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第4話 女王の御髪 その2

「はあ……」


 一通り説明を聞き終わり、イージャンは胸の前で腕を組む。そして、レイセインと同じように溜息を吐いた。


(女王の御髪――。まるで、殿下の御髪を見ているようだったな。本当にその名の通りだ。ともあれ、これをシビアナに買って帰ろう。そして、ちゃんと謝らないと)


「説明感謝する、ドアンキ殿。それで――。これは、幾らくらいの値段だろうか?」


 そう尋ねてみたのは良いものの、宝石の事なぞ、てんでど素人なイージャン。その値段を想像できず、不安になっていた。


(レイも高価と言っていたが……。小金貨百枚? 鷲金貨でいえば、一枚。いやいや、もっとするか……。鷲金貨五枚。いや十枚……。うーん……。そのぐらいには、なるのだろうか)


「…………」


(だが、流石に俺の家より、高いという事はないな。これは間違いない。ふふ……)


 内心、鼻高々の彼には、絶対の自信があった。何故なら、新築のあの邸は、人生で一番高い買い物と言うだけあって、本当に滅茶苦茶したのだ。


 高給取りのイージャン。その給金は、大きく変動する時もあるのだが、色々手当て込みで、月、小金貨二百枚。鷲金貨でいえば二枚程。そして、一年では、鷲金貨二十四枚程になる。大方それくらいで、以上はあっても以下はなかった。これほどの収入がある者は、かなり少ない。貴族でも相当に限られてくるだろう。


 しかし、あの新築は、そんな彼でもお高い。それは、今でもその金額を聞けば、恐怖に震え涙目になっても、おかしくない高さだ。中層にある他の新築でも、これほどの値段はしなかった。


 それらは、土地の大きさにもよるが、一番高くても大体鷲金貨百枚いくか、いかないか。その程度。しかし、彼の新築は、そんなもんじゃない。貴族街にある豪邸にも、匹敵し得る値段であった。


 その額、彼の年収のおよそ四十倍。なんと驚きの、鷲金貨八百九十枚だ。どこからか「おおー!!」という感嘆の声と共に、「はああああ!?」と怒れる嫉妬の罵声が、同時に飛んできそうである。


 ここまでの邸だ。そりゃあ、自慢もしたくなる。その事実を、自分の胸の中に一生封印するのも、泣く泣くになる。だって、鷲金貨八百九十枚もしたのだから。


 彼は、いやまあ本当に頑張ったのだ。これは、否定できない事実であろう。そして、この事実は、彼に崇高にも似た誇りをもたらし、絶対強固な自信を築き上げさせていた。その自信が囁く。俺の圧勝だと。しかし、今勝ったとして、それが何になるというのか? ただの自己満足に過ぎないのだが。

 

「…………」


(ふっふっふっふ……。とうとう来たな。これを告げる時が)


 イージャンからのその質問を、心待ちにしていたドアンキは、顔がにやけるの必死に堪えている。そして、その口許を、


(さて、いくら位するのかしらね?) 


 レイセインが、いつ嘘を吐かれても気付けるよう見つめていた。


「ふむ。お値段ですか」


 ドアンキが顎鬚を撫でる。


「ああ。教えて頂きたい」

「…………」


(そうか、教えて欲しいか……。では、聞け! そして、腰を抜かすがいい!)


 二人が見つめる中、ドアンキは丁寧な愛想笑いを浮かべ、努めて粛々と伝えた。


「鷲金貨、一万枚でございます」


 その額に、一瞬部屋の空気が止まる。


「っ!?」


(い! 一万枚!? ちょっ、嘘でしょ!?)


 レイセインは、と耳を疑う。そして、その反応を見たドアンキは、内心で大爆笑。


(わっはっはっはっ! いいぞ、いいぞ! その表情! 呆気にとられたその間抜け面! 儂は、それを見たかったのだ! さあ、貴様も見せろ! ダンディストー・イージャン! さらに滑稽で間抜けな面を!)


