第13話 三籟に響きしもの
「くうしん――、おんさ? それって何?」
ソティシャは、首を反対に傾げ聞き返した。どうやら、こちらは重樹と違い、その存在自体も知らなかったらしい。だから、イージャンは少し考え込む。
(うーん。この様子だと全然知らないのか……。だとすると、どう説明しようか? あんまり難しい言葉を並べても、分かり難くなるだけだしな……)
「簡単に言えば――。そうだな――」
(簡単に。簡単に――。うーん……)
一番分かりやすくするには、どう話せばいいだろうか。言いあぐねていると、それを見かねてレイセインが先に口を開いた。
「その身が奏でる音の力、ね……」
「――ああ。それだ、レイ」
助かった。代わりに答えを出してくれた事に感謝する。
「だな。楽器を使わず、人の体で……。そんな感じだろうぜ」
ガドリクも、その答えに納得。
「その身が奏でる音――。楽器を使わず――。うーん? それって、さっきレイ姉ちゃんが、やった様なもの? ――えい!」
ソティシャは指を鳴らしてみた。だが、レイセインの様にパチンと気持ちよく鳴らない。小さい手の中で、ハフンと音がする。まだまだ慣れてないようだ。
「ありゃ」
「ふふっ……。そういう音じゃ……。ないわね……」
(これは、私のでも同じ事。あれって、色や形が全然違うから)
「ソティシャ。指を鳴らしたり、拍手とか手を叩いたり――。あと、足を踏み鳴らしたりする音なんかとは違うんだ」
「じゃあ、どんなのなの?」
自分の手を見ていたソティシャが、イージャンに顔を振り向ける。
「そうだな……。鉄琴や木琴、太鼓、竪琴、琴笛――。もっと楽器に近い音が鳴る――か。それも、力の種類によって違ってくる」
「ふうん。そんな音なんだね。で、その種類がある力っていうのが、すっごいんだ?」
「ああ。例えば、その音を鳴らすと、物を軽くしたり重くしたりできるな」
ソティシャの背筋が、驚いてピンと伸びる。
「え!? 嘘!? 音でそんなことが出来ちゃうの!? 重い荷物でも、簡単に運べるとか!?」
「限度はあるそうだが――、できる」
「へええー! 便利だね!」
(ベ、便利……)
確かにそうなのだろうけど、何だか自分とは捉え方が違うと、イージャンは思った。彼としては、武術の一種なのだ。
「重さは……。多分、親父さんくらいなら……、問題ないでしょう……。ふふっ。ソティーでも……、片手で持てるわよ……?」
レイセインが手を広げ、ガドリクを乗せたようにして、何度か上げ下げする。それを見て、ソティシャが笑った。
「あはは! それ、すっごい便利!」
「俺は荷物かよ……」
渋そうに顔を歪めて文句を言う。それを見て、イージャンが苦笑いしながら、話を続ける。
「それから、とても大きな声が出せたり――。離れた場所にある物を、弾いてみせたりもできるな。さっき、俺がソティシャの座っている椅子にやった事なんかも、手を使わずに出来てしまうだろう」
「へええー!」
「あと、レイがその椅子を持って来てくれたが――。あの程度の距離なら、それも手を使わずに出来てしまうな」
「わ! それも便利! ちょっと手が届かないとこにある工具とか取れる!」
話を聞くにつれ、興味津々になってきた。
「他にもあるの? ジャン兄ちゃん!」
「あるぞ。そうだな――」
不意にその胸中へ、ある情景が浮かぶ。近衛騎士隊での訓練の日々。その近況である。
「う゛っ!?」
急に顔色が悪くなった。汗が吹き出し始め、吐き気を催し、手に口を当てる。
「ジャ、ジャン兄ちゃん!? どうしたの!?」
「あ、いや。すまない。何でもないんだ……」
何でも……。彼は弱々しく微笑んだ。
「そ、そーおう?」
「ああ、大丈夫だ」
「う、うん……。ならいいけど……」
二人を見ながら、ガドリクは眉を顰める。
(一体、何を思い出したんだ、こいつ?)
