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~伴奏 イージャンの指輪物語~  作者: 粟生木 志伸
第一章 受難の始まり
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第3話 人生で一番高いお買い物

 遡ること数刻前。


 イージャンは、裏地が赤の黒い外套――近衛騎士の外套を軽鎧の上から羽織り、王宮内の廊下を足早に歩いていた。


 急遽、近衛騎士隊の隊長より、直ちに国王と謁見せよと命令を受け、その謁見の場に向かっていたのだ。


 ただ、普段は謁見の間で行われるそれが、今日は何故か違う。王の執務室に呼び出されていた。その事に、彼は少しだけ違和感を覚えたが、歩いている内すぐに気にしなくなっていた。回数はかなり少ないが、執務室に行くこともあったからだ。


 そして、何より。王と謁見するという緊張が、それを上回っていたからだった。


「ふうー……」


 その緊張を解こうと、深呼吸をしながら王の執務室に続く廊下を進む。すると、丁字路となっていた先の廊下から、不意に女性が現れる。


 その女性はイージャンとは違い、白い外套を羽織り、精緻な金の装飾が施された白い軽鎧を身に纏っていた。その鎧の白に映える、深い緑色をした長い髪を、三つ編みにしてうなじ辺りでぐるぐると丸めている。


 年の頃は中年に差し掛かっていた。しかし、その外見からは、年齢を推し量るのが難しい。妙齢の、とまではいかずとも、非常に若々しかった。目元の涼しげな美女にしか見えない事も、それに拍車をかけている。


 彼の姿に気付いたその女性は、表情が和らぐとすぐに声を掛けてきた。


「あら、イージャン。早かったわね」

「はっ。ステライ様」


 イージャンは立ち止り、敬礼をして答える。


 ジョーテッペ・ステライ・キャステオウル。彼女は王の側近、その一人。『王の盾』と呼ばれる武官だ。それもあってか、その身は引き締まっている所は、きちんと引き締まっている。


 出立は、鎧姿ではあったが、帯剣はしていない。代わりに、その両腕には籠手と一体になった、顔を隠せる程度の丸く白い盾が着けられていた。彼女は、いつも嵌めている。


 この手の盾は、使う者も少なく珍しい。理由は単純で、嵩張るから。邪魔になるのだ。有事ならいざ知らず、普段からこうやって身に着けておく必要性を感じる者は少なかった。


 また、取り回しも、手に持つ盾に比べ不自由だ。使い勝手が悪い。しかも、かなり高価でもあった。それなら、普通に盾を持って使えばいいし、籠手でも十分だ。


 しかし、それでも彼女にとっては、剣よりこちらの方が良い。それは、『王の盾』と呼ばれる所以の一つでもあった。


 そんな彼女もまた、王の執務室へ向かう途中。いや、戻ると言った方が良いだろう。前の予定も同じく執務室で行われ、その相手であるこの国の宰相を送った帰りだった。


「急に呼びつけてしまって、ごめんなさいね。ふふっ」

「い、いえ……」

「さあ、陛下がお待ちかねよ。会談も早々に終わらせたくらいだから」

「え!? そ、そうなのですか……?」

「ふふふっ。ええ」


 王の側近である彼女は、次の予定がこの謁見である事も勿論知っている。それが急に決まったものでも。何故なら、自分も立ち会う事になっていたからだ。


 近々イージャン一人を呼び出すから、その時は同席しろと事前に聞いていた。それが今であった。


「ふうー……」


 彼は、落ち着こうと、先程より深く息を吐く。王が待っていると言う言葉を聞いて、緊張がさらに高まってきた。


「――ふふ!」


 その様子をステライはくすりと笑う。そして、


「じゃあ――。一緒に行きましょうか」

「はっ!」


 彼女に促されて、二人は王の執務室に向かって歩き出した。


 静かな廊下に、足音だけが響く。彼らは無言のまま進んでいった。普段のイージャンは寡黙だ。余計な事を喋らない。


 それは、王の側近であるステライに対しては当然。二人は、王の側近と近衛騎士。立場が上と下だ。だが、例えば、同僚とこうやって歩いていても、彼は世間話などを振る事もない。それを気まずいとも思わなかった。


