第10話 シビアナの想い
それは、シビアナがステライに呼び出される少し前の事。
彼女もまた、お願い事をするために、一人の女性を呼び出していた。場所は王宮内にある庭園の一つ。そこは、以前シビアナとササレクタの二人が、火花を散らした所によく似ている。植木で囲まれた迷路。ただ、中央にある丘の高さは、殆んどなく、もう、そのように呼べない。
庭園を一望できる高台はないが、ここには白い煉瓦造りの東屋があった。その中にある石卓と一緒に置かれた、石柱を倒したような長椅子に、二人は隣り合って座っていた。卓の上には、お茶請けのお饅頭が入っていたお椀と、空になった湯呑みが二つ。シビアナの隣に座った女性は、彼女の話に時折頷いている。
その顔立ちは、シビアナに続く豊満なおっぱいがなければ、美男子と言われてもおかしくない。ササクレタほどではないが、ややきつめの印象を受ける美男子だ。また、女性としてはやや背が高めのシビアナより、まだ少しあるのも、そう思われる理由の一つだろう。
青色の髪で、うなじ辺りに三つ編みのお団子が二つある。頭の天辺には、長い癖毛がぴょこんと飛び出しており、その頭が動くたびにぷらんぷらんと揺れていた。
「では、レイセイン。よろしくお願いします」
「うん……。言っとく……」
話は終わったようだ。シビアナに頭を下げられて、ここに呼ばれた麗人――レイセインは、こっくりとのんびり頷く。その頭の癖毛も遅れてお辞儀。彼女は、シビアナとイージャンの共通の友人である。シビアナとは同い年。
軍人であり、王都とその周辺を守る、中央王国軍という軍に所属している。彼女の隣には、腰に携えてあった王国支給の長剣が立て掛けられていた。
「はあ……」
下げた頭を戻し、深く溜息を吐いたシビアナは、少し疲れたような顔をしている。しかし、これは結婚式の準備せいだとか、王女の筆頭侍従官としての日々の職務によるものではない。
彼女は、極めて優秀な侍従官である。日々の職務で、自分が多忙を極めることは、まずなかった。また、式は王家に任せているとはいえ、結婚するためにやることは沢山ある。
有力者や支援者などに対する挨拶回りや、自分が王宮を出ることによって生ずる不具合の解消。そして、もちろん自分たちの新居に関する事などなど。
が、これらはもう殆ど完了しているといって良い。あとは、日程的なものだけだ。予定調整により、どうしても日を要するものがあって、その日が来るのを待つだけである。完璧だった。既にここまでの事をやり終えている。そう、自分一人だけで。
彼女の顔。これは、疲れの顔ではない。諦めの顔だ。
無理もない。今までずっと方々手を尽くして探してきたものが、とうとう見つける事叶わず。調べ上げた手がかりも、全て空振り。最早、どうする事も出来ない。しかし、それでもどうしても諦めきれないのに、無理矢理、断念せざるを得なかったのだ。
結局、全ては無駄な努力――。その落胆が、言い知れぬ疲労となって諦めに繋がる。
しかも、それだけではない。更に追い打ちをかけていたのが、今回レイセインにお願いせざるを得なかったその理由だ。それはイージャンにある。この二つの理由が合わさり、重い溜息となって吐き出されていた。
「ううーん……」
シビアナは、手を組んで上に押し上げた。胸が大きいと肩が凝る。彼女はそれを解そうとしていた。そして、首をぐるりと回すと、肩に手を置いてゆっくりと腕を回す。それを左右で繰り返した。ここにも疲れが溜まっているのか、石臼をひくようにごりごりと音が鳴る。
「はあ……」
「大変そう……ね」
「ん? ふふふ……」
レイセインに指摘され、力のない笑みで答えた。
「何だか、疲れてしまいましたね」
「そう……」
(疲れてるか……。確かにそうみたいだけど、その疲れの原因は、何かしらね……)
結婚に関わる事かな? と、当たりくらいしか付けられなかったが、幸せとは程遠い悲壮感が漂うその言い様に、相当参っているのは確かだと、レイセインは思う。
(私も結婚するとしたら、こんな感じになるのかしら……。でも、シビアナは結構一人で何でもしようとする。自分の事は特に。しかも、それが出来てしまうから、余計性質が悪い。だから、人の倍以上疲れるてるのかもね……。――よし)
