第7話 ガドリクとソティシャ その3
「ところで――。まだなのか?」
イージャンが尋ねる前に、ガドリクの方が先に口を開いた。ただ、その口調は無愛想だ。店内に現れた先程のような、むすっとした様子に戻っている。
「え?」
「え? じゃねえ。お前の結婚だよ、結婚」
「あ、そうそう。どうなってるの? ジャン兄ちゃん」
ソティシャも気付いて、興味気にその顔を見上げる。
「婚約したってのが、半年以上前の話だろ? それから、全然音沙汰ねえじゃねえか。王家主導になるとは聞いていたが、それでも遅すぎやしないか? 陛下の時だって、これくらいにはもう式だったぞ?」
「えっと……」
ガドリクに言われて、イージャンは言葉を濁す。
(先に聞かれてしまったな。なら、まずこっちを伝えておくか……。しかし、何と言うか、面と向かってとなると――。やはり恥ずかしいな……)
気まずげに照れながら口を開いた。
「いえ……、その……。今日、決まりました……」
「え!? ホント!?」
「あ、ああ……」
「わあああああ!」
ソティシャの表情が、ぱーっと明るくなった。
「…………」
そうか。だから、今日来たのか。と、ガドリクは合点がいく。そして、少し機嫌が良くなる。決まってすぐに来るのは、素直に嬉しかった。ただ、それを表には出さないが。
「で、いつ!? いついつ!?」
ソティシャに、ぐいぐいと袖を引っ張られ、イージャンは口許に手を当る。「こほん」と控え目に一つ咳払いをした。それから答える。
「斧月の――。十八日だ」
「え!? 来月じゃん!」
「あ、ああ……」
ソティシャは、少し急だなと感じたが、そんな事はどうでも良かった。すぐに満面の笑顔になる。
「わああ! おめでとう! ジャン兄ちゃん!」
「あ、ありがとう、ソティシャ」
「うん!」
笑顔のまま思いっきり頷く。
「おいおい……。大丈夫なのか?」
ソティシャとは対称的に、ガドリクは訝し気だ。
「その日ってのは、確か陛下の結婚式があった日だろう?」
この意見は尤もだった。シビアナが国王の養女である事は、この国の者なら誰でも知っていると言っていい。だが、王家の人間でない事も知られていた。
であれば、その日に式を挙げるのは、ガドリクのような一般人にとって、憚られると感じるのは当然だった。
「大丈夫です。その陛下から、直接お許しを頂きましたので」
「そうか……。ならいいが……」
一応は納得したが、歯切れは悪い。
「もう! 父さんったら、そんな事はどうでもいいでしょ! こういう時は、おめでとうって一言言えばいいの! ほら!」
ソティシャが、両手で卓をバンバンと叩いて催促すると、ガドリクが目を見開て動揺する。
「はあ!? いきなり何言ってやがる! そんな気色悪い事、言えるか!」
そう怒鳴って、片肘を突いて拳を卓に叩き付けた。ガドリクの湯呑が少し揺れる。
「な!? 気色悪いですってー!? どこがよ!」
負けじとソティシャも立ち上がり、卓を両手で叩き付けた。こちらは、湯呑が倒れそうになる。イージャンが、彼女の両腕の間に手を通し、すかさず押さえた。
「うるせえ! 大体、男同士ってのはな! そんな事言わなくてもいいんだよ!」
「何よそれ!」
「ふん! それが、女には分からん男の流儀ってもんだ! なあ、イージャン?」
「あ!?」
やられたとソティシャが声を出す。
「え!? は、はい……」
イージャンは、急に話を振られて、湯呑みを押さえたまま咄嗟に答えた。しかし、これで別に言わなくてもいいと、言質を取ったも同然。ソティシャは、これ以上強く言っても、当人がそう言うのだから意味がない。引き下がらざるを得なくなった。
それが分かり、ガドリクはにやりと不敵に笑う。そして、ソティシャは、むーと頬が膨らませ乱暴に腰を落とした。もちろん納得はいっていない。
「何よ、女には分からないって――! ホント失礼しちゃう! ねえ、レイ姉ちゃん!」
不満をぶつけつつ、自分も味方をつけようと、イージャン越しに顔を向ける。
「ふふ……。そうね……」
ぷんぷんと怒るソティシャを、微笑ましく思いながらちらりと視線を移す。すると、ガドリクが「うっ!?」と気まずそうに顔を逸らした。
(親父さん。恥ずかしがっちゃって、まあ……)
如何に悪態をついて見せても、レイセインにはお見通しだった。しかし、イージャンはそれどころではない。
「え、えーと……」
このまま険悪な雰囲気はまずいと、姿勢を正し話を改めて切り出す。
「それで――。すみません、親父さん。来月の十八日の予定は――」
「――心配すんな。きっちり空けとく」