 しかし、その予想に反し、彼は神妙な面持ちだった。


「…………」


小金貨・・・一万枚……。と言う事は――、鷲金貨で百枚!? す、凄いな。俺の家より随分と安いとはいえ、思っていた以上だ。相当な金額だぞ、これは……)


 残念、彼は聞き間違いをしていた。俺の家より高いわけがない。その圧倒的に腹立つ妄信。値段の相場すらを知らず、綺麗な石ころ程度にしか考えていない、そのど素人加減。これには、平民の出である事も災いする。


 お金で一万という桁なら、小金貨がまず選択肢に挙がる。銀貨一万枚はあまりない。そう言うよりも、小金貨百枚と言うからだ。この国の多くの者が、小金貨に換算して数えている。


 だが、鷲金貨一万枚なんて桁は聞いた事もない。そんな大金過ぎる大金で、こんな小さな宝石を買うだなんて思いもしなかった。


 この思い込みの数々が、聞こえてきた鷲金貨という単語を、小金貨にすり変える。彼に聞き間違いという、初歩的で安易な過ちを犯させてしまった。


 しかし、例え聞き間違えたとしてもである。その金額は半端ではない。鷲金貨百枚は、彼の年収の約四、五年分。それだけあれば、中層に豪華な新築も建つ。


「…………」


(ふん。何だ、つまらん。間抜けな顔を晒せばいいものを、深刻そうにしおって。そういうのは、求めておらぬわ)


 ドアンキは、思ったのと違うと、また少し不機嫌になる。


(まあいい。さっさとこの茶番を終わらせて、貴様らにはこの商館から出て行ってもらおうか。儂も多忙なのだ。買い付けに行く用意もせねばならないし、その前にこれから王宮に赴き、密告をしなくてはならないのでな!) 


 しかも、これはただの密告ではなかった。今日の事は、元団長のゴトキールへ直に伝える。だが、素直には言わない。他の女を連れて、その女のための結婚指輪・・・・を買いに来た。彼は、こう言うつもりなのである。もちろん、このまま同じ事は言わない。濁して言外に仄めかす。


 しかし、それでも調べればすぐに分かる事。二人が連れ立ってこの商館に来ていた事は。なら、自分が伝えた事は事実と捉えらえる。


 その結果、イージャンは、ジャムシルドに磨り潰されるのが確定。万が一生き残っても、王からの制裁と浮気の事実は残る。これで、レイセインだけでなくシビアナの両方から嫌われ、二人とも同時に失う事となるだろう。そして、自身は、居た堪れなくなり、近衛騎士を辞める羽目に。


 こうなれば、しめたもの。シビアナは、イージャンの魔の手から遠く逃れ、結婚は破談。独り身になる。つまり、神の再臨。そう。黒薔薇騎士団の復活である。


(ふっふっふっふっ……。これで何もかも元通り。シビアナ様を崇め、他の団員達と一緒に、これからもさり気なく見守っていくのだ! 永遠に!)


 まさに一石二鳥。こんな浮気するような男は、シビアナに必要ない。その怨敵イージャンを破滅させることで、復讐もできる。これこそがドアンキが思い付いた、もう一つの策略。こうなる事を目論んだのである。


「はあ……」


 レイセインは、少し落ち着いてきた。


(驚いたわ……。初めて聞くような金額ね)


 しかし、声が見える彼女は断言できた。ドアンキは嘘を言っていない。含みもない。正真正銘、この宝石は鷲金貨一万枚する。


(でも、これで諦めがつくというものね。あとは、シビアナに謝って、他の指輪を買いに行けばいいわ)


 彼女からすれば、別に買えなくても、これで良いと思っていた。彼の話を聞いた限り、女王の御髪を買わなければならない理由は、主に国王であるジャムシルドにある。こちらに嘘を吐いた事になっているから、問題になるのだ。


 だが、シビアナに謝って、事情を話した後ならどうか? イージャンは、それでも頼まないだろう。しかし、彼女なら、その辺りの機微も察して、何ら問題なく対処してくれるはずだ。


 それからもう一つ。シビアナは、女王の御髪を結婚指輪にしたから、泣いたのではない。彼が、自分のために結婚指輪を用意してくれていたから、それが嬉しくて泣いたのだろう。だから、彼の様にこの宝石に拘る理由はない。そう考えていた。


(ふふっ。でも、ホント愛されてるわね。分かってるのかしら、この鈍感男は?)


 顔を隣に向けると、その鈍感男は、じっと宝石を見つめていた。


「…………」


(はあ……。本当に凄い額の宝石だ。まさか、ここまでするものとは思わなかった……。だが――!)