レイセインも。
(何を思い出したのかしらね……。まあ、碌でもない事みたいだけど)
声色からしてもそれは良く分かる。だから、深く立ち入らない方が良いのだろうと思った。
「…………」
(そうだな。やはり、あまり物騒なものは止めておこう。子供には刺激が強いかもしれない……。なら、殿下の技とかは絶対に駄目だ。もっと他に分かり易くて有名なものを――。えーっと、確か……)
イージャンが、再び言いあぐねていると、それをレイセインが答えた。
「目を瞑ってても……。周りに何があるのか分かる……。こういうのも……、できるそうよ……」
「すっごい! そんな事まで――!」
ああ、そうだ。肝心なそれがあった。イージャンも気付いて言う。
「その力は、背後とかも関係ないらしい」
「あ! だったら、ジャン兄ちゃんの剣があるとかも、分かっちゃう?」
ソティシャが後ろを振り向いて、立て掛けてある剣を指差す。それを見ながら、レイセインとイージャンが答えた。
「ん……。らしいわね……」
「ああ。剣だと分かるそうだ」
「へええー! これは夜とか便利そう! ふふ!」
「ふふ。そうね……」
ソティシャに掛かると、空震音叉もただの便利道具に早変わり。イージャンとはまた違い、レイセインには、その発想が面白かった。それはさて置き。
(私たちも、背後の気配が読めたりするけど――。それとは、また別みたいね。つまり、陛下は両方できるって事か)
心内で自分に補足を入れる。それから、ガドリクも一つ例を挙げた。
「俺は、音が鳴っている間なら、糊なんかを使わず、物を接着できるって聞いたな。お前の湯呑とこの卓も、ひっ付けたり出来るんだとよ」
「おお……。これがひっ付くんだ……。嘘みたい……」
空になった湯呑みを手に持って、何度か卓に当てる。
「だから、ソティシャ。上手くやりゃあ、天井や壁なんかも歩けるらしいぜ?」
「わああ! それ、すっごい面白そう! 私もやってみたいなあー!」
想像してみるまでもなく、子供にとってそれは楽しい事でしかない。その子供にしては、ちょっと変わっているソティシャでも、わくわくしてきた。顔も綻んでいる。そんな笑顔を見ながら、レイセインが可笑しそうに笑った。
「ふふっ……。案外、出来るようになるかも……、しれないわよ……?」
「え!? ホント!?」
「そ……。運が、とっても良ければね……」
「運が、とっても?」
首を傾げると、イージャンがその意味を答えた。
「ソティシャ。空震音叉を扱えるのは、数人しかいない。これだけ少ないのは、何が切っ掛けで使えるようになるか、分からないからなんだ」
「で、その条件が分かってねえから、皆、運って言葉で済ませてんだよ」
肩を竦めてガドリクも言う。
「あー。そっか。だから運がとってもなのか……」
「ふふっ。そういう事……」
女王のみぐしと同じだ……。なら、とソティシャは残念に思った。可能性はとても低い。それに、すぐには使えないし、今後も駄目かもしれない。
確かに、この力を発現させるには、明確な条件がないとされている。人それぞれだ。刀剣の打ち合いを繰り返して、気分を高揚させる。これで、その力を発露させた者もいれば、重樹との戦いの中で突然目覚めた者もいる。
また、女の子がお尻を触られて、その相手を殴り飛ばした時に、出たりもしている。そして、その殴り飛ばされた相手も出たりと、結構アホな原因だった事もあるので、これだという風に明確にできない。やはり、人ぞれぞれだった。
ただ、その条件ではなく、発現する人間。これは、武芸を嗜む者に多い傾向はあった。空震音叉は『武の極致の先』と呼ばれている。武芸者は、皆この極致を求め研鑽を積んでいくため、その先にある空震音叉は発現しやすいとされたのだ。
しかし、それもこの国が、『武の国』と呼ばれる程、武芸が盛んだからだろう。武神を祀るカトゼの存在もあり、国民にとってもそれは身近なもの。だから、学ぶ者のその数は多い。つまり、絶対数が多いため、そういう傾向があると捉えられてしまっている。よって、こちらもやはり一概には言えないだろう。