 一方、ステライはその様な上下関係があっても、気さくに話し掛けたりする。それは、もちろんイージャンに対しても。ただ、彼の場合は、付き合いが長いというのもあるのだが。


 また、そんな性格や関係であっても、このまま何も喋らず、王の執務室へ行くこともできる。こういった沈黙を、彼女も特段気にしない。しかし、丁度今、王宮中で話題を掻っさらっているものがあった。


 ステライは王の側近だ。その立場もあって、情報はより詳細に入ってきている。ただ、事情もあって、あまり詮索するものではないと考えていた事もあり。自身が知っている事は、出回っている話と然程変わらない。それ自体は、大まかなものまでで留めておいた。


 だがそれでも、当の本人が隣にいる。しかも、自分と二人だけ。他の誰かに聞かれる事もない。だから、からかいがてら聞きたくなっていた。自然とその口から、尋ねる言葉が零れ出る。


「ねえ、イージャン」

「――はい? 何でしょうか?」


 彼女は歩きながら、振り向いた彼の顔を見てふっと頬を緩める。そして、廊下にある窓の列から見えた澄んだ青空を見上げながら、その言葉を伝えた。


「どう? 新婚生活の準備は――、進んでる?」


 これを聞いて、イージャンは若干気まずいような照れたような顔に変わる。それから、視線と声を落として答えた。


「はっ……。その……。シビアナと二人で、頑張ってやっています……」

「ふふふ! あらあら、二人でやってるのね?」

「は、はい……」


 新婚――。そう、この度イージャンは、めでたく結婚をする運びとなったのだ。


 お相手は、ヴァイン・シビアナ・ハラフェティ。ここトゥアール王国の第一王女に仕える、側付筆頭侍従官である。


 そして、この二人の結婚が話題になっている理由は、特に、このシビアナにあった。


 絶世の美女――。まさしくその通り。その評判は、王宮だけではなく国内、そして国外にも知れ渡っていた。しかも、才色兼備である彼女は、気立ても良く人当たりも良い。王女の筆頭侍従官という地位でありながら、傲慢な所は一切なかった。


 そのため、シビアナとの接点がそれなりに多い宮中では、それが特に顕著で男女問わず絶大なる人気を誇っていた。


 そんな彼女が結婚するのだ。話題に上がらないわけがない。確かに、他にも理由があるが、これだけもでも十分だろう。


 そして、夫となるのが、女性侍従官にきゃーきゃー言われている将来有望な近衛騎士隊の副隊長であるこの男。二人は色んな意味で、本当に色んな意味で宮中の的となっていた。


「じゃあ、もう住む所も決まったのかしら?」


 ステライがにまにまとして尋ねる。現在イージャンは、王宮内にある兵団の寄宿舎暮らし。しかし、結婚をするとそこから出ていくのが、この兵団での慣わしとなっている。


「はい……」

「わ! それは良かったわね! おめでとう!」

「あ、ありがとうございます……」


 厳かに顔を俯け、お辞儀をするイージャン。だが、相当嬉しいらしい。上げたその顔に、見せていた厳かは微塵もない。笑顔になるのを堪えるように、口許が歪みまくっていた。


 普段であっても、彼がこんな顔をしたことはない。やはり、人生の一大事――結婚を祝ってくれるのは嬉しいのだろう。と、言いたいが、それもまた微妙に違う。不十分だ。


 確かに、結婚を祝ってくれたからでもある。だが、それだけでは、口元が歪みまくる事はない。こんな変な顔にはならない。では、他に何が原因か。


「ふふふっ! そうかあ、住む家はもう決まってたかあ。二人の住む家が」

「は、はい……」

「ふふ――!」


 イージャンの照れたその様子を、歩きながら、にまにまのまま眺める。


 その原因とは、ステライが尋ね、そして彼が答えた事――。自分たちが住む所を決めた。これである。


 住む所を決めた。そのためには、当然、家が必要であったわけだ。しかし、それが貸家などであれば、こんな顔にならない。もっと自慢が出来る様なものでないと、彼はならない。それ以上のもが必要だ。


 つまり、イージャンは家を借りたのではなく、家を購入したのだ。


空家があって、それに手直しを施して住めるようにする。王都で家の購入とは、この事を指すことが多い。また、近衛騎士とはいえ、中には結婚をした後でも貸家に住んでいる者だっている。