 その瞳には、譲れぬ男の意志が漲っていた。


(俺は、この宝石を買う! 今買わなければ、他の誰かが買ってしまうかもしれない。俺にとっては高価だが、ステライ様のような貴族ならどうだ? 買える額に違いない。なら、早く決めてしまわないと駄目だ。それに、他の店にはない。もうこれしかないんだ!)


 限定性や希少性。もう二度と手に入らないという危機感。商いの方法として、これらを煽り刺激して購入を駆り立てる手法がある。


 高級品を買い慣れていない素人同然のイージャン。シビアナへの思い故か、誰も頼んでいないのに、勝手に自分からその術中へと嵌っていた。


 だが、如何に高給取りの彼でも、鷲金貨百枚なんてそんな大金、今手持ちにはない。そもそも、シビアナの作った金庫から、偽装用に置いていたお金でさえ取り出してもいない。だが、彼にはある手段があった。そう。お金が無ければ、借りればいいじゃない。借金である。


 近衛騎士は借金が出来た。それは、国に対して。その国が保証し、支払われている給金から差し引かれる形となる。ただ、その際には、まず王宮近衛兵団へ申請を行ってからでなければいけない。


 そこで、いくら借りるのか。何のためにするのか。何に使うのか等を、詳しく書類で提出する。それから、査定が行われ許可されて初めて、借金が出来るようになっていた。


 彼は、既に新居を購入の際、この制度を利用して借金をしている。その額は、鷲金貨八百五十枚。つまり、この宝石も買えば二種類の借金をする事になる。その合計、鷲金貨九百五十枚也。そう勘違いをしていた。


「…………」


 イージャンが静かに目を瞑る。


(俺の給金は、一年で鷲金貨二十四枚。これを十年で、二百四十枚。百年で、二千四百枚。千枚は、その半分の五十年ぐらいだ! よし! 何とかいける!)


 意を決した彼は、くわっとその両目を見開いた。しかし、これはあくまで単純計算。生活費などは含まれていない。だが、そんな事は、暴走中の彼には分からない。そして、強い購入の意志が籠ったその目を、ドアンキに向ける。


「ドアンキ殿」

「はい」


 待ってましたと微笑む。


(さあ言え! 言うのだ! その女の前で! 「僕には高くて買えませ~ん」とな! 儂はそれを笑い、悠々と王宮に向かおうではないか! もちろん、今ここで喧嘩を始めても一向に構わんぞ? 終わるまで待ってやる。それも報告できるからな! はっはっはっはっはっ!)


「…………」


 レイセインも彼に顔を向ける。


(ほら。買わないって言って、さっさと帰りましょ)


 そして、二人が見つめる中、イージャンは男の決断を伝えた。


「分かった。その宝石を買おう」


 再び、部屋の空気が一瞬止まる。その言葉を理解するのに、ドアアンキとレイセインの二人は、数瞬掛かった。


「え?」


 今度はドアンキが耳を疑う。


(買う――と、聞こえた気がするが……。いや……。いや、まさか!)


「い、今――。なんと?」


 恐る恐る聞き返す。


「この宝石を、買うと言ったんだ」


 それを聞くや否や、ドアンキの一流の目が、三度くわっと見開かれる。


「なあっ!?」


(何んだとおおおおおお!?) 


 彼の作戦、第一弾が見事に粉砕された瞬間であった。あとついでに、その顎も、外れそうな勢いでぱっかーんと開かれた。そして、レイセインが、ぎろりと睨み付ける。


(信じられない……。呆れたわ。何を言い出してるのよ、イージャンは!)

 

「………………」


 ドアンキは未だ信じれきれず、愕然として彼を見ていた。


(馬鹿な……。馬鹿な馬鹿な馬鹿な! 一万枚だぞ!? 一万枚の鷲金貨だぞ!? 小金貨ではない! 分かっているのか!?)


 いや、イージャンは分かっていない。


「ほ、本当に、お買い上げ頂けるので?」


 どうあっても信じられないと、もう一度聞き返す。


「ああ。そうだ」

「っ!?」


(ほ、本当に、女王の御髪を買うというのか!? シビアナ様ではなく、この女のために!?)


 今のドアンキにとって、これが意味する事はただ一つ。


(そ、それはつまり、そこまでするほど、この女を本気で愛しているという事! で、では、シビアナ様は――!?)