ただし、これらの話と違い、圧倒的にその力を発現させてきた者たちがいる。
「まあ、それでも王家の方々は、その力が発現しやすいそうだがな」
ガドリクがソティシャに言う。
「そうなの?」
「おう。陛下だけでなく殿下も、その力を持ってらっしゃる。他にも、その力を使えた王族は、昔から結構いたらしいぞ。まあ、結局その力が出る条件は、人それぞれで分からないそうだが、続出はしている。って事は、この王家ってのに、なにかしら意味があると思うぜ?」
「ふううん」
ソティシャが、興味気に何度か頷く。例外はあるが、王家の人間は総じて常人より身体能力が高い。やはり、その血には何か力があるのだろう。
それに、女性は髪の色が変化する。纏わる伝説も多々ある。とにかく、色々変わってるんだから、なら空震音叉も――。そういう感じで、ある種の納得を得ている。
「それでな、ソティシャ」
ガドリクが続けて言った。
「今、その力を持っている人間は七人なんだが――。陛下と殿下を除いた残りの五人は、王家と関係ねえんだよ」
「あ、そうなんだ」
(って、七人しかいないんだね。ホントに少ない……)
「だけどよ。この事で、ちょっと面白い説があってな」
「面白い?」
「ああ」
それは何だろうと興味気に見てくるソティシャに、ガドリクは答えた。
「トゥアール王国の歴史は長え。だから、ずっと昔にいた王族の何人かの血が、その五人に流れてるんじゃねえかってんだよ。あれは、元々王族の力だったのに、時を経て広がって王家からずっと離れた子孫にも、受け継がれたんじゃないかってな」
「え!? くうしんおんさって、王様の力なの!?」
確かにそうなるだろう。そして、王家の血筋は至る所にいると言う事にもなる。だが、ガドリクは首を振った。
「いや、どうか分からねえな。あくまで噂話だ。王家もそれを認めてねえし。初代女王リリソフィアーナ様は確かに使えたそうだが、それは武神カトゼの意志だと仰ってる。あの力は、端っから王家の血と関係ねえんだとよ」
「ふうん……」
(ま。どちらにせよ、そう言わざるを得ないでしょうね)
レイセインは、軽く溜息を吐いた。
(だって、正統性を与えてしまうから。そうしたら、王位継承権も認めざるを得なくなる。その恐れも出てくるでしょう。色々、血生臭い事へと、発展することにも繋がるわ。トゥアール王家は、絶対にそれを許さない)
「我が戦うは民の為。故に我は皆を率い、戦う王と成ろう」
(初代女王の宣誓からも窺える、王家のその姿勢。民を守るという信念。これが、国の割れる事を決して許さないのよ)
彼女の言うその信念。これは、国王自らが戦いに赴く理由でもあった。トゥアール王国は、いざ戦となれば必ず王家が出張る。そして、その多くが先陣を切ってきた。
だが、そのため、先の大戦ではトゥアール王家が一人だけになると言う、極めて危険な状態まで突き進んでしまっている。
「まあ――。この噂は証拠がねえからな。ササレクタ様なんかも、リリファルナ様や殿下みたいに、髪の色が変わるわけでもねえみてえだしよ。ああ、これだと男にゃあ関係ねえか」
髪色の変化は、女性限定。男性では判別しようもない。それに気付いて、ガドリクは自分に一笑を付した。
「逆に……。リリソフィアーナ様の時代にも……。王族以外の人間が……、使えてたらしいわね……」
「だったな」
イージャンがレイセインの言った事に頷いて、それから付け足す。
「やはり有名なのは、『正天秤』イズオッド様と『軍門』ウハセル様ですか、親父さん? リリソフィアーナ様と共に、トゥアール王国の建国に尽力されたという」
「おう、そうだな。その二人が有名どころだろう。サイリ・イズオッド。ジョーテッペ・ウハセル。あの大貴族、サイリ家とジョーテッペ家の先祖だ」
「ん?」
(あれ? おかしくない?)