「ありがとうございます」
「おう……」
むすっとぶっきら棒に答えた。だが、レイセインには、さっきより機嫌が良くなっていると分かる。それは、もちろん日取りが決まったからに違いなかった。
(ふふっ。やっぱり喜んでくれたわね)
「後日、改めて招待状が届くようになっていますので。そちらが正式となります」
「分かった」
「よろしくお願いします」
イージャンは頭を下げると、隣に顔を向けた。
「ソティシャも大丈夫か?」
そう尋ねられると、こっちはころっと笑顔に戻る。
「もちろんよ! だいじょーぶ!」
「ありがとう」
「えへへ……。うん!」
ソティシャにとって、結婚式というものに出席するのは初めての事だった。しかも、それは有名人の式。きっと超絶豪華なものとなるに違いない。そう思っていた事もあり、とても楽しみにしている。
だが、それとは別に、心の何処かで切なさにも似た、悲哀のような決別をはっきりと感じていた。
「はーああ……」
溜息を吐きながら、卓に向かって両手で頬杖を突く。
(ホントに決まっちゃったな……)
彼女にとって、日取りの決定は、終わりを告げるものでもあったのだ。それから、しんみりと遠い目で、その理由となった思い出を懐かしむ。
「私の初恋の人が、遂に結婚しちゃうのかあ……」
初恋。それは、生まれて初めて感じる胸の高鳴り。甘ーいぼた雪団子。終わりを告げるのは、この初恋だった。そして、結婚が正式に決まった事で、それが本当の意味での初恋の終わり――、つまり人生初の失恋となる。その思いが、今、万感の溜息となって零れ出たのだ。
「ソティシャ……?」
イージャンは、急に静かになった様子を不思議そうに眺めた。そうなのである。この男は、やらかしたのだ。この可憐な少女ソティシャの、大切な初恋を奪っていたのである。しかし、被害者は彼女だけではない。この男は、あまりにも無自覚に、多くの少女たちの初恋を奪ってきたのだ。
無自覚――。初恋の事を、「初……、鯉……? どういう意味だろう?」などと今平気で考えている、この男らしいと言えばらしい話。
例えば、広場で遊んでいた女の子。その広場にある巨木に登ったはいいが、降りられなくなって泣いていた所を、颯爽と駆け上がり抱き抱えて飛び降り助ける。
お次は、道をとことこと歩いていた女の子。そこへ、突如襲い掛かる暴走した馬車。その馬車にひかれる寸前、颯爽と飛び出して抱きしめると、転がりながら身を挺してこれを回避。
更には、橋の上で足を滑らせて、川に落ちた女の子。溺れながら、どんどん下流に流されていく。そこへ、同じく橋の上から颯爽と飛び込んで救出――、などなど。数え上げれば切りがない。
何かしらの危殆に瀕している所を、偶然、いや最早必然と言っていいだろう。狙い澄ましたかのように通り掛かっては助けていた。しかも、呆れた事に女の子限定。女の子限定である。男の子では、そんな事起きようも無かった。
だが、少女たちからすれば、自分だけの王子様にでも見えた事だろう。滅茶苦茶、格好良いお兄ちゃんが、颯爽と自分を助けて頭を優しく撫でる。そして、名前も告げず去っていくのだ。いちころであった。
イージャンは、こうやって少女たちの初恋を、無自覚に奪っていったのである。そして、被害者となったその少女たちは、シヴァルイネ同様、夜になると窓際でうっとりとしながら、頬杖を突く日々を過ごすことになった。きっと幸せな日々だったに違いない――のだが、何処の誰なのか分からない。
これもあり、大方の子は、とっても格好良かったという部分だけを強烈に残して、徐々にイージャンの姿形はその記憶から曖昧になっていく。そして、そのまま素敵な初恋として、心の内に仕舞われていった。
つまり、彼女たちは幸いな事に、ソティシャの様な悲しい涙を流していない。傷は浅かったのである。名前を告げないで、本当に良かった。
この国に、いけてる面した男が少女の初恋を奪ったら、死刑になるという法は存在しない。罪は問われない。だが、これは歴とした犯罪である。
広いこの世の中には、王女の心を奪っただけで、罪と断じられた人間が実際にいるのだ。だから、犯罪。そして、人はそれを恋泥棒と言う。
しかし、恋泥棒と聞けば、どこか洒落た感じや、「恋泥棒って……。はっ、きもいな」と、罵倒する者もいるだろう。だが、そんな悠長な事に感けてはいられない。この男の実態は、本当に酷い物なのだ。
そう。何も初恋だけではない。先程の商館前の騒ぎでも分かる様に、イージャンは女性とあらば見境なく、己が虜にして来たのである。