「ぐうっ!?」


 胸が張り裂けそうに痛かった。ドアンキは、その胸を鷲掴みにしてよろめく。そして、その拍子に手を掛けた椅子が一つ、ばたんと倒れた。


「ド、ドアンキ殿?」


 いきなり変わったその様子に、イージャンが声を掛ける。だが、それは届いていない。その逆にとでも言うべきか、心配そうな彼の顔が、ドアンキの瞳には邪悪の権化のように映っていた。


 それは、まるで自分が手塩にかけて育てた愛娘を掻っ攫っていく、軽薄な男の顔。これ絶対悪い男に引っ掛かってるよと、思わずにはいれない下卑た人相でにやついた顔。あと、「お義父さん」と許してもないのに勝手にそう呼んでくる男の照れた顔。


 そういった、娘を持つ父親の憎しみの対象にしか成り得ない、そんな男どもの顔にカチンとくる時の、このカチンを凝縮してカチンカチンに固めたカチンを、きちんと塗り手繰った顔に似ている。つまり、ドアンキが一瞬を待たずカチンとくる顔だった。


「ぐぐ!」


(な、何という事だ……。浮気どころの話ではない。この男にとって、シビアナ様は富と名声を得る為だけのただの道具! 自分が更に上の地位へ行くために、利用しようとしているに過ぎなかったのだ! 


 い、いや、それだけではないぞ! 真の目的は他にある! この男の真の目的は、真の目的は――!) 


 ドアンキは、イージャンの恐ろしい計画に気付いてしまった。


(そう! シビアナ様の体が目当てなのだ! 王国一の美女と謳われるシビアナ様の体が! そして、さんざん弄んで、気が済んだらポイ。隅に追いやり、後は本命のこの女と――! 何という男だ……。何という――!) 


 わなわなと体が震え出す。彼の殺意は、頂点を越えた。


(殺さなければならない。この男はここで殺さなければ! シビアナ様が、不幸のどん底に落とされてしまう!)


 彼は、こんなこともあろうかと、懐に忍ばせておいた小剣へ手を伸ばし始める。


「で、その、ドアンキ殿……。手続きの方を、お願いしたいのだが……。だ、大丈夫か?」


 やはり、この商人はおかしい。だが、様子が様子だけに、心配に思いながらもう一度声を掛けた。しかし、当然彼の声は届いていない。


(殺す殺す殺す殺す殺す殺す――!)


 彼の顔がカチンとくるのもあって、ドアンキの心は、この言葉で支配されていた。そして、懐の中の小剣を持ち、殉死覚悟で突撃をかまそうとしたその時。


(ここまでね)


 レイセインが、イージャンの肩を持った。


「待ちなさい、イージャン……」

「な、何だ?」


 振り向くと、声もあとその顔も怖い。怒っているのが分かり、若干尻込みする。彼女はそんな様子など気にも留めず、肩を持った手に力を込めた。


「その宝石……。買うの、止めなさい……」

「うっ!」


 やはり、それか。だが、ここは男の意地。絶対譲らぬと食らいつく。


「いや! しかし、レイ! これを買わないと――!」

「黙れ」


 肩に置いた腕が、素早く動く。


「う゛ぐ!?」


 呻く声が濁る。レイセインが、彼の喉にある出っ張りを、すかさず掴んだ。その手を、少しでも押し込んだり捻れば、喉が潰れるかもしれない。そう直感してか、彼は微動だに出来なかった。彼女は、目を瞑ると「はあ……」と一つ溜息を吐いて見据えた。


「冷静になって……。一体いくらだと思っているの……?」

「ぐ……」

 

 言い返そうと、喉を動かすが上手く喋れない。だから、


(分かっている。分かっているが、レイ!)


 と、目で訴えた。


「あなたね……」


 その反抗的な目を見て、全然分かってないと呆れる。それから、もう一度「はあ……」と溜息を吐いて、彼を見た。


「いい……? 鷲金貨、一万枚よ……?」


 それを聞いて、反攻的な目が、途端にきょとんする。


(え?)


 そして、ここでようやく自分の過ちに気付く。


「な゛っ!?」


(何だって!? わ、鷲金貨一万枚!?)


 彼の体を衝撃が貫く。しかし、それはその桁の大きさで、驚いたのではない。


(馬鹿な!? 俺の家より高いだと!?)