「シビアナ……」
「はい?」
「こういう時は……。気晴らしが、必要……」
「気晴らし、ですか?」
「そ……」
レイセインは、いつもこんな感じの口調だ。ぽつりぽつりと呟くよう静かに話す。そんな彼女が、頷いてから微笑んだ。
「今度、一緒に……。遊びに行こ……?」
私にできる事は、これくらいだし。と、目を細める。嫌な気分を、体に溜め込むのは良くない。せめて、それは発散して欲しかった。
そんな気を遣われている程、自分は参っている。それに気付いたシビアナは、少し目を見開く。だが、その気遣いが素直に嬉しかった。和らいだ表情でお礼を伝える。
「ふふ! そうですね。ありがとう、レイセイン。遊びに行きましょう」
「ん……。じゃあ、今夜ね……」
「え? 今夜、ですか?」
「そ……」
社交辞令と思っていた分、それに今度と言われた分、その即断に少し驚く。
「こういうのは、もう決めとく……。それに、早い方が良い……。行ける……?」
そう尋ねられ、少し戸惑う。そして、困ったように申し訳なさそうに頭下げた。
「その――。今日は、ごめんなさい。これから、会談がいくつもあって、夕方からは夜勤の準備があるのです。私もその夜勤なものですから、今夜は無理ですね」
「あら残念……」
シビアナは、王女の側付筆頭侍従官。流石に急過ぎたようだ。
「じゃあ、明日は……?」
「明日……。そう、ですね――」
彼女は、明日の予定はどうだったか、それどころか一か月先でも、すぐに思い浮かぶ。また、イージャンに会えるのはいつになるか、その職務の合間をいつも確認していたのもあり、更に早い。それによれば、自分は夕方までの通常勤務。彼は、夜遅くまでだった。
遊びに行くというのは、この場合お酒を飲みに行くという事。なら、問題ない。
「ふふ。明日なら大丈夫です」
「うん……。じゃあ、明日で決定……」
「分かりました。それでは明日の夜で。きちんと時間を取っておきますから」
夜遅くまで、と笑顔で答えた。どうやら調子が戻ってきたようだ。それが分かって少し安心。レイセインはふっと笑みを零し、立ち上がる。
「さて……。私はそろそろ行くね……。作戦練らなくちゃ……」
「はい」
シビアナも立ち上がり、また頭を下げた。
「それでは、レイセイン。よろしくお願いします」
「ん……」
そう答えて、脇に置いていた剣を取り腰に差す。そして、手をのんびり揺蕩わせて何度か振ると、そのまま歩いて庭園の外へ向かって行く。シビアナは、その後ろ姿が見えなくなるまで、見つめていた。
「はあ……」
一人になった彼女は、腰を下ろしてまた溜息をつく。レイセインの姿と気配が消え、周りにはもう他に誰もいない。緑の木々に囲まれ、ここに届く音もその木々で遮られているかのように静かだ。
日はまだ高い。青空の中を、雄大な雲が緩やかに、幾つも浮かんでいる。それが遠くに見えた。その空をしばらく眺めていたシビアナは、不意に俯くとぽつり呟く。
「お母さん……。エラクツォーネ様……」
自然と口から零れ出たのは、その名だった。
「私は、結婚しても良かったのでしょうか?」
彼女は、ここ最近特にそう思い始めていた。婚約して、家を買いに行った辺りまでは、そんな事考えたこともなかった。毎日幸せで結婚式の日が待ち遠しくて仕方なかった。
だが、見つけたかった物の探索は、一向に進展がない。待ち焦がれているはずのその日も、未だ決まらない。日取りを知らせる連絡が、一切なかった。じわじわとその気持ちに陰りが差してくる。
「自分でも、無理なお願いだと思ってはいたのですが……。ここまでとは……」
国王と王妃が結婚した日に、式を挙げてはいけないという法はない。ただ、避けられてはいた。畏れ多いという感情が国民にあったからだ。そして、それは貴族の方がより強くある。
だが、遅滞の原因はそれではない。ジャムシルド達が既にその辺りは押さえている。原因はもっと遠く別の物。そして、彼女自身の置かれている立場が、これをややこしくしているのだ。すぐに決まらない原因は、その辺りにあった。