ソティシャは首を捻った。
「え? じゃあ、父さん。その話、嘘なんじゃないの? もうそこで、王様だけの力じゃないよね?」
「ん? ああ」
そう疑問に思うのも、尤もだろう。だが、嘘とまでは言えない訳はあった。
「こっちも、古過ぎて証拠がねえってこったよ。文献はあるそうだが――、石碑か。それも、書き換えようと思えば書き換えられるって、この噂を信じてる奴らは言ってるな」
「え? でも、石碑って書き換えられる? 石だよ? 彫ってあるから、もう駄目なんじゃないかなあ?」
これもその通りではあるのだが、
「さらに彫り込むんだよ」
「彫り込む?」
「そうだ。文字を二、三個削って別の文字に変えりゃ、意味が違ってくるらしいぜ? 『王族だけ使える力』を『王族にも使える力』って感じでよ。あと、それとは別で、もうちょっと後の時代に、わざと間違った文を彫った石碑だって言ってる奴らもいる」
「へえ……」
「この石碑ってのは確かに古いそうだが、そもそも石碑自体が、正確な時代まで分かる様な代物じゃねえからな。だから、証拠にはならねえんだと。ま、この噂は、あくまで噂だ。話半分以下で聞いときな、ソティシャ」
「うん、分かった」
彼女は、一つ聞きたい事があったので、続けて尋ねる。
「ちなみに、父さん。その五人って?」
「ん? えーっとな。まず、英雄シドー様だろ? あとは、『南方将軍』イダンテン様、『北方将軍』カンビノーセ様。『皚原の嬋媛』ササレクタ様。そして、『開闢遠里』のヘックタウル様。この五人だ」
北方将軍とは王都の北にある都、『北都』。南方将軍とは南都。それぞれの都とその地域を守護する王家の代行者だ。皚原の嬋媛と開闢遠里は、その異名となる。
皆、王都にいれば、どこかで話題に上がり、聞いた事があるような有名人ばかり。ただ、
「かいびゃくえんりの――、ヘックタウル様?」
ソティシャは、その名にだけ聞き覚えがなかった。
「ああ、ソティシャは知らねえか。まあ、ずっと遠いとこにいるからな」
「ずっと遠いとこ?」
「そうだ。ヘックタウル様は、東都より更に東の地で、その土地の開拓を先導している方でな。要は、森なんかを切り開いて、人が使える土地を増やしてんだ。田んぼや畑なんかが、作れるようにしている。それから、牧場とかだな。村や町なんかも、一から作ってるって話だ」
「わ。すごい」
「空震音叉も使って、どんどん土地を広げてるらしいな」
ガドリクは、広げた掌の指を一本ずつ折っていく。
「声を大きくできるから、広い開拓地の遠くまでその声を届けられる。壁や天井を歩けるって事は、岩壁や木なんかも登れる。あと、軽くしたり出来るだろ? なら、埋まってる邪魔な岩なんかを動かし易くなる。物の運搬も早く済ませれるだろう。切り倒した木や石材とか、一度により多く運べるわけだからな。お前が言った様に、色々と便利だろうぜ」
「うーん。確かに」
これを聞いて、イージャンは蒙が啓かれる気分になった。
(なるほど……。本当にソティシャの言った通りだ。武術以外でも役に立つ)
「それに、あそこも大きな猛獣が多い。だから、目を瞑っても、周囲の状況が分かるってのは助かる。その退治にも役に立つんじゃねえか?」
「だねー……。ホント便利。くうしんおんさって」
そう言うと、頬杖を突く。そして、未練たっぷりで呟いた。
「はーあ。やっぱり、私も使ってみたいなあ」
(でも、運だしなー)
「ふふっ。私も使ってみたいわ……。だけどね……、ソティー」