 こっち。その差額、鷲金貨九千百十枚。彼ご自慢の新築を十戸買ってもまだ余る。その衝撃が、自信を見事に粉砕。粉々に弾け飛ばす。


「そんな大金……。どんな理由があっても、一人で使うなんて事をしたら……。シビアナに怒られるだけでは、済まなくなるわよ……?」


(もっと酷い。鷲金貨一万枚。間違いなく殺されるわね……。絶妙な加減で綺麗に九割ほど。そして、その後は――)


 レイセインはそれを思い、険しく眉を顰めた。


「シビアナ……、様……?」


(今、この女、呼び捨てにしなかったか? しかも、買うのを止めて……。どういう事だ?)


 ドアンキは、レイセインのおかげで、正気を取り戻し始めていた。だが、今度は混乱してしまう。不審に思いながら、二人の動向を窺うしかなかった。


「分かった?」


 レイセインが、顔を近づけ詰め寄る。


「…………う゛」


 自信を粉砕され、鷲金貨一万枚と聞いた今でも、彼には躊躇いがあった。その額なら、どう足掻いても自分では買えない。流石にこれは理解していたが、すぐに分かったと言えない。どうしても未練があった。すると、返事をしない事に、レイセインが少しキレた。


「分、かっ、た?」


 握りをぎゅうと強くする。これには、耐えられなかった。


「あ゛、あ゛あ゛!(あ、ああ!)」


(分かったから、手を離してくれ!)


 このままだと、間違いなく喉を潰される。それを察した事もあり、しゃがれた声で焦って答えた。


「…………」


(本当でしょうね……)


 レイセインが、じーっとイージャンを睨む。だが、もう反抗的な目をしていない。青褪めて冷や汗もかいている。その顔を見て、冷静になれたと感じた。少しして、喉から手を離す。


「ごほっ! ごほっ――!」


(や、やばかった――!)


 胸を撫で下ろしつつ、彼は解放された喉を押さえ咳き込む。


「はあ……。やれやれ……」


(全く、熱くなって……。ホント、付いて来て良かったわ。危うく借金まみれになるところよ)


 彼女は、呆れ返りながらも、ほっと安心した。指輪を買っていないのが、他の誰かの口からばれる。それどころの話ではないのだ。あんな大金の掛かる宝石を借金してまで買ってしまえば、理由はどうあれ流石のシビアナも、愛想を尽かすかもしれない。


 結果、二人の結婚は破談。イージャンは、近衛騎士を辞めざるを得なくなるだろう。ドアンキと同じく、これはレイセインが今考えられる、最悪の展開だった。


(まあ、元よりあんな大金、借金させてくれる所なんてないだろうけどね……。でも、万が一があるから。それに、この商人が何を考えているか分からない以上、下手な手を打ってはいけないわ)


「あの……」


 ドアンキに呼び掛けられ、二人は振り向く。その視線は、レイセインに向けられていた。


「た、大変失礼ですが――。貴女様はシビアナ様と、どういったご関係で?」

「私……?」

「は、はい」


 おずおずと頷いたその姿を見ながら、彼女が静かに考えを巡らす。


(この人、シビアナの事も知ってるのね。それは、貴族街の商人なら当然として。イージャンの時みたいな悪い感じはしないわ。どうする? 素直に伝えるか……。まあ、別に隠す事でもないわね)


「私は友人……」

「ゆ、友人? え!? シビアナ様とですか!?」

「そ……」

「えええええ!?」


(うっそ!)


 ドアンキは戦いた。


「イージャンともね……」

「えええええええ!?」


(うっそ!) 


 ドアンキは彼に振り向き戦いた。それはもう戦いた。ちなみに、レイセインは、イージャンの名を敢えて出している。そして、その名を出しただけで、彼の方に振り向く様を見て納得した。


(やれやれ。やっぱりイージャンを知っていたわね。そもそも、こんな高価な宝石を出しているのに、初対面の相手に名前すら聞いてこないってのが、おかしいのよ)

 


**********



「ははは……。いやあ、そうでしたか」


 倒した椅子を直し、そこに座ったドアンキが力なく笑う。愛想笑いではない。憑きものが落ちたかのように、穏やかなその表情。誤解は解けたのだ。


「こ、この指輪は、もしかしてシビアナ様のために……?」と、半ば放心しながら尋ねると、イージャンが「そうだ」とすぐに答えてしまった。レイセインが止める暇もない。だから、せめて彼女は、この事を内密にと釘を刺しておいた。