しかし、元よりである。早々に決めたいならば、拘らず別の日にすれば良いだけの話。だが、それは決して出来ない。シビアナには、その日にしなくてはならない訳がある。そして、もう一つ譲れない物があったわけだが。
「ふう……」
一つ嘆息して、それから顔を俯けて、地面に目を落としていたが、しばらくしてまた空を見上げた。
(あの宝石も、結局見つかりませんでしたね……)
断念したもの。それは、宝石だった。彼女には、どうしても結婚指輪にしたい宝石があったのだ。もう三年以上も前から探している。しかし、自分自身でも探索に赴き、手を尽くしたが、見つけることは出来なかった。
これは、シビアナの理想が高かったのが大きい。希少な同じ種類の宝石。光を放ち色を変える――。彼女はこれ以外認めず、そして終ぞこれに該当するような宝石はなかったのだ。
「ふふ……。でも、指輪があったとしても、幸せになんか、なれないんじゃないのかな?」
(私だけ、私一人だけ、張り切っているような気がします。一人だけが舞い上がって……。でも、それでは意味がないでしょう? 二人でやっていくもののはずよね。なのに、これが幸せな結婚へ繋がるというの?)
確かに彼女は優秀で、結婚の準備をイージャンに頼らずとも自分一人で全て完璧に出来てしまえる。だが、その事が逆に、やり場のない不満となっていた。例え、手間を取る事になっても、それが良い。彼女は二人で一緒にやりたかった。
だが、あのイージャンの無知ぶり。言い出せなかった――いや、そうではない。自分から言いたくなかったのだ。
とはいえ、理由はこれだけではない。毎年恒例の戦もあり、自分の方はそんな事はなかったが、しかし近衛騎士である彼は多忙を極めていた。
彼女の力を以ってしても、職務以外でまともに顔を会わせられる機会は、激減するほど。だから、自分で終わらそうと考えていた。彼を慮っての事だ。
しかし、そんな思いやりも空しく、どうにか合間を縫って会えても、特に何もない。
ただ、それはそれでいいのだ。職務を離れ隣にいるだけで、心の靄が晴れるかのようだった。だけど、シビアナはそれ以上のことも望んでいた。
「…………」
(高望みは致しません。それは、あの後、無理だと分かりましたし。でも……)
ゆっくりと時間が流れる青い空を見つめた。
「キスとはいかずとも、せめて手ぐらいは繋いでくれても、いいのにね……」
しかし、無知で鈍感のイージャンにそんな事はできない。そうと分かっていはいても、着実にそれは自分の不満となって募っていった。解消する方法は簡単なのに、それが出来ず頑なになっていく。
「イージャンは――」
ぽつりと言葉を続ける。
「私の事なんか、必要として――」
そこまでしか言えない。思い留まった。そして、その後に続く言葉を否定するように、ゆっくりと首を振る。
「真に欲するならば、例えどんなことをしても――。そうしなければ、もう二度と手に入らない。もう二度と戻ってこない」
(そうだったはずよ。そのために学んできた。だから、負けては駄目。あの宝石とは、比べようがないのよ? 決して手放すわけにはいかない。もう二度と失いたくない。しっかりと掴んでおくの)
シビアナは、心の中でも自分にそう言い聞かせる。それから、レイセインが向かって行った方へと顔を向けた。
「どなた?」
静かな庭園に、足音が人の気配を伴って、近づいている。それは、今の落ち込んだ状態でも分かった。向こうも別に隠す気はないらしい。
足音が止まるのに、時間は掛からなかった。シビアナに呼ばれたその気配は姿を見せず、庭園の緑に隠れたまま、大声を出さずに会話が出来る程度の距離を保って、そこで止まった。
「シビアナ様」
「何でしょう?」
現れた気配の声は、女性のものだった。その声が、事情を手短に伝える。
「ステライ様からの伝言です。至急、陛下の執務室まで来るようにと」
「執務室へ?」
「イージャン様が、いらっしゃっています」
「そういう事……」
レイセインにお願いしたことが、無駄になるかもしれませんね。と、状況をすぐに把握したシビアナは、その気配に答えた。
「分かりました。すぐにお伺い致します」
「はっ」
