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~伴奏 イージャンの指輪物語~  作者: 粟生木 志伸
第一章 受難の始まり
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第1話 婚約指輪

(よし、取り敢えずこれでいいだろう) 


 イージャンは一旦レイセインと別れ、寄宿舎にある自室へと急ぎ戻ってきていた。近衛騎士の軽鎧と外套を取り外すためだ。


 国民の憧れでもあるその格好は、やはり目立つ。途中、それに気付いた彼女が言ったのだ。脱いできた方が良いと。自分としても、私用で注目されたくない。確かにそれはそうだと同意して、庁舎の前で待っていてくれと言い残し、寄宿舎へと走り向かった。


 その寄宿舎も、訓練場と同じく庁舎の奥にある。こちらも古い石造りの建物で、彼の部屋は最上階の三階だ。そこに着くと、懐から鍵を取出し扉を開け放って中に入る。羽織っていた外套を脱ぎ、その扉のすぐ脇にある古い木製の外套掛け――四本足の台に刺さっている棒、その上端にある突起へいつもの様に引っ掛けた。


 それから、奥にある寝台まで行き、腰に差していた剣を立て掛ける。この寝台も木製で古い。続いて、腰に巻いてある帯剣用の革帯、籠手や脛当てなどを手早く取り外し、寝台の上に乗っている布団へ無造作にどんどん放り投げていく。そして、軽鎧も脱ぐと、同じように放った。


 これで、もう見た目では近衛騎士と分からないだろう。その装いは、亜麻色の長袖に茶色の革手袋。それから黒の細穿ほそばき(ズボン)と黒革の長靴ちょうか(ブーツ)だ。


 ここに用はなくなった。さっさとレイの所へ戻ろう。と、床に貼られた石畳を爪先で叩き、踵を返すようにして扉に振り返り、歩いていく。


「――っと」


(危ない。剣を忘れる所だったな)


 腰に重さがないと気付いた。これは、気が急いていたのが原因。帯剣用の革帯と、そこに差さっていた剣を、鎧を脱ぐ前に外したのを忘れていた。


 治安の良い王都とはいえ、護身用の武器は必要だ。また、それ以外にも使い道があるため、持っていた方が良い。


 彼は、足早に寝台へ戻って革帯を手に取り、それを腰へ再び巻いていった。これが終わると、立て掛けてあった剣の鞘と柄を持つ。


 剣の柄は、手が滑らないように工夫されていた。幅の広い黒の柄糸が、捩じりながら柄巻きにされ、凸凹している。ただ、その捩じられた間隔は、均等で綺麗に整っているため、見栄えは良かった。


 鞘の方も黒い。そこに、花や蔓、翼を広げた鳥の姿が、金色と銀色の金属を使って、沢山描かれてあった。


 納まっている剣もそうだ。金と銀で、丸い柄頭と厚めの鍔が拵えてある。ここにも、鞘と同じような模様が、しかし更に細かく精緻になって、敷き詰めるように彫られていた。


 鍔の中央には、二頭の獣が紋章として彫られている。これは鍔の両面にある。長い角が頭の後ろへと伸びた金色の羊と銀の馬。互いに背を向け合っていた。それが、いななく時に跳ね上がったような姿で描かれている。だが、頭から前脚までしかない。


 後は、羽毛のようなたてがみに隠され、それが翼のように左右へと広がっていた。これは、近衛騎士の証。そして、近衛騎士隊の紋章でもあった。


 つまり、この剣は近衛騎士専用。彼らしか帯剣を許されない。ただ、イージャンのこの剣は、他の近衛騎士のものとは少々異なっている。見た目は同じなのだが、実は鞘の中――剣身が別物なのだ。


 これは、子供の頃からお世話になっている鍛冶職人に頼んで、特別に拵えてもらったもの。彼は、この鍛冶職人の剣でないと納得できなかった。そのため、ゴトキールに許可を取り、剣身だけ変えさせてもらっている。


(さあ、行こう)


 腰に差し終えたその剣に片手を添えながら、扉に向かって足早に歩き出す。しかし、今度は違う理由で、またすぐに足が止まってしまう。ある物に、視線が釘付けになったからだ。