 ドアンキにとって、彼が怨敵である事に変わりない。だが、シビアナのためと分かり、また自分が勘違いした事もあって、殺意剥き出しの対応を取る気は失せていた。つまり、どっと疲れが押し寄せて、流石にそんな気分ではなくなったのだ。


「はあ……。申し訳ございません。私はてっきり、お二人が――」


 ドアンキが言い切る前に、レイセインが首を横に振り、イージャンは首を傾げる。


「いやいや、何とお詫びを申し上げたらいいか……。男性と女性ご一緒で、買いに来られる方が多いものですから。はははは……」

「…………」


(はあ……、そういう事……)


 イージャンは、よく分からず首を傾げるが、レイセインは理解した。この商人のさっきの発言から、シビアナに対して敬愛の色が見て取れた。つまり、彼は、イージャンが浮気していると思っていたのだ。


(やれやれ。だから、殺気立っていたのね)


 とんだ取り越し苦労だと気が抜ける。


(――って、私がその浮気相手? ちょっと、冗談でもやめてほしいわ……。シビアナに知れたら、どうなることやら。今でこそ違うけど、ここに二人っきりで来れるってのは、実はかなり凄い事なのよ? 相当危険な橋を渡っているの。彼女は、ホンットにもう嫉妬深いんだから……)


 そうなった時の事を思い出して、寒気が背筋を走った。それから、ドアンキが何度か頷きながら話し掛けた。


「ですが――。そういった理由ならば、やはり買わなくて正解でございましたな」

「え……? それはどうして……?」


 レイセインが尋ねる。


「実は――。シビアナ様には、既にお勧めしているのです」

「シビアナに……?」

「そうでございます。あの方も、下見にお越しになられまして。その時に、お伺いしましたところ、これなら要らぬと……」

「…………」


(そうか、来てたのか……。――ん?)


 疑問に思ったイージャンが、聞き返す。


「要らない?」

「はい」

「…………」


(どういう事だ? あいつは、この宝石の指輪と聞いて泣いていた。それは、つまりこの宝石が欲しかったって事じゃないのか?)


 イージャンは少し混乱する。腕を組んで首を傾げた。そんな様子を見ていたドアンキが、感慨深く目を細めて、宙を見ながら答えた。


「あの方は、自ら光り輝く女王の御髪でなければ意味がないのだと、そう仰られましてなあ……」

「自ら光り輝く女王の御髪……?」


(あ……)


 言い終わると、イージャンは思い出した。


(そうか、レアル……。あ、危なかった、もう一つあったんだったな。俺は、間違った方を買おうとしてたのか……)


 買う事に躍起になって忘れていたと、冷や汗を掻く。その隣では、レイセインが考え込んでいた。


「…………」


(ちょっと待って……。じゃあ、やっぱり結婚指輪は、女王の御髪じゃなければ駄目だったって事?)


 どうやら自分の考えは間違ってたらしい。だが、腑に落ちない。疑問に思った。


(どういう事かしら……。シビアナは、ここまで高価な代物を強請るような性格じゃないわ。なら、結婚指輪だって――)


「ドアンキ殿」


 イージャンの声で、レイセインの思考も中断する。


「はい?」

「その自ら光り輝く女王の御髪は、ないのだろうか?」


(うん、そうね。私も気になるわ。もしかしたら、そっちの方が安いのかもしれない。だったら、シビアナの発言も納得できるから)


 レイセインも気になっていた。安いかもと思うのは、彼女もまた宝石に詳しくないからだ。イージャンから結婚指輪の一件を聞いていたのもあり、レアルカルナシフォンも女王の御髪の一種。この宝石の中にそういったものがあると知った。だが、そのくらいの認識。どちらが貴重か。その辺りの区別はついてない。


 そして、その答えをと、二人の顔がドアンキに向く。しかし、彼は申し訳なさそうに、首を横に振った。


「残念ながら、お売りしてございません。ここ以外でも、それは同じです」

「そうか……」


(と、なると手詰まりだな……)


 イージャンは視線を伏せる。シビアナの欲しい宝石は、レアルカルナシフォン。こちらだ。この商館に来たおかげで、はっきり分かったのは良いが、それがこの王都にないのだ。


「…………」


(嘘じゃない、か……。そうね、一つだけしか入荷してないって言ってたものね、この商人……)