レイセインは、卓の真ん中にあるお椀に手を伸ばす。
「空震音叉は……。良い事ばかりじゃない……。欠点もあるのよ……」
「欠点?」
「そ……」
彼女は、お椀からおまんじゅうを手に取ると、ソティシャの目の前でひらひらと表裏に振る。そして、半分に割ると、
「力を使うと……。お腹が……、すぐに空くんですって……」
そう言って、割った半分をぱくりと食付いた。残りは、ソティシャの口へと近づけ、ぱくりと食付かせる。すると、全部口の中に入り、頬が膨らみ笑顔になった。
「もぐもぐ――。それが、欠点? でも、それくらいじゃあ。もぐもぐ――。別に――」
(私は、それくらいなら気にしないよ)
彼女としては、この程度問題にもならなかった。そして、それを聞いてイージャンが言う。
「ソティシャ。お腹が減ってる時に使うと、命の危険もあるんだ。最悪、死んでしまう事だってあるらしい」
「死――!? んぐ!?」
驚いて、自分が思っていた以上に飲み込んでしまう。そのせいで、おまんじゅうが、喉に詰まる。そうと分かって、ぎょっとするイージャン達三人。
「ソ、ソティシャ!」
彼の声も聞こえない。彼女は、急いで湯呑を手に取る。だが、中身がない。隣の湯呑を見る。中身が入っている。それを急いで手に取り、ぐびぐびと勢いよくお茶を飲み込んでいく。
「っぷー……。びっくりした……」
「す、すまない。大丈夫か?」
イージャンが背中を摩る。
「うん。大丈夫。――あ。ごめん、ジャン兄ちゃん。飲んじゃった……」
自分の飲んだものが、彼のものだと気付いた。ぼっと顔が熱くなる。
「いや、いいんだ。それより、脅かしてすまなかった。もう一杯飲むか?」
「ん……」
頬を赤らめながら俯いて、こくんと頷き小さく呟いた。彼は、摩っていた手を離し、卓にある土瓶を自分たちの湯呑みに傾け、お茶を注いでいく。
「……ふう」
(やれやれ。ちょっと焦っちまったぜ……)
ガドリクは小さく溜息。そして、遠慮がちにはにかんで隣を見上げる、頬が紅潮したままのソティシャ。それを笑顔で答えるイージャン。そうやって仲睦まじくお茶を飲む二人を、レイセインがじっと見詰める。
「…………」
(ソティーの、この照れ照れと恥らった様子を見てると――。どうしても、シビアナの顔がちらつくわね……)
あと五年早く生まれていたら、間違いなく敵と認識されていただろう。自分と同じように。彼女は、空恐ろしい気配を背筋に感じていた。
「はあー……」
ソティシャは、お茶を飲んだら落ち着いてきた。赤い顔も引き始める。すると、さっきの言葉がもう一度過った。
「でも、死ぬかもしれないなんて――。それは、ちょっと怖いかも……」
その様子に、イージャンが申し訳なさそうに言う。
「すまない、言い方が悪かった。そうそう死ぬもんじゃない。慣れと言うか――。お腹の空き具合を、きちんと把握していれば、大丈夫なんだそうだ」
「あ。そうなんだね」
ちょっと安心。
「それに、ソティシャ。陛下は、幾度となくあの力をお使いになっている。勿論、最初に言った通り、あの重樹に対してもだ。しかしそれでも、ちゃんとご無事だからな」
「そっか。陛下――」
なら、安心だ。彼女はそう感じたが、イージャンは、これ以上要らぬ不安を与えぬよう、余計な事は言わず敢えて決め付けていた。
「陛下はとてもお強い。確かに、空震音叉は危険のある力だ。だけど、その力があるから、三日間たったお一人でも、大丈夫だったんだと思う。助けになったはずだ」
