そして、その角の端々には、精緻な彫刻の模様があった。


 この机も、木製で黒を基調としており、重厚さを感じさせる幅の広い机だ。一人で使うものとしては、かなり大きい。大人の寝台の三つ分はある。重厚さは、その大きさから来る印象でもあるだろう。


 だが、おかげで天板は広々としており、その上にある数十冊の本や、山積みとなった書類の束も、やけに少なく思えた。


「…………」


 イージャンは思う。


( 広々とした執務机だ。あれなら、いくらでも書類や本を置けるだろう。仕事も捗るに違いない―― )


 と。


 王が使う机だからだと、豪華さを優先せず、また拘ってない様に見えるのも良かった。質実剛健、とでも言うべきか。そう思えたのもあって、彫刻の模様も、控えめ目で抑えているように見える。


 だが、それが逆に、その重厚さや格調の高さを、引き立てている。そんな気がしていた。彼は、それから、椅子の方へと目を向ける。


( あの椅子も、座り心地が良さそうだ。副隊長室の物とは違って、長時間座っていても辛くないんじゃないか? )


 机に遮られて、殆ど見えない。だが、それでも見える背束や笠木は、黒く頑丈そうで、暗い朱色の布か革で覆われた背もたれは、ふっくらとしており、とても柔らかそうだ。


( よし……。あれも、参考にしよう…… )


 理想の書斎のため、その選択肢に執務机と椅子が、しっかりと追加された。

 

 流石、王の執務室だ。また、新居に移る日が迫っているのもあってか、ぽんぽん追加されていく。これなら、他にも追加されそうではある。


 だが、出来るとしても、それは目の先にある談話用の低い卓と、その卓を挟む長椅子二つだけ。それ以上は無理だ。


 何故なら、この部屋には、もうこれといった調度品の類がないからだ。絵画や置物といったものもない。


 あるのは、ただ一つ。一本の剣のみ。鞘から引き抜かれ、その身が剥き出しの長剣。それが、本棚の列や執務机の向かい側の壁に、その剣と鞘上下に並べて掛けられている。このくらいだ。


 その剣も、宝飾といった余計な飾りはなかった。だが、武骨な柄や鍔で拵えた剣身が、異様な凄みを帯びた鋭い威圧を纏っている。イージャンは、以前ここに訪れた時、一目でそれが分かっていた。


「…………」


( やはり――。あの剣は良いな…… )


 初めて見た時から気に入っていた。恐らく、何かしらの曰くがある国宝級の剣なのだろう。だから、飾られてある。そう察していた。


 彼は、ステライの後に続き歩みを進める。歩きながら、自然とその剣に吸い寄せられる両目。緊張も忘れそうになる。しかし、それはすぐに引き戻されることになった。


「来たか……」


 剥き出しの殺意にも似た重圧。扉一枚隔てただけで、これほどまでに違うのか。間近で聞くと、その重々しさはさらに。背筋も凍る思いだった。


 意識はしていない。咄嗟に視線を移す。銀色の窓掛けに挟まれ、天井まで届く窓が並ぶ部屋の奥。


「…………!」


 眩しさに目が細まる。まばゆい太陽の光。その光に立ちはだかり、黒い影となった後ろ姿が、そこにはあった。


 イージャンより大柄なその影は振り返り、ゆっくりと彼らに向かって歩いてくる。その足が一歩前に出される度に、緊張は否応なく高まる。やがて、太陽の光から離れその姿が現れた。


 上着は、一枚も羽織っていない。だが、鍛え抜かれたその身。それは、壮年の終わりに差し掛かろうとも、未だ衰えというものを微塵も知らない。


 下は、黒い革靴に袴姿だ。赤黒い生地に、太い金と銀の刺繍で描かれた炎のような模様が、火の粉を舞い上げて裾から絡み合いながら力強く立ち上る。


 また、両拳は強く握られている訳でもないのに、その拳に嵌めた黒革の手袋が、今にもはち切れそうである。


 髪は長い。腰まで伸びる金銀入り混じった長髪が、十数本の太い三つ編みにされ、歩みを進める度ゆらりゆらりと揺れていた。


 そして、顎に短い髭を蓄えたその形相は、非常に強面である。眉間には険しい皺が深く走り、鷲のように獰猛な両目が、異常なまでに釣り上がっていた。


 その双眸に、イージャンは捉えられる。睨まれたわけでもないが、ただそれだけで、誰もが美丈夫だと思うであろうその容姿が消し飛ぶ。見る者に最早熾烈な印象しか与えない。それ以外を決して許さないかの様であった。


 彼は、武神のようなこの男に、畏敬の念を込めて敬礼をする。

 

「近衛騎士隊副隊長、ダンディストー・イージャン! ご命令により、只今参上致しました!」

「ああ……」

 