 レイセインも視線を伏せた。二人の様子を見つめるドアンキ。彼は、先程と違い若干心境の変化があった。


(まあ……。シビアナ様のために、あんなにも簡単に買うと言い放ったのだ。それは、認めてやろうか。取り置きの指輪については、シビアナ様に他言無用でと仰せ付かっている。よって、儂の方からは絶対に言わぬ。だが、その代わりもう少し情報をくれてやる)


「イージャン様」


 呼ばれて顔を向けた。


「こんな事を申し上げるのは、心苦しいのですが――。あれを購入するのは、不可能と言って良いでしょう。ここにあるような女王の御髪とは、事情が全く違うのです」

「え? それは、どういう――」


 イージャンだけでなく、レイセインの眉間にも訝しげに皺が寄る。


「鷲金貨五万、十万と言った話ではないのです。誰にも値段が付けられません。これより価値がございます」

『っ!?』


 二人は絶句する。そして、レイセインの仮説はこれで潰れた。


「また、その宝石は、王家が所有する三つのみ。それ以外は、このトゥアール王国建国以来、未だかつて何処にも存在しておりません。つまり、この国には、そして周辺の国々も含めて、その三つしかないのです」

「なっ!?」


(そこまでなのか――!?)


 長い歴史を持つこの国で、たったの三つ。たったそれだけしかない。イージャンは、その希少性を知り、愕然とする。


(凄すぎ……)


 レイセインは、もう話についていけなくなっていた。


(でも、仮にあったとしても、一体どうやって買うつもりだったのかしらね……)


 彼女は不可解に思った。指輪を買うべきなのは、夫となるイージャンなのだ。シビアナではない。なら、不可能だろうと。


「ですが――」


 ドアンキは、そう言い掛けて、そこで止まる。


(いや、やはり話すまいか。あまりにも信憑性が低い。そのため、シビアナ様にもお伝えしなかったのだ。変に期待をお持ち頂いて、落胆されたくなかったからな。お伝えしたのは、あの方々のみ。だが、それも事情や状況が違う)


「――それでも、入荷なり情報が出れば」


 止めた事に違和感がないように、言葉を合わせて続ける。


「シビアナ様へ、ご報告に上がらせて頂く事になっております。その際、イージャン様にも、お知らせ致しましょうか? 無論、それはシビアナ様が、お許しになられればの話にはなりますが」


 ドアンキは、上手く話し終えた。レイセインにも気付かれていない。彼女は、心配した隣の様子を窺うのに、視線をそちらに向けていた。


「…………」


 その隣にいるイージャンは、押し黙ったままだ。やはり、衝撃が強すぎた。だから、ドアンキへの答えは、しばらくしてそれから出た。


(そうだな……。少しでも可能性があるなら、頼んでおこう……)


「よろしく頼む……」

「はい。畏まりました」


 ゆっくりと頭を下げ、ドアンキも同じく頭を下げて答えた。

 


**********



 ドアンキと別れ、イージャンたちは商館の玄関を出て、その先にある階段を降りていく。


「これから……。どうするの……?」


 降りきったところで、レイセインが尋ねる。


(まあ、王宮に戻ってシビアナを探すんだろうけど……)


「…………」


 イージャンは、何も答えず黙って俯いた。彼女も黙ってその俯いた顔を見る。


(辛そうね……。でも、仕方がない。これは避けては通れない道よ。けど、大丈夫。きっとシビアナなら分かってくれるわ。ただ――)


 レイセインには、懸念材料が一つあった。


(自ら輝く女王の御髪――。彼女、これでなければ駄目だって、言ったらしいのよね……。これが気に掛かるのよ。まあ、それでも、ちゃんと説明すれば、大丈夫な気はするんだけど……。しかし、参ったわねえ……)


 自分だって、出来る事なら何とかしてあげたい。だが、指輪や装飾品となると、出来る範囲外。情報も知識もない。剣とか刀なら別だが。


「――ん?」


(ちょっと待って。剣? 刀? 装飾品――?)