例えば、お食事処。夕食を食べ終え、店の出入り口でお金を支払う時だ。そこには、看板娘と呼ばれる年頃の可愛い女性が、立っている。この女性へ、普段無口なくせに何故か「ありがとう。美味しかった」と余計な事を口走る。すると、これで惚れる。
そして、その看板娘の顔を、うっとりと赤らめさせ、その両手で優しく包み込むように自分の手を握りらせ、お釣りを渡させる。それから、去っていく後ろ姿を、ぽーっとなったままずっと見詰めさせるのだ。
裏路地の行き止まりで、暴漢共に絡まれた美女の窮地を救い惚れられるのも、もちろん経験済み。助けたら、そのまま何も言わず去ればいいものの、きっと怖かったに違いないとか、怯えさせてはいけないとか、訳の分からない理屈を捏ね、座り込んだ美女に近づく。
そして、「大丈夫でしたか?」と、こちらも普段なら絶対にしない笑顔を、何故か作って手を差し伸べ、立ち上がらせたついでに惚れさせて、それから去っていく。などなど。
こんな風に、この男は優しい顔して近づいて、恋する乙女心を奪ってきた。まさに羊の皮を被った狼の如し。しかも、惚れさせるだけ惚れさせて、こちらも同じく名前を教えずそのまま放置である。
きっと、彼の所業を知った世の一般男性ならば、皆怒りを露わにする事であろう。そして、「恋泥棒に死を! この男に死を! 死を――!!」と、共に拳を突き上げ肩を組み、輪になって一緒に心から叫んでくれる。そうに違いなかった。
「ホント、月日が経つの早いよねー」
初恋から心ウキウキの日々。そして、半年前、この居間でイージャンから婚約の話を聞いて「結婚なんて、やだ、やだあああああ!」と、両腕両足を振り回し、床を転げまわって駄々を捏ねていた自分。しかし、今はそんな事はなく、彼の結婚を心から祝福できるまでに至っている。
あれから私も成長したんだなと、ソティシャは溜息を「ほう……」と吐いた。それは、熟練の乙女が、行きつけの酒場で一人お酒の入った盃を見つめ、その盃を一気に飲み干した後に現れる、達観の表情でする溜息宛らであった。
彼女は、着実に大人への階段を登っている。それが見て取れる雰囲気を醸し出していた。
「はっ。ガキが何言ってやがる。ったく、初恋だとか……。ませたこと抜かしてんじゃねえ」
「む……」
悦に入っていた自分の世界に、ずかずかと足を踏み入れ、ぶち壊しにした父親に癇が障った。それに、さっきのやり取りもある。むすっとしていたが一つ思い付くと、不敵に笑い反撃を食らわす。
「父さんね、ジャン兄ちゃんが指輪作ってくれって言ってくれるの待ってたんだよ。それなのにいつまで経っても来ないんだもん。だから、こんなに機嫌悪いの」
「え?」
イージャンがきょとんとすると、ガドリクはぎょっとして慌てながら怒鳴った。
「おい、ソティシャ! 余計なことを言うんじゃねえ!」
「はあーい」
「たくっ!」
してやったりと、ソティシャは悪びれる事無く返事をする。それを見て、ガドリクは頭に巻いた手巾をがしがしと掻いた。
「…………」
(そうだったのか……)
イージャンは、無性に悪い気がして来た。
「…………」
(あー、なるほど。だから、いつもより機嫌悪かったのね)
レイセインは納得する。ガドリクは鍛冶職人。指輪も作れる。だが、頼むなんて事は、いつまで経っても一言もなかった。それが不満だったのだ。
(で、聞きたい事があるって言われた時、ちょっと機嫌が良くなったのも、それが原因か。指輪を作ってくれと頼みに来たと思ったんだわ、きっと。とはいえ……)
そう。イージャンは、結婚指輪の事自体、知らなかった。頼む以前の話だ。
「まあ、お相手がシビアナ様じゃあね~。やっぱり、指輪はもう買っちゃってたかあ~」
こんな庶民が利用するような鍛冶屋じゃない。貴族が行くような立派なお店かどこかで、高価な指輪を選んでいる。
それに、嵌めるのはイージャンではなくシビアナなのだ。夫となるイージャンに縁のある鍛冶屋といっても、それは関係ない。妻となるシビアナの趣向に合わせた指輪を買っている。ソティシャからすれば、これが理由だろうと考えていた。
「きっと、ものすっごい奴だよ。ふふ! 残念だったね、父さん」
「だから、別にいいって言ってんだろうが!」
「はあ~い」
いくら怒鳴っても、どこ吹く風。ソティシャは平然と返事をした。その様子に、ガドリクは苛立ちを隠せない。そして、一番ばれたくない者にばれた。これも腹立たしかった。
「おい、イージャン」
「は、はい」
卓の上に片肘ついて、前のめりになりながらガドリクが凄むと、イージャンは若干怯んだ。