 尊大に両腕を組み、不機嫌そうに答えたのが。


 先の大戦で、この国を守り抜いてみせた者。その安寧を守り続ける者。そして、この国で最強と言わしめる者の一人。


 トゥアール王国の王。『鷲獅王じゅしおう』、トゥアール・ジャムシルド、その人である。



**********



 銀色の『織敷おりしき』の上に、談話用として設けられている横長で背の低い卓。


 そこへ、まず急須置きと茶托が敷かれ。それから、その上に熱いお茶の入った急須と空の湯呑が。陶器製で青みが掛かった白い急須と湯呑みだ。茶托と急須置きは黒く、こちらは木製。


 それが、前室にいた女性侍従官によって、静かに置かれていく。そして、別の侍従官が、その手に持った急須で、空の湯呑みに温かいお茶を注いでいった。


「ありがと」


 卓を挟んで二つの長椅子がある。一つにつき、十人ほどは余裕を持ってゆったりと座れるだろう。羽織っていた外套は、もう手渡している。そこへ腰を下ろしていたステライは、湯呑に両手を添え早速飲み始めた。


「イージャン様、お預かり致します」

「ありがとうございます」


 着席を許されたイージャンも、外套を外し、控えていたもう一人の侍従官に手渡す。剣帯に吊るした佩剣も預け、着座すると姿勢を正した。隣にはステライ。


 そして、向かい側の長椅子には、ジャムシルドが。その中央で両腕を胸の前で組み、湯呑みにも手を付けず、目を閉じて座っている。


 この湯呑みは、ステライ達と比べ大きく二杯分は多く入る。色も黒く湯呑み自体もごつごつとして分厚い。

 

 最後に、イージャンの前にも、湯呑み一式が静かに置かれ同様に。お茶が入った湯呑みからは、温かそうな湯気が上がる。彼は、静かに会釈をした。


 ちなみに、お茶を煎れるだけではあったが。その侍従官の所作と表情には、心なしか彼の時だけ、ほんのりと甘い優しさを感じさせるものがあった。この女性は年頃で若かった。


 その様子は、湯呑みを傾けながら、ちろりと目端で眺めているステライの様に、見る者が見れば察しが付くだろう。しかし、彼がそんな女心の機微に、気付くことはない。ただじっと、目の前の卓を凝視している。


「…………」  


 イージャンは、また思っていた。これ絶対にお高いと。


 その卓、そして彼らが座るその長椅子。どちらも、これまた木製で黒が基調。まず、卓の方を言えば、分厚く切られた天板が、人が座れるほどの切り株のように太い四本の脚で支えられている。


( こ、この卓…… )


 以前、ここに座った時は気にもしなかったが、今は違う。よく見れば、木目が灰褐色となっており、黒と縞模様になっている。それが分かった。そして、それがどんな物なのかも。


( これは……。し、深黒檀しんこくたんなのか…… )


 その模様、それはこの国で最高級品とされる『深黒檀しんこくたん』という銘木の特徴だった。


 この深黒檀、幹の芯まで真っ黒な木だが、年輪の筋だけは灰褐色になっている。他の木と同様、それが木目の模様となって現れていた。


 それは、刀剣に現れる波紋のようである。また、清涼感のあるその香りも、この国では特に好まれている。何より、耐久性もあり丈夫。湿気や水にも強い。木材として最適と言って良かった。


 そのため、この木を使った家具は、需要が高い。のだが、数が限られてる。結果、目が飛び出すほどお高くなってしまっていた。これくらいの卓であれば、高給取りであるイージャンの年収でさえ軽く五回吹き飛ぶだろう。


 だが、それも家具単体を見ただけの話。彼の目の前にあるその卓は、まだとんでもない付加価値がある。それは、装飾だ。天板を囲む縁には銀細工。そして、脚には彫刻。


 その脚には、浮彫にされた鳥や草花が細部の端々にまで広がっている。天板の銀細工は、草花で囲むように描かれてあった。どちらも、熟練の名工と呼ばれる者の手によって、仕上げられている。


 それもあって、ここまでの物は、芸術品としても特級品。非常に価値は高いだろう。


 彼自身、その浮彫も銀細工も、素人目ではあるが、しかしだからこそ凄いとしか思えない。それ以上の言葉が浮かばない。こんな精巧なもの、どうやって彫っているのか知る由もなかった。


 しかも、ただ彫られているだけではない。小さな黒い宝石が、惜しげもなく散りばめられている。これにも気付けた。


 長椅子の方は この卓に合わせるよう、同じ長さになっている。また、二つとも似たような造りだ。奥行きはゆったりとあり、両端には肘掛も。また、厚みと弾力がある背もたれと座には、銀色の革が張られている。