 家の値段は、やはりお高かった。それは、トゥアール王国でも変わらない。特に、他の場所よりも土地が限られているこの王都中心では。


 しかし、それでも彼は家を購入したのだ。これは、誰にでも胸を張って自慢ができる。だから、それが原因で、こんな変な顔を。と、今度こそ言いたいのだが、まだ不十分であった。


「でも、ホント良いわねえ。初々しくて羨ましいわあ。自分達で決めた新しい家――。そして、そこで始まる、あまーい新婚生活――。ふふふ!」

「…………」


 以前は何とも思わなかったが、今の彼にとっては、こういった類の話題は返答がし辛くなった。気まずそうに押し黙る。それを見て、ステライは嬉しそうだった。そして、ふっと、表情を和らげると、


「これからも頑張りなさい! イージャン!」


 ぽんと彼の腕を叩き、二人が幸せになるよう、その思い込めて声援を送った。


「はっ!」


 彼女のその声援に、立ち止まって敬礼で返す。


( ありがとうございます、ステライ様! あとそれから、本当に新しい家です! 新築ですので! )


 新築――。そうなのである。今の言葉通りだ。この男は、あろうことか。既築ではなく、なんと新築の一戸建てを買ってしまったのだ。


 その新築は、貴族の邸宅と言っても差し支えない程、立派なもの。そして、今まさにその建設の真っ最中。結婚式を挙げて新婚旅行から帰ってきたら、そのまま入居予定であった。


 これなら、大威張りで胸を張って自慢も出来よう。貸家でもなく。それよりお高い既存の家でもなく。さらにお高い新築の邸――。しかも、それが豪華ともなれば尚の事。


 だが、それに伴い、相当のお値段になるのも確か。大いに自慢も出来る分、その代償もまた大きくなっていた。彼が近衛騎士の副隊長とは言え、その役職にも見合わず、とんでもない出費となっていたのである。


「…………」


( でも、俺は買ったんだ。シビアナと暮らすために―― )


 人生で一番高い買い物だった。イージャンは、近衛騎士になってこつこつ貯めてきたお金を、頭金にして殆どぎ込んでいた。残りは借金になったが、後悔はなかった。


 妻となるシビアナは、いつも悠然としている。だが、そんな彼女に、自分が買うから任せてくれないかと伝えた時、目を丸くして驚いてくれたのだ。しかも、その後に見せた、あの嬉しそうな顔といったら――。


 もう、これだけで。これだけで、十分幸せだったのだ。そして、流石私の旦那様と、誇らしそうに頷いてくれたその笑顔は、彼の心に永久保存されている。いつでも再現可能であった。


 だから、それを何度も思い返しては、仕事中でも眉間に皺を寄せながら、にやにやとする口元を我慢しようとして、何とも変な顔をする始末。今と同じ。


 そう。これなのだ。新築を買ったからだけではない。彼は、これが原因で口元を歪めまくっていたのである。今もその嬉しそうな笑顔を思い出していたのだ。新築は、シビアナのために買ったから、だから嬉しくて誇らしかった。


 だが、そんな顔を見せられている者たちは、堪ったものではない。兵団にいる男性陣、特に身近な近衛騎士達から、殺意の対象となっていた。


「そうか、そんなに嬉しいか。シビアナ様と結婚するのがっ――!」


 と、こんな感じで嫉妬と怨嗟と怨念が渦巻いていたという。本人は、全く気付いていなかったが。ただ、新築の家を買った事は伝えていなかったため、これでもまだまし。


 しかし、言わなくて正解だ。殺意が限界を超え、本当に切り掛られるところであった。それくらいシビアナの人気は高いのだ。


「それで、イージャン――」

「――はっ」


 ステライの尋ねる声で、自分の痴態にようやく気付く。おっといかんいかんと、にやけそうになる口許を揉みながら手で隠した。


「場所は、どこにしたのかしら?」

「はっ。中層の――。南東辺りになります」


 王都は大きく二層に別れている。王宮がある小高い丘を囲むようにして外壁と水堀があり、その内と外に大きく街並みが広がっていた。


 王都の内なのに外壁と呼ばれるのは、元々王都は、二層ではなくここまでしかなかったからだ。そこから徐々に発展して広がっていった。


 こういった経緯もあり、外壁より内側にある丘を『旧王都』。外側は『新王都』と呼ばれている。彼の言う中層とは、旧王都の方。ここは大きく四層に分かれており、中層は外側から二番目の層になる。