そう言うと、気配はすぐに薄れ、今度は音にもならず遠ざかっていく。シビアナは、また静かな庭園に一人となった。
「よし――!」
弱音を吐いていた自分。それを打ち消すように、気合を入れる。それから、木々に囲まれた迷路のような庭園を、飛び石の上をゆくよう越えていく。そして、園外に到着すると、彼らの待つ執務室へ走り出した。
**********
「シ、シビアナ……!」
ジャムシルドは、焦っていた。滅多に聞くことができない動揺を孕んだ声も出ている。彼は、いつも自分の本心を隠してむすっとしていた。それなのに漏れ出している。つまり、内心は、えらいこっちゃ状態なのである。
「陛下、私抜きで何の話でしょう?」
開け放たれた扉がフーケイナの手で静かに閉められ、シビアナが笑顔で凄む。
「い、いや。その――、な?」
(聞きたいことは、取り敢えず聞けたからいいが……。参った、どうするか……)
ジャムシルドは、気まずそうに目を逸らす。
「シビアナー!!」
「ステライ様?」
ジャムシルドが対応に困っている中、ステライが再び我を忘れた。驚いたのは、そう呼ばれて抱き着かれたシビアナだ。
「でかした! よくやったわ! この、このお!」
「えーと……」
「流石、シビアナね!」
「あのステライ様……。何の話でしょうか?」
「あ」
ここでようやく、ステライは我に返った。
「こほん。ごめんなさい。年甲斐もなく、興奮しちゃって……」
「いえ」
冗談っぽく咳ばらいをした彼女は、自分の体をシビアナから離す。そして、自身を落ち着かせるように一息ついた。それを待ってからシビアナが尋ねる。
「それで、一体……?」
「うーん。実はね――」
少しだけ、申し訳なさそうに言葉を濁したステライは、自分の顔の前で両手を合わせる。
「シビアナ、もう一つごめんなさい。指輪の事、聞いちゃったの」
「そう、ですか……」
(やはり聞かれていましたね。少し遅かったようです。買いに行こうと思っていたのですが……)
本当に欲しかった宝石が、もし見つからなかった場合。シビアナは、潔く諦めるつもりだった。元より望み薄の代物だ。その可能性を考慮しない彼女ではない。
既に、全く別の種類の宝石が嵌った指輪を、店に頼んで取り置きしてもらっている。彼女は、似たような宝石を選ぶつもりは更々なかった。同じものでなければ意味がない。手に入らないのなら、むしろ全く別のものにした方が良い。そう思っていた。
だが、日々ばかりが過ぎ、結局見つからなかった宝石を、彼女はその通り潔く諦める事ができなかった。どうしても未練があったのだ。しかし、そろそろ悠長に構えていられなくなってくる。一応、望む日取りは、もうすぐそこまで迫って来た。それで、ようやく今になって、どうにか踏ん切りを付ける事が出来た。
そして、こうやって諦める決心をし、取り置きをしている指輪を買いに行こうとしていたのだが――。買うのは結婚指輪だ。金額が大きい。
新築を買ったというもある。そのすぐ後で、お金をまた工面してもらうには、ちゃんとした説明が必要だろう。しかし、果たして何も知らないイージャンが、これに納得するのか。嫌な顔をしたらどうしようか。シビアナはそれが不安だった。
そこで、彼女は、二人の友人であるレイセインの口から、結婚指輪について彼に話をしてもらうようお願いしたのだ。まず、その指輪について知ってもらおうと。
だけど、それ以上に。自分の口から説明して買いに行くというのが、どうしても許せない理由が彼女にはあった。宝石は見つからなかった。だから、せめてと彼から誘われて二人で買いに行きたかったのだ。他の恋人たちが、ごく自然にするように。
愛する男性から「指輪を一緒に買いに行こう」と言って欲しかった。自分もそう言って欲しかったのだ。それがあって、レイセインにお願いをしていた。全ては、そう言ってもらうために。
「…………」
(本当は、こんな事せず普通に言って欲しかった。一緒に買いに行こうって。でも、この人は何も知らないから……)
シビアナは、相変わらず部外者のようにしている、想い人の顔を辛そうに見る。
(イージャン、私そう言って欲しかったんです。それだけで、良かった。嬉しかった――!)