 座った瞬間に気付いていた。自分の体を座に預けると、ゆっくり沈んでいく。その沈み加減も絶妙で、座り心地も硬すぎず柔らかすぎず、非常にくつろげると。こんな事、ここでしか味わった事がない。しかもだ。この長椅子も、木枠が深黒檀だった。


「はあー……」


 感嘆の溜息が、人知れず静かに出る。ここまでいくと、どれだけの価値があるかもう分からない。とてもじゃないが、買えるわけがなかった。


 それに、自分は新築のため借金をしている。使える費用も限られていた。高い家具を買うのではなく、揃える方が重要だ。


( 揃える……? いや、ちょっと待て…… )


 卓を見下みおろしていた視線が上がり、部屋を見渡す様に移る。


( もしかしたら、あの執務机や本棚も深黒檀なのか――? )


 この事実にも気付いて、もう限界。意識が遠のく思いであった。


「…………」

 

( ううん……。しかし、だ―― )


 彼は、心の中で唸る。家を買うことになってから、改めてこの部屋に来ると全く違って見えていたからだ。今まで気にならなかった事が、目新しく感じ、とても重要に思える。これは、家具に対する知識が増えたのもあるだろう。


 そんな中で、一番印象に残っていると言えば――、やはり高価すぎるという事。流石は、この国の王が使う執務室。尋常ではない。イージャンは、特にその事に対して、痛く感服し自分を恥じた。到底、真似なんかできない、と。


 しかし、彼にはもう一つ印象深いものがあった。それは、家具の色によるこの室内の統一感。白い室内に黒い家具。


 全体を二色に絞るだけで、ここまで違うとは思わなかった。それだけではない。本や執務椅子の赤。そして、長椅子、窓かけ、敷織の銀色。これも必要なのだろうと分かった。


 黒と白だけを視界に入れれば、のっぺりとして単調すぎる。だが、銀も入れると印象が違う。柔らかい雰囲気へと変えているように思えた。


 さらに赤も入れると、メリハリや奥行きが生まれているように感じ、また鮮やかだ。これは、使い過ぎないのが良いのだろうと察した。


「…………」


( なるほど……。色は大事なんだな。見た目が、本当にさっぱりして綺麗だ )


 自分が使っている副隊長の執務室は、薄い灰色の部屋に濃淡が異なる木製家具の茶色。それを思い返し比べてみても、やはり白と黒の方が良いと納得ができた。


 彼は、それから、卓から目を離し。失礼にならない様、室内を控え目に素早く見渡すと、それを再度確認。


( 黒、か……。うん、悪くない )


 幸いにして、自分の書斎もここと同じで白い。と、静かに頷く。そして、


( よし――。決めた。俺も黒で統一だ! これなら出来る! )


 あとは銀色も使い、少しだけ赤も。と、書斎を自分色に染め上げるための方針を固めた。


 しかし、この男。あんなにも緊張していた王の前であると言うのに、こんな事を考えているとは。何だかんだで、まだまだ余裕があるようである。



**********



 お茶も配り終わり、三人の侍従官たちは丁寧にお辞儀をすると、前室に続く扉を静かに閉め戻って行った。それが、合図であったかの様に、


「さて――」


 ジャムシルドが、その熾烈な双眸を見開く。イージャンを睨みつけた。今から真剣での殺し合いでも始めそうなその威圧。全身が強張り発汗も感じる。緩みそうになっていた姿勢は、それをもう許さない。


 今後とも、この目に慣れる事なんてありはしないだろう。と、そんな戦々恐々な彼を余所に、ジャムシルドは話を切り出した。


「お前を呼んだのは、他でもない」


 まるで、今から腹を切れとでも宣告されるかの様。そうとしか聞こえなかった。イージャンは、ごくりと喉が鳴りそうになる。ジャムシルドは、一息間を置いて、その言葉を続けた。


「お前を呼んだ理由、それは――。お前たちの結婚についてだ……」


 結婚――。呼ばれた理由を知らなかったイージャンは、その話だったのかと得心した。あと、本当にその話で良かったと安心した。


 彼らの結婚式は、王家が主導して執り行われる。それは、シビアナの置かれている立場がそうさせていた。


「まず、式の日取りついてだ。それが正式に決まった」

「――決まったのですか?」


 ステライが尋ねた。


「ああ。先程ミストランテが来てな。お前とは入れ違いだ」

「なるほど。そうでしたか」


 ミストランテは、老年の女性だ。そして、王女の元側付筆頭侍従官。つまり、シビアナの前任者だった。王の命を受け、結婚式の段取りはこのミストランテが取り仕切っている。


 式の日取りは、きちんと決まってから、彼女が知らせに来ることとなっていた。ステライはジャムシルドの側近ではあるが、そのため今初めてその日程を聞くことになる。


 それから、ジャムシルドは、ステライに向けた顔を戻す。


「シビアナにも伝えるが、イージャン。お前にも余が直々に伝える」

「はっ!」


 気勢よく返事をしたものの、大丈夫だろうかと、不安が過る。彼は、シビアナから日取りについて話を聞いていた。その彼女の想いが伝わっているようにと願う。


「…………」


 ジャムシルドは、一度目を瞑り、それからその目を見開いてから言った。


「――来月だ。斧月ふづきの十八日と相成った」


 良かった――。イージャンの表情が和らぐ。シビアナの願いは届いていた。この日に結婚式を挙げる事は、彼女にとって特別な意味を持っている。彼は、それを聞いていたのだ。その意味も含めて。