 彼の自室は、良く言えば、素朴、質朴といったところか。しかし、この部屋に入れば、殺風景と感じる者の方が多いだろう。とにかく物がない。


 寝台や本棚、箪笥たんすといった、必要最低限の家具だけ。副隊長の部屋なので、他の部屋より大きめなのも、それを際立たせている。


 そんな自分の部屋の中で、目に止まったのは引出箪笥たんすだった。彼の背丈より少し高めの、木製で縦に長い。机、寝台などは備え付けの古い物だが、この箪笥だけは真新しい。これは、彼の数少ない私物の一つ。しかも特注品だ。半年くらい前に、シビアナが贈ってくれたものだった。


「婚約指輪――、か……」


 その箪笥を見ながら、ふと呟く。ここには、彼女から貰った指輪が大切に保管してある。これが、足を止めさせた理由だった。


「そして、もう一つは結婚指輪……」


(婚約と結婚。まさか二種類あるなんてな……)


 自分の不甲斐なさに、弱々しい溜息を一つく。結婚まで何事もなく順調に進んでいると、勝手に思い込んでいた。だが、実際はそんな事なんてなかった。


 シビアナを不安にさせていた事に、気付かなっただけではない。結婚指輪が必要だった事にも気付かなかったのだ。いや、これは他の者にしてみれば、それ以前の問題だろう。


 この国の人間なら、子供だって知っているはずの結婚指輪。その存在すら、知りもしなかったのだから。そして、それが原因で、彼女をまた悲しませようとしている、こんな事態を引き起こしてしまった。


「…………」


 イージャンは、開け放っていた扉を閉め、箪笥へと足を向ける。急いでいたはずなのに、それでも歩いていく。そして、その箪笥の前に立ち、向かい合うと、すっとしゃがみ込んだ。 


 この箪笥は木製だが、底板である台輪だけ金属で出来ており、鈍色としている。それから、よくある作りのものと比べて分厚い。もう少しあれば、後一つ分、引出しがあってもいいくらいだ。また、使われている木板も厚みがあり、落ち着いた色合いのため、全体がどっしりとしている。


 床に面した四隅の角には、鉄杭が打ち込まれ固定されていた。動かすにはその杭を抜くか、それ相応の力が必要となる。後者は、もちろん箪笥を破壊する覚悟がいるだろう。


 彼は、その台輪のすぐ上にある、一番下の引き出しに手を掛け、それを引き抜く。すると、白い網目模様が、底一面に現れた。ここも、台輪と同じく硬そうな金属で出来ており、その網目一つ一つは真四角。彼の手に収まるほどの大きさだ。


 数は、箪笥の奥行きに合わせて六個ずつ。幅に合わせて十個ずつ。計六十個。それらの表面に、模様のようなものが白く描かれている。一つとして同じものはない。灰色の線が入ったりもして、どこかしら形が違っていた。


 だが、それ全体で、一枚の絵のようには見れない。それよりも、ばらばらになっている印象を受けた。隣り合ったものと連続性が殆ど無く、網目ごとで途切れ途切れになっているからだ。装飾用の模様としても見れないだろう。そう見るには、ごちゃごちゃとして、やはり無理がある。


 イージャンは、もう一つ上の引き出しも引く抜くと、自分の手に嵌めていた革手袋を取り外した。それから、台輪の一番手前の右端にある網目に、手を伸ばす。この板にも白い模様があるが、これだけ違う所がある。細い糸のような溝が、板に接するくらいの円となっていた。


 そして、その隅には小さな突起があり、そこを爪で引っ掛けると、すぐに持ち上がり外れる。網目は真四角の金属板だった。他のものも一緒だ。


 しかし、取り外せるのは、この板だけ。残りは、網目を取り囲む枠と板そのものに、互いを挿し込むようにした溝と筋があり、そう簡単には取れないようになっている。取るには、枠を外すか歪ませる必要があるだろう。


 彼は、板を傍に置き、再び網目模様に手を伸ばす。そして、取り外して四角い穴になったその場所へ、左隣にある板をずらした。潤滑を良くする油のようなものを、溝に塗り込んでいるのもあり、すんなりと動く。