これも分かってはいた。彼が何も知らない事は。婚約指輪を渡す時でさえ、それが何か知らず驚いていたのだ。
だが、それでもシビアナは、やりきれない気持ちになっていた。自分たちが他の恋人たちのようになれていない事を。
しかし。
その気持ちは、ステライの言葉で全て真っ白に吹き飛ぶことになる。
「ふふ! でもね、その結婚指輪は陛下も大満足よ! 大満足! 文句ないって!」
「――え?」
結婚指輪。この言葉が、シビアナの思考の一切を止めたのだ。
「お、おい、ステライ! 余はそんな事――!」
ジャムシルドは、ギョッすると慌ててその言葉を否定しようとした。だが、ステライは気にせずそのまま喋り続ける。
「私も、すっごい驚いちゃったわ! こんなの久しぶりよ! ふふふ――!」
(何を――、言っているの……? )
一人興奮するステライを前にして、呆然と立ち尽くしていた。言葉が上手く入って来ない。
「でも、良く手に入ったわねえ……。何処に売っていたの? 参考なまでに私にも――」
(今――、なんて言ったの……?)
「シビアナ?」
ふと。ステライが、シビアナの様子がおかしい事に気付いた。眉をひそめる。
「シビアナ?」
「あの……。何の話でしょうか……?」
「え? 何の話って――」
(どう言うことかしら? 話が見えていないような、この感じ……)
ステライは不思議に思い首を傾げる。
(もしかして、シビアナに話が伝わっていないの? いえ、一緒に買いに行っているのだから、そんな事――、は――)
「――っ!?」
(嘘!? え!? まさか――!?)
伝わっていない。一緒に買いに行ってないとしたら、それはどうしてか。彼女は、絶対に有り得ないであろう結論に辿り着く。だから、その答えに到底納得できない。
(いえ、ないわ。それはない。イージャンなのよ? この朴念仁のイージャンなの。そんな事あるはずがないわ。有り得な――)
それでも絶対ではない。その可能性を完全に否定する事はできないと気付き、彼女は疑心暗鬼に陥った。
(ううううううん。いやでも、有り得るぅ? イージャンなのよ? とは言っても、シビアナのこのおかしい様子。うーん。やっぱりもしかしたら――)
ステライは、それでも念のためにと、おずおずとしながら確認を取ることにした。
「えーと。シビアナ……」
「はい……」
「その――。指輪、買いに行った……、のよね? イージャンと一緒に……」
「いえ……」
シビアナは、首を横に振った。
「えええええええええええ!? 嘘でしょ!?」
今までが今までである。例え、そうなのかなと、考えが至ったとしてもだ。イージャンが、そんな事のできる人種だと、微塵も思っていなかったステライは、その事実に驚愕。宝石の時より戦いていた。しかし、
「じゃあ……」
しかし、まさかのこの事実。シビアナに伝えず一人で買いに行った。そうする理由は、ステライにとって、いや他の多くの者にとっても明白だった。
「ああ……。ごめんなさい、イージャン」
「え?」
項垂れるようにして謝罪の言葉を伝え、ステライは深々と頭も下げた。
「内緒にしていたのね……」
イージャンは、自分一人で買ってきた結婚指輪で、シビアナを驚かせようとしていたのだ。そんな事実はないのだが、誤解している彼女であれば、こう考えるのも仕方がない。