「いいか? 俺は、別に何とも思っていないからな?」
「は、はい。分かりました……」
「本当だからな? 本当に勘違いすんじゃねえぞ?」
「だ、大丈夫です……」
「…………」
ガドリクは、少しだけじっと睨むと、
「ふん!」
視線を外し、お椀の中にあった饅頭を手に取った。半分ほど口に入れて乱暴に噛み切る。それを見て、イージャンが両隣に顔を順に向ければ、ソティシャは呆れたように肩を竦めた。そして、レイセインは苦笑い。
(これ、絶対作りたかったわね。間違いないわ……)
ガドリクは、しばらくして口に含んだ饅頭を飲み込むと、手に持った残りを見る。そこには、中に入っていた甘い黒餡の塊があった。
「しっかし――」
残りも口の中に放り込み、お茶を啜って食べ終わるとイージャンに顔を向ける。
「朴念仁を、とことん煮詰めて凝固物にしたような奴が、まさか、あのシビアナ様の心を射止めるとはなあ……。未だに信じられん」
「ふうー」と鼻から息を吐き出しながら、胸の前で腕を組んだ。
(それに、てっきり俺は、レイとくっ付くもんだとばかり思ってたからなあ……)
「あ。理由は違うけど、それは私もー。こんな身近な人が、あんな有名人と結婚するなんてねー」
「まあね……」
レイセインは、二人に言われて現状を思い、少し不思議な気分になった。
(確かに考えられなかったわ。こんな事になるなんて。あと、私がシビアナと友人になるのもね……)
これも、元はと言えば、イージャンが朴念仁なのが原因だった。
「シビアナ様って――。一度しか会ったことがないけど、私たちと全然雰囲気が違うっていうか……。あんなに綺麗な人、見たことないよー」
ソティシャと、そしてガドリクは会ったことがある。イージャンとこの二人の関係を知って、挨拶がしたいと彼に頼んだのだ。そのため、婚約してからすぐ、一緒にここを訪れている。
「レイ姉ちゃんも、すっごい美人だけど。まるで違うのよねー」
ソティシャは、胸の前で腕を組んで、首を傾げる。
「シビアナ様は、キラキラ輝く柔らかなお姫様って感じで――。うーん。レイ姉ちゃんは――」
反対側に首を傾けた。それから、レイセインに顔を向けて言う。
「男前?」
「ソティー?」
冗談めかしく、怒ったような声を出す。
「あはは! ごめんなさい!」
「ふふ……!」
(全くこの子は……。でも、私の事はともかく、シビアナは合ってるわね。確かに、外面はそんな感じ。ただ、内面を知ったら、ソティーもさぞびっくりするでしょうねえ……)
間違いなく印象は変わる。レイセインには、その確信があった。
「まあ――。シビアナ様が、どうしてジャン兄ちゃんを選んだのか知らないけど――。うーん。やっぱり格好良いから、結婚したいって思ったのかな? ふふふ!」
ソティシャも冗談めかしく言うと、イージャンに顔を向ける。すると気付いた。
「――ん? ジャン兄ちゃん?」
彼は、俯いて押し黙っている。
「ジャン兄ちゃん?」
「あ。いや、その……」
「何だ?」
ガドリクにも尋ねられ、レイセインも顔を向ける。自然と三人の視線が集まった。それでも、イージャンは言うべきか少し迷ったが、罪悪感もあり、おずおずとして口を開いた。
「実は――。まだその指輪を用意してなくて……」
これを聞いて、ソティシャはくりっとした目を見開いて驚く。
「え、えええええ!?」
「何やってんだ、お前は? 結婚式は来月なんだろう? 何でそんなに悠長な――」
そこまで言って、ガドリクは気付いた。
「女王の御髪――。おい、まさか結婚指輪に嵌める宝石を、それにするつもりなのか!?」
「嘘!? そうなの!? ジャン兄ちゃん!?」
「あ。いや、えっと――」
二人の勢いに、上手く違うと言えなくなってしまう。その様子を見て、レイセインが横から助言を出した。
「イージャン……。親父さん達には……。ちゃんと……、話しておいたら……?」
(誰にも言わない方が良い。これは今もその通りなんだけど――)
ガドリク達に言ったとしても、夕方には謝る。限られている時に変わりはないだろう。伝わるとしでも、恐らくドアンキが先なわけだ。
(それに、この二人ならね。事情を話せば、気が楽になる部分が絶対にある。何かしら助言も貰えるかもだし)
彼女としては、元よりそのつもりで一緒に来た。なら、話さない手はない。
「そう、だな……。分かった……」
言いたい事が伝わったのか、素直に頷く。
「おい、何だよ?」
「なになに?」
「いや、その……。実は――」
意を決したイージャンは、先程レイセインに話した様に、ガドリクとソティシャへ事情を話し始めた。