 それから、左隣の板があった場所へ、更に左隣にある板をずらした。次は、上隣。その次は右隣――。そうやってどんどん続けていく。慣れた手つきで、素早く移し始めた。


 速い。目にも止まらぬ速さで、模様が変わっていく。しかし、むやみやたらに動かしているわけではない。ある目的のためにやっている。彼は、その順序を完璧に覚えていた。どこをどう動かせばいいか記憶しているのだ。


 これは、当然と言えば当然。半年前から、夜な夜なやっていれば、そうもなる。そして、すぐに手が止まる。板は、もう既に動かし終わっていた。


「少し、時間が掛かったな……」


 その速さに満足できていないようだが、十分である。しかし、動かすのも随分と慣れた最近では、最速を目指しているので、そう零すのも仕方がない。


 模様は、網目を動かし場所を変えることで、全く別のものへと変化していた。それは一枚の絵。先程の王の執務室にも掲げられていた、トゥアール王国の紋章である白い鷹であった。彼が板をずらしていたのは、この絵にするためだったのだ。


 絵は、中央にある鷹の胸元辺りが四角く空いている。最後に、取り外した板をそこへ嵌め込む。そして、板にある円へ掌を広げ押し当て、右に回した。


「ガコン……」


 円を回すことで、板にあった機巧からくりが動く。中にある突起が出て、四方隣り合った板にある筋へ押し込まれた。静かな室内に聞こえてきたのは、その音。筋が一つずつ押し出され、枠下にまで届き、施された鍵が外れた音だった。そして、網目模様が、前側だけ枠ごと少し浮き上がる。


 彼は出来た隙間に指を入れ、板を持ち上げて扉のように開く。すると、そこには台輪より二回り程小さめで、長四角の空洞がぽっかりと空いていた。真ん中あたりに、口を紐で縛った小さな革袋が一つある。その口からは、円い銀貨や小金貨が覗いていた。大きさからして、四、五十枚は入っているだろう。


 そう。これは、金庫なのだ。取り外した板は、鍵のようなもの。網目は、その鍵に合わせるための鍵穴だ。正しい絵にすることで、鍵穴が作られ鍵を差し込んで回せる。すると、扉が開くようになっている。


 この金庫付き箪笥は、シビアナが監修し、彼女自身もその殆どに手を加えて作られた。つまり、お手製。彼が保管するのにどうしようか悩んでいたため、それなら私がと時間の合間を縫って作ったものだった。特注品とはこういう意味である。


「…………」


 あいつは、よくこんな発想を思いつく。彼は、事あるごとに感心していた。これだけではない。新居にも、似たような仕掛けがあるのだ。しかし、それよりも驚いたのは、彼女が試作品と言った『冷蔵庫』と呼ばれる箱。この箪笥の半分くらいの大きさで、木や金属ではなく陶器で作られていた。


 その前面には、片開きの扉が付いており、中は本棚の棚のように仕切られている。そして、その名の通りひんやりとしてかなり冷たい。冬の凍える寒気が入っているようだった。ここに食品を入れておけば、腐りにくいのだと彼女は言った。これは食料の保存庫なのだと。


 冷たい場所は、物が腐りにくい。これはよく知られている事だった。事実、東都から運ばれてくる腐りやすい食ベ物は、これを踏まえた方法が用いられている。馬車の荷台を密閉し、一緒に氷を入れているのだ。


 東都の近くある湖の一つは、一旦湖水が凍ると春になっても解けない。初夏になってようやく溶け始め、秋が来る頃には再び凍り始める。そこの湖で出来た氷は、他の場所で作ったものより解けにくかった。


 これは持ちが良いという事で、その湖で出来た氷を、冬に切り出し氷室に運んで使っている。ただ、夏場は流石に持たない。近場ならまだいいが、王都ともなると日数が掛かり過ぎる。到着する途中で解けてしまう。これだけでは無理だった。


 そのため、荷馬車には夏でも氷が解けないように工夫が施されている。これは、東都で古くから知られているもので、家庭でも利用されていた。つまり、その工夫とは非常に簡単なものだった。