「うん。私もそう思うよ。だって、やっぱり便利だもん。だから、倒せたんだね。山のように大きな重樹でも」
イージャンが首を振る。
「いや、この力があったからこそ、陛下は絶巓級の磐蹄犀馬を倒せたんだ」
「あったからこそ?」
その言い方は、まるで必須の力のようだ。便利は便利だけど、そこまでの力なのだろうか。
「それって、どういう事?」
疑問に思い聞き返す。すると、イージャンがその意味を答えた。
「『至極天』。あれがないと、絶巓級は倒せない」
「あ! それ知ってる! あのでっかいの!」
「知っていたか」
「うん」
ソティシャは、ガドリクと買い物をしに市場へ向かう時、見掛けた事がある。遠目ではあったが、その大きさに圧倒されたものだ。
「だが、至極天はな、ソティシャ。空震音叉がなければ、その本来の力を発揮しないんだ。だから、親父さんの言う通り、常人は一切太刀打ちできないんだよ」
「へええー。そうなんだね」
感心するソティシャを見て、ガドリクとレイセインが頷く。
「そういう事だな」
「ん……」
至極天とは、トゥアール王国が誇る巨大な武器の事だ。数は現在十体。人のおよそ五、六倍ほどの大きさで、この国最強の武器と謳われている。それを振り回すには、それ相応の馬鹿力だけでも可能だが、彼の言う通り本来の能力は使えない。
「ま、そんな感じだ。ソティシャ」
ガドリクが腕を組んで言う。
「陛下は強え。そんな陛下が、空震音叉っていう特殊な力を使い、その至極天で、絶顚級、盤蹄犀馬を見事討ち果たされた。で、そん時に額から銀嶺も見つけられた。つうわけよ」
「ふうん……」
確かに、今聞いた力があったなら、あんな大きなものでも扱いやすくなる。また、目を瞑っても周り何があるか分かるなら、銀嶺も見つけやすいのかも。ソティシャはそう納得出来た。
「だがな、ソティシャ。実は、ここからが陛下のマジで凄え所なんだよ」
「え――?」
ガドリクの不敵な笑みを、きょとんと眺める。
「その襲撃の後だ。もっと遠くにも重樹が出現してな。つまり、陛下は、磐蹄犀馬を倒したら、そのまま次の重樹の討伐にも向かわれたってわけよ」
「へ?」
この時、残りの絶巓級は、既に倒されていた。それ以外に襲来していた重樹も、中央軍が討伐し終えている。また、新たにやって来ることはない。その確認も取れていた。これは、万雷山脈の特質によるもの。
しかし、その中央軍が戦った場所以外にも、重樹は現れる事になる。そこは、西都方面を守る『西方王国軍』が対応していたが、現れたのは盤蹄犀馬の撃破当日。出現に時間差があったのだ。
そのため、ジャムシルドには、まだその襲来の報せが入って来てなかった。だが、彼はこの襲撃の異常性を鑑み、その場を中央軍に任せると、達人級の武人を引き連れ救援に向かっている。
「ははは……。う、嘘でしょ、父さん?」
唖然としていたティシャは、その意味が分かり、信じられない半分呆れ半分の半笑いになった。
「いや……。ホントらしいぜ?」
「…………」
絶句して、隣とその奥にも顔を振り向ける。
「ホ、ホントに?」
「本当なんだ」
「ホント……」
イージャン、レイセイン、そしてガドリクも。三人とも皆、苦笑いだった。
「はあーー……」
それを見て、納得、疲労、呆れ、驚き。そんな思いで一杯の深い溜息を、肩を落として吐き出す。そして、その姿を労うよう、皆が笑った。
「でも、陛下、疲れてなかったのかな? あと、怪我とか……。ぜってんきゅーっていう、すっごい重樹と戦ったわけだし……」