「え? あ、いえ……」
話が何も見えてこない。いきなり謝罪され戸惑ってしまう。言葉を繋げられない。
「シビアナ。ごめんなさいね。あなたにも謝らなくっちゃ」
「い、いえ、そんな……」
それどころではない。彼女もようやく受け止められた。彼が何をしたのかを。その事実が、自分にとってどれほどの価値があるのか、推し量れずにいた。結婚指輪を既に買っている、これを理解するだけで精一杯。思考がその言葉に堰き止められ、考えを巡らそうにもそれが出来ない。
「あなたも、欲しい指輪があったかもしれないけど……」
「は、はい……。ああ、いえ……」
結婚指輪は、二人で買いに行く。平民、貴族関係なくそうする者は多い。新郎が買った指輪を、必ずしも新婦が喜ぶとは限らない。高価な指輪である。それを買ったのに、気に入らなかったら最悪だ。
しかし、ステライたちが誤解している女王の御髪という宝石は、そんな事を気にする必要はない。このトゥアール王国で一番高価な宝石なのだ。これを駄目だとする者は、何か理由でもない限り一人もいないだろう。
「…………」
(そう。何か別の理由。駄目とする者はいないと思えてるのは、私だから。自分の考えってだけ。シビアナとは違うわ。本当のところ、この子がどう考えているのか、分からないわよねえ……)
ステライは、それを確かめるべきか迷ったが、好奇心には勝てなかった。しかし、それでもやはり気兼ねして遠慮がちにおずおずと尋ねる。
「えーと。バラした私が言うのも何なんだけど……」
「は、はい」
「その指輪がどんな指輪だったか――、聞く?」
「ええ!?」
それは、どのような言葉よりもシビアナの心を惹きつけた。聞きたい。彼が、どんな指輪を買ってくれたのか。すごく聞きたい。
しかし、その驚きようは、ステライにまた配慮が足りなかったと思わせてしまった。
「ああ、ごめんなさい。それは二人きりになれる時まで、待った方が良いわね……」
「あ――。いえ、その……」
(そんなステライ様、それは酷いです……。そこまで言って……)
その気遣いは、ものの見事に裏目に出た。恨み言が、喉を越えて出掛りそうになる。しかし、何とか堪えた。そして、まず冷静になろうと深く静かに息を吐く。
すると、悪くない。良い感じだ。思考の冴えが、普段通りに出来るようになってきた。
(――ううん、そうね。落ち着きましょう。落ち着いて。後でも聞けるのだから。それに、今聞いたら私どうなるか分からない。もう限界なのよ。ああ、でも、でも――)
やっぱり駄目だった。指輪の事を聞きたくて聞きたくて仕方がない。思考がぐにゃぐにゃになっていく。
「レアルカルナシフォンだ」
ジャムシルドが、素っ気なく指輪の正体を言った。
「え……?」
「女王の御髪のな」
シビアナは、ジャムシルドの顔を呆然と見つめる。彼女の思考は、再び止まり吹き飛ばされる。今度は、その言葉を受け止めようとする気さえ起きない。
レアルカルナシフォン――。それは、シビアナが探し求めた宝石だった。自ら光り輝き色を変える女王の御髪は、全く意味の分からないこの言葉で、古くから王家の者達にこう呼ばれていた。
「…………」
(嘘……。嘘……。私が、いくら探しても見つけることが出来なかったのよ。それなのに――。イージャンは見つけてくれたの……?)