 蛙を数匹入れる。これだけでいい。その湖の周辺にいる蛙を捕まえ、箱にでも入れて氷の近くに置き、無理矢理冬眠させる。こうする事によって、理由は分からないが、氷が長持ちがして王都まで運ぶことが出来ていた。しかも、氷が解けて多少時間が経っても腐らない。新鮮とまではいかないが、十二分に食べることが出来た。


 この事は結構有名で、イージャンも知っている。だが、彼はそれでも不思議で仕様がなかった。何せ、この箱には、蛙も氷のように冷たいものも、何処にもないのだ。 


 ただ、定期的に水を注がなければならなかった。箱の天板には、幾つかの穴が開いており、そこから入れる。陶器の中は空洞になっているのだ。染み出して漏れてくることは、割れない限りないだろう。そして、葉が沢山ついた枝で、蓋をする。


「ふふっ。この箱は、その形をした花瓶みたいなものですね」


 彼が冷蔵庫を初めて見た時、シビアナはそう笑って枝を挿し込んだ。でも、どうしてそれで冷たくなるのだろうか? やった事なんて、それと水を注いだくらいだ。


「汗を掻いたままにしておくと、体が冷えるでしょう? あれと同じ理屈なの」


 尋ねると、彼女は然も簡単げにこう答えたが、自分にはさっぱり意味が分からなかった。


(確かに冷えるが、それとこれがどう関係して――。うーん)


 改めて考えてみても、要領を得ない。


「いや……。今はそれよりも、だな……」


 雑念を振り払い、気を取り直すと、止まっていた手を金庫の中に入れる。開けた扉が落ちないように、片手で支えながらだ。しかし、その手は革袋に向かわなかった。手前側の内壁に持って行かれる。金庫の中身は、これだけしか見受けられないというのに。


 実はこの革袋、そう思わせるための偽装なのである。本当に大切なものを隠すための。その大切なもの――婚約指輪は、別の場所にあった。彼の手が、手前にある内壁の下側辺りを押し込む。すると、反対の上側が開き隙間が出来る。これも網目模様と同じく扉であった。前面にあるのは、その位置から見えにくく、死角となりやすいからだ。


 その扉を開くと、さらに小さくなった空洞が現れた。中には、鉄の棒と、両手に乗るぐらいの四角い箱が入っている。彼は、覗き込むように身を屈めながら鉄の棒を取出し、網目模様の板と金庫の間に挟んで立て掛けた。これで手を離しても、勝手に閉じることはない。棒は長いので、引き出しを抜いた分は、目一杯使える。


 四角い箱は横長で、円柱を縦半分にしたような蓋と一体になったもの。灰色の厚い金属板で作られている。角になった面の縁全てには、折れ曲がった金具と鋲で取り囲まれていた。これで板と板とが接合されている。前側には小さな穴があり、これは鍵穴のように見えた。


 彼は、箱に両手を伸ばしていく。だが、その左右の手は箱を通り過ぎて行った。それぞれ別の場所へと向かう。


 そう。これもまた偽装なのである。もしかすると、この内壁の機巧に気付くかもしれない。賊が経験豊かで勘の鋭い者であれば、その可能性はある。このための対策。であれば、当然あの箱も偽装だという事になる。


 ただ、中身はちゃんと入ってあった。箱を振ると、中で何かが金属や石が当たるような音を聞ける。しかし、この箱に鍵は存在しない。あの鍵穴も偽装なのである。蓋は、もう開かないようになっていた。


 箱の中には、釣り針のような返しのある金具がある。一度蓋を閉めると、その返しに引っ掛かって開けることが出来なくなる。それでも開けようとすれば、相当の馬鹿力が必要だ。もちろん箱は壊れてしまうが。


 そんな労力を使うより、鍵がないのなら懐にでも仕舞い込み、この部屋を出て後でゆっくり開けた方が賢い。これを見込んでの偽装である。この場で、中身を確認しにくくするためだ。ちなみに、中にあるのは、ただの石ころや硝子の欠片、金属の破片などになる。


 だが、この国では見受けられない紋様が彫り込まれているため、何か大切な意味があるのかもと、思わせる事が出来るかもしれない。ひょっとすると高値がつくかもと。このように、万が一この場で開けられる事も考慮して、一応対策されている。