 彼女は、先程見た緋穂を思い出す。そのせいか、以前、手に取った時の事も思い出した。より詳しく。


「あ!」

「ん……? どうした、レイ?」


 大きめの声。これくらいの声も珍しい。それを聞いて、イージャンが顔を上げて向けた。その顔を見ながらレイセインが、開手を打って人差し指を立てる。


「親父さん……!」

「――あ!」


 イージャンも気付いた。彼女が言う親父さんとは、彼が幼い頃からお世話になっている鍛冶職人だ。そして、この鍛冶職人は、彼女自身も幼い頃からお世話になっている。


 この人物は、宝石商人ではない。鍛冶職人だ。しかし、女王の御髪を持っている可能性がある。ただし、その可能性は低い。そして、金額と事情を知った今では、さらに低くなった。殆どないだろう。だが、何かしら情報を持っている可能性は、変わらずある。それは、その職に関係していた。


『はあ……』


 二人は、やれやれと肩を落とす。


(全く……。どうして思い付かなかったのかしら……)


 レイセインは自分に呆れていた。


(まあ、ここほど沢山宝石を扱っているわけじゃあないしね。寧ろ、殆どないか。それに、宝石が専門ってわけでもないし。鍛冶職人だし。――あれ?)


 彼女は、ここでふと気付く。


(じゃあ、思い付かないのが当たり前ね。それが出来た私が偉いのよ。ふふ……)


 そう結論付けて、声を掛けた。


「一応……。親父さんの所……、行ってみる……?」


 女王の御髪はない。だが、情報はあるかもしれない。折角気付いた事だし、せめて聞いてから帰る? そういう意味で尋ねる。すると、イージャンは首を振った。


「いや、行かないといけないんだ」

「え? ――あ、日取りね……?」

「ああ」


 親父さんには、結婚式にも出席してもらう予定だった。そのため、今日決まった日取りを、伝えなければならない。王家主導の式ではあるが、出席の許可は婚約の際に、ジャムシルドやシビアナにも伝え、了承を貰っている。


 イージャンが肩を落としのは、これが理由。すっかり忘れていた自分を責めたのだ。


「…………」


(しかしな――)


 彼は、空を見上げる。青空に大きな雲が幾つも浮かぶ。日は少し傾いていた。だが、夕方と言うにはまだまだ早過ぎる。それを眺めながら思う。


(日を改めて会いに行くべき、なんだろうな……)


 彼は、今のこの状況で、会いに行くのに躊躇いがあった。自分の結婚式の日取りを伝えるのは、気恥ずかしさもあるが嬉しい報告。お世話になった親父さんには、もっと大手を振って、何の憂慮もなく会いに行きたかった。


「じゃ、行きましょ……」

 

 レイセインが、一歩前に出る。


「え……? いいのか?」

「ここまで来たら……、一緒に行くわよ……」

「レイ……」


 これは彼女にとっても、難しい判断だった。もうドアンキにばれているのだ。そして、シビアナの情報収集能力。あれは相当なものだと思っていた。


(これはもう。ばれている分も想定していた方が良さそうね)


 そう考えるくらいなら、さっさと謝りに行った方が良い。良いのだが、イージャンをこのまま帰すのが心配だった。自分も一緒に付いて行けば良いかもしれないが、それでもこの状態で会うのは、やはり心配だった。


(それに、あの商人からの情報となると、それは外部からのものとなる。さっきの近衛騎士隊とはまた違うわ。となると、確認のために、まず私に事情を聞いてくるだろうから。ばれていたなら、そこで説明すれば良いでしょう。イージャンから聞きなさいってね)


 だから、まず元気になってもらう事。宝石の事もあるが、これを優先して、一緒に行くことを提案したのだ。きっと会えば叶うだろうと。そして、


「親父さん、喜んでくれるわ……。むすっとして……。ふふっ……」


(私もその顔が見たいのよね)


 自分としても一緒に行きたい理由があった。後付けの理由だが。しかし、それを聞いて、イージャンの表情が柔らかくなり、弱々しくではあったが明るさが戻る。彼女の優しさが身に染みた。


 二人で会いに行こうと後押しされ、その気も起きてきた。おかげで、向こうにも都合がある事に気付く。なら、自分の事は二の次。伝えるのが早いに越した事はない。


「そうだな……。ありがとう、レイ」

「ふふ……、いいから。さ……」

「ああ、行こう」


 こうして、二人は、その親父さんの営む店がある、外層に向かって走り始めた。

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