 そこは、王宮で働く者達が多く住まう居住区となっていた。だから、近衛騎士が居を構える場所としても、この中層は妥当なのだが、


「え――?」 


 ステライは、少しばかり驚いた。


「中層の南東……? 中層の? そうなんだ……」

「はい。運よく、良さそうな場所が空いておりました」

「ふーん? あら、そうなの?」

「はっ」


 住む場所も聞かれたイージャンは、話が進むにつれ、新築を買ったという事をきちんと話したくなっていた。同僚にも言えてなかったのもある。誰かに伝えて、その反応を見たかった。つまり自慢である。

 

 確かに自慢なんて柄でもないと思いはした。気が引けたのだ。しかし、相手は立場が上とは言え、気さくなステライだ。なら、少しぐらい。そのくらいなら良いじゃないか。一生に一度の買い物だったんだ。だから、ちょっとだけ。彼女が、気分を害さない程度で、ほんのちょっとだけ。


 そういう気持ちがむくむくと込み上げてきていた。だが、伝えたくても、残念ながらそれはまだ早計である。


 急に家を買ったと話を振るのも、変に思われるかもしれない。自慢したかったと、悟られるのは最悪。そう思い至り、無理なく言い出せる機会待つ。様子を窺う事にした。


 しかし、そんな彼を余所にステライは、


「…………」


 視線を落とし眉を顰めている。どこか腑に落ちない。


「そう。中層――、なのねえ……」


 イージャンの答えは、彼女とって疑問だった。


「何だか意外だわ。私は、てっきり『貴族街』に住むものだと思っていたから。借りられる屋敷が空いてなかったの?」

「あー……。いえ……」


 彼女の言う貴族街は、中層のさらに一段内側だ。内層とは呼ばれず、貴族街と呼ばれる事が多かった。領地を持つ貴族の別宅が多いのが、呼ばれるその理由だ。


 ステライもまた、ここに夫と娘とで住んでいる。彼女も領地を持っているので、本家はそちらになるのだが、王の側近であるため、王都に住む必要があった。


 彼女のジョーテッペ家は、古くからトゥアール王国に仕える家系である。その家系が古ければ古いほど、この貴族街に居を構えている者は多かった。


 そして、トゥアール王国は歴史が長く、彼女の家のような家系も多く残っていた。そのため、入れ替わりは殆どなく、貴族街の屋敷や土地が売り出されることは滅多にない。


 だが、それも先の大戦で一変してしまう。この戦火の最中さなか、途絶えてしまった家系が続出したのだ。その結果、貴族街には、売りに出されたり放棄される邸が多くあった。


 とは言え、それも十年以上前の話。戦も終わり、平穏な日々が戻ったのもあって、既にその分の土地や邸等は、別の者が購入していた。


 ただ、それとは別として。そもそも、シビアナは貴族街に邸を持っている。持ってはいるのだが、しかし、とある理由があって、そこを使う気がない事を、彼女とも旧知の仲であるステライは知っていた。


 だから、これを疑念の理由とは端からしていない。理由となったのは、また別のもの。それは、王家も貴族街に土地と屋敷を持っている。と言う事だ。


 イージャンの妻となるシビアナは、トゥアール王家に由縁が深い。その王家から、貸してもらう事に無理はない。むしろ、自然の流れと言っても良かった。また、その屋敷を誰かに貸していると聞いてもいなかったため、ステライは中層に住むことを疑問に思ったのである。


「…………」


( うっ。参った。どう答えるべきか…… )


 本当の事は言えない。でも、嘘も言いたくない。生真面目な性分がそれを躊躇わせる。イージャンはその質問に窮した。だが、


「っ――! その……。あそこに住むには、少々手が出ませんでした……」


 言い訳を咄嗟に思い付けた。これで誤魔化す。


 確かに貴族街は、近衛騎士隊の副隊長であっても、住むだけで馬鹿にならない多額の費用が掛かる。その上、新築となれば、敬遠しても仕方がない。彼は、その新築を建てているのだ。