そして、それは結婚指輪としてだ。大切な意味が込められている指輪としてだった。
(私の為に、イージャンが……。知っていたんだ。知っていたから……)
彼は、そうでありさえすれば、ちゃんと行動してくれる。シビアナは、自分でもそう思っていた事を思い出していく。
(そうだ、他にもあったよ。家を買う時だって、自分に任せろって……。言ってくれたじゃない……。見てくれてたじゃない……。間取りを決める時だって、一緒になって……)
「陛下!」
「ふん!」
ステライは、そっぽを向くジャムシルドの軽率な発言を咎める。
(多分、二人きりってが嫌だったのね……)
その通り。
「全くもう……。ごめんなさいね。シビ、ア……ナ……」
ステライの言葉が止まっていく中、イージャンが驚いて長椅子から立ち上がった。ジャムシルドも目を見開いていく。
表情のないシビアナの瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちいていた。溜め込んでいた思いが、込み上げてくる。ずっと一人不安でも、頑張って我慢してきたことだ。それがもう堪えきれなくなっていた。
「わ、私、心配で……。本当に二人でやっていけるのかって……」
その思いが、どんどん言葉になって零れ出てくる。止められない。
「結婚式も、自分だけで、一人だけで挙げるんじゃないかって……!」
そう言うと、顔に表情が戻る。泣き顔でくしゃくしゃになった。シビアナは、その顔を隠すように俯いた。
「ずっと思ってて……」
「シビアナ……」
(あなたが、そこまで思い詰めて……)
彼女を子供の頃から、ずっと見てきたステライは、やり切れいない気持ちになった。
「でも……。でも――!」
シビアナは、くしゃくしゃになったその泣き顔を上げた。だけど、それは紛れもなく笑顔だった。
「イージャン!」
「シビアナ!?」
彼女は、そう言うと両手を広げて、驚くイージャンの胸に飛び込む。そして、その両手を彼の背中に回して、力強く抱きしめた。そして、
「ありがとう、イージャン! 愛しています!」
彼の目を真っ直ぐ見てそう言った。
「愛してます! イージャン! 愛してます! 愛してる……!」
もう、どう言っていいのか分からなかった。言葉に思いが追い付かない。だから、シビアナは、夢中で重ねていく。そして、彼の胸に顔を埋めると、堰が切れたように泣き出した。
「…………」
(はあ、いけないわねえ……。最近、涙もろくなってきたのかしら)
その様子を見ていたステライは、自分の目頭がじんわりと熱くなるのを感じていた。
「陛下の目論見通りには、いきませんでしたね」
「ふん……」
最早、ここは二人きりの世界だ。自分やジャムシルドがいようと構いはしない。だけど――。
ステライは泣きじゃくるシビアナを見る。ここまで感情が表に出る子ではなくなっていた。冷静で冷酷。人前での愛想の良さも、計算して作られたもの。だけど、今の彼女からは、そのどれも片鱗でさえ見受けられない。これが恐らく、本来の――
(取り戻して欲しかった。それは、いつの日か、私やジャムシルドがそうなって欲しいと願っていた姿。そう願っても、してあげられなかった。その姿ね……)
「…………」
ジャムシルドも、シビアナを見つめていた。その姿に、子供の頃の彼女が重なる。
「愛の力は偉大なり、か」
ステライは、あわあわしているイージャンを見る。自分の胸の中にいるシビアナを、どうしていいのか分からないのだろう。
(全く……。そこは、優しく抱きしめとけば、いいのよ)
呆れて溜息を一つ。
(まあ――。少しずつ、なんでしょうね。結婚指輪を内緒で買って来るなんて大技が、出来たんだもの。それで驚かせてみようって、してたわけだし。これから。うん、これからね)
ステライは、二人の姿を微笑ましく眺める。しばらくして、泣いていた声が、徐々に収まってきた。すると、ジャムシルドがシビアナに話しかけた。
「シビアナ」
「はい、陛下……」
若干泣き声ではあるが、シビアナは構わず答えた。そして、手巾で涙を拭いイージャンの胸を離れ、ジャムシルドに向かい合う。