 斧月とは、トゥアール王国の暦である。その月の数は十二。一年を十二か月で分けてあった。


「あら? 少し急ですね?」


 イージャンと違いステライは、腑に落ちない様子だった。軽く首を傾げている。


 ここトゥアール王国では、結婚式を挙げる日は、大体二、三カ月前に決めるが通例の様になっていた。しかし、それがあるのに、この日。もう一カ月くらいしかないからだ。しかし、


「――あ。でも、その日って――」


 彼女も何故その日なのか、すぐに気付いた。


「ああ……。余とあいつが式を挙げた日だ……」


 そう。その日は、国王であるジャムシルドと、今はなき王妃の結婚式と同じ日だった。ステライは、そういう事かと頷いた。


 ジャムシルドは両腕を組み、しばし目を瞑っていたが、再び開き話を続ける。


「今まで色々と準備は進めてきたが、これからはその日に合わせて、本格的に動くことになる。そして、この日以外に式をやる事は、決してない」

「はっ!」


 無論、イージャンに異議はなかった。シビアナの望む通りになったのだから。その気持ちも込めるよう力強く返事をする。


「天気も快晴。これも決定事項だ。雨が降ろうが槍が振ろうが、関係ない。余が晴天にする」

「はっ!」


 これは、決してものの例えなどではない。その様な事態になれば、ジャムシルドは間違いなく実行するだろう。イージャンもまた、それが分かっていた。


「そして、盛大にやる。――良いな?」

「はっ! よろしくお願い致します!」


 王の格別な計らいに応えるよう、イージャンは勢いよく頭を下げる。


「ふん。王宮にいる者は、全員参列だ。ステライも頼むぞ」

「ふふ! はい、承知致しました」


 これは、二割程冗談だ。王宮には、常時警備が必要となる場所が沢山ある。そこを式のためとはいえ、空ける訳にはいかない。意気込みを言ったのである。付き合いの長いステライにはそれが分かった。


 しかし、それに近い事はしなくてはならない。これが、残り全部。ジャムシルドの本気の発言。だから、これに沿えるよう頼むと、側近である彼女にもそう言った。


「以上だ」


 ジャムシルドは、話を締め括って目を瞑る。そして、胸の前で腕を組んだ。


「…………」


( 来月の十八日―― )


 イージャンはその日を心に刻む。すると、妙な気分になる。


( そうか。俺は本当に結婚するんだな…… )


 日取りが決まった事で、結婚という得体の知れない物に、少し実感が湧いてきた。だが、実際のところ、何をどうすれば良いのかよく分かない。そういう気持ちも大きかった。不安もある。未開の地へ、何も持たず足を踏み入れるようなものだった。


( それも仕方がない事だ。何せ、結婚なんてした事がないんだから )


 そう思ったが、すぐに違和感を覚えた。


( いや違う。そうじゃない。そういう事はどうだっていい )


 彼は、ゆっくりと首を振った。訳の分からない未開の地へ何も持たずではなかった。一つだけ、しっかりと持っているものがある。それを思い出した。


「む……」

「あら?」


 目を開くジャムシルド。そして、ステライも目を見張る。覇気に気付いたからだ。それには強い意志が漲っていた。


 その覇気を発しているのは、二人の眼前に座る男。イージャン。両拳を力強く握り、覚悟の籠った目で卓をじっと見つめている。


 彼が放つ覇気、気迫。それは、鷲獅王と称えられし、国王トゥアール・ジャムシルドが放つものには、到底敵わない。だが、それでも――。


「…………」


( 彼女を――、シビアナを守る。これからもずっと守ってみせる。必ず、それをやり遂げてみせるんだ――! )


 卓の上に置かれた、ジャムシルドとステライの湯呑。その中に入っていたお茶が、微かに波打つ。波紋が広がった。


 その湯呑は二人の目の前、別々の場所にある。しかし、その波紋は、イージャンを中心にして広がっていくようだった。


「ふん……」

「あらあら」

 

 ジャムシルドは、不機嫌気に鼻を鳴らして再び目を閉じた。そして、ステライは、真剣な眼差しをしたイージャンを、優しい眼差しで見つめる。


「ふふふ……!」


( 頑張ってね。イージャン――! )

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