 なら、嘘とは言い切れないだろう。自分で、そう納得も出来たのもあって、その性格でも言い出せた。


 しかし、そもそもその場所は調べてもいない。初めから候補にも入っていなかった。それは、そのお金が問題なのではない。


「…………」


( はあ……。あんな所に住んだら息が詰まりそうだからな…… )


 これが本音だ。だが、そんな事を、その貴族街に住むステライにいう訳にもいかない。ただし、


( それに、シビアナも貴族街より中層が良いと言っていたし )


 こちらが本当の意味での本音である。彼女が望めば別に貴族街でも良かった。その程度。


 いや、そんな事よりも、早く自慢がしたい。イージャンは、少し焦っていた。もしかしたら、言えないまま王の執務室に到着するかもしれない。それは困る。だが、ステライは、


「え? 借りられないかしら? あらそう……? でも、あなたとシビアナなら――」


 当然そんな心情など露知らず。しかも、それどころか、


「…………」


( ううん? どうして、口を濁すのかしら? )


 彼の誤魔化しに首を傾げていた。残念ながら、咄嗟の言い訳は通用せず。その態度と声から看破されている。


 これは仕方がないと言えば、その通りだろう。付き合いが長いのもあって、彼の嘘を吐くのが苦手なその性分をよく知っている。そのため、それが誤魔化しであっても、彼女には分かりやすかった。


 しかし、それ以前にである。イージャンは、高給取りの近衛騎士隊副隊長。そして、シビアナは、王女の側付筆頭侍従官でもあるのだ。


 これだけでも知っていれば、その二人の稼ぎで貴族街にある王家所有の邸宅でも、余裕を持って借りられる。ステライでなくとも、王国に仕える高官ならば、それが分かってしまう。そのため、疑念を抱くのも当然であり、見抜くのもいつもより容易かった。


 しかも、ステライであれば、より違和感を覚えてしまう。何故なら、王家から邸宅を借りるためのそのお金ですら、支払う必要もない。そう考えてしまえるからだ。つまり、シビアナは、それくらい王家に由縁が深いのである。 


 こう言った背景もあり。この二人が、貴族街に住む事は充分あり得たはずなのに。いや、当然と言って良いだろう。でも、そうしなかった。何故だか、中層に住むらしい。疑惑が膨らんだステライは、歩きながら自分の顎に、籠手が嵌まっている親指を当てた。


「…………」

 

( 借りられないと言うけれど――。でも、やっぱり中層で貸家というのも、いくらなんでもおかしいわ。安すぎる。確かに、近衛騎士で中層にそうやって住んでいる者がいるのは知っている。でも、イージャンはその近衛騎士だけじゃなく副隊長。役職にまで就いている。話はまた別よ )


 こつこつと、親指で顎を軽く叩く。


( いえ、そうじゃない。もっと重要で問題な事があるわ )


 叩いていた親指の代わりに人差し指を当て、そのままぴたりと止めた。


( もっと重要で問題な事――。そう、シビアナよ。あの子は、殿下の筆頭侍従官というだけじゃないわけだし。だから、そういった全てを含めた上で、それに見合った体裁を整えないといけないわね。絶対に。でないと、結婚どころじゃない。本当に大変な事になるわ。なのに賃貸ってのは―― )


 偶然にも、誤魔化しが功を奏していた。イージャンの望む言葉へと徐々に思考が繋がっていく。


「あ……!」


( 待って。イージャンは借りるなんて一言も言ってないわ。私がそう聞いただけ。じゃあ、やっぱり――! )


 自分の思い違いに気付き、結論に達して放った次の言葉が、彼の好機へと変わる。


「もしかして、イージャン――」


 彼女は一度立ち止まって、顎に当てていた手を差し向ける。それから、今度は人差し指をぴんと立てて言った。


「家を――、買った?」


 来た! よくぞ聞いてくれました、ステライ様! と、彼は拳をグッと握った。


「は、はい。実は……」


 そして、決して自慢をしているわけじゃないんだと、厳かに謙虚を心掛けてそう肯定した。しかし内心は、にやにやである。


 あと、自慢したからこそ分かったのだが、何だか無性に照れくさくもあった。その原因は、こういう事に慣れてないからであろう。


「わわ! やるわねえ~~」


 シビアナが王家に頼んで、貴族街で邸宅を十年程借りるのと、中層で家を買うのでは、買う方がまだお高い。しかも、借りられるその場所には、タダでだって住めてしまうはず。それなのに、彼は家を買ったと言う。