「式の日取りが決まった」
「はい……」
「斧月の十八日だ」
「はい……。ありがとうございます、陛下……!」
シビアナは、また泣きそうになるのを堪えて頭を下げた。その姿を見てジャムシルドは、何かを言い掛けてやはり止める。そして、一言だけ文句を言う様に言った。
「ふん、当然のことだ」
ステライは呆れて肩を竦めそうになる。
(ホント素直じゃないわね。ちゃんと言ってあげればいいのに)
「ちょっと、どいてくれよ!」
前室の方が、何やら騒がしい。慌てた少女の声が、聞こえてくる。
「い、いけません! お待ち下さい!」
「いいから! そんなこと言ってる場合じゃないんだって!」
「ああ!?」
フーケイナの制止を解くように、執務室の扉が再び勢いよく開かれた。
「父ちゃん!」
「どうした、イル?」
ジャムシルドが「イル」と呼ぶこの少女は、イルミネーニャという。幼さがまだ色濃く残っている女の子だ。蜜柑色の明るい髪。両耳のところに、三つ編みがある。少し目つきが鋭い。
彼女は、最近ジャムシルドに引き取られてきた。今は、王女の侍従官見習いとしても働いている。
「やばいんだよ! 超やばいの!」
「落ち着け、イル」
ジャムシルドは立ち上がる。そして、イルミネーニャの前まで歩いていくとそこで跪き、その大きな手で彼女の頭を撫でた。しかし、それでも彼女の興奮は収まらない。矢継ぎ早に言葉を続ける。
「そんな落ち着いている場合じゃないんだって!」
「一体どうしたと――」
すると、彼女は「すうう!」と大きく息を吸む。それから答えた。
「姫姉とササレクタの姉ちゃんが、大喧嘩してんだよ!」
その言葉を聞いたジャムシルドは、撫でる手を止めると、目を瞑って大きく溜息をついた。
「はあー……」
「一体、何が原因なの?」
ステライが、イルミネーニャに尋ねる。
「いや、何かどっちのおっぱいが、おっきいかって。それで言い争ってたら――」
「あらあら……」
全く、あの子たちは……。と、ステライが呆れていると、遠くから何が重いものが破壊されている音が、微かに聞こえた。確かに、この子が言う通り、やり合っている様だ。
「あの馬鹿娘どもが!!」
ジャムシルドは、そう叫ぶと立ち上がった。
(やるなら、迷惑の掛からぬ場所でしろ!)
「行くぞ、イル!」
「うん!」
そして、イルミネーニャを持ち上げると、腕に抱え執務室の外へと歩き始めた。
「ステラ姉も早く早く!」
腕の中から急いでと手招きをする。
「ふふ。はいはい」
ステライは、イルミネーニャにああ呼ぶように仕向けていた。実年齢を、その外見から判断するのが難しい。最初に会った時に、この子が勘違いして「姉ちゃん」と呼んだのを、そのまま利用している。
「シビ姉も早く! ――ってシビ姉、どうしたの?」
首を傾げる。いつもの様子と違う事に気付く。それから、不思議そうにジャムシルドを見上げると、彼は前を見つめたまま歩くの止めた。
「ふふ、大丈夫よ。私たちだけで行きましょう」
「う、うん」
ステライが、先に行くことを促す。だが、
「私も参ります」
イージャンの傍から離れながら、シビアナが言った。
「いいの、シビアナ?」
「はい」
「でも――」
思いっきり泣いた後すぐに、こういう荒事は――。もう少し落ち着いてからの方が、良いのではないかしら? そう言い淀んだステライに、シビアナが首を振る。そして、
「私は、殿下の側付筆頭侍従官ですから」
そう言って笑顔で答える。見せたその笑顔は、とても晴れ晴れとしたものであった。
「ふふ。そうね」
「はい」
ステライはその笑顔を見て大丈夫だと判断した。そして、
「ふん……」
ジャムシルドは止めていた足を前へ。どこか嬉しそうに、そしてほんの少しだけ寂しそうに再び歩き始め、執務室を出ていった。その後をステライたちも続いていく。
「じゃあ、イージャン。また後でね」
「え? ああ……。え?」
振り返ったシビアナにそう言われて、イージャンはただ答えた。訳も分からず。そして、彼を残して執務室から誰もいなくなっていく。その様子を、呆然と眺めるだけであった。
「え?」