 箱を無視した彼の両手は、新たに現れた空洞に突っ込まれたまま。死角になる上部の内壁を、手探りで摩っていた。そして、すぐに端と端にあるくぼみに当たる。その窪みは、そこにあると知っていなければ、分からないくらい僅かなものだ。彼は、その両脇にある窪みを、指で同時に押し込んだ。すると、そこから何かが飛び出して来た。


 それは、薄い延べ棒の取っ手だった。押し込んだのはその取っ手の端。同時に押さえることでのみ回転し、反対側が飛び出すようになっている。


 彼の視界からは、さらに死角となっているが、慣れたもの。その取っ手を見もしないで、造作もなく手に持つ。そして、さらに飛び出すように、引っ張り出した。これもまた左右同時にだ。そうしないと、出せない様になっている。


「ガゴン……」


 先程より重い音が、台輪から聞こえた。彼は、金庫の中から手を戻すと今度は、その音が聞こえた場所――台輪の底と床の間へと、両手を突っ込む。そして、引き出しを引き抜くように、その両手を手前に動かした。


 すると、革袋が乗っている金庫の底が、半分以上引き抜かれ、下に石畳の床が見えた。縦長の四角い石の列が、壁に向かって並んでいる。そこから見えるのは四列ほど。石と石との間にある継ぎ目が、隣り合った列と交互になるように敷き詰めてあった。彼は、右端にある列の一番手前の石に手を突き、それを壁に向かって押し込む。


「ゴリ……」


 石が擦れながら、石畳の列が動く。この列の先にある壁の下にだけ、バネが仕込んであった。そのため、押せばバネが縮み、手を突いた石の前にある継ぎ目に、指を入れるだけの隙間を作ることが出来た。


 彼は、そこに指を入れて石を持ち上げる。列から取り外した。石は、偽装用の箱と同程度の大きさだ。それを脇に置き、他も取り外していく。そして、四つ取り外す頃には、石の下にある四角い金属の黒い板が、殆ど現れていた。その表面には、円い突起物と細長い取っ手が、それぞれ左右に付いている。


 突起物は、シビアナ曰く『暗証盤あんしょうばん』と言うもの。彼女がそう名付けた。銀貨のような色をしており、それを五、六枚ほど重ねたくらいの大きさ。上面には、赤い点が彫り込まれていた。そして、その周りには、輪っかが嵌っている。一から十二までの数字が、右回りで順に刻まれてあった。


 取っ手が付いているのは、この面もまた扉になっているからだ。そして、その扉を開けば、これが箱になっているのが分かる。彼の婚約指輪は、この中にあった。

 

 そう。これもまた金庫なのである。床をくり抜いて、そこに分厚い金属の箱を埋め込んでいた。つまり、この箪笥自体が偽装だったのだ。この金庫を隠すため、そのために機巧が幾重にも張り巡らされていたわけである。しかし、用心深い。一体、お前は何と戦っているんだ。もういい加減にしろよ、と言いたくなるくらい用心深い。


 だが、これらを作ったのは、イージャンではなくシビアナだ。だから、用心深いのは彼女という事になる。しかし、彼も同様にそうだと言える。


 別に、この埋め込んだ金庫を、使わなくてもいいのだ。作ってくれたシビアナには悪いが、最初の網目模様の中にでも入れておけばいい。それだけでも十分過ぎるだろう。だが、しない。


 そうしないのは、彼なりの理由があっての事。もしかすると、この箪笥ごと持ち去ろうとする輩が、いるかもしれない。そうなれば、指輪ごと持って行かれてしまう。これを危惧しての事だった。

 

 馬鹿じゃないの? そんな奴いるかっつーの、とも言いたいところだが、これはそうもいかない。何故なら、この箪笥を作ったのはシビアナ。それを知った彼女の信奉者ならば、喉から手を出してでも持ち去りたい一品であろう。出来る出来ないは別としてだが、一応懸念材料にはなる。なるだろうか。