 そして何より、王家に頼らなかったその姿勢が、ステライの感心を誘った。


 これに関して、イージャンから、その旨を聞いていない。だが、頼っていれば必ず彼女の耳に入っていた。間違いなく、王からの話題にされるのである。


「あ、ありがとうございます……」


 言って良かった。お辞儀をするイージャンは、未だ照れくさくもあったが、ステライの素直な絶賛に、とても気分が良くなっていく。


 しかし、まだだ。俺は新築を買ったんだ、新築を。これをまだ言えていない。彼は、その機会を探るべく、再び歩き始めたステライの後を油断なく付いて行った。


「なるほどねえ……。納得したわ。だから、中層に住む事にしたわけね?」

「はっ」


 その返事に、彼女は腑に落ちた様子で頷く。


「ねえ、イージャン。その場所は、何が決め手になったのかしら? どうやって決めたの? 他にも何件か候補はあったのでしょう?」

「はっ。仰る通りです。まず、シビアナが数件ほど、良さそうなその候補を、事前に探してくれてまして――」

「ふんふん」


 興味津々で尋ねてくるステライに、彼もますます気分が乗ってくる。普段とは違い多少饒舌になっていた。


「――それから、その物件を二人の予定を合わせてから、順に足を運び、実際に見に行ったのです」

「あら。良いわねえ。シビアナと一緒で、見に行ったのね? ふふふ!」

「は、はい……」


 ちょっと余計な事を言ってしまったと、照れくさそうに顔を俯けた。しかし、すぐに気を取り直す。


「シビアナと行けたのは、その……。良かったのですが、しかし――。実際に見てみると、どれも決め手に欠けてしまって……」

「あら、そうなの? 全部?」

「はい。みな、二人の希望や条件が揃わないと言いますか。確かに良いと思えるものもありましたが、そう思ったのは私だけで、シビアナには物足りないといった感じでして」

「ふうん。そう……。――ん? でも、決まったのよね?」

「――!」


 ここだ! と彼は直感した。


「はい。ですから、その――。新しく家を建てることに致しました……」


 これを聞いて、ステライは切れ長のその両目をを大きく見開いた。


「え!? 嘘!? それってまさか新築にしたって事!?」

「は、はい。実は、そうなりまして……」

「えええええええー!?」


 大きな声が、静かな廊下に響き渡る。そして、大変素晴らしい驚き頂きました。ありがとうごさいます。ありがとうごさいます、ステライ様。と、彼は要らぬ出費でしたと体を装い、眉を歪めながらも心の中で満足気にお辞儀した。それから、粛々を心掛けて説明を続ける。

 

「最後に見に行った候補が、古くてボロボロになっていたのですが、場所的にはとても良い物件だったのです。家を建てるには充分広く、庭付きにも出来き、それに大きな木も生えておりまして」

「へええええー!」

「二人とも、その場所だけなら、すぐに気に入ったもんですから、じゃあ古いのなら新築にしようかと――」

「はあーー。そうなのねえー……。ちなみに、その邸は、どのくらいの大きさになったのかしら?」

「はっ。三階建てで、シビアナの邸くらいには――」

「えええ!? 嘘!? あれと同じくらいなの!?」

「は、はい……」

「わあお!!」


 ステライは、自分の驚きを両手で口を押えた。大貴族である彼女でも、この新築は建てるのに相当な金額を叩いていると、思わざるを得ない。シビアナが所有する邸は、それくらいの豪邸だ。


「またとんでもない新築を建てたものねえ……。あ! じゃあ、間取りも?」

「は、はい。シビアナと一緒に色々と考えました……」

「あらーーー!」


 忙しい合間を縫って、二人で時間を作っては意見を出し合った。一階のこの奥には、台所。二階の居間は、玄関に続く階段にも近いここで。三階のこの部屋は、大きくして二人の寝室に。それから、隣のこの部屋は、将来子供が出来た時に――。