息を吐き終えると、ふと気付いた。それにレイセインが答える。
「ふふっ。いいえ……。問題なかったみたいよ……。両方の討伐が終わった後でも……。ぴんぴんしてたって……」
「ひええ……」
ソティシャは、もう結構と顔をおっかなびっくりに歪めた。その顔を見て、皆がまた笑う。
「どうだ、ソティシャ? 陛下の感想は? 凄えだろう?」
「もう……。そんなの、今更聞くまでもないでしょ、父さん?」
(私の反応、ずっと見てたじゃない)
「はっはっ! そうだな」
ガドリクは笑って、それから少し諭す様な気持ちを込めて言った。
「ソティシャ。陛下は、この国の王として、皆の先頭に立ち今までずっと戦ってこられた。いつもその身を顧みず、皆と一緒にこの国を守って来られたんだ」
「う、うん」
急に雰囲気が変わったように感じ、ソティシャは躊躇いがちに答えた。
「守ってくれたら、礼を言わなくちゃな。だが、言えねえ。言う機会がねえからな」
ガドリクは、ふっと表情を緩める。
「だから、俺たちゃあ守られる度に。あとは、まあ驚かされる度にだな。感謝や尊敬なんかの念を、色々込めて、こう笑うのさ。レイ、イージャン。教えてやれ」
二人は笑みを浮かべる。その意図を察していた。そして、訝しげなソティシャの耳元でその言葉を囁くと、彼女はぱーっと明るなり面白そうに笑った。
「分かったか? すげえって言うより、良い言葉だろ?」
「ふふ! うん!」
「よし。じゃあ、いいか? お前は最後だけ言いな」
ガドリクは、他の二人にも目配せして、まず始めに言う。
「流石は――」
続いて、レイセインとイージャンが。
「わたしたちの……」「俺たちの――」
そして、三人に顔を向けられて、最後にソティシャが「ふふっ」と笑い言った。
「陛下だ!」
「はっはっ! ああ、それでいい。次からは全部一人で言うんだぜ?」
「うん、分かった!」
「その後は、まあ――適当に笑っとけ! はっはっはっは――!」
釣られて、三人も面白そうに笑い出す。ガドリクは、イージャンとレイセインに挟まれて笑うソティシャを見て思う。
(本当はもっと言ってやりてえんだが、今は簡単で良い。まだ分かり難いだろうからな。で、笑うのも今は適当で良い。これも分かんねえよ。
だが、いつか、お前が大きくなったら――。そん時は、何故笑いたくなるか分かるのかもな。ま、深く考えねえかもしれないけどよ)
彼は、そう思いながら一緒に笑った。そして、そんな笑いの中、レイセインが尋ねる。
「それで、親父さん……」
「はっはっはっ――。ん? 何だよ?」
ガドリクが笑うのを止め、顔を向ける。
「陛下が凄いのは、分かったけど……」
「ああ」
「どうして……。こんな話を……?」
そう聞かれて、動きが数瞬止まった。そう言えばそうだ。イージャンとソティシャも笑うのを止め、ガドリクに視線を向ける。
「――は? どうして? どうしてって、そりゃあ、お前。イージャンがこの話を――」
そう言いつつも、二の句が続けられなくなる。イージャンじゃない。そもそもは自分だ。だが、そこは分かっても、それ以上が分からなくなっていた。
(ううーん? 何の話で、こうなったんだっけか? えーっと……。陛下がすげえ。すげえのは絶顚級やらをぶっ倒したからだ。それは、何でかって言うと――? 銀嶺を手に入れるため、で――)
「――あ」
ガドリクは、すっかり忘れていた事を思い出し、一言呟いた。