 そして、この埋め込み式金庫も同じく、欲しい者は後を絶たないだろう。だが、残念ながらこっちは箪笥と違い、持ち去ることは不可能に近い。


 この金庫の四方には、金棒を挿し込みそれを張り巡らせ引っこ抜けないようにしてある。そして、この金庫を切り抜いたり、無理に引き抜こうとすれば、周りの床諸共崩れ下の階に落ちる仕組みとなっていた。賊を道連れにする。


 金庫は、金棒を挿し込むことで梁の一部となっており、その真ん中あたりにあった。石畳は、その上に敷かれている。このため、金庫が無くなれば、梁は石畳の重さに耐えきれず、沈み込むようにして一気に崩落していく。そう設計されていた。


 しかも、床が抜ければ、大きな振動が轟音と共に、寄宿舎中を響き渡るのは間違いない。何事だと誰かがすっ飛んでくるだろう。そして、賊を捕縛。二段構えの対策だった。まあ、全体で言えば二段どころではないわけだが。


 この床の破壊構造を作るため、つまりこの箪笥を納入する際、規模の大きい改修工事を要した。床に穴を空けたり、石畳にバネを仕込んだりと、色々細工をしなければならないのだから、当然そうなる。ジャムシルドとゴトキールに快諾を貰い、その工事は行われた。そして、無事完了した後、シビアナが機巧の出来を確認して一言。


「少々気合を入れ過ぎてしまいましたね……」


 冷静になって状況を分析した結果、そう呟いたという。やっぱり、やり過ぎたなと思ったらしい。だが、後悔はない。いくら策を弄そうとも、この金庫を手に入れることが可能な者はいる。


 しかも、それは彼女の身近にいる者であり、その能力の高さも知っている。だから、やり過ぎくらいが丁度いい。こう考えていた。そして、これが彼女を用心深くさせ、機巧をとことん作り込もうと駆り立てた理由だ。


 あと、本当にどうでもいい事だが、イージャンは笑顔になる事があまりない。しかし、そんな彼が機巧の説明を聞き終わると、すっごく嬉しそうにして、


「ありがとう、シビアナ。これでこの指輪を安心して保管できる」


 と、にこやかな笑顔で感謝してくれた。自分の贈った指輪を、そこまで大切に思ってくれていたなんて――。不意に食らったその笑顔を見て、こう感じたのもあり、彼女はかなり満足していた。やって良かったと。


 しかし、この様にやる時は徹底的にやるシビアナもシビアナだが、あの機巧の数々をすんなりと受け入れるイージャンもイージャンだ。どれだけ心配だったのだろうか、この男は。


 だが、下に住んでいる者からすれば、そんなの知った事ではないし、堪ったものではない。迷惑極まりない最悪の機巧と言えよう。


 しかし、そこはシビアナ。彼女のお願いを受けて、直下の部屋は倉庫として使われる事になった。一階の部屋も、寝台の真上が崩落するようにはなっていない。だから、まあ大丈夫であろう。


「カチ……。カチ……」


 扉の中で機巧が音を立てる。彼は、暗証盤を摘まんで右に回し始めていた。この盤は、左右どちらにも回転する。そして、『4』と銘打たれた文字に、盤の赤い点を合わせて止めた。すると、今度は逆回転の左に回していく。


 ゆっくりと回していき、『1』の所で止めた。それからまた右で『2』。そして、左に一回転させてから、同じ『2』へ戻す。彼はゆっくりと数字盤を右に左にと回していった。ゆっくりなのは、速くすると上手く開かないようになっているからだ。


 暗証盤の方は、『2』で終了。彼は、取っ手を持ち、左に一度少しだけ回して、それから右に大きく回した。こちらは、そうしないと右に回せないようになっている。


「ガコ……」


 金庫の中で音が鳴る。取っ手が機巧を外した音だ。これで開錠は出来た。そして、そのまま扉を持ち上げていった。


 扉が開くと、その分厚さに目を見張る事だろう。彼も初めて見たときは驚いた。段になって少しずつ狭まっているが、箱の半分以上の厚みがある。また、何本もの金棒が、内壁に挿し込めれるようになっており、扉を強固に閉めることができた。