 そう言い掛けると、シビアナが「え……? 子供?」と、ちょっと驚いたように言う。すると、自分も「あ……」と気付き、子供というその言葉に気まずくも、二人して俯いて照れたりもしていた。いやいや、何とも幸せそうな時間を過ごせたようで、大変よろしかったですなあ。


「はあー、すごい。ホンット驚いたわあ……」


 新築だけではなく、更にそれが相当な豪邸。その分、ステライが受けた驚きは大きかった。


「はっ……。その……、申し訳ありません」


 おずおずと頭を下げるイージャン。それに気付いて軽く手を振る。


「ああ、良いのよ。ふふふ! 聞けて良かったわ。うん、重畳、重畳! イージャン頑張ったわね!」

「あ、ありがとうございます……」


 自分の腕をポンポンと叩かれ、丁寧にお辞儀をした。


「ふふふ! うんうん!」


 これにて、イージャンの自慢話は終了である。彼は、気持ちよくその話を終えることに成功したのだ。上げられた顔は、実に晴れやかで満ち足りている。いっそ清々しさまで感じられた。


 そして、彼は、謙虚さを忘れぬ様心掛け。顔を伏せつつ、しかし心の中では胸を張り、にこにことしたステライのその後を歩き始めた。


「ふふ……!」


( あまり詮索をするつもりはなかったのだけれど。これは、聞けて良かったわね! )


 幸せを分けてもらったような気がしていた。おかげで、自然と足取りも軽く。静かな廊下にその嬉しそうな足音が響いて行った。それから、ふと思い至り、その足取りが緩やかになる。


( こうやって住む家まで決まったと聞いて。本当に結婚するのだと実感できてくると――、何だか感慨深いものが込み上げてくるわねえ…… )


 そう思わせるのは、恐らくイージャンよりシビアナのせいなのだろう。


 イージャンとは彼が近衛騎士となってからで十年も満たない。だが、シビアナとは彼女が幼少の頃からの旧知である。十年以上だ。


 ステライは、今までずっと見守ってきた。その彼女が成長し大人になって、今や結婚をする年にまでになっていたのだ。


 自分でもそう気づき、シビアナとのその昔が思い返されていく。


 色々あった。楽しかった事。面白くて笑えた事。困った事。大変だった事。それから――。


「…………」


 ステライの足取りが鈍る。笑顔も物哀しそうになって視線を落とした。

 

( そうね……。あの子は、本当に――。本当に今まで色々あったから…… )


 彼女は知っている。シビアナの過去が、真にどのようなものであったかを。それから、ステライは自分の顔を後ろに向けた。


( それは――、イージャンも。になるのでしょうね…… )


 彼女は知っている。彼の過去も。この二人の過去を知っている。それを思い浮かべ、これから先がどうなるか不安が込み上げてきた。だが、


( ――いえ。大丈夫。うん、きっと大丈夫ね! )


 首を振って追い払う。ステライは、彼らの力強さも知っている。それを、込み上げてきた不安にぶつけて吹っ切る。そして、再び軽やかに歩き始めた。


 それは良いのだが、


「ふふふ……!」


( でも、よくぞあそこまで奮発したものねえ……。まさか豪邸まで・・・・・・・買ってるなんて! )


 ステライは知らない。自分が未だ思い違いをしている事を。大貴族である彼女にさえ、あの様な驚きと感嘆を与えたのは、意表を突かれたからでもあった。つまり、別にまた理由があるのだ。新築まで建てれるなどと思えなかった理由が。


 そして、だからであろう。さあて、これで心置きなく王との謁見を迎えられると、彼が思った矢先、その彼女より到底看過できない言葉が発せれてしまう。


「そっかあ……」


 うんうんと笑顔で頷きながら、


「シビアナと二人でお金を出し合って買ったのねえ……。ふふふっ」


 ぽつりとそう零したのだ。


「――っ!?」


( 二人で――、だって!? )


 その言葉が耳に届くや否、イージャンは目を見開く。


( いや……。いや、ちょっと待って欲しい。それはない。それはないです、ステライ様! 俺が、シビアナにお金を出させたなんて、あまりにも酷い誤解だ! )


 心の中でそう叫ぶ。そして、自分の中にある男の誇りのようなものが、激しく揺さぶられ傷つくのを感じた。男なら家は夫である自分が買う物だという強い信念のようなものを、彼は持っていたのだ。

