第1話 ダンディストー・イージャン
「はあ……」
ここは、『トゥアール王国』という名の国。
その中央辺りに位置する『王都』と呼ばれる大きな都。この都の中心には、小高い丘があった。
その丘は広大で、頂上から麓までが、かなり長く緩やかな傾斜となっている。標高さえあれば丘ではなく、一つの大きな山と呼ばれていただろう。
そして、頂きには、そこへ冠するようにして王宮が聳える。『白鷲宮』だ。白い塔が並び立ち、かつてその姿は、白鷲が翼を広げたようであると称された。
しかし、その白鷲宮も、今ではまた違った名で呼ばれ始めている。その要因となったのが、巨大な風車。白翼に見立てた塔たちに、その大きな風車が幾つも取り付けられたからだ。
ゆったりと悠然として、雄々しく風を受け力強く回る風車の列。丘の麓でも、そんな姿が良く見えた。そして、いつしか、『輪翼宮』とも呼ばれるようになったのである。
「はあ……」
そんな謂れもあるこの王宮には、王家が住まうだけでなく、国の中枢機関も集中している。その機関は『院』と呼ばれ、各分野ごとに分けられ取り纏められていた。
また、それらとは別に、軍も常駐している。王宮内には、そのための区画もあった。この軍は『王宮近衛兵団』と言う。王宮兵士で構成され、王宮の守護や、王家、要人の身辺警護等が主な職務となる。
そして、この兵団には、王宮兵士だけでなく、彼らを統率する騎士達がいる。
それは、この国最強の騎士と謳われ続けてきた者達。その名を『近衛騎士』と言った。その近衛騎士達が属するが『近衛騎士隊』である。王宮近衛兵団とは、この近衛騎士隊と王宮兵士とを併せて指す。
「はあ……」
溜息は、その近衛騎士隊の副隊長が使う執務室から聞こえている。
ここにいるのは、一人の青年。高い背丈と引き締まった細身の体。近衛騎士専用の軽鎧を身に着けている。この鎧は、暗い鈍色の金属製で、あまり光沢のない金色の装飾が端々にまで施されていた。
その鎧の色に良く似た少し長めの黒髪。顔立ちは端正で整っているが、何処か取っ付きにくそうな印象を与えていた。大体いつも眉間にしわが寄っているのも、その原因だろう。
しかし、その近寄り難さが逆に受け、王宮の侍従官たちに熱烈なうっとり視線を向けられてしまう良い男。
「はあ……」
近衛騎士隊の副隊長。その名を、『ダンディストー・イージャン』と言う。彼は、剣の腕前と誠実な人柄を見込まれ、その若さで副隊長にまで抜擢されていた。
イージャンは貴族ではない。平民の出だ。しかし、彼は副隊長になった。王族といった要人の護衛も任務である近衛騎士が、身分のある貴族でもなくただの若い平民、しかも副隊長。封建制度がとられる国でなくとも、これは異例の事であろう。
しかし、ここトゥアール王国では、この国特有の問題もあり少々事情が違った。そして元より、その理由は近衛騎士になる方法とその在り方にある。
近衛騎士は、トゥアール王国で最高の騎士号とされる『聖騎士将』に次ぐ、誉れ高き騎士達だ。それは、騎士最強と呼ばれている事や、彼らの職務からも窺えよう。
募集される人数は少ないが、応募の数は大変多く、一度募集がかかれば、その応募は後を絶たない。国民にとって憧れの職業となっていた。
その近衛騎士は、国内で志願した者たちから選ばれる。それ以外、条件はない。身分も貴族だろうが平民だろうが、男だろうが女だろうが構わない。もちろん、最終的には出生や性格は調査されるし、犯罪歴などは厳しく審査される。
だが、それはあくまで二の次。最も優先されるのは、まず強さ。個の武力だ。そもそも強くなければ、近衛騎士には絶対に選ばれない。
例え、それが貴族であってもだ。権力の類は一切通用しない。とはいえ、強いのなら、むしろこちらから入ってくれとお願いしたいのが、本音の近衛騎士隊。その為、別枠での推薦は受け付けている。
しかし、例えその推薦が王からのものであったとしても、近衛騎士としての力量に届いていなければ、誰も認めない。確実に弾かれる。例外はなかった。
何故なら、その例外を一度でも認めれば、近衛騎士隊の誇りは無くなり、瓦解するからだ。
結局、権力に阿り跪く程度の最強なのかと。国民から、そう呆れられ軽蔑される。この国の気質もあり、もう認められない。憧れの職業でも何でもなくなってしまうのである。
だから、そんな事態に決して陥らない様。そう言った例外を決して許さぬ事を、歴代の王から厳命されている。故に、近衛騎士隊は、純粋に強い者達だけを集めることができ、騎士最強と謳われ続けていた。
また、強ければ誰でも成り上がれる。これほど単純明快なこともない。無論、王の警護を任されるという誇りを持てるのも大きかった。現国王は、先の大戦を勝利に導いた王として特に人気が高い。治世も安定している。その王を側で守ることが出来るのだから、尚更であろう。
だが、お金という見返りがなければ、それが長くは続かないのも、また事実。しかし、これを気にする必要は特にない。晴れて近衛騎士に叙任されれば、高給取りになれる事が約束されているのだ。老後も安泰。きちんと年金が支給される。
そして、自分にも誇れるその厚遇に加え、騎士としての名誉や身分も手に入り、尊敬もしてもらえる。これほど好条件な職業も、やはり多くはない。こういった理由があって、近衛騎士という職は、取り分け庶民とって大変魅力的に映っていた。故に、競争が一際激しくなった職業なのだ。