 よって、ここを無理矢理こじ開けようとしても、同じ事になる。開けるよりも先に、引き抜かれて床が崩壊しまうからだ。扉の開放には、それ以上の力がいるようになっていた。尤も、取っ手が耐え切れないで、先に壊れてしまうが。やるには、切り裂くしかないか。しかし、それも非常な困難を伴うだろう。


 扉が段になっているので、下手をすると梁に差し込まれた金棒も一緒に、切り裂くことになりかねないのだ。それを避けるには、扉に合わせて斜めに切断していくことになる。だが、この箱の構造を知っている者でなければ、そんな事は考えないだろう。


 若しくは、手が入るくらいの大きさにでも、切り抜けばいい。だが、扉は非常に分厚い。武芸の達人か、これに見合う工具や方法でもない限り、時間は掛かる。


 中に入っているはずのお宝も、傷つけたくはないはずだ。厚さが分からないから、加減も難しい。近衛騎士の部屋に侵入している状況下で、それらを考慮しながら、どこまでやれるか。これに掛かっている。


 暗い金庫の中には、小箱が一つだけ入っていた。偽装用の半分くらいの大きさだが、見た目はよく似ていた。鍵穴もある。この鍵穴は本物だった。


 彼は、その小箱を手に取り、立ち上がる。そして、寝台などが並ぶ、部屋の反対側へと歩いていく。向かう先は本棚だ。その本棚の前に立つと、黒革で装丁された一冊の本を取り出す。その本を開けば、中が切り抜かれており、そこには小さな鍵が埋まっていた。これが、小箱の鍵。その鍵を摘まみ出し、鍵穴に差し込んで回す。


「カチャ……」


 小さな音を立て鍵が外れた。小箱を開けると指輪が入っている。赤い紐が巻かれたような銀の指輪。裏面には模様が細く彫り込まれている。彼の婚約指輪だ。ようやくである。ようやくこの指輪まで辿り着いた。何と面倒な事か。


 だが、そんな事なぞ微塵も構いはしない。そして、この作業を夜な夜な、夜勤の時は朝、うきうきと心を弾ませながら飽きもせず、いつもやっている男がいる。それがこの男、イージャンであった。


「…………」


 指輪を指で挟み、じっと見つめる。すると、ある考えが浮かんだ。いや、自覚はなかったが、そもそもそういうつもりでこの指輪を取り出した。


「填めていくか」


 これを身に着けていれば、きっと見つけ出せる。そんな気がしていたのだ。その思いは、指輪を眺めていると強くなった。


 赤い部分を硝子と思っている事については、弾力があり柔らかい硝子もあると勝手に勘違いしているため、割れるとは考えていない。それでも壊れたり、傷がついたりするかもと不安はあった。だが、彼は意を決し、婚約指輪を左手の小指に填める。そして、革手袋をその上から着け、箪笥と床を元に戻し部屋を出た。



**********



 王宮近衛兵団の庁舎の前。そこで、椅子に座って待っていたレイセインは、イージャンの姿が見えて腰を上げた。


「すまん、待たせた」

「ん……」


 彼女は、本当に待ったと感じていない。あんなに厳重に保管されていれば、時間は結構掛かりそうなもの。だが、どうやらそんなに経っていなかったようだ。流石、手慣れているだけはある。


「ふふっ……」

「ん? どうした?」


 自分を見て、彼女がいきなり笑ったので尋ねた。


「そっちのような格好の方が……、見慣れていたのに……。いつの間にか……、逆になったと思ってね……」

「ああ」

 

(そうか。昔の事を思い出していたのか。確かにそう言われれば、そうだな……)


 最近は、あの鎧ばかり着ている気がする。彼は、すぐに得心がいって、それから少し懐かしくなった。


(ふっ。しかし、子供の俺が今の俺を見たら、どう思うだろうか。本当に近衛騎士になって、その鎧を着ている姿なんて、想像もつかないかもしれないな)


「じゃ、行こっか……」

「――ああ。よろしく頼む」


 レイセインに促され、その後ろにイージャンも続く。一番近くにある宝石商は貴族街だ。王宮を囲む内層が、貴族街と呼ばれている。王宮の正門を抜ければすぐそこからだが、宝石商はもっと先にある。二人は、その宝石商がある場所へ向かうため、走り始めた。

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