 

 ただ、ステライも悪気はない。何故なら、二人で頑張っていると彼自身が最初にそう言ったからだ。これで、その言葉通り、結婚の段取りや家の間取りも、そしてその家の購入も全部二人でやったと思ってしまった。


 加えてシビアナも、王女の側付筆頭侍従官の高給取り。お金はある。だから、二人で出し合える。そして、購入するのはお高い新築の豪邸。そう捉えるのも無理はなかっただろう。


 だが、そうさせたのは、ステライが勘違いをしているまた別の理由。これが、何より大きい。これがあったせいで、二人でお金を出し合ったのだと思ったのである。


 しかし、今のイージャンにそんな事は関係ない。問題は、ステライが自分とシビアナの二人で家を購入したと誤解しているという事。ただそれだけだ。


( 何とか、この誤解を解かなければ――! )


 そう強く決心して闘志を燃やす。拳を強く握りしめた。彼の戦いは再び始まる。すると、その彼にステライが振り向いた。


「まあ、何か困ったことがあったら、言って頂戴。相談に乗るからね?」


( って、すでに一つ出来てしまったけど。まあ、これは聞いてしまった以上、こっちで何とかしてしまいしょう )


 その対策を思い浮かべながら、イージャンに微笑む。


「はっ。よろしくお願いします」

「ええ。話を聞かせてくれてありがとう」

「はっ!」


( ――あ )


 反射的に敬礼して気付く。


( は、話が終わってしまった…… )


 そう思っても後の祭りである。それは、唐突なまでの終わりのお知らせであった。そして、これ以上、話を続ける事も彼には出来ない。


 気付けば、両開きの大きな扉がある広間。彼らは、既に王の執務室へと到着していた。であれば、これ以上の話は、ステライの邪魔になる。そう判断するのがこの男なのである。


 無念イージャン。誤解を解くのは、また次の機会へと持ち越しだ。言いたくても言えないもどかしさ。そんなしこりを残したまま、彼は心の中でがっくりとうなだれた。


「はあ……」


( と、ともあれ、誤解自体は早めに、謁見の後にでも必ず解いておかないとな……。でないと――。ああ、参った…… )


 そう。解かなければならない。それは、自分の尊厳や誇りと言ったものより、もっと切実なものから来ている。


 しかし、そんな悠長な事を考えている暇があるなら、さっさと「あ、いえ。費用は自分だけが出しました」くらい、さらりと言えば良かったのに。


 今だって間に合うだろう。たった一言で良いのだ。だが、それも出来ないのが生真面目なこの男なのである。


「さあ、行きましょうか」

「はっ……」


 この広間には、数名の近衛騎士と王宮兵士たちがいた。普段は、ここに置かれた卓に座り、書類仕事などをしていたりもするが、その者たちには、ステライのあの足音が聞こえていたのだろう。すでに立ち上がっており、敬礼をして二人を迎える。


 それにステライが笑顔で答え、近衛騎士に扉を開けてもらい、二人は中に入る。その中は前室だ。ここは、側付侍従官たちの仕事場も兼ねている。


 女性の侍従官が三人おり、イージャン達と隔てる様に置かれた長卓の後ろにある、机の列でぽつぽつと離れて座り、書類仕事をしていた。ステライ達二人は、その長卓の前を通り過ぎていく。


 侍従官達は、扉が開く音に気付き、書類を眺めていたその顔を上げていた。そして、ステライ達を見て立ち上がろうとするが、彼女はそれをそのまま座っていて構わないと手で抑る。侍従官たちはそれに応え、浮かせた腰を戻した。


 それから、ステライは、歩きながら侍従官の一人に視線を向け頷いた。若い女性だ。その侍従官がそれに答え頷く。この様子を確認しながら、イージャンを伴い前室の先にある扉まで歩いてき、両開きで頑丈そうなその扉を軽く叩いた。


「陛下。イージャンを連れて参りました」

「――入れ」


 内から響いてくるその声。それは、たった一言だというのに、威厳と威圧が込められたように重々しく。その様に聞こえたイージャンに緊張が走る。落胆も吹き飛び、気持ちが切り替わる。


 そして、執務室へと続くその扉が、ステライの手でゆっくりと開けられていった。

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