しかし、その難関を見事に突破し近衛騎士になれた者は、出身や年齢や性別、考え方に至るまで全てがバラバラ。新しく入って来た者が、先輩となる者たちより年齢が高いことは、ざらにあった。
そして、このようにして選ばれた者達は、往々にして自分は強いと思っている者が多い。自分より弱いものに従いたくもない。では、そんな者達を纏めるのに、一番手っ取り早い方法は何か。これも、単純明快であった。
「はあ……」
強ければいいのだ。その武力を以って、誰が強いかはっきりさせる。上には上がいるという事を、その体に叩き込む。これで、新しく近衛騎士になった者達は、従順とまではいかないが、大人しく命令に従うようになる。
だから、近衛騎士隊を束ねる者は、その中で一番強くなくてはならなかった。故に、実力主義。身分は近衛騎士になった時点で同等。ならば、能力がある一番強い者に従い、付いて行く。これが、近衛騎士隊の理念となっていった。
ただ、実際の話。思い上がっていた者が、まず最初にその傲慢な鼻を、完膚なきまでに叩き折られるのは、先輩からではない。
それは、最近恒例となっている、近衛騎士になって初めての訓練でだ。一対一の決闘方式。相手はこの国の王女。調子に乗っていられるのは、その王女と模擬戦をする時までである。
「はあ……」
それはさておき。そんな猛者揃いの副隊長ともなれば、そうそう回ってくるものではない。ましてや若い青年だ。普通に考えれば、経験を積んだ熟練の者がなりそうなもの。しかし、それが出来たのも、このような背景があったからだ。
そして、実力主義である近衛騎士隊の中で、個の武力が最強である事。これが、半ば暗黙の了解として、副隊長になるための条件になっていた事も、大きな要因の一つとなった。
つまりそれは、近衛騎士で彼より強い者が、誰もいない事を指している。熟練の騎士が持つ経験を、補っても余りある剣の才を、彼は持っていたのだ。
ならば、隊長になってもいいのではと思う者もいる。実力主義ならそうだろうと。しかし、隊長に選ばれないのにも、きちんと理由がある。
別に、実力主義の原則は、違えていない。隊長に求められるのは、個の武力だけではないからだ。近衛騎士隊だけでなく、王宮近衛兵団全体を取り纏めなければならない。指揮官としての才覚が必要となってくる。
だから、副隊長となり、隊長の側でその経験を積めさえすればいい。一番強い者が副隊長になり、その後で隊長を継ぐ。
つまり、今の隊長も、副隊長の時分に最強だったというわけだ。近衛騎士隊は、そうやって回っていた。そして、他にその候補が現れない限り、次期隊長は彼になるだろう。
トゥアール王国最強の騎士と謳われる近衛騎士。その中で最も強い。騎士の中の騎士。それが、ダンディストー・イージャンだ。只今、出世街道を驀進中なのである。
「はあ……」
そんな前途洋々であるはずの彼が、意気消沈として木製の執務机の椅子に腰を掛けている。手前にある机に両肘を立て手を組み、その手の上へうなだれるようにして、俯けた顔を乗せていた。顔面は蒼白。その表情は、最強の騎士という勇猛果敢な肩書からは、到底想像できるようなものではない。
「はあ……」
一体、何度目の溜息であろうか。イージャンは、この執務室に戻ってからずっとこの調子である。思案に暮れ、途方に暮れ、ある意味絶望の淵にいた。眉間に寄った皺も、どこか人を寄せ付けようとしない寡黙で物静かな雰囲気も、今は弱々しい。
しかし、人によっては、これが良いという者もいるだろう。主に女性だ。弱ったあなたを、私が後ろからギュウっと抱きしめてあげたい――。などと、衝動に駆られる者もいれば、本能剥き出しで本当に襲い掛かったりする者だっているはず。
イージャンにとっては、迷惑極まりないのだが、これは格好良い男に生まれた者の宿命なのだ。まあ、それは割かしどうでもいい。
「はあ……。何故、こんな事に……」
彼をここまで悩ます種は何のか。それは本来であれば、こんなに顔を青くして頭を抱える事でもない。むしろ、嬉しい悩みだ。顔がにやけ、心もウキウキ。どうしよっかなー? あれがいいなー。でも、これもいいなー。どっちも似合いそうだ。ああ! 迷っちゃうなー! 的なものなのだ。
実は、彼もほんの数刻前までは、これと似たような心持であった。それを思い出しては、自然と口許が緩んでしまう。にやにや。おっと、いかんいかん。仕事中に何を考えいるんだ、俺は――。むふふふ……。的なものであった。
しかし、人によってはその理由を知った途端、当然の如く彼に殺意を抱いてしまう事だろう。主に男性だ。にやけ面のお前を、後ろからバッサリと切り伏せてやりたい――。などと、衝動に駆られる者もいれば、本性剥き出しで本当に襲い掛かったりする者だっているはず。
イージャンにとっては、迷惑極まりないのだが、これも格好良い男に生まれてしまった者の宿命なのだ。でも、それは良い。いや、むしろやってほしいな。是非に。痛い目を見ればいいのだ。
「俺は、どうしたらいいんだ……」
彼を、ここまでどん底まで叩き落としたものは、一体何だったのか。それは、先程行われた謁見から始まる。そう。それはつまり、この国の王により、もたらされたものであったのだ。
「はあ……」




